鷹ノ眼忌譚

祇光瞭咲

4.目を盗む(後)

夜目繰よめくり】――鎌辺平かまべだいら右野辺うのべ左間さま周辺地域に伝わる妖怪の一種。その名の通り夜間に姿を現し、人を襲って目玉を奪っていくと言われている。夜目繰の由来には諸説あり、夜目抉りが転じたとする説や、かつて人里に下りて暴れ回り、若い娘を献上させては喰っていたという逸話から、嫁抉りを語源とする説もある。

「今貫くんが言った通り、いたのよ。この辺りに、目を奪う妖怪が。今貫くんが夢で見たっていうのは、こんな姿じゃなかったかしら?」

 晴珂が差し出したスマートフォンには、古い絵巻のデジタルアーカイブが表示されていた。一目見て、異様な絵図だとわかる。それは黒々と塗り潰され、逃げ惑う男性に圧し掛かっていた。
 形は豆のような横長の球体。頭部と思しき部分は切り落とされていて、ぱっかりと口が開いている。特筆すべきはその足の多さだろう。足のつき方はバッタやカマドウマに似ているが、とにかく大小様々で、爪先には人間のような指があった。

「あっ……」

 息を呑む。
 夢で見た光景がフラッシュバックし、今貫は思わず口元を押さえた。バクバクと心臓が早鐘を打ち、胃の内容物と共に吐き出しそうになる。

「今貫くん? 大丈夫?」

 彼の異変を察知して、晴珂はすぐに画像を引っ込めた。気遣わしげに顔を覗き込んでくれる。

「すみません……大丈夫です」
「その様子だと、心当たりがあったみたいね」
「はい……昔の人は絵が上手かったんだなって」

 今貫が皮肉交じりに言うと、晴珂は優しく微笑んだ。

「妖怪には――いえ、怪異と呼ぶわね。怪異の定義を覚えてる? 今貫くん」
「えっと、異界より現世うつしよへ境界を越えしもの。また、侵略されたその境界そのもののこと、でしたよね?」
「その通りよ。妖怪や怪異には色んな成り立ちがある。物や動物が年月を経て異界への境界を越えられるようになったもの。怨念によって死後もこの世に残ってしまったもの。禁忌によって造られてしまったもの――その中で、夜目繰は元々異界に属している鬼の類よ」

 鬼と言っても、桃太郎に出てくるような鬼の姿がすべてではない。異界に広く生息し、人間に仇を為そうとする存在を総称して鬼と呼ぶ。

「本来であれば、鬼たちはこっちの世界には出て来れないのよ。出てきても、干渉できる領域は限られている。それは現世に適応した体を持たないからだと言われているわ」
「でも、夜目繰は姿を現しましたよね?」
「ええ。鬼たちが現世で実体を持つ方法はきっといくつかあって、そのうちのひとつが、人間を喰らってその肉体を手に入れることだとされているの。夜目繰には手足が沢山あったでしょう。あれはみんな――」

 晴珂はその先を言わなかったが、今貫はゴクリと唾を呑み込んだ。

「退治方法とかって載ってないんですか?」
「それがね」

 晴珂はスマートフォンでアーカイブのページを捲った。

「この絵巻には、『鷹神憑きが退治した』としか書いてないのよ。ほら、見て。この人が『鷹神憑き』だと思う」

 示されたのは白装束の男性。腕に鷹を止まらせ、手には札のようなものを持っている。札の絵柄は潰れていて見えないが、陰陽師が使う退魔札のようなものだろうか。
 今貫はその絵をじっくりと眺めてから訊ねた。

「鷹神憑きってなんですか?」
「さぁ……それだけは調べてもよくわからなかったの。狐憑きや犬神憑きの類だとは思うんだけど」

 でも、と彼女は考え込む。

「狐憑きにしろ、犬神憑きにしろ、少なくとも言えることは、魔を祓う存在ではないってこと」
「鷹神憑きが何者でも、その人を見付けて来ないと通り魔事件は収束しないってことですよね?」

 今貫は不安げに身を捩らせる。正直なところ、彼にとっては事件そのものよりも、自分が見る夢のことの方が関心が強かった。事件の犯人がわかったところで、なぜ彼がその夢を見るかは解明されていないのだから。

「まあ」

 と、晴珂は眉を下げて今貫を見た。

「まだまだわからないことは沢山あるわ。私ももっと調べてみる。今貫くんがその夢を見る理由だってわからないのだし。今貫くんも、気付いたことがあったら教えてくれる?」
「はい、もちろん」

 その時、今貫の脳裏に別のものが蘇った。

『ご自身でもお気付きでしょう。今貫さんがその証拠です』
『今貫は関係ない――』
『だったら、昨今の事件にはどう言い訳するんです?』

 結辻綾と飛鷹の会話。

 ――《《昨今の事件にはどう言い訳するんです》》?

