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息子を奪われた闇堕ち元王妃は、偽りの家族愛に絆されて真実の家族愛を取り戻す ~呪いはマナを、やぶれない~

江東乃かりん(江東のかりん)

2-01話:日が明けて、夢から覚めては、変わるもの

――これは、きっと夢だ。彼女はそう思った。

 気づけば、生まれて間もなかった頃と全く同じ姿をしたレンデンスが、自分の腕の中に納まっていたからだ。

「ロゼル……っ、レンデンス?」
「あぅ」
「っ! 会いたかったわ……! レンデンス!」
「うー……」

 彼女がぎゅっと抱きしめると、息子は小さな右手でぺちぺちと彼女の頬に触れた。
 夢であるはずなのに、その感触は柔らかく、愛おしさがとても身近に感じられる。

 息子を手離したくないあまりに、彼女はこのまま夢から覚めずに眠り続けたいと思った。

「あーぅ」

 しばらくするとレンデンスの声が物悲しく聞こえた。

『ちがうよ。ぼくは……』
「え……?」

 そして、少年のものと思しきか細い声が、どこかから漏れ聞こえてきた。

 レンデンスはまだ赤子だ。だから喋ることはできない。
 彼女は我が子の顔をまじまじと見るが、彼は先ほどと変わらずに亡くなる直前と変わらぬ姿をしている。

「レンデンス……。私はあなたが健やかに育つところを、傍で見ていたかったのよ……。だから、いまこんな夢を見るのも、あなたが喋ったような気がしたのも……私の願望なのでしょうね」

 我が子が伸ばした左手を見ると、彼は小さな手で何かをぎゅっと握り締めていた。
 まるで、母に渡したそうにしている様子に、彼女は優しく微笑んで左手を優しく包み込んだ。

「どうしたの?」
「あー!」

 元気な声で左手を押し付ける息子の様子に、彼女は優しく、幼い子こどもの小さなこぶしを丁寧に開いた。

「これは……」

 レンデンスの小さな手に収まっていたもの。
 それは、いつしか彼女が失くしたはずの、ピンクゴールドの宝石のついたネックレスだった。

――

「っ……!」

 その瞬間、リコリスは飛び起きた。
 名残惜しいと思っていた夢であるはずなのに、なくしたはずの息子とネックレスをこの目で見ることができた瞬間に、夢から覚めてしまった。

 彼女は残念そうなそぶりを見せながら、まだ日が昇らずに薄暗い室内を呆然と眺める。

「レンデンスの夢を見ることが出来たのは、久しぶりだわ」

 彼女は起き上がり、窓へと歩いていく。
 そこに映るものはリコリスと名乗る侍女。リュンヌではない、偽りの姿だ。

「あの子の夢を見せてくださるなんて、女神も気まぐれね……。レンデンスには祝福なんて、与えてくださらなかったのに。それともこの夢は、悪魔の仕業だったのかしら」

 悪魔によって、彼女の瞳からは、自身の息子と同じ彩りが失われている。
 しかし、我が子と良く似た色合いの瞳に、彼女は出会ってしまった。

「それとも……。夢を見れたのは、あの子の色がレンデンスによく似ていたから……なのかしら」

――

 身支度を終えたリコリスは、ぽつりと溜め息をついた。

「やってしまったわね……」

 勤務初日から、彼女は元々働いている使用人の一部と対立してしまったからだ。

 住み込みのために部屋の鍵は受け取れたものの、料理人たちから強い反感を食らったことで、彼女は針の筵状態となった。
 さらに、呪われた王子専属の侍女に近寄りたいと思う者は、当然少ないだろう。

 悪魔の手を取ってからと言うもの図太く生きていくことを決意した彼女にとっては気にならない扱いだ。
 これでは、王子に味方しようと声を上げる者が少なく、味方しようと思っていても長く勤め続けられないのも無理はない。

(でもこの空気感には、慣れているわ)

 リコリスが愛されない王妃と後ろ指を指されていた時代に感じていた王宮内での居心地の悪さは、侍女になった今も相変わらず。
 いや、それ以上の疎外感を身に受けた彼女は、王宮内の人事が改めて酷いものだと理解した。

 王妃だった頃にいた味方も、今となっては誰一人いない。
 彼女にとっては悪魔ですら、頼り切ってはいけない存在。

 そして、かつては心の支えにもなっていたヴァレアキントスにも、迷惑をかけるわけにはいかなかった。

(昨日の殿下はあんなことを仰られていたけど……)

 彼女はふと、昨夜ヴァレアキントスから言われたことを思い出す。
 困ったことがあったら相談してほしいと、彼は言っていた。
 現在の身分差を考えると、そうやすやすと相談できる相手ではない。

(でも、そうね、王子のことで困ったときにだけでも、相談してみようかしら。だって、上司だもの。それくらいは……)

 そこまで考えたリコリスは、ハッと我に返る。

(何を考えているのかしら、私は。私はレンデンスのために復讐にきたのだから……。だから、王子に同情するのは、ほどほどにしなければ……。でも……)

 王子であるにも関わらずに親や使用人からも虐げられていた、自らの子どもと同じ色を宿した、他人の子ども王子

 かつての自分自身の様子重ね、我が子とも思いを重ねてしまう彼女の思いは、どうしても矛盾を抱えてしまうのだった。

――

 身支度を済ませたリコリスは、アネモスの部屋に向かい、扉をノックして入室の確認をする。

「王子、リコリスです。失礼してもよろしいでしょうか?」

 この五年の間にリコリスが世話をしていた貴族の子どもたちは、まだ起きていないことが多かった。
 その上アネモスは虚弱体質だ。
 だからこそ、アネモスもまだ起床していないだろうと彼女は思っていたが……。

