負けず嫌いでツヨツヨな人魚姫は、絶対に隣国の王女なんかに王子さまを渡さない!

鬼ヶ咲あちたん

五話 露わになる爪と牙

 ノアは侍女の皆さんへ順番に指示を出していく。

 繋ぎ合わせた文字はこう語る。



 ――大嵐の夜、月もない海原で今にも渦潮へ巻き込まれそうになっている王子を見つけた人魚姫は、両腕でそれを抱え上げ比較的おだやかな海上まで運んだ。

 しかし、体が冷たくなり今にも死にそうだったので、一番早く朝日が射す東の海岸に移動する。

 そこで日が昇るまで体を寄せて温もりを与え、死の世界へ旅立たないよう歌を歌って気持ちを繋ぎとめた。

 ようやく待ちわびた夜明けが訪れ、通りかかった王女に王子を託し、人魚姫は海へ帰った。

 

 つまり、通りかかった王女がリオニーで、本当に王子を助けた人魚姫がノアだということだ。

 貴族たちのざわめきは最高潮を迎える。

 さんざん命の恩人だからと婚約を迫っておいて、それが嘘だったのだ。

 たまたまそこが修道院の真下にある海岸で、人魚姫の歌声に惹かれて道を下りてきた王女が、託された王子をさも自分が助けたように振る舞い、婚約者の座をねだった。

 なんとも醜悪な話だった。

 国王陛下も顔をしかめる。



「そんなの嘘よ! どこに証拠があるというの! 私が王子の保護を求めて修道女たちに声をかけたことは真実なのよ!」

「確かにそれは真実だろう。だが、もし人魚姫の救助がなければ、そもそもヴィンセントはその海岸にいなかった。今頃は海の藻屑となっていただろう」



 国王陛下の沈痛な声を聞いて、貴族たちも顔を見合わせる。



「証拠とまではいかないが、俺は会ったこともないはずのノアの声を知っていた。きっと夜が明けるまでずっと歌ってくれたからだろう。気を失っていても、どこかで覚えていたのだな」



