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余命×××日

地野千塩

5

 あの男にネズミの死骸を捧げて1週間が経った。いつもと代わりにない日常生活だった。私は相変わらず陰キャで、本ばかり読んで、勉強し、家事をこなして過ごした。

 あの男の事も、ネズミや結婚届けの事ももはや忘れかけていた。

 そんなある日、父が血相を変えて帰ってきた。

「大変だ、ししよ!」

 父は片手に寿司も持っている。駅前にある高級寿司店のものだ。名前は知っているが、貧乏人には縁の無い食べ物だった。それだけでもいつもと何か違っている事を察した。

「何があったの?」

 それでも私はかなり冷静に聞く。こういう所が、子供らしく無いとよく言われるものだが、そういう性格なので仕方ない。

「実は仕事で大きな契約が取れたんだ。もう半永久的に仕事には困らない契約!」
「え!」
「ししよの割には珍しく驚いているな」

 父はそう言って、寿司を広げて食べ始めた。
本当に願いが叶った?ネズミ一匹で?

 信じられないが、事実のようだった。父と一緒に高そうな寿司を食べたが、あまり味は覚えていない。

 あの男が言っていた事は本当じゃないか。

「面白いな、ドラちゃん」

 父はご機嫌になって、テレビアニメのドラちゃんを見ていた。今日の話も、ドラちゃんが間抜けなノビ子に道具を与えてやるが、道具を上手く使いこなせずに、ノビ子の願いが叶わないという話だった。それどころかドラちゃんから道具の代金やメンテナンス料も請求され、子供といえど新聞配達のバイトをさせられるというオチだった。

「ノビ子は馬鹿だな。そう思わないか、ししよ」
「そうだけど…」

 単なるアニメだが、ちょっと嫌な気分になり、高級な寿司も半分以上残して部屋に戻った。机に向い、ノートを広げる。勉強するわけでなく、現状をまとめるためである。

・父の仕事が成功
・あの男が言っていた事は本当のよう?
・ネズミ一匹でそんな事ってある?

 私はスマートフォンを持っていない。貧乏だからだ。こんな時、検索すれば答えが出るかも知れないが、それも出来そうになかった。

 根拠はないが、あのおそろい男がネズミ一匹で願いを叶える事は無いという事だ。人間に死体を捧げるとスペシャルボーナスがあるとか言っていた。

 その事を思い出すと、背筋が怖くなる。何かをまた捧げないといけないの?

 どうしよう?

 頭はパニック状態だった。ノートに書いたら、思考がスッキリすると思ったら逆だった。

「よぉ、馬鹿な人間の娘よ」

 パニック状態の私の目の前にあの男が現れた。私は言葉を失い、とても間抜けな顔をしていただろう。

 男は、偉そうに腕を組むとケラケラと笑っていた。

「しかし、ブスだな」
「これはあなたのせい?父は全く仕事できない人よ。急に大きな契約が取れるなんて…」
男は満足そうに頷く。
「声出しててバレない?」
「大丈夫さ。はは、一応ここに結界はってるからね」

 気づくと、男と私の周辺が白い幕のようなものに包まれていた。幕に触ると、鈍い感触がしたが、意外と硬く通り抜ける事ができそうにない。

「本当にあなたが叶えたの?ネズミ一匹で?」
「そうさ。まずお前を信じさせないといけないからな」
「すごい、本当?」

 単純にすごいと思った。

 こんな簡単に叶ってしまうなんて。これで貧乏でなくなり、毎日寿司?それを思うと、やっぱり嬉しかった。願いが叶った事が事実のようで、ようやく安心し、ちょっと興奮もしていた。

「でも、いいの?ネズミだけでいいの?」
「一応お前とは、婚姻関係に入ったからな。他の神に浮気するなよ」
そう言って笑う男は、あまり邪気もなく、恐怖心も消えていた。
「あなたは神?」
「おお、嬉しいな!」

 しかもそう言うと、満面の笑みである。

「俺は一応死の霊の死神さ」
「死神…」
「俺を敬え」

 偉そうだが、実際願いが叶ったのだから逆らう事はできない。私はこの男に手を合わせると、男はさらに笑みを見せ始めた。

「名前はなんていうの?無いの?」
「ああ」
「それは呼びにくいね。なんか、あなたってドラちゃんみたい。ドラちゃんって呼んでいい?」
「あのアニメの名前かよ。まあ、勝手にしろ」
「わーい、じゃあ私はノビ子ね」
 
 なんとなく自分の名前をこの男に呼ばれるのは、違和感があった。私の名前は「ししよ」といい、少し変わっている。あんまり可愛くない名前であるし、人に呼ばれるのも意外と苦痛だった。

「わかったよ、ノビ子」

 意外とドラちゃんは、素直に聞いた。

「俺の可愛い花嫁。一生離さない」
「え?どういう事?」

 返事はなく、ドラちゃんは一瞬で消えてしまった。

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