海の民の乙女 ─王妃になりそこなった少女─

時野みゆ

第26話 来なかった王子さま

「今日は王子さま、来ないのね」
 陽が西に傾き始める頃、甲板に並んで港の景色を眺めながら、梨奈は姉に向かって寂し気に語りかけた。
「まあ、あれで第一王子だからね、忙しい時もあるんでしょ」
 妹にはさらりと答えてみたものの、実は梨華自身も同じ思いを抱いていた。
 応接間にはいつものようにお茶の用意がなされている。梨華と梨奈とリシャール、三人で過ごすひとときのために。
 ──あたし、リシャールを待ってる?
 自分の気持ちに己でも驚いたが、梨華はすぐに打ち消した。それは三人でお茶をするのが、すっかり習慣になってしまったせいだ。
 確かにリシャールといると楽しい。ちょっと頼りないけど、優雅な物腰で、聞き上手で、紳士だ。
 ──わたしはガンディアの国から出たことがないので……。
 はにかみながら小さく笑って、自分たちのしてきた航海の話を熱心に聞いてくれる。
 けれど。梨華は舞い上がろうとする心を押さえつけた。
 彼が本気だとしても不可能だろう。王族の端くれとはいえ、遠い東洋の異国の娘との結婚など、宮廷が認めるはずがない。
 そして梨華とて求婚に応えることはできない。
 自分は海の民だ。船で生まれた時から、ずっと。他の生き方などあり得ない。
 リシャールが預けていったサファイアの指輪は、今は金色の鎖をつけて上着の下、失くさないようしっかりと梨華の胸に下げられている。
 でもそれも近いうちに返さなくては。この指輪はガンディアの未来の王妃にふさわしい娘のものだ。
 あと十日もすれば、水軍はコンテッサを出港する……。

コメント

コメントを書く

「歴史」の人気作品

書籍化作品