K.O.(恋に落ちても)いいですか?~格闘家な年下君と、病弱薬剤師な私~

優月アカネ@note創作大賞受賞

第七話

「ケホケホッ。う~、寒い……」

今日は十二月二十四日。世間はクリスマス一色で、街いっぱいに幸せが溢れる日。
大学時代は女友達とホールケーキを買って、テレビを見ながらワイワイ過ごすのがお決まりだったっけ。
 
今日は本来公休日だったのだけど、急きょパートさんが休みになってしまい出勤になった。
『イブなのに悪いわね。予定があったらいいのよ』と店長は気遣ってくれたけど、二つ返事で「出勤できます」と返事をした。
店長とこの薬局には拾ってもらった恩がある。薬局薬剤師って意外と肉体労働だし、昨今薬剤師は飽和状態になりつつある。身体があまり丈夫でないことを理由に就活は全滅し、まさかの就活浪人かと怯えていたところで唯一採用してくれたのが椿原薬局だったのだ。

(少人数だから仕事量は多いけど、みんな優しいし良い職場なんだよね。誰かが困っていたら役に立ちたいな。採用してよかったと思ってもらえるように)
 
そんなことを考えながら、いつものようにのど飴を舐めつつ、わたしは仕事帰りにある場所へと足を運んでいた。

「えっと……。このマンションみたいね。綺麗な建物だぁ」

合鍵の件で困り果ててしまったわたしは並木さんに相談した。彼に返しておいてもらえたらありがたいと思ったのだけど、『空谷があげたものを勝手に僕が引き受けるわけにはいきませんよ。住所を教えますから、不要でしたらお手数ですが返してやってください』とのことで、こうしてやって来たというわけだった。

「突然合鍵を渡したと思ったら、すぐに帰っちゃうんだもの。最近の空谷選手はよくわからないな……」

わたしに合鍵を渡す意味が分からなかった。あの熱愛報道が出ていた女優さんに渡すべきものじゃないの? そもそも鍵だけあったって家の場所を知らないし……。
そう考えたら、つきんと胸の奥が痛んだ。

「……やめやめ! ポストに入れてさっさと帰ろう。あんまり体調も良くないし、ケーキ食べて早く寝なきゃ。ケホッ」

重度の喘息持ちだった名残なのか、どうも冬は体調を崩しがちだ。今日も朝から小さな咳が止まらない。
合鍵を入れた封筒を503号室のポストに投函する。

「……小森さん?」
「……? あっ、空谷選手!」

声に振り返ると、コンビニのレジ袋を下げた空谷選手がいた。驚いたように目を見開いている。
ああ、一番顔を合わせたくない人に会ってしまった……。

「こんな時間にどうしたんすか?」
「合鍵を返しに来たんです。わたしには不要なものですので。……コホンッ。ケホッ」
「……。小森さん寒そう。とりあえず中で話しましょう」
「いえ、もう帰ります。鍵はポストに入れさせていただきました。用は済んだので」
「でも咳してます。風邪をひいたら嫌だ」
「平気ですって。……今日はクリスマスイブです。わたしがいたらお邪魔でしょう」

すごく嫌味なことを言ってしまったと、口に出してからハッとした。あの女優さんと過ごすにしたって、それはわたしには関係のないこと。こんな当てつけみたいな言い方をしちゃいけなかった……。

――空谷選手は怒っていた。切れ長の瞳はいつも以上に冷え冷えとして、きゅっと唇を引き結んでいる。
しまったと思っても、もう遅い。

「……とにかくいったん暖まりましょ。小森さんが嫌がるようなことは絶対にしませんから」
「あっ、ちょっと」

空谷選手はわたしの右手を掴み、有無を言わさずエレベーターに押し込んだ。
エレベーターの中でも彼はずっと無言で、背中からは静かな怒りが伝わってくる。

部屋に入ると、ほっとするような暖かさがわたしを包み込んだ。

「あったかい飲み物を用意します。紅茶とコーヒーだとどちらがいいですか? ああ、あとココアもあるっす」
「……じゃあ紅茶をいただきます。どうもありがとう……」

キッチンで彼が作業をしている間、なんとなく部屋を見渡す。
白を基調としたシンプルな部屋だ。今座っているソファの正面には大きなテレビがあって、窓の方には背の高い観葉植物が置いてある。薄い水色のカーテンは空谷選手の雰囲気によく合っていると思った。

(ここはリビングね。他にも部屋があるみたい)

廊下にも何個かドアがあったし、テレビの横にも少し開いたドアがある。
すると、その隙間から白い犬がひょっこり顔をのぞかせた。

「ワンちゃん!」 

モフモフした中型犬は尻尾を振りながら駆け寄ってきた。
人見知りをしないとても元気な子だ。

(なんだかどこかで見たことがあるような……。あっ、キーホルダーだわ!)

「あっ、ちょっと! くすぐったいよ! こらこら、君はいたずらっ子だね」

ワンちゃんは膝に登ってわたしの顔をぺろぺろと舐める。

「……名前はブルーっす。すみません。好奇心が旺盛なんです」

飲み物を置いた空谷選手はブルーを抱き上げた。
引きはがされたブルーは不満そうな顔である。

「素敵な名前ですね。空谷選手が名付けたんですか? ケホケホッ」
「大丈夫っすか? 紅茶飲んでください」
「ありがとう。いただきます」

空谷選手はブルーとオモチャのボールで遊びながら、もとは捨て犬だったということを教えてくれた。
神戸から上京するその日にブルーと出会い、なにか運命のようなものを感じたという。

「たまたまペット可の物件だったんで、一緒に東京に連れてきました。いたずら好きで手のかかるやつだけど、下積み時代からの大事な相棒っす」
「あのキーホルダー、ブルーがモデルだったんですね。なにかのキャラクターだとばかり」
「トリミングサロンで作れるんです。刈った毛で作れるって聞いて、面白そうだなって。まだ何個かありますよ」

彼は腰を上げ、両手にキーホルダーを持って戻ってきた。
どれも表情やポーズが違っていて可愛い。今時はこういうグッズもあるのねと感心する。

けれども、ふとあのテレビの画面が脳裏によみがえる。
ブルーのキーホルダーを得意気に掲げた、きれいな女優さん。

――『これ、青くんからもらったんです。可愛いでしょう』

くらりとめまいがした。なんだか気分も悪いし、身体も熱い。
体調が悪いときに嫌なことを思い出すもんじゃない。

小さく深呼吸をして紅茶を口に含むと、じっと黙っていた空谷選手がこちらをのぞき込むように顔を傾ける。

「……小森さんは、あのニュースを見たから俺を避けてるんですよね?」

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