鷹ノ眼忌譚

祇光瞭咲

8.辻屋門匠眞と鷹神憑き(後)

 とうとう匠眞が口を開いた。押し殺した声で言う。今貫はその言葉の意図がわからず、縋るような想いで顔を上げた。

「確かに君がアレを見つけたことが契機となった。しかし、そもそもアレは君と同じ人間ではない。本来学校などというものに行く必要はないのだ」
「人間じゃ、ない……?」
「左様。アレは私や君とは違う。謂わば、バケモノの類だ。勉学などする必要はない」

 何を言っているのかわからなかった。匠眞の美しさも相まって、今貫には彼が何か未知の言語で話しているように感じられた。

「酷い! そんな言い方――」
「君の方こそ、何も知らないくせに知ったような口を叩くな」

 今貫は口を噤んだ。匠眞が真っ直ぐに彼を見ている。その顔は表情を欠いているように見えて、その実強烈な怒りを感じさせた。
 しばらく、睨み合いが続いた。正確に言えば、今貫は匠眞の眼差しに気圧され、動くことも口を開くこともできなかったのだが。

 やがて、匠眞がふっと薄い笑みを溢した。

「君は、犬神憑きというものを知っているか?」
「……犬神憑き?」

 今貫は突然の話題の転換に付いて行けず、ぽかんと口を開けて見返した。

「畜生を用いた蠱術の一つだ。残虐な方法で動物をまじないに使い、一族の繁栄を得たり、他者を呪ったりする忌まわしきわざ
「し……って、ます……けど……」

 民俗学の講義で耳にした。一般的に四国地方で見られるもので、全国的には狐憑きやイヅナ憑きと呼ばれるものに近いが、四国には狐が生息していないために犬を代替で用いたと考えられている。
 一般によく知られている方法としては、首だけを出して埋めた犬の前に餌を置き、餓死する直前にその首を斬り落とすといったものだ。犬神に憑かれた家は犬神筋と呼ばれ、繁栄を約束される代わりに、未来永劫犬神を祀り続けることを求められる。また、犬神を相手のもとに送り込み、相手を不幸に陥れることもできるとされた。

「それが何の関係があるんですか?」
「我が辻屋門家は、その系譜に位置する。だが、辻屋門が贄とするのは犬畜生ではない――鷹だ。鷹を贄に蠱術を用い、鷹神を創る。君が友と呼ぶ辻屋門飛鷹は、そうして創られた『鷹神』の《《残骸》》だ」

 今貫は茫然として匠眞を見た。相手は慈しみすら感じさせる微笑で以って見つめ返している。彼は大理石のような白い手で祭壇を指し示した。

「その証拠に、あの祭壇には母として飛鷹を育て、そしてアレに喰い殺された鷹の頭蓋骨が祀られている」

 艶のある黒檀で作られていることを除けば、祭壇は三社宮の神棚と形式はそれほど変わらないように見えた。瓶子のようなものや榊の枝が供えられているが、その他の神具は今貫の見たことのないものばかりであった。
 均整の取れた美しい佇まいには神聖さも感じるものの、納められているものが動物の骨だと聞くと、何やら薄ら寒く思えてしまう。今貫はぶるりと肩を揺すり、無理矢理祭壇から視線を逸らした。

「鷹神って、飛鷹は現人神あらひとがみだってこと……?」
「いや。残骸だと言っただろう。鷹神はアレに肉を奪われた際に生じる怨念そのもの。アレはその残照を受け止める器に過ぎず、アレ自身に価値はない。その証拠に、アレにははっきりと分化した性がない。常世にも現世にも属せぬ、極めて不安定な存在だ」

 ようやく今、今貫には匠眞の笑みの意味が理解できた。彼は弟に一切の情を持っていない。むしろ、飛鷹を憎んでいるのだ。
 すっかり萎え切った感情の中に、再びふつふつと怒りの蕾が芽生え始めた。膝の上で握った拳が白く変色していく。

