鷹ノ眼忌譚

祇光瞭咲

8.辻屋門匠眞と鷹神憑き(前)

 鎌辺平かまべだいら大学中央より、路線バスで小一時間。結辻ゆいつじは交通の便の悪い、取り残された集落であった。右野辺うのべ市や左間さま町に続く鉄道もバイパス道路も、結辻を大きく迂回するように整備されてしまったためである。
 話によると、もともとの工事計画では結辻も経路に含まれていた。しかし、一帯の土地を有する辻屋門つじやかど家が首を縦に振らなかったために、迂回させざるを得なかったのだそうだ。曰く、御嵩山みたけさんは異界に通じる霊山であって、その領域を人間が脅かすのは許されないとのこと。

「ここでも異界か……」

 車窓からの光景は延々と変わらない。黒々とした針葉樹と、その間を埋めるように造られた畑ばかり。点在する民家は平屋の戸建てで、茅葺屋根にトタンを被せた家が多く見られた。
 今貫いまぬきは窓の桟に頬杖をつき、針葉樹林を背景に映り込む自分と目を合わせていた。

「辻屋門家は遥か昔から、この土地のシャーマン的存在でした。霊的存在を使役し、右野辺と左間の争いごとを調停していたのです。また、霊場である御嵩山を治める立場でもあります」

 あやが解説を述べる。はじめはどこまで話していいものか渋っていた彼女も、少しずつ口を開くようになっていた。

「地元の有力者は今でも匠眞たくま様のところに御託宣を授かりにいらっしゃいます。それから、御祈祷や地鎮祭などを執り行ったりも」

 ふと今貫は「霊的存在を使役」という言葉に引っ掛かりを覚える。何が気になったのか懸命に思考を巡らせ、あっと呟いた。

「そうだ、鷹神憑き。辻屋門家は鷹神憑きってやつなのか?」
「えっ?」

 綾は驚愕を顔に浮かべ、慌てた様子で顔を背けた。

「何のことでしょう、それは」
「先輩が見せてくれた絵巻に載ってたんだ。夜目繰を退治する鷹を連れた人が。夜目繰を退治できるんだから、あれって辻屋門家のことだろう?」
「その、私にはちょっと……」

 そう言って綾は口を押さえてしまう。今貫はそれ以上追及はしなかったが、辻屋門家こそがあの絵巻の鷹神憑きであるという確証を得た。

 バスが結辻に到着する。アナウンスも何もなかったけれど、この路線を使う者はほとんどがこのバス停で降りるのだろう。集落の入り口が小さなロータリーのようになっていて、道はそこから二つに分かれていた。二人を降ろし、バスは右手の道へと消えていく。その先は民家もない山道であった。
 家々は密集して建っており、どの家も裏側に広い畑を持っていた。立派な瓦葺の日本家屋だ。表札は皆一様に「結辻」となっている。その中の一軒を指差し、綾は言った。

「ここが私の実家です」

 さらに歩くこと数分。道の正面に堂々たる門構えが見えてきた。

「あちらが辻屋門様のお屋敷です」
「うへぇ……」

 今貫から出たのは、そんな気の抜けた感嘆だった。
 板張りの塀がぐるりと敷地を囲い、重厚な門が口を閉じている。高い塀のために中を窺い見ることはできないが、塀よりも高い屋根がいくつも見えていた。特徴的なのはその色だ。門も塀も、奥に見える建物群も、すべてが墨を擦り付けたように黒く塗られている。正門の前には苔むした岩が鎮座しており、まるで番人のように来るものを威圧していた。

「あれ、もしかして蔵か?」

 塀から覗く建物を見上げ、今貫が驚愕の声を上げる。
 形はよく見知った土蔵なのだが、明らかに大きすぎる。塀の上から突き出た部分だけで二階分の窓が見える。おそらく三階建てだろう。三階の窓は開け放たれていて、幾重にも重ねた分厚い段型がよく見えた。窓には鉄格子が填められ、他に漏れず黒く塗りこめられていることも、寒々とした印象に一役買っていた。
 綾は今貫の質問には答えず、真っ直ぐに門へ向かって行った。呼び鈴などはないが、事前に到着を伝えておいたのだろう。戸を数回叩いただけで内側から開かれた。

