K.O.(恋に落ちても)いいですか?~格闘家な年下君と、病弱薬剤師な私~

優月アカネ@note創作大賞受賞

第十九話 Side杏子②

昨日青くんは図書館に行ってみたらしいのだけど、手掛かりはなかったという。二日目の今日も引き続き本を当たってみると言っていた。
一方のわたしはトリミングサロンに来ている。月に一度のブルーのトリミング日だということで、一緒に来ようとする青くんを説得して一人で来ていた。

(ブルーもある程度わたしに慣れているし、二手に分かれて行動したほうが効率がいいもんね)

ガラスの向こうで施術を受けているブルーは、お姉さんにじゃれついたり毛玉で団子を作り始めたりとハイテンションな様子。ここでも遺憾なくいたずらっ子ぷりを発揮しているようだった。

(店員さん、ごめんなさい! うまく相手をしてくれてありがとうございます……!)

そんなことを考えながら待っていると、入り口のドアが開いた。
次のお客さんかな、と思ったのだけど。あまりに綺麗なその女性に思わず二度見をする。

「あっ、安西レイラ……!!」

思わずその名前を口にしてしまう。すると彼女はこちらに振り向き、妖艶な笑みを浮かべた。

「青くんも今日だったの? わたしたち、ほんとうによく会うわね」

艶のある金髪に、色香漂う桃色のリップ。彼女までは数メートル距離があるのに、甘い香水の香りがここまで漂ってくる。

――読者モデル出身ながら、堂々とした演技に華があると評判の若手女優『安西レイラ』。
そして彼女は、かつてテレビで見た――青くんと熱愛報道の出た人物でもあった。

パッと目を逸らしたけどもう遅い。チワワを連れたレイラさんは、わたしにぴったりとくっつくようにして座った。

「青くんてば、全然連絡返してくれないじゃない。もしかしてあの件のことまだ怒ってる? うふふ、ほんの冗談で言ったことを記者さんが本気にしちゃっただけなんだってば」

……「あの件」というのは熱愛報道のことだと思われた。
完全に誤解だと青くんは言っていたし、レイラさんのこの言葉からも、ほんとうにそうだったみたいだ。
胸をなでおろしつつも、この距離感はなんだか不愉快だった。ちょっとだけ身体をずらすと、レイラさんもすかさずぴたっと付いてくる。

「相変わらずつれないのね。まあ、そこがいいんだけど」

レイラさんは頭をわたしの肩に預けてしなだれかかってくる。

(この人はいつもこういう感じなの? ……青くんは、ちゃんと嫌だって言ってるのかな)

煮え切らない思いが込み上げてきて、とうとうわたしは口を開く。

「あの、邪魔なのでどいてもらえますか」
「もう! 最初に言う言葉がそれなわけ? わたしはもう用済みってわけなの?」
「……用済み?」

聞き捨てならない言葉が出てきので訊ね返すも、レイラさんは含み笑いをしてみせるだけだった。

「でも、青くんが事務所に苦情を入れてきたときは驚いたなー。てっきりいつものように無視するだけかと思ったもの。正式に抗議されるなんてね。おかげで社長から怒られちゃった」
「…………」
「そうそう、そうやってね。だからてっきり好きな子に勘違いされたくないのかな、なんて思ったんだけど。考えすぎだった?」
「…………」

レイラさんはばっちりお化粧を決めた顔でわたしを見上げた。
女性同士だからなにも感じないけど、これが男性相手だったら誰でもドキッとしてしまうような綺麗な顔。
平凡な小森杏子の顔とはまったく違う。芸能人の輝きとオーラがあった。

「空谷さーん。ブルーくん終わりました~!」

スタッフさんに呼ばれてはっとする。
レイラさんは残念そうに身体を離した。「この上目遣いで落ちなかった男なんていないのに」とかなんとか呟いているが丸聞こえだ。

さっぱりとした姿で出てきたブルーは、レイラさんを見つけると頭を低くして吠えた。

(威嚇するなんて珍しい。ブルー、あなたもこの人が嫌いなのね?)

