離婚したので冒険者に復帰しようと思います。

黒蜜きな粉

8

 ナイフは相手の額に突き刺さった。
 ライラはてっきり自分の攻撃は避けられると思っていた。気配もなく背後に立つことのできる技量がありながら、ライラの攻撃を受けた相手に違和感を覚える。

 相手はナイフを額に突き立てたまま、その場にどさりと音を立てて倒れ込んだ。ライラは薄気味悪いと思いながらも、襲ってきた相手の顔を覗き込む。

「──っこいつ ︎」

「お知り合いですか?」

「ええ。いつも私に難癖をつけて突っかかってくる奴らなのだけど……っ!」

 倒れていていたのはハチから警告されていた例の冒険者連中の一人だった。
 ライラは倒れている男から慌てて離れると、エリクの元へ駆け寄って背中を預ける。

「ねえ、あなたはこいつらの気配を感じた?」

「まったく気が付きませんでした。こうして姿を見せられてもそこにいる気配を感じません」

 ライラが倒れている男を確認しているとき、森の中から残りの冒険者たちが姿を現した。彼らの姿が視界に入るまで、そこにいることに気が付くことができなかった。
 新たに現れた冒険者たちも、少年と同じように生気がなく目が虚ろだ。

「どうも何かがおかしいわよ。こいつらはこんな芸当ができる奴らじゃないわ」

「それを言うならあの女もです」

 ライラの正面には冒険者が四人、エリクの前にはエセリンドと少年がいる。
 不気味な連中に囲まれてしまった。ライラはどうするべきかと周囲の様子をうかがいながら必死に考える。
 
「……ところでライラ殿。腕の怪我は大丈夫ですか?」

「こんなのはかすり傷よ」

 ライラは問題ないと答えるが、エリクは念のためだと回復魔法をかけてくれた。
 この状況下での彼の冷静な態度にライラは安堵する。おかげで気持ちが落ち着いた。
 
「まあ、本当に仲がよろしいこと。妬けてしまいますわ」

 エセリンドが低い声で恨めしそうに言う。
 ライラはエセリンドに背を向けているので様子はうかがえないが、恐ろしい形相で睨みつけられていることが想像できた。

「まあ、今はいいわ。アンタとは後でゆっくりと……」

 エセリンドはねっとりとした口調でそう言うと、くすくすと笑いだす。

「……さあ、こちらにいらっしゃい」

 エセリンドが楽しそうに手を叩く。
 すると、ナイフが額に刺さって地面に倒れていた冒険者の男がすっと起き上がった。
 まるで糸で操られているかのように手足をバタバタと動かしている。
 ナイフを額に差したまま、男は虚ろな瞳でエセリンドの元へ向かう。
 ライラは男の動きを目で追った。そのままエセリンドを横目でうかがう。

「まあ、可愛げのない方ね」

 ライラと視線が合うと、エセリンドが鼻で笑ってから声をかけてきた。

「ナイフが額に刺さったままの人間が急に動き出したら、悲鳴の一つでも上げられないものかしら……?」

 エセリンドはライラを軽蔑するようなまなざしで見つめてくる。ライラは余裕たっぷりに微笑んだ。

「この程度じゃ驚けないのよ。ごめんなさいね」

「面白みのない方ね。エリク様、この女のどこがよろしいのですか?」

 エセリンドは身体をくねらせて甘えるような声を出す。 
 エリクは表情一つ変えず冷静に口を開いた。

「お前の目的はなんだ?」

 エリクの態度にエセリンドは拗ねたような顔をして肩をすくめた。

「ただのご挨拶ですわ」

 エセリンドはそう言うと、もたれかかっていた少年から身体を離した。彼女は背筋を伸ばして凛と立ちすくむと、柔らかい笑みを浮かべて話だした。

「ここ最近、軍が血眼になって私のことを探してくださっているようですから。忠告をしに来たのですわ」

 美しい女性の姿がそこにある。
 一見すると優しく穏やかな人物に見える。しかし、よく見れば牙を隠した恐ろしい生き物だということがわかる。

「私を探すのはもうおやめください。私のやることを詮索するのもおやめください」

 エセリンドはお辞儀をした。
 その仕草は、まるでこれから芝居でも始めるかのように陽気で軽快な動きだった。

「私はエリク様が傷つくようなことになったら悲しいのです。ですから、これからは私のやることに目をつぶって頂けると嬉しいですわ。ご忠告申し上げましたからね?」

 それだけ言い残して、エセリンドはこちらに背を向ける。
 彼女が歩き出すと、少年と冒険者たちもよろよろと森の中へ向かっていく。

 このままでは逃げられるのはわかっていた。
 しかし、追いかけることはできなかった。

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