致し方ないので、上司お持ち帰りしました

柚月しずく

3 運命は突然に


 寝室はどの部屋か分からないので、目の先に見えたリビングのソファまで運ぶ。
 どさっと、ソファになんとか乗せると、身体の疲れがどっと押し寄せてきた。長身の男性を運ぶだなんて、初めての経験だ。身体のあちこちが悲鳴を上げている。

 真白さんを部屋まで運んだ。私の役割は終わりだ。帰ろうと足を一歩進めた時だった。
 「痛っ」足の小指に痛みが走り、思わず短い叫び声をあげた。間接照明の光に照らされて、見通しが悪い中、足元に視線を向ける。どうやら落ちていた分厚い本に足の小指をぶつけたようだ。落ちていた本を何気なく手に取った。

 その分厚い本には付箋がたくさん貼られていた。仕事関係の本かな?付箋がたくさん貼られている様子に勉強熱心だなと感心する。関心しながら、本のタイトルに目を向けると、思わず目を疑った。

 目を擦りもう一度凝視する。
 見間違いじゃない。


「童貞だとバレない方法」

 衝撃的なタイトルに、頭がついてこなかった。

 へ? 童貞、だと?
 状況が呑み込めないまま、辺りを見渡すと栞が挟まれている本。開きっぱなしの本など、他にも読みかけと思われる本が散らばっていた。勝手に触れる罪悪感を背負いながら、他の本のタイトルに目を向ける。


「童貞のキミに贈る言葉」
「童貞は人を動かす力を秘めている」

 
 イケメンの部屋には似合わないタイトルの本ばかりだった。
 そして一番近くに落ちていた「童貞だとバレない方法」という本におそるおそるふれた。新品とは言い難い。何回もページを捲られたような使用感を感じる。あちこちにマーカーで印がつけられており、確実に読み込んだ本だということを悟る。

 私の胸はドキドキと高鳴っていた。
 もしかして、真白さんは……童貞?!

 口元が緩んでしまう。童貞の本を手に取り、ニヤけていては完全に変態だ。緩むことをやめない口元を手のひらで隠した。

 口角が上がりっぱなしだ。だって仕方ないよ。
 運命の人(童貞)と出会えたんだから!

 ずっと待ち望んでいた。今まで非童貞としか出会えず、大人の童貞とは出会えないと思っていた。あと少し遅ければ、未成年に手を出して捕まっていたかもしれない。

 これは運命だ。
 胸にじわじわと高揚感が湧き上がってくる。

「よっしゃ!」

 気持ちが高ぶり、拳を上げて思わず声を張り上げた。

「んー?」

 よほど声が大きかったのだろう。あれほど声を掛けても起きる気配のなかった真白さんがやっと目を覚ました。寝ぼけまなこでとろんとした瞳を向けられる。

 このイケメンエリートが童貞。
 探し求めていた童貞。

 よだれが出そうなところを何とか堪えた。冷静を装い渾身の優しい声を出す。

「真白さん? 大丈夫ですか? よほど飲まれましたか?」

 今まではイケメンエリートに、微塵も興味がなかった。冷たい態度をとっていたと思う。だけど、童貞ともなれば話は別だ。甘えた猫なで声だって、平気で出せてしまう。
 
「泉さん? あ、そうか。泉さんが乗ったタクシーに乗り込んで……そこまでは覚えているんだけど、」
「真白さんに声を掛けても、起きなかったので、お部屋まで担いできました」
「か、かつ? 悪かったね」
「いえ。滅相もないです」

 真白さんは頭をポリポリとかきながら、気まずそうな表情を浮かべる。

「あ、えっと。ありがとう。……これ、帰りのタクシー代に使って? じゃあ、また会社で」

 1万円札を握らされ、やんわりと帰ることを促された。

 ここで帰っていいのだろうか。
 せっかく運命の人(童貞)に出会えたのに。

「……」
「……」
「泉さん、本当にありがとう。帰りは気をつけて」

 帰ろうとしない私に再び催促の言葉が降りかかる。
 一見、優しそうな笑みを浮かべているが、目の奥は笑っていない。「早く帰って欲しい」と目で訴えているのが、ひしひしと伝わってくる。


「あの、真白さんは彼女さんとかいらっしゃるんですか?」
「いないけど……」
「真白さんは……今まで出会えなかった運命の人なんです!(今まで出会えなかった童貞なんです!)」
「申し訳ないのだけれど。泉さんとはお付き合いを考えられません。俺、女性に興味がないので。今後も考えられません」

 意気揚々に伝えたのに、丁寧に拒否されてしまった。
 女性に興味がない。そのパターンだとは思わなかった。でも、妙に納得もしてしまう。女性に興味ないということは、童貞という非現実的ワードが真実味を帯びてくる。

 しかし、こんなに整った顔立ちで女性に興味がないだなんて、勿体無い。非常に勿体無い。イケメンの無駄遣いすぎる。

「えっと、それは男性が恋愛対象ということでしょうか?」
「い、いや。恋愛対象は女性だと思う。だけど、興味がないんだ」
「興味がないとは? 恋愛に? 女性に?」
「……異様にがつがつくる女性ばかりで、いつの間にか女性が苦手になってたんだ」

 きちんと説明してくれるが、酒が残っているせいか、頬をほんのり赤く染めて呂律が回っていない。呂律が回らない口で綴る姿は少し可愛いと思ってしまった。


「そうなんですか。イケメンの無駄遣い……じゃなくて、女性からモテて選び放題なのに勿体無いですね」
「俺、モテてるの?」
「モテてますよ。気づいてないんですか? 真白さんがその気になれば、一瞬で女持ち帰れますよ?」
「そんな、持ち帰るだなんて。俺そんな風に見える?」
「見た目はイケメンで遊んでそうなので、そう見えますね」
「遊んでいるどころか、俺童貞なのになー。ははっ」