「……うん」

 予想に反して部屋の中から王子の声が聞こえてきたことに驚きながらも、リコリスは一言断りを入れて扉を開く。

「おはようございます。王子殿下」

 一礼ののちに顔を上げた彼女は更に唖然とすることになる。
 何故ならば、王子はすでに着替えを終えており、椅子に座って本を読んでいたからだ。
 これまでの使用人たちの態度から考えると、リコリスよりも先に世話をしに訪れた者がいるとは考え難い。

(着替えが自分で出来るというのは……本当のことだったのね)

 つい先日、着替えの手伝いをする際にアネモスが口にしていた言葉を思い出し、リコリスが溜め息をつく。
 彼女の態度から呆れられたと思ったのだろうか。
 アネモスは一瞬怯えた表情でリコリスを見ていたが、おずおずと朝の挨拶を彼女に返した。

「おは……よう」
「お白湯をお持ちしました」

 リコリスが手に持っていたピッチャーを、アネモスが本を置いているテーブルの上に置こうとする。
 すると、王子は広げていた本をぱっと閉じて、膝の上に仕舞い込んでしまった。

(そう言えばこの子には、ちゃんとした教師がついているのかしら……。ヴァレアキントス殿下なら、王子教育の手配をされるでしょうけれども……)

 少年はどのような本を読んでいたのだろうか。
 侍女には見えなかったが、カラフルな絵が描かれていたため、絵本だったのかもしれない。
 ふと彼がどのような書物を読めるのか気になりながらも、彼女は素知らぬ振りをしてコップに白湯を注ぐ。

「どうぞ、お召し上がりください」
「……」

 目の前に出された白湯を目を瞬かせて不思議そうに眺める王子に、彼女は問いかけた。

「……お毒見はご入り用ですか?」
「……? ううん。飲んでいいの?」
「もちろんです」

 単純に他人から奉仕されることに慣れていなかったようだ。
 王子らしからぬアネモスの反応によって、本日早々にリコリスから王と王妃に対する苛立ちが募っていく。

 彼女は沸き上がる怒りを抑えるように、ベッドからシーツを剥ぎ取った。

「……」

 アネモスは、リコリスの様子をチラチラと横目で見ながら白湯を飲んでいる。

 シーツや寝巻の回収が終わり王子の様子を眺めたリコリスは、ふと彼の髪の毛の荒れ様が気になった。
 王子は髪が長いことをあまり気にしていないのか、それとも他人からの目線を目の当たりにすることを恐れているのか……。
 いずれにせよ、前髪で目が隠れているだけでなく、全体的に髪が乱れている。
 寝起きのまま、整えていないことが良く分かる様子だった。

「王子殿下、お髪を解かしましょう」
「え?」
「それに前髪も、あとで前が見えるようにいたしましょうか」

 あわよくば、国王を彷彿させる髪を綺麗さっぱり切り落としてしまいたい。
 彼女はそう思いながら、持っていた櫛を懐から取り出し、アネモスに断りを入れて近寄ろうとしたが……。

「あ! だ、だめっ!」
「えっ?」

 アネモスが顔を真っ青にして立ち上がり、その勢いで椅子を倒すとリコリスから思いっきり遠ざかった。
 彼女は呆然としながら、伸ばしかけたまま行き場を失った手をゆっくりと下ろして少年の様子を見守る。

「か、かみは、このままで良いよ……!」

 髪の話をしていると言うのに、王子は何故か胸元を隠すように両手を組んだ姿勢をしている。
 彼の様子はリコリスを警戒しているようでもあり、まるで両手で何かを握り締めているようでもあった。

「しかし……そのままでは前を見るのがおつらくありませんか?」
「いいの、これで」
「……承知いたしました」

 不安そうな視線を送りながらもふるふると首を振る王子に、リコリスは残念に思いながらも強く主張すべきことではないと思い、引き下がった。

(この子は憎い王たちの子ではあるけれど……。この瞳を見ていると、レンデンスを思い出すことが出来て……少し懐かしく感じるのよね……)

 櫛をしまい瞼越しに自身の眼に触れた彼女は、赤子にして命を落とした我が子の姿を思い出そうとする。

(私の瞳からは、もう……あの子の色を思い起こすことは出来なくなってしまったもの……)

「朝食はこれからお作りしますので、それまでお待ちください」
「……う、うん」

 今度はどんな料理が出てくるのだろうか。
 そんな期待感が籠った眼差しを隠れた前髪の下から向けているのが良く分かるアネモスの様子に、彼女は苦笑する。

 内心仕方ないと思うリコリスの表情は、どこか優しく緩んでいた。

(あまり期待されても困るのだけど……。……この子からの信頼を得られるようにするには、気に入ってもらえるものを作らないといけないわね)

 衣類をまとめて手に取ると、リコリスは一礼をしてアネモスの部屋から退室した。

 リコリスが扉を閉じたのを見届けた少年は、膝の上に置いていた本をテーブルに広げ直し、顔を綻ばせて呟いた。

「昨日のリコリスのごはん、おいしかったな。今日のごはん、なんだろ?」

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