 ヴィンセントはノアを抱く腕に力を込めた。

 ノアはヴィンセントに向かって、フンスフンスしている。



『そうよ! ヴィンセントを拾ったのは私なんだから! 所有権は私にあるのよ!』



 そして負けじとヴィンセントに抱き着くのだった。



「リオニー王女、貴国との交渉で交わした婚約であるが、今一度、再考したほうがよさそうだ。ここで発表したことについては一旦白紙に戻そう。舞踏会も閉会とする」



 国王陛下の宣言で、貴族たちは解散していく。

 リオニーはまたしても修道院へ戻される。

 歯噛みしているが自業自得だ。

 怒涛の終幕となった。



 ◇◆◇



「ノア、俺を助けてくれたのは、やっぱりノアだったんだな」

『そうだよ! 忘れないでよって言ったでしょ!』



 ずっと抱っこされることに慣れたノアと、ノアを抱っこし続けるヴィンセント。

 二人はどこからどう見ても恋人同士だった。

 しかも、しがらみだらけだったヴィンセントの婚約者もいなくなった。

 あとは結ばれるだけだと、誰しも思ったことだろう。

 だが雌ライオンという意味の名を持つリオニーの爪と牙は、まだ衰えていなかった。



 早々に婚約解消の手続きがなされ、リオニーはこの国の修道院から母国へ強制送還されることになった。

 短い間だったが、ヴィンセントの婚約者だったこともあり、小規模ながら帰還のための催しが船上で開催される。

 海難事故にあって以来、なんとなく海が苦手になったヴィンセントだが、さすがにそれを理由に欠席はできない。

 しかも今回は船が海原にあるわけではなく、あくまでも港に停泊している状態だ。

 危険も少ないと判断された。

 この催しが終わり次第、リオニーを乗せた船は国元へ出発する予定だ。

 それまでの我慢と思おう。

 ノアは海に近づきたがらないので、港から少し離れたところに馬車を用意して、そこへ侍女たちが船上からスイーツを運び込んでいる。

 馬車の中で嬉しそうにパクパク食べているのだろう。

 あの顔は可愛い。

 ヴィンセントはすっかり惚気るようになった自分の心中を思う。

 つまり、そういうことなんだろう。

 俺はノアに惚れている。

 これはもう間違いのない事実だ。

 そしてノアも俺のことを好きでいてくれている。

 あと越えなくてはいけないのは種族の差だ。

 もともとノアは人魚だが、今は人間の姿になっている。

 国王陛下さえ許可してくれれば、あとは世間を納得させるだけのことはしてみせる。

 それにもし、種族間の問題で子ができなかったとしても、ヴィンセントには弟がいる。

 なんなら今からだって王位継承権を譲ってもいい。

 それくらい、ヴィンセントはノアに夢中だった。

 真っすぐにヴィンセントを見つめてくる瞳がたまらない。

 いつだって、大好きだよと伝えてくる。

 あんなに愛されて落ちないわけがなかった。

 いつ、そういう仲になろうか、ヴィンセントはちょっとだけ不埒なことも考えるのだった。



 夕闇から薄闇に変わり、船上ではそろそろ催しも終盤となっていた。

 空けられたワインの樽を使用人たちが片付けていく。

 海の上であることを忘れようと、少し飲み過ぎてしまったヴィンセントだったが、何事もなく終わりそうでホッとした。

 だが、そこを突かれた。

 物陰から飛び出してきたリオニーが、ヴィンセントを小部屋へ押し込もうとする。

 酔っていても女の力に負けるヴィンセントではない。

 しかし相手に怪我をさせてはならないと、ややひるんだ。

 リオニーが押し込もうとした小部屋にはベッドしかなく、リオニーがヴィンセントとの間に既成事実を作ろうとしたことは明らかだ。

 なんて諦めの悪い女だ。

 もみ合いになり、小部屋から勢いよく飛び出したヴィンセントの前に広がっていたのは、手すりの間から見える真っ黒な海だった。

 本来ならば手すりと手すりを繋ぐ綱が渡してあったはずだが、ワイン樽を運び出した使用人が戻るときにかけ忘れたのだろう。

 大きく開いた手すりの隙間から、ヴィンセントは夜の海に落ちた。

 もし海難事故にあうまえのヴィンセントだったならば、これくらいの高さから海へ落ちたとしても、自分でなんとかしただろう。

 だが、落ちる瞬間、ヴィンセントの脳が大嵐の夜をフラッシュバックさせた。

 そうだった、確かこうやって甲板から船外に投げ出されたんだ。

 海面に叩きつけられて意識を失って、それから――。



「きゃああああああ!!!」



 それを目撃して大声を上げたのは、ノアにスイーツを届けようとしていた侍女だった。



「王子殿下がここから海へ落ちたわ!」



 すぐに護衛の兵士たちへ正確な情報が伝えられる。

 そして侍女は持っていた銀の盆からスイーツを床へ落とし、銀の盆を高々と掲げると、月の光に反射させるように港へ向けた。

 キラッキラッ、キラッ。

 何かを告げるように決まった回数で光る銀の盆。

 それを港に待機していた侍女が受け取る。

 今度は港の奥に停車していた馬車へ同じく送られる銀の盆の光。

 これはノアが考えた緊急事態発生の合図だった。



「ノアさま、大変です、船上から緊急事態発生の合図が送られてきました!」

『馬車を発進させて! すぐにヴィンセントの安全を確かめなくちゃ!』



 ノアの身振り手振りで内容を理解した侍女は、御者にそれを伝える。

 港に停泊している船まではわずかな距離だが、ノアを襲う緊張がそれを長く感じさせた。

 人間になる薬の効果が切れないように、ノアは徹底して海を避けてきた。

 だが、愛する人の一大事かもしれないのに、そんなことは言っていられない。

 港に着くと、すでに船上の侍女が下りてきていて、ノアに状況を説明した。



「リオニー王女ともみ合いの末、綱がかけられていなかった手すりの隙間から王子殿下が海へ落ちてしまわれたのです」



 ノアに告げられたのは、ヴィンセントの船からの転落だった。

 ノアもあの夜を思い出す。

 暗い海に渦巻く潮の勢い。

 それをものともせずに楽しんでいた自分。

 そう、人魚であったならば、またヴィンセントを助けられる。

 迷いはなかった。

 たくさんの兵士たちが松明を掲げ、黒い海を少しでも明るくしようとしている。

 ノアは走る。

 船へ向かって。

 そして侍女の言う手すりに目安をつけると、その真下に向かって飛び込んだ。

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