お気に入りの音楽 3
ゴッド・タレント
あるサイトの『お題』を考えていたら、ジョナサン・アントワンを思いついた。
太った少年が歌う。並外れた桁違いの才能……
ジョナサン・アントワンは、イギリスの国民的オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の2012年度の出場者。
ジョナサン&シャーロットという男女のデュオで出場し、惜しくも優勝を逃し準優勝だったが、番組終了後すぐにレコード会社と契約し、同年の10月にデビューを果たした。
番組では、シャイで無口、自信なさげなジョナサンを、シャーロットが優しくサポートしながら歌う様子が視聴者の心を動かした。
歌う前の審査員の冷ややかさと、歌い始めたときの反応の落差
https://youtu.be/G3dIGzaA9OM
ブリテンズ・ゴット・タレントは、イギリスのテレビ局ITVで放送されている公開オーディション番組。
優勝者にはロイヤル・バラエティー・パフォーマンス(英語版)の出演権利と賞金25万ポンドが授与される。
ところがこの番組、グループとして応募した場合、才能に差があるメンバー同士を引き離し、ソロで出場させる、という展開がよくある。
このふたりも、シャーロットの歌声もすばらしいのだが、卓越した歌唱力を持つジョナサンをソロで出場させる提案が審査員から出た。
でも、ずっと無口だったジョナサンが口を開いて出した答えは、「ふたりでやります」。
才能だけでなく、この固い友情が、視聴者の心をつかみ、ふたりを決勝まで運んだのかもしれない。
ジョナサンは大きな体格が目立つが、目鼻立ちをよく見てみると、イタリアの歴史的な絵画のような美しい顔立ちをしている。
しかも彼はまだ17歳。今後長きにわたり、世界のオペラ界を背負って立つ、大物オペラ歌手に成長していくのだろう。
https://allabout.co.jp/gm/gc/412219
準決勝
https://youtu.be/atFO9mP12GU
決勝
https://youtu.be/-27PQBKEJfE
ふたりを破り優勝したのはワンちゃん
https://youtu.be/OGt_6foIZDU
ジョナサン・&・シャーロットの、2012年のブリテンズ・ゴット・タレントYouTube動画の再生回数は1億回数以上! そんなとんでもな数字を叩き出したふたりだが、2年後の2014年に解散している。
ふたりはソロとしてSonyとレコード契約を結び、デュオを解散する事に決めた。
ジョナサンとシャーロットはその時こう語っています。
「2006年にウェストハッチ高校で会って以来、私たちは一緒に最もエキサイティングな旅をしました。お互いにとても幸せです。BGT(ブリテンズ・ゴット・タレント)で2位となり、25万枚以上のアルバムを販売することは私たちの夢以上のものとなりました。
私たちに投票した人たちのため、私たちのCDを購入しコンサートで私たちを見てくれた人たちへ、ありがとう。 
ジョナサンとシャーロットより」
https://www.japaneo.co/2021/10/Jonathan-and-Charlotte.html
ソロで活躍するジョナサン
https://youtu.be/tlF-wFrukEU
2021年には「Iosì(Seen)」という曲がゴールデングローブ賞、最優秀主題歌賞を受賞した。
︎
ゴッド・タレントを知ったのはスーザン・ボイルが最初。
 スーザン・ボイル47歳  夢はプロの歌手になること
https://youtu.be/eSzB_g3uiYs
スーザン・ボイルが話題になった時に、ポール・ポッツの動画を観た。映画も観た。初代チャンピオン。
  
人生が変わるオーディション ポール・ポッツの予選
https://youtu.be/Ido7vbxKtvA
ポール・ポッツ(1970年10月13日 - )はイギリスのオペラ歌手。
出身地 イングランド・ブリストル 活動期間 2007年-
10歳から教会で聖歌隊として歌い始める。生い立ちが恵まれず、幼少期は周囲からいじめられ続けていたが、
「歌っている時だけは唯一、自分に自信が持てた」
と後のインタビューで語っている。
1986年、三大テノールの一人であるオペラ歌手のホセ・カレーラスの声と出会う。彼の美しい歌声に魅了されたポッツは、
「いつか彼のようになり満員のオペラハウスで歌いたい」
