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いいから逝っとけ!ー死に損ないと神庭裁判ー

ノベルバユーザー613438


 控え室に戻るなり、俺はソファにどさっと腰を下ろした。よく効いたスプリングに体が沈み込む。疲労と混乱で脱力し、しばらくこのまま動けそうになかった。

 仰ぐ天井は高い。法廷ほどではないが、開放感に溢れている。

「あー……やっちまった、なぁー……」

 かっとなって啖呵を切ったはいいものの、俺は途方に暮れていた。

 後悔はない。あのままポンコツ弁護士に任せるぐらいなら、近所の幼稚園児にでも頼んだ方がまだマシだ。

 かといって、右も左も分からない世界の、上も下も分からない法廷で、一体何をどうすればいいのか分からない。

 大体、弁護ってなんだ。どーやってやんだよ。

「なっちゃん、だいじょーぶです。言っちゃったものは仕方ありません」

 鞠ちゃんがぱたぱたと俺の顔を仰いでくれている。俺は力なくへらりと笑った。

「はは、あんがと……。まぁ、そうだよな」
「そうです。いいから逝っとけ! っていうヤツです」
「いく、のニュアンスがなんか危ないような」
「ほら、なっちゃんは普段からあることないこと屁理屈こねて、煙に巻くのが得意じゃないですか。いつもの感じでやればいーと鞠は思います」
「えー……」

 にこにこ笑う鞠ちゃんを半眼で眺める。いや、確かにそうなんだけど、全く褒められてる気がしない、むしろディスられてる……

 と、俺はここで違和感を覚えた。

「つか、なんで俺のことそんなに知ってんの?」
「へあ!? あっ、それはそのー……」

 鞠ちゃんは口ごもり、明後日の方向に目を逸らす。追求するようにその視線の先を追いかけると、ちょうど部屋の出入り口が開いた。

「——鞠」

 法廷で何度も聞いた、あの落ち着き払った声が控え室に響く。
 鞠ちゃんは救いの手が差し伸べられたとばかりに、そちらへ駆け寄った。

「あっ、わかな様ー!」

 満面の笑みで抱きつく鞠ちゃんに、裁判長——いや、元・裁判長の少女は優しく頭を撫でてやっている。まるで仲の睦まじい姉妹のようだが、俺にほっこりしてる余裕はない。

「わかな様……ってのは、あんたのことだったのか」

 彼女は鞠ちゃんをゆっくり離すと、真っ直ぐ俺に向き直った。

「はい。私の名前は——望月《もちづき》和奏《わかな》、といいます」

 なんだろう。名前を告げる時、妙に声に力がこもっていた。

 和奏は何かを探るように俺をじっと見つめていたが、やがて目を伏せた。

「……先ほどは法廷を混乱させてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、俺の方こそ……あんたに迷惑かけて悪かったよ」

 ポンコツりりぃのとばっちりでクビになっちまったんだから、本当にいい迷惑だっただろう。

 しかし、和奏はきょとんと目を瞬かせた後、淡く微笑んだ。

「貴方は変わりませんね」
「え?」
「あ、いえ。それよりも——」

 和奏は慌てたように、話題を変えた。

「残念ながら、戦況は芳しくありません。この休廷中に、検察側はさらなる攻撃の手を用意してくるはずです。でもここで有罪判決が下されれば、奈津雄さんの魂は消滅してしまいます。当然、天使になることも叶いません」
「天使になる……?」

 眉を顰めた俺に、鞠ちゃんが補足してくれる。

「鞠たちはみーんな、元は亡くなった人間なんです。その中から適性のある魂が天使としてスカウトされます。二年前までは年齢制限があったんですけど、それが撤廃されたので、なっちゃんも天使になれるかのーせいがあるんです」
「天使になれば、最後の希望があります。貴方の『生きる』という望みを繋ぐことができる……」

 和奏の切実な言葉に、俺は思わず身を乗り出した。

「そ、それってどういう……」
「——《《生き返る》》ってことだよ」

 部屋の隅から割り込んだ声に、俺は驚いて振り返った。

 黒い頭に黒いスーツに黒いコート。全身黒ずくめの天使——天宮柴乎だった。

 腰にぶら下がってる鞘がきらりと光った気がした。俺は疲れも忘れて、ソファから飛び退いた。

「あ、あああ、あんたは、柴乎! 復讐か? 俺をシバきにきたのか!?」
「だぁれがすぐシバくから柴乎だ! 名は体を表すとか言いてぇのか!」
「だから、言ってねえって!」
「わーん、鞠のおやつをあげますから、なっちゃんを許してくださーい!」

 控え室がにわかに騒然となる。ついさっき犯人だと告発されたヤツが乗り込んできたのだから、無理もない。

 しかしさしものチンピラ天使も、震える女の子を前にしてそれ以上踏み出せなくなったらしい。ぐっと拳を押しとどめた柴乎に、和奏が落ち着き払った声で言った。

「そういえば……あなたも生き返ることを目標にしていましたね、天宮柴乎さん」
「はっ。神庭の判事殿にまで知れてるなんて、光栄だな」
「貴方は、その、有名ですので」

 当たり前のようにそのことについて話す二人に、俺は思わず割って入った。

「ま、待て待て待て。てことは、なにか? 天使になったらマジで生き返れるってのか!?」
「といっても、そんなに簡単なことじゃないんですっ」

 さっきまで柴乎を怖がってたのはどこへやら。鞠ちゃんがぴっと指を立てて、説明し出す。

「天使には働きに応じて天界からほーしゅーが出るのですが、生き返るためには天文学的な金額が必要になると言われてるんです」
「お、お金いんの?」
「そうです。まさに、地獄の沙汰も金次第とゆーやつです!」

 え、ここ、天国じゃなかったっけ……?