胸がすいた気持ちになったものの、そのまま散歩と情報収集がてら付近の街を散策しているうちに、心の引っ掛かりがぶり返してしまう。
帰宅するとすぐ青くんに気がつかれてしまった。

「杏子さん、元気がないっすね。……なにかありました?」
「ううん、なんでもないよ。ごめんね、今日も収獲はなかった」
「嘘つかないで。さっきから俺と目を合わせてくれないじゃないですか」

青くんはわたしの前に立ち、自分のほうを向かせるように軽く腕をつかんだ。

「教えてください。……それとも俺、杏子さんになにかしちゃいましたか?」

青くんが悲しそうな顔をしたので慌ててそれは違うと伝える。

「そういうのじゃないの! あの……今日トリミングサロンに行ったでしょ。そこで安西レイラさんと一緒になって……それでちょっとね……」

すると青くんはすべてを悟った顔になる。

「だいたい想像がつきました。嫌な思いをさせてしまってすみません」
「レイラさん、すごい綺麗だったね。芸能人を間近で見るの初めてだったから驚いちゃった」

笑いながら台所へ行こうとしたのだけど、青くんは腕を離してくれない。

「あの、青くん?」
「杏子さん、まだ悲しそうな顔してる。あの人になにを言われたんですか?」

ドキンと心臓が跳ねる。
笑ったはずなのに、彼には見抜かれていた。

なんで青くんはわかっちゃうんだろう。取り繕ったはずなのに、どうして見てほしくないものまで見えちゃうんだろう。
涙がこぼれそうになるのを堪えようと下を向く。でも、そこには青くんの顔があった。心底心配そうな目でじっとわたしを見上げている。

もう、誤魔化すのは無理だと思った。

「……レイラさん、『もうわたしは用済みなの?』って言ってたんだ。青くんとの仲を疑っているわけじゃないの。またレイラさんが冗談を言ったんだと思う。でも、その言葉がずっと引っかかってて……」

青くんは唇をかんだ。今にも人を殺しそうな鋭い目になり、チッと舌打ちをする。

「誓ってあの人とはなにもないです。それ、どういう文脈で言われたんすか?」

やりとりを説明すると、青くんは般若のような顔のまま呟いた。

「それ、俺がブルーを飼い始めたときにいろいろ教えてくれたことを言ってますね。とは言ってもトリミングで一緒になったときにちょろっと会話しただけで外で会ったこともないですし、ましてやそれ以上のことなんて何一つしてないっす」
「そうなんだ……! はあ、よかった……!!」

膝から力が抜けていく。小森杏子の身体だったら床にへたり込んでいただろうけど、青くんの身体は丈夫だから中腰で踏みとどまれた。
と、青くんはわたしのシャツの袖をつまんだ。

「……あの。俺の勘違いだったらすげー恥ずかしいんですけど」
「んっ? どうしたの?」

頬がほんのりと赤い。

「もしかして杏子さん、嫉妬してくれたんですか?」
「……!!」

ひゅっと息を呑むと、青くんはわたしが逃げるのを防ぐように手を取った。

「その顔……。図星ですか? 少しは俺のこと意識してくれてるんですね。嬉しいっす」
「いやっ! そのっ!」

しどろもどろになっていると、青くんは幸せそうに笑った。

「可愛い、杏子さん。……抱きしめてもいいですか」
「ひょえっ!? えっとそのあの、えーっと……わわっ!」

わたしが返事をする前に、青くんは小さな身体でぎゅっとわたしを抱きしめた。
猫のように顔を摺り寄せるけど、眉間に小さな皺が寄る。

「……香水のにおいがする。杏子さんじゃない匂い」
「あっ、ごめんね。多分レイラさんだ。ってか、わたしの匂いってなに? もしかして臭い……?」
「ううん。反対。こんな落ち着かない嫌な匂いじゃなくて、春みたいな、ぽかぽかして優しい匂いがします」

そう言って青くんは表情を取り戻し、再びわたしの胸板に顔を摺り寄せる。
いったいいつまでこれは続くんだろうとドキドキしながらも、わたしも幸せな気持ちでいっぱいになったのだった。

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