しのぶさん、今貫さんがいらっしゃいました……」

 綾の声は不安げだ。忍は彼女を押し退けて門から出て来た。
 確かにあの晩に見た男性だった。上背があり、無造作に伸ばした髪は耳を覆う程度の長さ。顔立ちは曲線的で、優男と言えなくもなかったが、ワイシャツ越しですら筋肉質な肉体をしていることが見て取れた。はだけたジャケットの下から特殊警棒が覗いているから、使用人というよりは守衛のような立ち位置なのだろう。
 忍は今貫の前に仁王立ちするなり、ジロジロと不躾に眺め回した。

「は、はじめまして。今貫です。先日は助けてくださりありがとうございました」

 言うべき言葉は何度も脳内で繰り返してきた。それでも、いざ口に出すと喉が渇く。忍は素っ気なく頷き、綾を振り返った。

「お引き取り願え」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 慌てて踏み出す今貫を忍は鬱陶しそうに見下ろした。

「お願いします。匠眞……様に、会わせてください」
「匠眞様に?」

 忍の顔が一層険しくなった。手が無意識に特殊警棒の方に伸びる。

「てっきり飛鷹様に会いに来たものと思ったが……匠眞様に何の用があるんだ?」
「お願いをしに来ました。飛鷹を大学に返してください――って」

 一瞬、不快そうだった忍の顔に、奇妙な色が過った。それは瞬きを一つする間に消えてしまったが。
 忍は口を引き結び、ゆっくりと首を振った。

「……駄目だ。匠眞様はお許しにならない」
「どうか、お願いです。せめて取次ぎだけでも……っ」

 今貫は頭を下げた。直角よりも深く。

「お願いします! お願いします!」

 じわりとした焦りが今貫の胃袋を握り潰す。ここで門前払いをくらっては、二度と飛鷹に会うことは叶わないと、本能的に理解していたから。

 沈黙が今貫に脂汗を掻かせる。永遠にも感じられる時を空け、忍は言った。

「……お伺いはしてやる。だが、会わせる保証はできない」
「あっ、ありがとうございます!」
「綾」

 忍は今貫を無視し、門を潜りながら彼女に言った。

「匠眞様が頼みたいことがあるとおっしゃっていた。居間で待っていろ」
「あ、はい。でも……」

 気遣わしげな視線が今貫の上を彷徨う。彼は勇気づけるように頷いた。

「連れてきてくれてありがとう、綾さん」
「はい……」

 今貫は独り残された。
 あとは祈るだけだ。無意識に手を握り合わせる。

 ぶらぶらと岩の周りを歩きながら上を見上げると、塀の内側に植えられた欅が天に枝ぶりを伸ばしていた。葉はすべて落ち、蜘蛛の巣のような細い枝が白く曇った空を切り取るばかりだ。その光景はどこか淋しく、それでいて、妙に現実感が失われていた。

 砂利を踏む足音が近付いてくる。
 緊張の瞬間。忍が門から顔を出して言った。

「入れ。匠眞様がお会いになるそうだ」
「あっ……ありがとうございます!」

 喜びは一瞬だ。門を潜った途端、これまでの比ではない緊張が今貫を襲った。
 白石で舗装された道を歩く。道の端はリュウノヒゲで縁取られ、鮮やかな青い実が彩を添えていた。その奥にはよく手入れされた庭が広がっている。積み上げられた岩の隙間から湧き水が染み出し、小さな池を造っていた。ほとりには孔雀が一羽放し飼いにされている。
 屋敷もまた壮麗で、巨大すぎて視界に収まりきらなかった。母屋を中心に、いくつもの建物が渡り廊下で繋がっている。土蔵はあの三階建てのものの他にもう二つあり、こちらは一般的な物置として使用されているようだった。

 縁側から靴を脱いで上がる。軋む廊下を渡り、案内されたのは客間と思しき部屋。

「粗相のないように」

 忍はそう囁くと、奥の間に続く襖の前に両膝をついた。

「今貫様をお連れしました」
「――入れ」

 予想に反し、澄んだ声だった。
 恭しく襖を開け、忍が一歩退く。ここから先は独りだと理解して、今貫は大きく息を吸い込んだ。

 黒檀の見事な祭壇の前に、和服姿の男性が座していた。
 今貫は、これまでにこんなにも美しい男性を見たことがなかった。モデルや俳優とも違う、本能に訴えかける美しさ。その片鱗には確かに飛鷹の面影がある。筆を走らせたような秀でた眉。切れ長の瞳。だが、彼は弟のように華奢ではない。上背があり、髪は長く、組紐で結って広い背に流していた。
 振り返りざまの眼差し。怜悧な光には、見る者をゾクリと粟立たせる何かがあった。

