致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

13 向けられる敵意




「泉さん♪ 私、真白さんに今日誘われました! 私のほうからアプローチするまでもなかったです」

 給湯室でコーヒーを入れていると、秋月さんは身体をくねらせながら、弾む声で声高らかに報告にきた。なんて返せばいいのか分からずに言葉に詰まる。

「あー。それ、私も行くんだ」
「はあ? なんでですか?」
 
 一瞬で陽気だった声色が変わった。高圧的に口調になり、イラついているのが感じ取れた。その気迫に負けじと言い返す。

「そ、それは……。仕事が終わってから、ちゃんと話すから」
「こなくていいんですけど!」

 さらに強い口調で返された。
 すごく嫌そうな顔で言い放つ言葉は悪意しか感じない。

「えっと、秋月さんの気持ちはわかっているんだけど……」
「分かっているなら、空気読んでこないでもらえます?」
「いや、だけど……」
「邪魔です! って言ってんの!」

 怒鳴り声で間髪入れずに言い返される言葉に、心が押しつぶされていく。後輩のはずなのに、目の前で睨みつけてくる彼女は、完全に私を敵対視しているのが分かる。

 秋月さんは口調がきつくなるにつれて、声量もあがっていた。給湯室の外まで響き渡っていたのだろう。通りかかった男性社員たちが、なにごとかとこちらに集まってくる。男性社員が集まってきたことに気づくと、ハッとして表情をコロリと変えた。眉間のしわは消え、一気に目に涙を潤ませた。

「ご、ごめんなさい。私、わたし……っ。」

 さっきまでの威勢はどこへやら。被害者モードに突入している。傍から見れば、泣きながら謝るか弱い後輩と。後輩を泣かせた先輩という構図の出来上がりだ。

 
「強い怒鳴り声が聞こえたけど、もしかして泉さん? なにがあったか知らないけど、あんな声で怒らなくても……」

 男性社員は、嗚咽を漏らす秋月さんをなだめながら私に向けて言い放つ。おそらく、先ほどの秋月さんの怒鳴り声が聞こえていたのだろう。その声は私じゃなくて、秋月さんです。そう真実を伝えればいいのに、秋月さんが被害者という空気が出来上がっている中、言える勇気がなかった。

 この状況の中、弁明したところで、悪者は完全に私だからだ。すでに男性社員を味方につけた秋月さんに敵わないと思った。

 秋月さんに味方が集まるのはいつものことだ。
 もう、いいや。私の声なんて誰にも届かない。
 そう諦めた次の瞬間。


「みんな集まってどうした?」

 プライベートの時より、凛とした声。みんなが一斉に振り返ると、いつもの穏やかな表情ではなく、険しい顔立ちをしている真白さんだった。

 ごくり。誰かが唾を呑む音が聞こえた気がした。真白さんが今まで見たことのないような、冷たい目をしていたので男性社員も硬直していた。

「えっと、泉さんが秋月さんに怒鳴って、それで秋月さんが泣いちゃって、」

 違う。男性社員が説明した内容を否定したかった。
 だけど、言葉に出来ない。すがる思いで真白さんに視線を向けるも、彼とは視線が一行に合わない。

 胸が痛い。
 秋月さんに嘘をつかれたことよりも、真白さんに信じてもらえないことに、胸がひどく痛む。
 真白さんには信じて欲しかった。
 
 
「あー。違うよ? 怒鳴り声は秋月さんだから。秋月さん、こっちまで聞こえてきてたから。今度から気を付けて」
「えっと、」

 真白さんは淡々と否定した。疑うことなく、私が怒鳴ったわけではないことを分かってくれた。
 まさかバレるとは思ってもいなかったのか、秋月さんは目を泳がせた。反論せず口を噤む。

「声で見分けられるよ? 秋月さんが怒鳴ってたよね? 秋月さん。人のせいにするのはよくないよ」

 言葉を発しない秋月さんに、真白さんは冷たい口調のまま畳みかける。真白さんは基本的に優しい。会社で怒ることは滅多にない。そんな彼が、冷たく言い放つので、秋月さんの味方をしていた男子社員も息をのんで見守っている。

 立場が逆転してしまったせいか、秋月さんは口を一文字に結んで開こうとはしない。そんな彼女の態度に見かねた真白さんは、秋月さんの味方をしていた男性社員に視線を向けて言い放つ。

「それにお前たちも、社員の声も判別できないのか?」
「秋月さんが怒鳴るはずないと思って……」
「泉さんの話は聞いたのか? 一方の意見だけ聞いて、決めつけるなんてしたらダメだろ」
「……すみません」

 普段怒らない真白さんが、淡々と言い放つ言葉には迫力があった。男性社員たちは肩を窄ませ謝っている。

「みんなもいるし、ちょうどいいや。俺と泉さん。付き合うことになったから」
「え、」
「え?!」

 驚きの言葉がこだまする。みんなが驚くのは当然だ、しかし、それ以上に私だって驚いていた。だって、計画では秋月さんにだけ交際宣言をするっていう話で。皆の前で交際宣言をするなんて計画にはなかった。