「実際、俺は生き返った奴を知ってる。少なくとも可能性はゼロじゃねえってこった」

 半ば、自分に言い聞かせているような柴乎の言葉を聞いて、俺は顔を上げた。

 さっきまでの不安が嘘のように消えていくのを感じる。

 弁護して、たとえ裁判に勝ったとしても——

 自死の汚名をそそぐことはできても、死んだという事実は変わらない。

 けど、まだ希望があるのなら。

「俺は……絶対、生きなきゃならない。そのためなら、どんなことだってしてみせる……!」

 膝の上で、決意の拳を固く握る。

 そんな俺の様子を見て、柴乎が一つ嘆息した。

「なんか理由《ワケ》アリっぽいな、お前」
「え?」
「なんとなく分かんだよ、日頃から未練がましい奴らを相手してるからな」

 それは例の門を通れない魂のことだろう。

 未練、っていうのは、つまりやり残したこと——だ。

 どうしても叶えたい夢があったとか、家族に伝えそびれたことがあったとか。
 確かに、そんなの俺にはなかったかもしれない。将来の夢なんて考える余裕もないほど日々生きるのに精一杯だったし、家族と呼べる家族はもうこの世にいなかった。

 でも、生きたい理由なら——あった。

 生きなくちゃならない、理由なら。

「それは……」

 思わず言い淀んだのは、他人にはおろか、友人にも担任にも、誰にも話したことがなかったからだ。

 でも、もし俺が裁判で負けたら、この思いはなくなってしまう。きっと、初めから存在しなかったように——消滅してしまう。

 そう気づいた瞬間、口が勝手に開いていた。

「俺の命は……助けられた、から」
「助けられた?」

 ゆっくりと頷き、俺はぽつぽつと語り出す。

「ちっさい頃、家族で乗ってた車が交通事故に遭ったんだ。両親は……即死。後ろに乗ってた俺は無傷だったけど、車には火がついてた。どうしていいかわかんなくて、パニックになってたら——いきなり横から突き飛ばされて、俺は外に出ることができた」

 誰もがじっと話を聞き入っている。俺はその沈黙に促されるように続けた。

「後部座席に乗ってたのは、俺一人じゃなかった。遊びに来てた幼なじみを車で送る途中でさ……その子が、俺を助けてくれたんだ。ひしゃげた車の中から、その子は俺を安心させるようににっこり笑って——でも、それが最後になった」

 あの、車が爆炎に包まれた瞬間を、俺はどう表現していいか分からなかった。

 ただ一つ、はっきりしてることがある。

「だから、俺は……あの子の分まで生きなきゃならないんだ。絶対に——」

 控え室が一瞬、しんと静まり返った。

 なんか、空気重くしちまったな。へらりと笑おうとしたその時、鞠ちゃんが気遣わしげな声で呟いた。

「わかな様……」

 つられて顔を上げると、和奏がぎゅっと唇を噛み、俯いていた。肩を震わせて、今にも泣き出しそうな表情を浮かべているのに、思わず面食らう。

「はは……。んな、深刻になんなって」
「はい……すみません」

 さりげなく目元を拭う仕草を見て、初見のお堅いイメージはすっかり変わっていた。

 思わず口元を緩めていると、和奏は何故かはっと息を呑み、顔が見えないほど深く俯いてしまった。黙りこくって、指をもじもじと合わせている。……なんだ? 意外とシャイなのか?

「なるほどな。——ところで、少し話しておきてぇことがあんだけど」

 一連の空気を区切るように、柴乎が口を開く。

 そういや、こいつ何しに来たんだっけ? ——あっ、そうか!

「……も、文句なら受け付けねーぞ」
「ま、それはゆくゆくな」

 いたずらっぽく口元をつり上げたのも束の間、柴乎は真剣な顔をして続けた。

「実は、お前が『犯人は天使かもしれない』って言い出した時、ふと思い出したんだよ。俺がお前の魂を確保した時——もう一人、別の天使が現場にいたことをな」
「なっ……もう一人の天使だって!?」
「ほんとーですか!」

