鷹ノ眼忌譚

祇光瞭咲

3.ほろ苦リコッタパンケーキ(後)

***

 喫茶店からの帰り道、暮れ始めた空に電子音が鳴り響いた。

「失礼」

 飛鷹が携帯電話を耳に当てる。久しぶりに見る二つ折り携帯も感慨深いが、飛鷹に電話が掛かって来るということ自体が意外に感じる。今貫はよそ見をするふりをして、こっそり様子を窺った。

「――あや? どうしたんだ。いや、外にいる。大学会館の傍だ。友人と――それは構わないが……少し待ってくれ」

 彼は端末を離して振り返った。

「今貫、悪いんだが、少しだけ時間をもらえないか? 会わせたい人がいるんだ」
「えっ。俺に?」

 今貫は戸惑いつつも頷きを返す。飛鷹は目で謝意を伝えながら通話に戻った。

「わかった。すぐに行く」

 飛鷹は今貫の視線には答えず、歩調を速めて大学会館へ向かった。その赤茶色の建物は入学式などで使われる大きな講堂だが、日頃はほとんど学生は寄り付かない場所だ。
 入口脇の誰だかよくわからない銅像の前にひとりの女子学生が立っている。かなり背が低く、ベージュのトレンチコートに着られたような姿は不格好だったが、それがなんとも可愛らしかった。
 今貫は相手が女子だったことに驚き、無意味に前髪を整えた。

「ご足労いただいてすみません」

 彼女は同じ学生に接するとは思えない物腰で頭を下げる。気のせいか、その声には微かな緊張すら感じられた。対する飛鷹は鷹揚に今貫を紹介する。

「気にしないでいい。彼が今貫。僕の……友人だ」

 友人という言葉を口にするまでに、若干の間があったのはなぜだろう。今貫ははにかみながら会釈を返した。

「どうも。今貫です」
「はじめまして。結辻綾ゆいつじ あやです」

 綾の目がじっと今貫に注がれる。値踏みするような視線。今貫は困惑気味に見返していたが、綾の顔立ちにどこか飛鷹と似たものを感じ取る。それは吊り気味の目元であったり、透き通るような肌の白さであったり。

「えっと、二人は……」
「ああ。遠縁の親戚だ」

 飛鷹が説明を付け加える。綾は再度頭を下げた。

「失礼ですが、お二人はいつ頃からお知り合いに?」
「えっと、十月の半ば頃だから……」
「三週間前くらいか」

 すると綾は表情を曇らせる。

「三週間前ですか……」

 なぜか彼女は飛鷹を真っ直ぐに見ることはせず、伏せた目を苦しげに逸らしていた。握り締めた袖もとに躊躇いが窺える。飛鷹もその様子に気付いたのか、気遣うように彼女の顔を覗き込んだ。