という夢を抱いた。しかし容姿に強いコンプレックスを持っていたポッツは自信が持てず、プロへの道を一時断念する。(プロの道は断念したものの、その後も地元のアマチュアのオペラ劇団でオペラを学び、ボイストレーニングを続けていた)
1999年、英国ITVの番組『Barrymore's My Kind of Music』に出演して、賞金8000ポンドを獲得した。その賞金を充てて2000年に3ヶ月、2001年に6週間イタリアに私費留学し、オペラを学んだ。
1999年から2003年にかけて、アマチュアのオペラ劇団やオペラ・プロダクションに参加し、オペラ活動を続けた。
2001年2月、インターネットのチャットルームで女性ジュリー=アンと知り合い、2年後の2003年5月に結婚。結婚式では妻に『カヴァティーナ』(映画『ディア・ハンター』の主題曲)を捧げたという。
2003年のある日、急性盲腸炎の手術を受けたところ、副腎に腫瘍があることが判明。医師の勧めで腫瘍の切除手術を受けることになるが、医師の反対を押し切りオペラを歌い続けていたとポッツは後のインタビューで明かしている。
2003年7月、自転車で出勤中に交通事故に遭い鎖骨を骨折。むち打ち症にも悩まされた。命に別状はなかったが、長期の入院生活を余儀なくされ仕事を失う。
さらに、退院すると莫大な治療費の請求が来たため、妻にこれ以上の負担はかけられないと歌のレッスンを辞め、所属していたアマチュアのオペラ劇団も退団した。
その後、生活のためにヨーロッパ有数の携帯電話会社の販売店であるCarphone Warehouseのセールスマンとなる。
歌からは長らく遠ざかっていたが、2007年に妻の後押しもあり、イギリスで放映されているタレント発掘オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』へ出場を決意。これで駄目なら歌は諦める覚悟で臨んだという。
2007年3月にオーディション、同年6月に準決勝および決勝のTV放映。
オーディションで「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌い、会場を熱狂させた。
番組を勝ち続けて優勝し、同番組の辛口審査員としても知られるプロデューサー、サイモン・コーウェルに認められ、携帯電話ショップの店員から念願のオペラ歌手としてのデビューを果たす。
この時、後に歌手デビューを果たすコニー・タルボット(当時6歳)も決勝へ進出しており、コニーを破っての優勝であった。
彼の運命を変えるきっかけともなった番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の模様は、YouTubeを通じて世界に配信され、話題を呼んだ。
その後、サッカー開会式での国歌斉唱など様々な場面でその歌唱を披露している。
念願のレコード・デビューのチャンスをつかみ、デビュー作はアルバム「ワン・チャンス」は、2007年7月23日付で全英初登場1位、3週間連続で1位を記録し、全世界で300万枚以上ものセールスを達成した。
イギリスの首相ゴードン・ブラウンから官邸に招待されたり、エリザベス2世から直々に賞賛の辞を受けたりするなど数々の栄誉を得た。その模様は彼のドキュメンタリー番組で放映された。
2008年1月全英ツアー、3月に初の北米ツアー、4月にニュージーランド/オーストラリア公演のあと、2008年4月29日には世界ツアーで来日しコンサートを開き、2日間の公演は満席となった。
彼がジュリー=アンと出会い、結婚するまでのエピソードは『奇跡体験!アンビリバボー』や、『誰も知らない泣ける歌』といった日本のテレビ番組でも放送された。
2008年秋に放送された龍角散のCMでは、「誰も寝てはならぬ」を歌う彼と、その経歴に関する字幕が映し出されるものになっている。
2009年には、ドラマ『善徳女王』の挿入歌「Passo Dopo Passo」を歌った。
2012年6月、ワインスタイン・カンパニーの企画で進行中のポッツの伝記映画について、ジェームズ・コーデン主演で正式に公開が決まった。同作は日本では『ワン チャンス』のタイトルで2014年3月21日に公開された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%84
  
『善徳女王』の挿入歌
https://youtu.be/qZBcJ55Ir3g
『善徳女王』は韓国の歴史ドラマ。
面白いです。何度も観ました。
  
太った少年が歌う。並外れた桁違いの才能……
