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お気に入りの音楽 3

ノベルバユーザー607660

ララバイ・ララバイ・おやすみよ〜

 初めて『うっせぇわ』を聴いた時、連想したんです。
  
ギザギザハートの子守唄とうっせぇわのミックス
https://youtu.be/wLdaqFCkNm0

『ギザギザハートの子守唄』は、1983年9月21日にリリースされたチェッカーズのデビュー・シングル。
 発売当初は殆ど売れなかったが、翌1984年1月に発売した、2枚目のシングル『涙のリクエスト』の大ヒットにより、同曲も相乗効果で順位を上げ、3枚目のシングル『哀しくてジェラシー』と共に、3曲同時トップ10入りを果たした。

チェッカーズ ギザギザハートの子守唄
https://youtu.be/JnPzSSjNqMA

『うっせぇわ』は、日本の歌手・Adoの楽曲。メジャー1作目の配信限定シングルとして2020年10月23日にリリースされた。作詞作曲はボカロPのsyudouが手掛けている。
 楽曲は、その刺激的な歌詞などが大きな話題を呼んでTikTokやSNSで急速に拡散された。YouTube再生回数は1億回再生、ニコニコ動画では500万回再生を記録。デジタルセールスは累計30万DLに達し、ストリーミング再生回数は2億回を突破している。

うっせぇわ Ado
https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w

ボカロP?
30万DL?
 
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『ジョニーの子守唄』は、アリスが1978年6月20日に東芝EMIからリリースした13枚目のシングル。

 谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人による伝説のバンド。
 1971年結成、1981年活動停止と10年間の活動だったが、最初はヒット曲に恵まれず、『冬の稲妻』がヒットするまでは貧乏バンドとして地道な活動に明け暮れていた。
 1974年には年間303ステージという記録が残っており、その苦闘が偲ばれる。
『帰らざる日々』『涙の誓い』『君のひとみは10000ボルト』『ジョニーの子守唄』『二十歳の頃』、
さらには伝説のボクサー カシアス内藤(現ボクシングジム会長)をモデルにした『チャンピオン』
などヒット曲を連発した。
https://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N02933.html?device=pc

ジョニーの子守唄 アリス
https://youtu.be/kYG5COzYJjY

風の噂で聞いたけど
君はまだ燃えていると
  
検索しているといろいろ発見してしまう。
  
 一般的には「風の噂」という言葉は存在しません。漢字の成り立ちや読み方が似ていることから、「風の便り」のことを間違えて「風の噂」を使っている人がほとんどです。「風の便り」という言葉はあっても、「風の噂」という言葉は存在しません。
「風の噂」がなぜ間違った言葉であるかというと、「噂」には風評や風が伝えてくるという意味があるため、重言になってしまうからです。
 重言とは、「馬から落馬した」や「頭痛が痛い」などのように同じ意味の言葉を重ねる表現方法のことで、意味を強調する特別な使い方以外は誤用となっています。
https://reibuncnt.jp/13037
 
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 加藤 登紀子本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。
東京大学文学部西洋史学科卒。
 1965年 東京大学在学中に、第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」優勝。
1969年 『ひとり寝の子守唄』で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
 1971年 『知床旅情』で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
 1972年 藤本敏夫と獄中結婚。
 1978年 中島みゆきより提供された【この空を飛べたら』がロング・ヒットを記録。
 1981年、千葉県に農業体験などを提供する鴨川自然王国を夫の藤本と共に設立。
 1983年の映画『居酒屋兆治』で高倉健の妻役、1986年のテレビドラマ『深夜にようこそ』では千葉真一の妻役で共演した。
 1987年 『百万本のバラ』大ヒット。『難破船』(中森明菜)『わが人生に悔いなし』(石原裕次郎)といった提供曲も、好セールスを記録。
 1995年6月21日に発生した函館空港の全日空857便ハイジャック事件では、実母やバックバンドのメンバーらと一緒に搭乗し、16時間余りの緊張を体験した。
 当日函館のコンサートの予定が中止となってしまったが、翌日苫小牧のコンサートでは、寝不足ながらも元気な姿を見せた。そのライブ終了後、加藤らはハイジャック事件の状況について記者会見に応じている。
 2002年7月31日、夫の藤本が肝臓ガンのため永眠。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/加藤登紀子
  
 1968年の東大紛争の際、加藤は「振り袖で来てほしい」という女性週刊誌の要請を振り切ってジーパンで卒業式の会場に現れ、その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌って断る。しかし、この件をきっかけに2人は交際を開始。
 紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。
『ひとり寝の子守歌』は、塀の中にいる夫を思って作られた代表曲のひとつでもある。
 勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には3人の娘がおり、次女はYaeとして歌手活動中。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/加藤登紀子

加藤登紀子 Tokiko Kato -- a1 ひとり寝の子守唄
https://youtu.be/bIpyVdGBzuA

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 このメロディ覚えています。
  
 サスケにとっては優しい母であり、大猿にとっては良き妻だったが、大猿を追ってきた服部半蔵の娘に殺されてしまう。
 アニメ版では、死後もサスケの回想などを通じて登場する。