「綾? それで、どうして急に?」
「……飛鷹様に、ご伝言を」
「えっ」

 今貫は思わず口を挟んでしまう。飛鷹が気まずそうに帽子を下げた。

「綾、外で様付けはやめてくれと言ってるだろう」
「すみません」

 由緒正しい家柄だと聞いていたが、そこまでとは。これが分家と本家というものなのだろうか。今貫は辻屋門家への認識を改めた。

「飛鷹さん、もうじきしのぶさんがいらっしゃいます」
「忍が?」

 飛鷹は驚いて訊き返した。

「どうして――」
「ご自身でもお気付きでしょう。今貫さんがその証拠です」

 綾の表情は硬い。今貫はなぜ突然自分の名前を出されたのかわからないまま、二人の間に漂う不穏な空気に息を潜めていた。

「今貫は関係ない――」
「だったら、昨今の事件にはどう言い訳するんです?」

 飛鷹の目がゆっくりと開かれていく。何か言おうと口を開きかけるも、唇を震わせることしかできなかった。

 走る緊張――今貫は気付く。
 飛鷹は怯えていた。蒼褪めた顔で視線を泳がせる。それは隠れた何者かを探すようでも、逆に暴かれることを恐れるようでもあった。

 しばらく誰も口を利かなかった。
 やがて、行き交う学生たちの哄笑が耳障りになった頃。飛鷹は言った。

「……知らせてくれてありがとう、綾」

 彼は顔が見えないよう、深く帽子を被り直した。

「君に迷惑は掛けないと約束する。それでいいんだろう」
「そういうことでは――」
「行こう、今貫。僕は家に帰る」

 綾の呼び止める声も聞かず、飛鷹は踵を返した。袖を引っ張られた今貫も後に従いつつ、気づかわしげに綾を振り返る。

 斜陽が塗り潰す人影。
 綾は背を丸めて俯いていた。

***

 内藤晴珂は自身の研究室に籠り、データベースにあげられた郷土史を読み耽っていた。昨今ではこうした分厚く重い資料も電子書籍として閲覧できるのだから、各図書館の取り組みには感謝してもしきれない。
 とはいえ、物によってはいちいちズーム機能で目を凝らす必要があるため、眼精疲労は紙の本の比べ物にならなかった。ブルーライトカットレンズの眼鏡を外し、目頭を指で揉みながら、目が疲れるのとかび臭いの、どちらがマシかと考える。やはり晴珂は紙資料の手触りや匂いを愛していた。

夜目繰よめくり、か……」

 得られた情報を復唱する。晴珂は鎌辺平かまべだいら近辺に残された怪異の伝承について調べていたのだった。今貫との会話にも出て来た、視力を奪う怪異――それに近い存在を見つけた。

 廊下の方で足音が聞こえたので、晴珂は作業の手を止めた。鍵を開ける音が響く。隣室の教授が帰ってきたのだろう。彼が落ち着いたであろう頃合いを見計らい、彼女は出席簿を手に彼を訪ねた。

 民俗学教授の影曳夜行かげひき やこうは、若くして教授の地位についた天才である。その出世の裏には実家のコネだのなんだのと黒い噂もを囁かれたりもするけれど、当人はいたって勤勉で誠実な為人であった。もちろん、研究者特有の無邪気すぎる好奇心は人並み以上に持ち合わせていたが。
 そんな影曳は晴珂の指導教授であり、彼女がTAを務める二つの講義を受け持っていた。

「失礼します。これ、お返しに参りました」

 差し出したのは民俗学総論の出席簿。影曳はネクタイを外しながら、卓上に置いておくよう顎で示した。晴珂は退出せず、兼ねてから訊こうと思っていた質問をぶつけた。

「先生、辻屋門つじやかど家ってご存知ですか?」
「ああ。結辻集落の?」
「そこの息子さんが民俗学総論を受講しているの、知ってました?」

 影曳はネクタイを床に取り落とした。慌てて拾おうと屈み込み、その拍子に机に積んでいた本の山を引っ掛けてしまう。レジュメと本の雪崩が起きた。

「あ、あー……」
「大丈夫ですか?」

 晴珂も机を回り込んで手伝いに行く。
 普段の影曳はきちんと整頓している方だが、たまたま今は酷い散らかり様である。何か彼の関心を引く出来事があり、その調査に掛かりきりになると、毎度こうなってしまうのだ。

「辻屋門の息子さんって言った?」
「はい。飛鷹くんって言うんですけど」

 影曳は端正な顔を盛大に顰めた。身を屈め、晴珂の目を覗き込むようにする。急に眼前に迫った端正な男の顔に、晴珂は首に昇る熱を意識せずにいられなかった。

「……どこでその名前を?」
「え。ほら、出席簿にちゃんと名前が」

 晴珂には彼が何をそんなに動揺しているのかわからなかった。証拠を見せようと出席簿を開いて示す。一度も欠席していないため、四月の分からずっと丸が並んでいる。しかし、影曳は納得していない様子で、なおも追及を続けた。

「誰かに彼のことを聞いたのかい?」
「あの、同じ一年の子の紹介で……」
「紹介だって?」
「はい。今貫くんから」

 影曳が出席簿を引っ手繰る。その横顔は険しく、けれども、瞳には好奇心が仄暗い光を放っていた。

「まさか、どうして――?」
「先生?」

 瞬間的に思索に耽ってしまった影曳は、晴珂に呼び掛けられて我に返った。先程の深刻な表情はどこへやら。彼はパッと顔を笑顔を取り繕った。

「ああ、ごめんね。そうそう、辻屋門のご子息ね。真面目ないい子だよね」
「先生はお気付きだったんですか?」
「もちろん。いつも一番前に座っている子でしょう? 当たり前じゃないか」

 晴珂はそれ以上質問を続けることができなかった。影曳がスマートフォンを耳に当て、慌てて部屋を出て行ってしまったからである。
 だが、晴珂は見逃していなかった――彼の端末には着信なんてなかったことを。

「……先生、何か隠してる?」

 影曳教授には否定されたけれど。そのことがむしろ、晴珂の中で確信を強めた。

 辻屋門飛鷹なんて学生は、あの授業にいなかったはずなのだ。

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品