ジョナサン・アントワンは、イギリスの国民的オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の2012年度の出場者。
ジョナサン&シャーロットという男女のデュオで出場し、惜しくも優勝を逃し準優勝だったが、番組終了後すぐにレコード会社と契約し、同年の10月にデビューを果たした。
番組では、シャイで無口、自信なさげなジョナサンを、シャーロットが優しくサポートしながら歌う様子が視聴者の心を動かした。
歌う前の審査員の冷ややかさと、歌い始めたときの反応の落差
https://youtu.be/G3dIGzaA9OM
ブリテンズ・ゴット・タレントは、イギリスのテレビ局ITVで放送されている公開オーディション番組。
優勝者にはロイヤル・バラエティー・パフォーマンス(英語版)の出演権利と賞金25万ポンドが授与される。
ところがこの番組、グループとして応募した場合、才能に差があるメンバー同士を引き離し、ソロで出場させる、という展開がよくある。
このふたりも、シャーロットの歌声もすばらしいのだが、卓越した歌唱力を持つジョナサンをソロで出場させる提案が審査員から出た。
でも、ずっと無口だったジョナサンが口を開いて出した答えは、「ふたりでやります」。
才能だけでなく、この固い友情が、視聴者の心をつかみ、ふたりを決勝まで運んだのかもしれない。
ジョナサンは大きな体格が目立つが、目鼻立ちをよく見てみると、イタリアの歴史的な絵画のような美しい顔立ちをしている。
しかも彼はまだ17歳。今後長きにわたり、世界のオペラ界を背負って立つ、大物オペラ歌手に成長していくのだろう。
https://allabout.co.jp/gm/gc/412219
準決勝
https://youtu.be/atFO9mP12GU
決勝
https://youtu.be/-27PQBKEJfE
ふたりを破り優勝したのはワンちゃん
https://youtu.be/OGt_6foIZDU
ジョナサン・&・シャーロットの、2012年のブリテンズ・ゴット・タレントYouTube動画の再生回数は1億回数以上! そんなとんでもな数字を叩き出したふたりだが、2年後の2014年に解散している。
ふたりはソロとしてSonyとレコード契約を結び、デュオを解散する事に決めた。
ジョナサンとシャーロットはその時こう語っています。
「2006年にウェストハッチ高校で会って以来、私たちは一緒に最もエキサイティングな旅をしました。お互いにとても幸せです。BGT(ブリテンズ・ゴット・タレント)で2位となり、25万枚以上のアルバムを販売することは私たちの夢以上のものとなりました。
私たちに投票した人たちのため、私たちのCDを購入しコンサートで私たちを見てくれた人たちへ、ありがとう。 
ジョナサンとシャーロットより」
https://www.japaneo.co/2021/10/Jonathan-and-Charlotte.html
ソロで活躍するジョナサン
https://youtu.be/tlF-wFrukEU
2021年には「Iosì(Seen)」という曲がゴールデングローブ賞、最優秀主題歌賞を受賞した。
︎
ゴッド・タレントを知ったのはスーザン・ボイルが最初。
 スーザン・ボイル47歳  夢はプロの歌手になること
https://youtu.be/eSzB_g3uiYs
スーザン・ボイルが話題になった時に、ポール・ポッツの動画を観た。映画も観た。初代チャンピオン。
  
人生が変わるオーディション ポール・ポッツの予選
https://youtu.be/Ido7vbxKtvA
ポール・ポッツ(1970年10月13日 - )はイギリスのオペラ歌手。
出身地 イングランド・ブリストル 活動期間 2007年-
10歳から教会で聖歌隊として歌い始める。生い立ちが恵まれず、幼少期は周囲からいじめられ続けていたが、
「歌っている時だけは唯一、自分に自信が持てた」
と後のインタビューで語っている。
1986年、三大テノールの一人であるオペラ歌手のホセ・カレーラスの声と出会う。彼の美しい歌声に魅了されたポッツは、
「いつか彼のようになり満員のオペラハウスで歌いたい」
という夢を抱いた。しかし容姿に強いコンプレックスを持っていたポッツは自信が持てず、プロへの道を一時断念する。(プロの道は断念したものの、その後も地元のアマチュアのオペラ劇団でオペラを学び、ボイストレーニングを続けていた)
