海の民の乙女 ─王妃になりそこなった少女─

時野みゆ

第50話 涙あふれて

「あなたがガンディアの王さまでなかったら、この船に乗って一緒に航海できるのにね」
 それは無理です、とリシャールが困ったように返答する。
「わたしは海のことは何も知らないし、第一、泳げません」
「そんなの、あたしが全部教えてあげるわよ!」
 梨華はリシャールの首に回す手に力をこめ、何度も眼を瞬《しばたた》かせた。自分でも驚くほど涙があふれて止まらなかった。
 今頃になって気づいた。こんなにも彼を好きになっていたことに。
 最初は港でからまれていた。危なっかしくて放っておけなかった。それから薔薇の花束かかえて船にやって来た。求婚なんてされたのは生まれて初めてだった。
 リシャールは子供をあやすように、梨華の背中を優しくさする。
「今なら心変わりしても、まだ間に合いますよ」
 ううん、と梨華は泣きながら首を横に振る。
「あたしは海の民の娘だもの。生き方は変えられない。でも、今だけ泣かせて……」
「あなたのことは決して忘れません、梨華」
 よく笑って、時には怒って、まぶしいほど溌剌《はつらつ》とした少女。王宮の兵に追われ、窮地にいた自分に手を差し伸べてくれた。梨華と船の人々がいなかったら、無実は証明できなかっただろう。
「あなたに会えてよかった」
「……あたしもよ」
 潮の匂いのする夜風に吹かれながら。二人は互いのぬくもりを心に刻みつける。
「出港する時、祝砲を撃つわ。立派な王さまになってね。またいつかガンディアを訪れたら、必ず会いにいくから」

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