「えー! びっくりした。けど、おめでとうございます」
「驚いた。でも、うちの会社恋愛禁止じゃないですもんね」

 驚きの声から祝福の声へと変わっていく。
 ただ一人を除いては――。

 ぎろりとこちらを睨みつける視線を感じる。もちろん秋月さんだ。怖くて視線を合わせることができなかった。ひたすらに鋭い視線を浴びて、気づいていないふりを貫いた。
 
 男性社員が去っていき、私と真白さん。そして、秋月さんの3人が残った。
 真白さんは改めて秋月さんと向き合う。

「秋月さん。さっきも言ったけど、俺は泉さんと付き合っている。だから、家の前で待ち伏せされるのは迷惑なんだ」
「え♡ 知ってたんですか? 知ってたのに、帰ってきてくれなかったんですか?」

 さっきまでのしんなりとした表情は消えていた。いつもの調子の秋月さんに戻っていた。話す語尾は上がり、ハートマークが浮かび上がる。

 
「それは、キミがいたから帰れなかったんだよ。他の社員の前で言わなかったのは、最後の優しさだから。また待ち伏せが続くようだと、こちらもそれなりの処置をとるからな?」

 そう言い放つ声は冷たかった。さすがの秋月さんも気まずそうな顔をして黙り込む。

「そういうことだから……」

「本当に好きなんですか?!」

 真白さんが穏便に話を終わらせようとすると、遮るように甲高い声を上げた。

「真白さんは、本当に泉さんが好きなんですか? そんな素振りなかったですけど」

 
 納得しないような顔で問いただす。
 そうだ。真白さんは私のことなんて、好きではない。そんな素振り見られなかったのはそのせいだ。

 どうしよう。やっぱりこんな嘘すぐにばれるのかな。

 
「好きだけど? 俺は泉さんのこと」

 背筋を伸ばして言い放った言葉に、どくん。と心臓が跳ねた。
 その「好き」は嘘だと分かっているのに、ドキドキと心臓が暴れだす。

「今まで特別仲が良かったわけじゃないですよね?! それに、泉さんは、わたしと真白さんを応援していたんですよ? 協力してくれるって言ってたのに!」

 潤んだ瞳で訴えられても困る。正確には言っていない。秋月さんが一方的に頼んできただけで、協力するなんて言ったことがない。
 
「それは俺が悪いんだよ。俺が一方的に好きで、一方的に口説いたから。粘り勝ちってやつ?」

 真白さんが言ったことは事実ではない。秋月さんの怒りの矛先が私に向かないように、言葉を選んでくれての嘘だと分かった。


「あ、今日の仕事終わった後会う話はなしね。泉さんと付き合ってることと、待ち伏せをやめて欲しいことを伝えたかっただけだから」
「……っ」


 秋月さんは、だいぶ引き下がって問い詰めてきたが、ついに観念したらしい。悔しそうに唇をグッと噛みながら、秋月さんはその場を後にした。秋月さんがいなくなった途端、スイッチが切れたように、真白さんは大きなため息を吐いた。


「はあ~。嘘がバレないか、緊張して手汗びっしりだったよ~」

 さっきまでのクールな真白さんは消えていた。身体をふにゃりと曲げて、キリッとしていた目元も緩んでいる。私が知っているプライベートの真白さんだ。

 秋月さんに対する冷たい目が脳裏に残っていて、目の前のふにゃっとした彼とのギャップに口角が上がってしまう。
 私の前だけで見せるプライベートの真白さんが見られることが嬉しいんだ。

 周りのみんなは秋月さんの味方をしていたのに、迷うことなく私の味方をしてくれたことも本当に嬉しかった。秋月さんの棘のある言葉に踏み荒らされた心は、真白さんのおかげて治癒できたような気がする。

「真白さん、ありがとうございました。……味方をしてくれて」
「当然でしょ? 彼女なんだから」

 悪戯に笑う真白さんに心が惑わされてしまう。
 そんなこと言うなんてずるい。童貞のくせに。


「ふりですけどね! 偽物の彼女!」

 照れ隠しで放った声が必要以上に強い語尾になってしまった。モテる女子ならどんな対応をするのだろうか。私ってかわいくない。自分のことながら痛切にそう感じて嫌になる。

「俺、誰かを好きって初めて言ったかも」
「え! そうなんですか? 貴重な『初すき』を、私なんかに使ってもらって申し訳ないです。まあ、嘘のですけど」
「泉さんでよかったよ。好きって言葉は、口にすると嘘でもドキドキするもんだね。心臓が大きく鳴りっぱなし! 秋月さん、疑ってくるから焦ったー。ちゃんと彼氏になってた?」
「……はい」

 思わずドキッとしてしまった。とは言えなかった。
 彼の言葉1つ1つに簡単に胸が高鳴ってしまう。

 恋愛経験は私の方が上なのに、なんでこんなに心が惑わされてしまうのだろう。
 彼は計算ではなく、天然で言っているから余計にたちが悪い。

 
「今日は時間をずらさずに堂々と一緒に帰ろうか」
「一緒に、ですか?」
「もう公認だからね」
「公認って……」
「男の一人暮らしには足りないものが多すぎるから。必要なものを買って帰ろう」

 真白さんは言い残すと、爽やかに去っていった。私は胸の高鳴りがなかなか収まってはくれず、その場で胸を押さえて落ち着くのをしばらく待っていた。

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