鷹ノ眼忌譚

祇光瞭咲

3.ほろ苦リコッタパンケーキ(中)

***

 そのカフェは大学から歩いて十五分も掛からないところにあった。開店当初は行列ができるほど混雑したが、客足はものの数ヵ月で落ち着いてしまった。
 個人経営店らしく、内装はシンプルながらこだわりが感じられる。打ちっぱなしのコンクリートにはラベンダーのスワッグが飾られており、モスグリーンに塗られたカウンターには、様々な産地の珈琲豆が瓶詰にされて並べられていた。

 そんな店だからこそ、先客は女子学生ばかり。何対かの好奇の目に晒され、若干の居心地の悪さを感じながら、二人は案内されたソファー席に着いた。

「ブレンド」

 飛鷹はメニューを見もしない。今貫はたっぷり五分ほど悩んだのち、結局名物だというリコッタパンケーキを注文した。

「一回でいいから来てみたかったんだよな」

 今貫は手を擦り合わせながら興奮気味に店内を見回している。

「そんなに来たかったなら、もっと早くに来ればよかったのに」
「いやぁ、さすがに一人ではちょっと……」

 と言いながら、出されたレモン水に感激する。飛鷹は何も言わなかったが、若干目を開いてグラスを覗いていたから、彼も味の付いた水に驚いていたのだろう。つくづく、こういった店の似合わない二人であった。

「誰か誘えばよかっただろう」
「だって俺、飛鷹以外に友だちいないし」
「晴珂は」
「晴珂さんは……あー、ほら。友だちがいない俺に同情してくれているだけだから」

 ふと、今貫の表情が曇る。
 打ち明けるなら今か。
 今貫は飛鷹を見据えた。カップ越しに黄褐色の瞳が覗いており、視線に気付いて軽く首を傾げる。そのなんの疑いもない仕草を見ると、喉元まで出かかった言葉も引っ込んでしまった。

「どうした?」
「あ、いや……なんで俺って嫌われちゃうのかなぁって」
「鬱陶しいからじゃないか?」
「飛鷹くん、オブラートって知ってる?」

 微妙に長い待ち時間の果て、ついにお待ちかねのリコッタパンケーキが届けられる。粉砂糖をまぶされたまん丸のパンケーキはまるで満月のよう。ナッツとシロップで飾り付ければ、シンプルながら芸術的な一皿が誕生した。
 早速スマートフォンで写真に収める今貫。その間、飛鷹は背筋を伸ばして座り、無言で彼を観察し続けていた。

「では、早速――」

 添えられたナイフは必要なかった。フォークを当てるだけで、それはふるふると焼き菓子とは思えぬ弾力で応え、抵抗もなく切っ先を呑み込んだ。シロップが粉砂糖を溶かして白い皿の上に広がっていく。一口切り分け、今貫はそれを飛鷹に向かって差し出した。

「はい、飛鷹くん。あーん」
「くたばれ」
「そこまで言う?」

 しょんぼりしながら自分の口に運ぶ。途端に口の中でふわりと解け、シロップの苦みと小麦の風味が口いっぱいに広がった。

「……美味しい?」
「なんで疑問形なんだ」
「いや、なんか……思っていたのと違うっていうか……なんだかわからないっていうか……」

 今貫は改めて一口勧めようとしたが、言い終わる前に断られてしまった。

「飛鷹はサークルとかバイトとかやってんの?」

 早くも持て余し気味のパンケーキを突きながら、今貫は話題を振った。すっかりパンケーキに気を取られていたが、これは飛鷹との仲を深めるチャンスだと思ったのだった。

「何も」
「あ、そうなんだ。夜は駄目って言ってたから、てっきり何か用事があるのかと思って」
「ああ、いや……そういうわけじゃ……」

 飛鷹は先を続ける代わりに水を飲んだ。すっかり汗を掻いたグラスの下には、丸く水の跡ができている。

「君はどうなんだ。友だちがほしいなら、サークルにでも入ればいいのに」
「あー……最初は入ろうとしたんだけどね。ちょっとね……」

 ダメだ。どうしてか話があまりいい方向に進まない。
 今貫はフォークを咥えたまま眉間に皺を寄せた。

「んー。兄弟は?」
「兄がひとり」
「へぇ。俺は一人っ子だから、男兄弟ってちょっと憧れるんだよな。仲いい?」
「最悪だ」
「最悪って」

 思わずクスリと笑ってしまったが、飛鷹の表情を見て呑み込んだ。どうやら訊いてはいけない話題だったらしい。急にそれまで気にならなかったローテーブルの低さに気が付いてしまい、食べづらさを意識する。
 黙々とパンケーキを消化しながら、今貫は次の話題を探して飛鷹を盗み見た。飛鷹は静かに珈琲を啜っており、こちらの視線に気付いているのかいないのか、カップから目を上げようともしない。その伏せられた睫毛の隙間から、硝子玉のような黄褐色が覗いていた。

 改めて、思う。

「飛鷹って、本当に綺麗な顔してるよな」
「……は?」

 突然の発言に、飛鷹は不意を突かれたらしい。カップを手にしたまま、唖然とした顔で今貫を凝視した。

「いやあの、ヘンな意味じゃなくってさ。女形とか向いてそうだなーって」

 今貫は慌てて付け足したが、飛鷹の気に障ることを言ってしまったらしいと思い、衝動的に目を瞑った。ところが、返ってきた飛鷹の声には哀愁が籠っていた。

「……母が、綺麗な人だったから」

 意外に思い、今貫は瞬きを二度、三度。

「そうなんだ。飛鷹はお母さん似なんだな」

 口に出してから、気付く。

「……過去形?」
「母は三年前に他界した」
「そうだったんだ。まずいこと訊いちゃってごめん」

 今貫はそう言って小さく笑った。

「……実は、うちもなんだ」

 飛鷹が顔を上げる。目が合うと、彼は再び視線を落とした。

「そうか。互いにつらい想いをしたな」
「うん……」

 またしても沈黙が訪れたけれど。それは、不思議と心地良い沈黙であった。
 母を亡くしているという悲しい共通点は、皮肉にも、二人の仲を深めることに繋がったのだった。

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