 色めきだつ俺と鞠ちゃんに、しかし柴乎は宥めるように両の手の平を向けた。

「言っとくが、天使がいること自体、別に変わったことじゃねぇ。魂があれば回収すんのが俺らの仕事だからな、同じ現場にバッティングすんのも日常茶飯事ってわけだ」

 そう前置きした上で、柴乎は話を続けた。

「ただ……普通、天使は二人一組で動くのに、そいつは一人きりでいたんだ。途中で相方とはぐれちまったってのもなきにしもあらずだけどよ」
「確かに見たんだな?」

 身を乗り出す俺に、柴乎は渋い口調で返した。

「ちらっとだけどな。やっこさん、隣のビルの物陰からこっちを見てたんだが、俺が気づいた瞬間どっかに行っちまいやがって」

 俺はさっきの柴乎の言葉を思い出した。天使は二人一組、ということは。

「あんたにも相棒はいるんだよな? そっちは見てないのか?」
「んー……聞いてみなきゃ分かんねえけど、多分見てねぇだろうな。門の位置、探してたし」
「門の位置?」
「なっちゃんが通ってきた『天国の門』は毎日ランダムに配置されるんです。柴乎さんのパートナーはそれを探索していたので、残念ながら『もう一人の天使』を見ていないってことですね……」

 そうか……。となると、柴乎の記憶だけが頼りということか。

「天宮さん、その天使の特徴を覚えていますか?」

 和奏の質問を受けた柴乎は、考え込むように俯き、しばらくじっと足元を睨んでいた。

「——覚えてる」
「ほ、本当かよ!」
「あぁ、一個目立つのがあったからな。しかも、そいつに関しちゃ、もう一つ気になってることもある。ただ——」
「ただ、なんだよ」
「それだけで、同僚を疑うわけにはいかねぇ」

 きっぱり言い放った柴乎は、言外に自分を告発した俺を揶揄するような響きがあった。

「いや……だって、しょうがなかったんだもん。俺だって必死だったんだもんっ」
「どっちにしろ、その場にいた天使が怪しいって証拠がないなら、これ以上は言えねーな!」
「そ、そんな……」

 証拠はおろか、問題の天使の名前すら分からねーってのに。

 くそっ、どうしろってんだ?

「——分かりました。私が探してきます」

 八方塞がりの状況に、その一言が風穴を開けた。和奏が胸に手を当て、自ら名乗りを上げた。

「んなことできんのか、判事さんよ?」
「はい。以前、天界管理局に籍を置いていましたので。データとして蓄積している、天使の行動記録を調べてきます。そこで『もう一人の天使』の存在やその日の動きが証明されるはずです」
「じゃあ、わかな様。柴乎さんと一緒に行って、それを見てもらえば!」
「それはできません。天宮さんは『告発』されていますから、今からの審理に出なければならないんです」
「言っとくが、俺は誓ってやってねーかんな」

 口を尖らせて抗議する柴乎に、俺は首を捻った。

「あんた……。犯人呼ばわりされたのに、なんで協力してくれるんだ?」

 すると柴乎は「けっ」と毒づいて、そっぽを向く。

「別に協力してるわけじゃねーよ。ただ、自分が連れてきたヤツにゃ責任を持つ、それだけだ」

 か、かっけえ……。

 なんか舌先三寸で行き当たりばったりな生き方をしてる自分が恥ずかしくなってきた。

 けど——俺はずっと、そんな戦い方しかできなかった。

 金も力もツテもない、一介の高校生が世の中を渡り歩くためには、こんなやり方ぐらいしかなかったから。

 でも、それが紛れもない俺の武器だ。

 死後の世界だろうと、神の庭の裁判だろうと、俺は俺の戦いをするまでだ。

「——被告人、開廷の時間である!」

 控え室に、警備の天使の鋭い声が響き渡る。

 柴乎が軽く手を上げて、先に法廷へと向かった。俺は控え室の外へ出て行こうとする和奏を呼び止める。

「あ、あのさ。あんたも……どうして俺のためにそこまで?」

 和奏はゆっくりと振り返った。その唇はもどかしげに擦り合わされている。

「私、は——」

 俺に何かを訴えかけるようにちらりと見上げたのも束の間、和奏はすぐに目を伏せてしまった。

「あの検事の言うとおり……私は、確かにあなたに肩入れしていました。判決は誤らない。その自信がありました……けれど、今となってはそれも怪しい。でもこれからは思い切りやれます。あなたを助けられるかどうかは分かりませんが、できる限りのことはします」

 俺の疑問に対する答えはなかった。

 けど、その真剣な瞳に何も言えなくなる。

 何故かは分からないけど、和奏は本気で俺を助けようとしてるんだ。

「もう一つ、聞きたいんだけど……。前、どっかで会ったことあるか?」

 和奏は寂しげな微笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、もう行かなくては」
「わかな様……」
「鞠、奈津雄さんのことをよろしく頼みましたよ」
「はい……!」

 元気よく返事する鞠ちゃんに笑顔を向け、和奏は控え室を後にした。

 腑に落ちないことは多々ある。けど、今はそれを言ってる場合じゃない。

 俺は法廷の入り口を振り返った。

 気合いを入れるべく、ぱぁんと勢いよく両頬を手で挟む。

「よっしゃ、行くぜ!」
「がってんです!」

 そうして、俺は再び足を踏み出す。


 死して尚、人の魂を裁く——神の庭へ。

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