 まさか、と今貫は気付く。
 間違いなく、綾と飛鷹は一連の事件について何か知っているのだ。知っていて、警察に告げることもなく黙秘を貫いている。

「――はさておき、夜目繰が現れるきっかけはあったと思うのよね。それが何かわかれば……」
「あっ。すみません、何か言ってました?」

 今貫は嫌な考えを振り払い、晴珂に向き直った。彼女は相変わらず思案げで、同時にどこか楽しそうであった。

「うん、だからね? きっかけがあったはずだと思うの。夜目繰が現世に現れるようになったきっかけが」

『失礼ですが、お二人はいつ頃からお知り合いに?』
『えっと、十月の半ば頃だから……』
『三週間前くらいか』
 
 あの時、結辻綾はどうしてあんな顔をしたのだろう。

 三週間――ちょうど、最初の事件が起こった頃だ。

***

 晴珂と別れたあと、今貫はどうしてもそのまま家に帰る気になれなかった。ぐるぐると嫌な考えが頭を巡り、悪循環のドツボにハマってしまっていた。

 辻屋門飛鷹は通り魔事件に何らかの形で関わっているのだろうか。
 綾の問いと飛鷹の反応。それは決して前向きなものではなかった。むしろ、飛鷹は怯えていたのだ――それが、真実を追究されることへの恐怖だとしたら?

「……そんなわけ」

 ない。
 そう断言できない自分が歯痒かった。

 今貫はファミリーレストランに行き、ひとりで夕食を取った。Wi-Fiを使って動画を見ながら二時間。こんなに味のしないミックスグリルは初めてだった。

 今さらのように、今貫は飛鷹のことを考えていた。
 綾と会ったあの日から、飛鷹は急速に心を閉ざそうとしている。それが今貫には悲しかったし、そのことが余計に、通り魔事件への関与について嫌な考えを助長させていた。そして、その段になってようやく、今貫は自分の中における飛鷹の存在が重要なものになっていることに気が付いたのだった。

 今貫は考える。
 晴珂への想いは憧れであって、あくまで手の届かない存在であるとわかっているのだ。晴珂が今貫を気に掛けてくれるのは、先輩としての責任感であり、その裏にあるものは同情だ。彼女は『今貫』という名前に込められた忌まわしき意味を知っている。

 けれど、飛鷹は違う。飛鷹は友だちだ。
 今貫が出会い、勇気を出して声を掛けた、たったひとりの。

 二人を繋ぐものは孤独だ、と今貫は気付いている。孤独ゆえに相手の存在を許し、自分が傷付かないよう用心すぎるほどに様子を見ながら、それでも互いの存在を求めて寄り添っている。その関係は歪かもしれないけれど。きっと本来、多くの恋慕や友情とはこういうものだったのではないか、と今貫は思うのだ。
 もし――もしも、飛鷹が通り魔事件に関わっているのだとしたら。それが加害者であれ、被害者であれ、打ち明けてほしかった。三人も被害者が出てしまった今、ひとりで抱えるには大きすぎることだから。

 飛鷹のために、自分にできることはなんだろう。
 そんな風に考え込んでいたために、今貫ははじめ、自分が見たものを幻覚だと思い込んだ。

 ファミリーレストランからの帰り道。前方の角から飛び出してきた人影。小柄で、夜闇に溶け込む色をしている。その人物が街灯の下を通った時、靡くマフラーを見た気がした。
 飛鷹だ。
 小走りで飲食店の並びを通り過ぎ、次の角を曲がっていく。

 本能的に、今貫は追い掛けていた。飛鷹と同じ道へ入る。古いアパートが整然と並んだ、この辺りには珍しくもない景色だ。街灯の数は決して多いとは言えず、ぽつんぽつんと点在する自動販売機の方が眩しい光を放っていた。

「飛鷹!」

 大きな声で呼び掛けるが、その声は届かなかったようだ。二人の距離はさらに離され、また別の角を曲がって行ってしまう。今貫も見失うまいと走る速度を上げた。

 その時だった。

「きゃあああぁぁ――……っ!」

 悲鳴。
 飛鷹のものではない。女性の悲鳴だ。
 今貫は走った。考えている暇はなかった。全速力で角を曲がり、そして、はたと足を止める。

 闇がそこにいた。

 あまりにも黒い一角に、そこだけ街灯が消えたのだと錯覚した。しかし、違った。今貫の視界から街灯の光を遮るように、巨大な影が立ち上がっていたのだ。
 スマートフォンらしき光源が地面を転がる。悲鳴の主は黒い影の足元に尻餅をついていた。そこへ、黒い腕が伸びる。

「あ、ああ……いや……っ」

 抵抗するように突き出した腕は、怪物を払うことはできなかった。霧を掻き分けるように宙を掻く。

 そして。
 ――食われたのだ。

 声も出せなかった。ただ、見ていることしか。
 あっと言う間の出来事だったように思う。巨体が丸まるように肩を縮め、その背をさざ波が沸き立った。直後、それは電信柱の上へと跳躍した。そのままアパートの屋根を渡って視界から消えてしまう。
 今貫は茫然と立ち尽くしたままだった。視界が街灯からの光源を取り戻したことに気が付いてようやく、倒れた女性のもとに駆け寄ることを思い付いた。

「あ、だ、大丈夫ですか……っ?」

 彼女は既に手をついて上体を起こしていた。地面を探るように触れて回り、スマートフォンを掴んでビクリと身を竦める。今貫は彼女の正面に膝をつき、スマートフォンで姿を照らした。

「晴珂さん!」

 明るいポニーテールの髪。淑やかで整った顔立ちは見間違えようもない。晴珂は顔に手をやりながら、声の主を求めて周囲を見回した。

「今、貫くん……? 今貫くんなの?」
「え?」

 顔を覗き込み、今貫は悲鳴を上げた。
 その眼孔は真っ黒に塗り潰されていた。赤い涙を垂れながら。

「助けて、今貫くん……」

 晴珂が手を伸ばす。今貫を捉えることもできず、虚しく宙を彷徨いながら。

「目が……目が、見えないの……」

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