「……は」

 今貫は襖の前に正座すると、不格好に頭を下げた。

「はじめまして。今貫藤巳ふじみといいます。この度はご多忙のところお時間を――」
「座りなさい」


 白い手が座布団を示す。匠眞は静かに、かつ有無を言わせぬ口調で言った。

「愚弟が世話になったそうだな」
「せ、世話になったのは俺の方で、えっと……」
「《《アレ》》を大学に戻したいとか。その真意はなんだ?」

 今貫は言葉に詰まる。飛鷹を「アレ」と呼ぶ匠眞の口調には、一切の親しみを感じなかった。
 この時、今貫は二つのことを思い出していた。ひとつはやはり匠眞が飛鷹に似ているということ。飛鷹に友だちになろうと持ち掛けたあの日も、こんな風に詰問されたことを覚えている。そして、もうひとつは、匠眞が決して友好的ではないということ――今ならなぜ綾や飛鷹が匠眞の名を聞いて怯えていたのかがわかる。あの目に見られると、蛇に睨まれた蛙のように身が竦んでしまうのだ。

 匠眞と飛鷹はこんなにも似ているのに、兄弟の心は通っていないのか。懐かしさと畏怖という矛盾した感情の中で、今貫はゆっくりと口を開いた。

「俺はただ、飛鷹に勉強させてやりたいだけです。飛鷹は誰よりも真面目に講義に出ていて――」
「そうか。だから、何か?」

 冷えた眼差しが今貫を射抜く。それは匕首のように今貫を穿った。

「君は何様のつもりでここへ来た? 家庭の事情に口を挟むのは、無礼だと親に習わなかったか?」
「ぶ、不躾なのは承知の上です! でも、飛鷹は何も悪くないんです。連れ戻されるようなことは何もしてなくて……あの、俺のせいなんです。俺が飛鷹を見つけてしまったから――」
「――そうだ」

 匠眞は座る向きを変え、正面から今貫を見据えた。見下ろす眼差しには先程とは違う色があり、薄い唇には心の籠っていない笑みが浮かんでいた。

「君に訊きたいと思っていた。どうやって君はアレを見つけることができた?」
「どうって……講義が同じだったから、話し掛けただけです」
「そんなはずはない。常人には見えぬよう術を施してあったのだから」

 今貫は間誤付いた。視線から逃れるように、無意識に体が仰け反ってしまう。匠眞は瞳の奥に興味と、そしていくばかの警戒心を覗かせていた。

「……君は何者だ?」

 今貫は空いた口を無為に動かしながら、呆然と相手を見返すことしかできなかった。

「何、って、言われても……」

 脳裏を過るのは両親のこと。ネオワールドシェアマインドという宗教団体のこと。しかし、今貫はそれを自分だとして語りたくはなかった。
 辻屋門匠眞は何を思ったのだろう。彼は今貫の両親に纏わる忌まわしき過去を知っているのだろうか。黙って凝視し続ける視線に今貫は手の平がびっしょりになった。

 端から自分にできることはひとつしか思いつかない。今貫は畳に両手をつき、勢いよく頭を下げた。

「お願いします! 飛鷹を学校に行かせてやってください! お願いします!」

 頭を上げる勇気は出なかった。ただ、後頭部に突き刺さる視線を感じ、それが今貫の声を震えさせる。これまでに思い詰めていたことが込み上げ、咽び泣きそうになるのを懸命に堪えた。

「飛鷹は何も悪くないんです! 約束を違えたのはあいつのせいじゃない。俺のせいです。だから、お願いです。飛鷹を学校に行かせてやってください!」

 長い沈黙があった。
 辻屋門匠眞はじっと今貫を見下ろしていただろう。その目にどんな感情を宿していたのかはわからないが。研ぎ澄まされたような緊張が、ただ返事を待つことしかできない今貫の心を少しずつ切り裂いていった。

「……君は大きな勘違いをしている」

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品