1999年、英国ITVの番組『Barrymore's My Kind of Music』に出演して、賞金8000ポンドを獲得した。その賞金を充てて2000年に3ヶ月、2001年に6週間イタリアに私費留学し、オペラを学んだ。
1999年から2003年にかけて、アマチュアのオペラ劇団やオペラ・プロダクションに参加し、オペラ活動を続けた。
2001年2月、インターネットのチャットルームで女性ジュリー=アンと知り合い、2年後の2003年5月に結婚。結婚式では妻に『カヴァティーナ』(映画『ディア・ハンター』の主題曲)を捧げたという。
2003年のある日、急性盲腸炎の手術を受けたところ、副腎に腫瘍があることが判明。医師の勧めで腫瘍の切除手術を受けることになるが、医師の反対を押し切りオペラを歌い続けていたとポッツは後のインタビューで明かしている。
2003年7月、自転車で出勤中に交通事故に遭い鎖骨を骨折。むち打ち症にも悩まされた。命に別状はなかったが、長期の入院生活を余儀なくされ仕事を失う。
さらに、退院すると莫大な治療費の請求が来たため、妻にこれ以上の負担はかけられないと歌のレッスンを辞め、所属していたアマチュアのオペラ劇団も退団した。
その後、生活のためにヨーロッパ有数の携帯電話会社の販売店であるCarphone Warehouseのセールスマンとなる。
歌からは長らく遠ざかっていたが、2007年に妻の後押しもあり、イギリスで放映されているタレント発掘オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』へ出場を決意。これで駄目なら歌は諦める覚悟で臨んだという。
2007年3月にオーディション、同年6月に準決勝および決勝のTV放映。
オーディションで「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌い、会場を熱狂させた。
番組を勝ち続けて優勝し、同番組の辛口審査員としても知られるプロデューサー、サイモン・コーウェルに認められ、携帯電話ショップの店員から念願のオペラ歌手としてのデビューを果たす。
この時、後に歌手デビューを果たすコニー・タルボット(当時6歳)も決勝へ進出しており、コニーを破っての優勝であった。
彼の運命を変えるきっかけともなった番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の模様は、YouTubeを通じて世界に配信され、話題を呼んだ。
その後、サッカー開会式での国歌斉唱など様々な場面でその歌唱を披露している。
念願のレコード・デビューのチャンスをつかみ、デビュー作はアルバム「ワン・チャンス」は、2007年7月23日付で全英初登場1位、3週間連続で1位を記録し、全世界で300万枚以上ものセールスを達成した。
イギリスの首相ゴードン・ブラウンから官邸に招待されたり、エリザベス2世から直々に賞賛の辞を受けたりするなど数々の栄誉を得た。その模様は彼のドキュメンタリー番組で放映された。
2008年1月全英ツアー、3月に初の北米ツアー、4月にニュージーランド/オーストラリア公演のあと、2008年4月29日には世界ツアーで来日しコンサートを開き、2日間の公演は満席となった。
彼がジュリー=アンと出会い、結婚するまでのエピソードは『奇跡体験!アンビリバボー』や、『誰も知らない泣ける歌』といった日本のテレビ番組でも放送された。
2008年秋に放送された龍角散のCMでは、「誰も寝てはならぬ」を歌う彼と、その経歴に関する字幕が映し出されるものになっている。
2009年には、ドラマ『善徳女王』の挿入歌「Passo Dopo Passo」を歌った。
2012年6月、ワインスタイン・カンパニーの企画で進行中のポッツの伝記映画について、ジェームズ・コーデン主演で正式に公開が決まった。同作は日本では『ワン チャンス』のタイトルで2014年3月21日に公開された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%84
  
『善徳女王』の挿入歌
https://youtu.be/qZBcJ55Ir3g
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面白いです。何度も観ました。
  
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