 軽い笑い声はすぐに消えた。真白さんは言った後に「あ、」と短い声を上げて、明らかにやってしまった。という表情をしている。


「え、」
「え、」

 声が重なると、真白さんは口を大きく開けて気まずそうな表情を浮かべた。そして、すぐに両手で顔を隠した。

「わ。やべ。間違えた。お、俺は童貞じゃない! や、やりちんだから!」

 あたふたと弁明をはじめた。
 やりちんは自分でやりちんとは言わないと思う。そしてわかりやすく目が泳いでいる。

 部屋に散らばっていた童貞に向けての自己啓発本。
 その本の証拠だけでは、にわかには信じられなかったが、目の前で繰り広げられる彼の一挙一動が私の中で確信に変わる。

「真白さん。女性の経験ないんですか?」
「……」

 言葉の代わりに大きなため息が聞こえてきた。潤んだ瞳を向けられる。

「誰にも……言わないで、ほしいです」
「はいっ! 了解しましたっ!」

 胸を張って返事をした。場違いなほど大きな声だったと思う。胸の高鳴りを抑えきれずに声量が上がってしまった。

「あの! 童貞素敵だと思いますよ!」
「は、い?」
「私、童貞と出会えるのを待ち望んでいたんです!」
「は、」

 真白さんは口を開けたままポカンと固まった。
 驚くのも無理はない。今まで会社では無関心を貫いて塩対応だった後輩が、童貞だと聞いた途端に前のめりで誘ってくるのだから。真白さんは身の危険を感じたのか、ゆっくりと身体を後退させた。分かりやすくドン引きしている。

 だけど、そんなこと気にしてなんていられない。
 やっと見つけた。待ち望んだ童貞なのだから。


 イケメンエリート真白さんが、童貞だなんて。誰が想像するだろうか。胸は熱くなり、気分は向上していた。これが、ギャップ萌えなのかな?初めての感情に心が躍っていた。


「真白さんは、その年までなんで童貞なんですか?」
「気遣いの欠片も見当たらないほど、直球な質問だね」
「で、なんでなんですか?」

 前のめりで鼻息を荒くして質問する私に向けて、わざとらしく大きなため息を吐いた。観念したように、ゆっくりと話し出す。

「さっきも言ったけど、俺は女性が苦手なんだ」
「でも、男が好きなわけではなくて。恋愛対象は女性なんですよね?」
「男性に好意を抱いたことはない。だけど、女性にも。恋愛にも興味がないんだ」
「童貞の自己啓発本は……なんのために?」
「なっ、なんで知って……?!」

 真白さんは耳まで真っ赤に染めた。動揺しているのがみて取れる。触れない方が良いことだったらしい。触れてしまい、申し訳なさが込み上げる。

「あ、ごめんなさい。散らばっていたので……目に入ってしまって」
「30歳にもなって、童貞なんて言えないだろ? だから、童貞っぽさが出ないように……知識をつけていたんだ」

 消え入りそうな声は、後半はほとんど消えていた。仕事同様、真白さんは勉強熱心なようだ。

 こんなにイケメンなのだから、誰も童貞だなんて疑わないのにな。

 こうして間近でよく見ても、端正な顔立ちは見惚れてしまうほどだった。

 イケメンなのに、女性に興味がないとは。
 宝の持ち腐れってやつだ。
 
 童貞と聞いて心を躍らせていたが、女性に興味ないとなれば勝算が見当たらない。弾んでいた心はすぐに萎んだ。

 私だって、バカじゃない。それなりに恋愛を経験した大人だ。真白さんに交際を申し込んでも断られることが目に見えている。目の前でドン引きする真白さんを目の前にして、諦めざる負えなかった。

「はあ。せっかく見つけた童貞なのになー」
「……」

 心の中で呟いたつもりが、盛大に声に出ていた。真白さんはまた一歩後退して離れていく。

 
「あ、ごめんなさい。もう諦めますんで。基本的にイケメンとか、エリートには興味ないし。真白さんを好きなわけではないです。だから引かないでください。ただ童貞という言葉にときめいてしまっただけで」
「泉さんは、そういう性癖で……童貞キラーというやつなのかい?」
「ぶっ、童貞キラーって。あはは。違いますよ」

 いまだに一定の距離を取り、警戒を続ける。あまりにも警戒されるので今後の仕事に影響が出てしまう。そう危惧した私は、真白さんに祖母の予言のことを話すことにした。

 霊視ができる祖母に予言をされた話なんて、真剣に聞いてはくれないと思っていた。しかし、予想に反して相槌を打ちながら、最後まで真剣に聞いてくれた。話し終えた頃には、祖母の話を信じてくれたようで、こわばった表情が少し緩んだ気がした。

「童貞に惹かれましたが、真白さんが女性嫌いと聞いたので。もう諦めます。好きになる前だったのでダメージもなく、次に進めます。あ、ちなみに友達に童貞とかいませんか?」
「いない、な」
「そうですか」
「泉さん、その。俺が童貞っていうことだけど……」
「もちろん、誰にも言いませんよ? その代わり、祖母の予言の話。誰にも言わないでください」
「互いに秘密は守るということで」
「はい。明日から、今まで通り上司と部下の関係でお願いします」

 お互いに深々と頭を下げた。
 私たちは飲み会帰りに一緒になり。互いに秘密を共有した。ただそれだけのことだ。

 真白さんの部屋を後にして外に出ると、夜空には星が散りばめられていた。いつもより星が輝いて見えるのは、身体に残った微量のアルコールのせいだろうか。なんだかやけにきれいに見えた。
 

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