サスケの子守唄
https://youtu.be/QuQ2Ig96R_Q

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『聖母たちのララバイ』(マドンナたちのララバイ)は、1982年5月21日にリリースされた岩崎宏美の28枚目のシングル。
 前年9月に開始した日本テレビの2時間ドラマ枠『火曜サスペンス劇場』の初代エンディングテーマであった同曲は、当初エンドロール用に放送される1コーラス分のみが制作されただけであった。 
 ゆえにそれ以外のパートは製作・録音されておらず、発売の予定も立っていなかった。
 しかし、放送後に視聴者から作品化の要望が殺到したため、番組内のマスターテープを元に録音したものを製作し、抽選による視聴者200名のプレゼントとした。
 ところが、35万通を超える応募はがきが殺到し、過去に同様の企画を行った『西遊記』エンディングテーマ「ガンダーラ」の10万通を大きく上回ったため正式なレコードとして発売されることとなり、レコード会社間での紆余曲折の後、当時岩崎が所属するビクター音楽産業でフルバージョンの制作が行われた。
 発売2週目にしてオリコンシングルチャートで1位を獲得。セールスとしてもオリコン集計では80万枚を超え、累計では130万枚を超える大ヒットを記録し、同年のオリコン年間シングルチャートでは3位を記録した。
 同年11月には第13回日本歌謡大賞を受賞。年末の第24回日本レコード大賞にも期待が高まったが、楽曲前半のメロディーが映画『ファイナル・カウントダウン』の劇中BGMの「ローレル&オウエンス」 (Laurel And Owens) および「ミスター&ミセスタイドマン」 
(Mr.and Mrs.Tideman) のメロディーと酷似していると、抗議のため来日した同曲の作曲者から指摘される。
 本曲作曲者の木森敏之がこの類似点を盗作と認めたため、作曲クレジットが木森と、盗作された上記楽曲の作曲者であるジョン・スコットとの併記という共作クレジットに修正された。
 この結果、外国人作家が製作した楽曲を対象外とする当時の日本レコード大賞の基準に該当し、エントリーができなくなった。
 最終的には作曲者のクレジットがジョン・スコットとの併記となったが、現在でも木森単独の作曲とする資料や、コンピレーション盤が複数存在している。
 当初4月21日発売と発表されていたが、1か月延期になった。初回盤にJohn Scott作曲・編曲とクレジットされているものが存在するなど、対応が当初混乱していた。因みにJASRAC作品データベースでは作曲:木森敏之として登録されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖母たちのララバイ

岩崎宏美 - 聖母たちのララバイ - 1982
 https://youtu.be/bL52D-vr79c

ジョン・スコット(1930年11月1日 - )は、イギリスの作曲家、指揮者である。
  
John Scott - The Final Coundown Soundtrack - Laurel And Owen
https://youtu.be/-kVAKvRc6-w

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『アザミ嬢のララバイ』は、中島みゆきのデビュー・シングル。1975年9月25日にキャニオン・レコードよりリリース。
 発売前に、父親が脳溢血で倒れ昏睡状態で病院に運ばれたため、中島本人は宣伝活動ができなかった。
 当時は売れなかった。1978年に『わかれうた』がヒットした際、『夜のヒットスタジオ』に出演。本作と『わかれうた』を披露した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アザミ嬢のララバイ
  
アザミ嬢のララバイ/中島みゆき【歌詞付き】  
https://youtu.be/NVQ5WJKhYI4
これ、似てるけど本人ではありません。

 アザミは嫌われ者である。
 日本語の「アザミ」の名は、「あざむ」に由来するといわれている。あざむには「興ざめする」という意味がある。美しい花だと思って触れると、トゲがあって驚かされる。つまりは、「あざむかれた」ということなのだ。
 ヨーロッパでは牧草地などによく生えるが、トゲがあるので、牛や馬もアザミを食べることはない。そのため、アザミだけが食い残されて、雑草として広がっていく。
 何ともやっかいな雑草である。
 ところが不思議なことに、スコットランドでは、アザミは国花として愛されている。
 昔、スコットランドがノルウェーの大軍に攻められたとき、夜襲を掛けようとしたノルウェー軍の兵隊がアザミを踏んで悲鳴を上げたため、奇襲に気がついたスコットランド軍は大勝を収めることができた。
 そして、それ以降、スコットランドの人々を悩ませていたノルウェー軍の侵攻はなくなったという。
 こうしてアザミは国を救った花とされ、スコットランドの国花や紋章となったのである。
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1259
  
 車の中で『あざみの歌』を聴き、『アザミ嬢のララバイ』を連想し子守唄を集めてみました。
  
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 これ、子守唄なんですかね?

『ハイスクールララバイ』は、イモ欽トリオの楽曲、1枚目のシングル。1981年8月5日発売。
 フジテレビ系バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生した、山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)の3人からなるユニットのデビュー・シングル。
「テクノ歌謡」最大のヒット曲で、お茶の間に於ける「テクノ歌謡」のイメージを決定付けた金字塔的作品。
 企画もの、コミックソングとしては異例の大ヒットとなり、オリコン7週連続1位、1981年度オリコン年間4位、累計160万枚のミリオンセラーを記録。

Imo-Kin Trio - High School Lullaby
 https://youtu.be/pF0qZHELj-w

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