離婚したので冒険者に復帰しようと思います。

黒蜜きな粉

「……はあ、何か勘違いをなさっているようですわね」

 ため息まじりにライラが口を開くと、女がぎろりと鋭い視線をこちらに向けてくる。彼女はそのまま再びライラへの罵詈雑言を並べ立てはじめた。
 気が済むまで言わせておいてよいかとも思ったのだが、いつまで経っても女の罵倒が止まらないので、仕方なく口を開いた。

「昨晩の旦那さまは書斎に立ち寄られただけで、すぐ城にお戻りになったそうですわ。私は寝ていたので、旦那さまが帰宅したことにすら気付きもしませんでしたわ」

 ライラはいまにも飛び掛かってきそうな女の様子にかまわずに、執事から聞いたことをそのまま簡潔に伝えた。

 ライラの言葉を聞いて、女は醜く顔を歪めた。こちらの言っていることが本当なのか疑うような目で見つめてくる。
 ライラは女とのこのやり取りがくだらないなと思いつつ、できるかぎり態度には出さず落ち着いて話を続けた。

「私はとっくに旦那さまに愛想を尽かされた身です。それはあなたが一番ご存じでしょうに、何をご心配なさっておられるのですか」

「──っは、それもそうね。あははははははは、そりゃそうよねえ 」

 ライラが淡々と話し終えると、女が狂ったように笑い出した。
 すると、女にしがみついていた使用人たちが、気味が悪そうに顔をくもらせる。使用人たちはそっと女から手を離して拘束を解いた。

「ふふふふふふふ。ああ、嫌だわ私ったら。こんなことで取り乱して情けないですわ。あなたみたいな可愛げのかけらもない年増がクロードさまに愛されているわけがないものねえ?」

 女はライラを馬鹿にするように笑い続けている。

 そんな女から、ライラはそっと視線を逸らした。
 そして、食堂の窓に映った自分の姿を見てため息をついた。
 まだ朝だというのに、何度こうして息を吐きだしてしまったのだろうかと嫌な気持ちになる。

「……おっしゃる通りだわ。私はあなたのように若くも美しくもないものね」

 ライラがクロードと結婚してから五年の月日が過ぎた。
 今でも結婚式のときの情景は、目を閉じると頭の中に鮮明に浮かんでくる。

 五年前のあの日に鏡に映ったライラの姿は、本当に美しかったと断言できる。
 自信に満ち溢れ、これから訪れる未来の日々に希望を持っていた。
 クロードから愛されているという喜びで、自然と無邪気な笑顔がこぼれていた。

 しかし、今の食堂の窓に映るライラの姿にその面影はない。頼りなさそうでとても疲れ切った顔をしている。

 頬はこけ肌色が悪く、茶色の髪は艶がなくぼさぼさだ。
 身に着けている物ばかりが高価な品物で、なんとも滑稽な姿だなと呆れてしまう。

 ため息ばかりつくライラを見て、愛人は自由になった手を腰に当てて踏ん反り返った。

「ふん! わかっているならさっさと別れてちょうだいよね。いつまでもあなたみたいな女がクロードさまを縛り付けておくなんて……。まったく、本当にみっともないったらありゃしないわね」

 女は得意げにそれだけ言うと、ライラに背中を向けて食堂から颯爽と去って行った。彼女を追うように食堂へやってきた使用人たちも慌ただしく出て行ってしまう。

 室内に残ったのはライラと執事の二人きりだ。

「はあ。旦那さまもとんだ女に惚れたものね」

 ライラは腕を組んで深く息を吐きながらぼやいた。
 すると、そばに立っていた執事がひどくうろたえた様子で、再び必死に額の汗を拭いながら愛想笑いを浮かべる。

「あらあら、私も似たようなものだって顔に出ているわよ?」

 愛想笑いをするだけで何も言わない執事に、ライラは意地の悪い笑みを浮かべて声をかけた。
 執事は途端に顔を真っ青にして俯いてしまう。
 ライラはそんな執事を残して、自分もさっさと食堂をあとにした。

「……まったくあの女。簡単に別れろなんて言ってくれたけれど、いざ別れるとなったら手続きだって楽じゃないってのに。ちゃんとわかって言っているのかしらねえ? まったく困ったお方だわ」

 侯爵家の嫡男であり、軍でもそれなりの役職に就いているクロードは、離婚など外聞が悪いと言い張っている。
 どんなにライラが別れたいと訴えても、手続きの煩雑さもあって、ちっとも話を取り合ってはくれないのだ。

「そもそもクロードが私と顔を合わせることから逃げているから、ちっとも離婚の話が進まないんだっての。こっちに帰ってきたなら顔くらいみせろってのよ」

 クロードは、離婚の話し合いには頑なに応じない。
 だというのに、社交の場にはさきほどの愛人同伴で出席しているのだから、ライラとしてはどうにも納得がいかない。

 表に出せない、妻としての役割も果たせない。そんな女は侯爵家に必要ないではないか。
 ここ数年の間、ライラはやりきれない思いを抱え悶々として過ごしていた。

 しかし、ライラのやりきれない日々は、ある日を境に意外とあっさり終わりを告げたのだった。

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