致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

8 信じ難い提案


 キッチンで飲み物を準備して、リビングに戻る。真白さんはリビングテーブルの上に乱雑に置かれていた賃貸情報のチラシを手に取って見ていた。
 
 
「泉さん。引っ越すの? もしかして、ストーカーのせいで?」

 
 ちょうど更新の時期で、長年の住んでいたアパートは大家さんが変わったとかで、家賃が値上げされると通達が来ていた。これを機に引っ越しも悪くないのかなと思い、新しいアパートを探していたのだ。



 
~♪
 口を開こうとした瞬間。タイミングよく静寂な部屋に着信音が鳴り響く。
 発信源は私のスマホだ。見なくても相手が分かってしまう。鳴りやまないスマホを放置して、ごくんと唾を呑み込んだ。

 相手は楓くんだ。残念なことに彼以外、私に電話をしてくる人はいないのだ。

 なぜこんなにも私に執着するのか分からない。彼とはあれっきりだと思っていたのに。簡単に終わらせてくれないようだ。

「泉さん? 電話大丈夫?」
「ははっ。元カレからだと思うので大丈夫です」
「元カレ? さっき言ってた待ち伏せしてたやつ?」
「元カレが連絡しつこくて……」

 鳴り響く着信音がようやく止んだ。

「元カレは、だいぶ未練があるんだね」
「……」

 楓くんがしつこく追いかけてくるのは、未練からではない。理由はきっとお金だ。

 心配そうな顔をして覗き込む真白さんに、元カレにお金を求められたことを正直に話した。職場の人に、男にだまされたことを言うのは初めてだった。同情されるも嫌だったし、私のちっぽけなプライドが人に言うことを拒んだからだ。そんな私の汚点話を優しい瞳で聞いてくれた。
 
 男にお金をだまし取られそうになった。だなんて、恥ずかしくて誰にも言えなかったのに、不思議と真白さんにはすんなりと話すことが出来た。私は誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。話し終えたころには、心のつかえが取れたように少しだけすっきりとしていた。

 真白さんは、悩んでいるような顔をした後、ゆっくり口を開いた。
 

「一緒に住もうか」
「……なんて?」

 思わず耳を疑った。唐突に言われた言葉は脈絡のない言葉だったからだ。
 聞き違いだろうか。一緒に住む。と聞こえたような。

「お互いに境遇が一緒なわけだろ? お互いに恋人がいるふりをすれば、待ち伏せもやめてもらえるんじゃないかなって」
「いや、だからといって、一緒に住むなんて……」
「元カレが待ち伏せしている家に泉さんを帰すのが、上司として心配なんだよ。ましてや、普通の男ではないだろ? 詐欺師や犯罪者かもしれない! そんな危険な身にいる部下を放っておくことはできないよ! 他に友達の家とか行く当ては?」

 頭を左右に大きく振った。どのくらいお世話になるか分からないのに、行く当ては見当たらない。
 
 確かに、楓くんに待ち伏せをされていることを考えれば、この部屋に1人で帰ってくるのは危ない。でも、いきなり一緒に住むことを提案されて、すぐに答えを出すことができなかった。
 
 だって、真白さんと一緒に住むなんて……。
 いくら彼が女性嫌いで童貞だとしても、正真正銘男だ。簡単に頷ける話ではなかった。
 
「私と真白さんが同棲だなんて……」
「いや。同棲ではないよ。同棲とは、一般的に婚姻関係にない恋人同士が同じ住居に住むことをいうから。その点、俺たちは恋人同士ではない。だから、俺たちは同居だな」

 頭を左右に振りながら、細かいことをきっぱりと訂正してきた。
 
「一緒に住むってことは、同じ空間で過ごすってことですよ? 真白さんは女性嫌いなんじゃ……」
「泉さんは大丈夫みたい。狭い空間に一緒にいても、不思議と心が嫌がっていないんだ。なんでだろう。他の女性みたくがつがつしてないからかな?」

 なんだろう。真白さんの言葉の1つ1つが引っかかる。
 まずは、この部屋のことを狭い空間とナチュラルに侮辱していること。
 そして、私を女性扱いしていないこと。

 胸の奥がちくっと傷む気がした。その理由を考える時間がなかった。

 一緒に住む?
 童貞で女性嫌いの真白さんと?

 
 交際してもいない男性と一緒に住むなんて。普通なら女性側は警戒してしまうだろう。
 ただ、私が警戒する必要は一切ない。

 なぜなら……。

「大丈夫。絶対、絶対に! 手出したりしないから! それだけは自信もって誓える!」

 真白さんは、胸を張って言い切った。歯切れよく言った言葉は、なぜか棘のように胸にチクリと刺さる。ここまで言い切られると、安心するというより心が少し傷ついた。

 「もちろん、条件はあるよ?」

 どうやら条件はあるようだ。家事は全て私が担当で、家事代行の代わり的なやつかな。なにか条件がなければ、女性嫌いの真白さんが、誘うわけないよね。

 しかし、想像を遥かに超えた信じられない条件を告げられる――。


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