「だったら……だったら何だって言うんだ!」

 気が付いた時には叫んでいた。畳に拳を叩き付け、見上げた面貌は残酷なまでに美しく。飛鷹にひどく似ていることが憎かった。

「人間として生まれたんでしょう? だったら人間だ。何をされたって人間だ!」
「もう、違う」
「人間だ! 飛鷹だって人間らしくありたいと願ってた! それは決して特別なことじゃなくて、ただみんなみたいに学校に行ければよくて……本当に、素朴な願いなんです」
「だから、私はその願いを一時叶えた。約束を違えたのはアレの方だ」
「違う! それは、俺のせいであって――」
「勘違いするな」

 匠眞が鋭く遮った。睨み付ける眼差しには苛立ちが籠っている。

「私がただ嫌がらせのためだけにアレを閉じ込めていると? アレはただそこにいるだけで妖を呼び寄せる。夜目繰よめくりがそうだ。忍に一時的に異界へ送り返させたが、死んだわけではない。またアレを狙って姿を見せるだろう」

 匠眞はゆっくりと、捻じ込むように、言った。

「――アレはいるだけで周囲の人間に害を為す」
「そんな……そんな、言い方……っ」

 今貫は歯を食いしばる。
 悔しかった。何を言ってもこの男には響かない。それに、夜目繰の話を出されたら、今貫に言い返せる言葉はなかった。

 本当にそうなのだろうか?
 匠眞の言っていることは正しいのか?
 飛鷹は特異な存在であり、屋敷から出れば妖怪が彼をつけ狙う。理不尽な話だ。だけど、そのせいで誰かが危険な目に遭うというなら、確かに飛鷹は屋敷の中に封じておかなければならないのだろうか。彼の自由のために別の誰かが被害に遭うなんて、それもまた理不尽でしかないのだから。

 ――そんなのは、嫌だ。

 今貫は顔を上げた。もはや匠眞の眼差しなど怖くはなかった。ただ決意のみが彼の心を動かしていたから。

「俺が夜目繰を退治する。それができたら、飛鷹を大学に戻してください」
「夜目繰を退治する?」

 匠眞は意表を突かれたようだった。驚きと同時にその目が好奇心で光る。だが、彼はすぐに目を伏せた。退屈そうに。

「無用だ。君が下手に出しゃばろうとしなくとも、あれくらい簡単に退治できる」
「チャンスが欲しいと言っているんです。妖に狙われて危険だというなら、その危険を取り除けることを証明できればいいんでしょう?」
「そうして徒に犠牲者を増やすのか? これまで夜目繰が目を奪うだけで済んでいたのは、奴が完全に現世へと渡っていなかったからだ。次に姿を現す時には、完全に異界を抜け出ているかもしれん。そうなれば目を奪うだけではすまぬ。奴の一薙ぎで貴様の胴は千切れるぞ」
「……やってやるさ」

 震えが、恐怖が、ないわけではない。
 だがそれよりも、匠眞への怒りが勝っていた。

「仮に俺が失敗したって、あなたがちゃんと退治してくれるんでしょう。だったらその前に、少しくらい俺に猶予をくれてもいいはずです」

 匠眞はじっと今貫を見据えた。値踏みの視線だ。今貫はその視線に耐えた。
耐えて、向かい討った。

「……いいだろう。しかし、期限を設けさせてもらう」

 今貫はゴクリと唾を飲み込んだ。

「望むところだ」
「次の犠牲者が出るまでに、夜目繰を退治してみせろ」

 その言葉に冷や汗が伝う。
 当然だ、被害者なんて出せない。気持ちでいくらそう理解していたって、現実の問題として実行できるかは別の話だ。

 それでも。
 最善を尽くしたと言えなければ、飛鷹への友情が嘘になる気がした。

「……わかりました」
「よろしい。念のために忍を同行させる。万が一にも死者が出ることは避けねばならない。そのための保険だ」

 匠眞は傍に置いてあった鈴を鳴らした。間もなく忍が現れ、襖の前に膝をつく。

「忍、聞いていたな?」
「はっ」
「今貫藤巳――」

 辻屋門匠眞は言った。

「期待はしていない。だが、やりたいようにやってみせろ」

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品