ついのすみか
長い付き合い
4か月ぶりの投稿になります。
もう介護職ではないし、朝2時間だけの周辺業務。2ユニットの配膳とシーツ交換、片付け等……
時間に追われ、入居者さんとあまり話すこともなくなり(会話できる方も少ない)ユニットの雰囲気も以前とは変わってきた。
しばらく前のこと。
モクレンさんは、元気な(?)ときは器用で、配膳を手伝っていた。テーブルの上で10人分の副菜を分けてもらう。(座ったまま)
今では100歳のカリンさんも、亡くなったヒイラギさんもやっていた。
スタッフが分けるより時間はかかるが、ユニットは本来、皆でやりましょう、というところなのだ。
モクレンさんは脳梗塞を起こしてから、ソフト食。左手で食べるが半分はこぼす。介助してしまえば早いのだが、時間はかかっても自分で食べていただく。
私がシーツ交換に入るときだった。異変が起こった。モクレンさんの意識がなくなった。
早番はベテランの女性だった。部屋に連れ戻り寝かせ、ナースに連絡。救急車を呼ぶ。
パートの私は他の人達の見守り。
救急隊員はすぐに来たが、救急車が出払っているとかでなかなか来ない。あたふたアタフタ。課長も様子を見にきた。
担架が通れるようにテーブルをずらし、うろつくネコヤナギさんに、部屋にいるようお願いしたが、ネコヤナギさんは何度も出て来て、通り道を塞ぐ。
「ネコヤナギさん、ネコヤナギさん、お部屋にいてください」
と、車椅子を押して部屋に戻っていただく。そんなことを何度かやって、ずいぶんたってようやく救急車到着。
職員は病院までついていく。
よそのユニットから応援が来る。ただでさえ、手が足りないのに大変だ。
この対応は、たまたまベテランさんだからすんなりできたが、新人だったら?
パートだけのときもある。もしくは、排泄等で離れているときだったら?
モクレンさんはしばらく入院した。そうなると状態はわからない。現場まで伝わってこない。
しかし、ひとりいなければ、その分職員は楽になる。
あの、ネコヤナギさんも何度か熱発し入院し、衰えて戻ってきた。
食事はソフト食に。味噌汁は具なしで、とろみ剤の量も増えた。おまけにこぼすので、熱いものは出せなくなった。
食べることだけが楽しみなのに。
「熱いのくれ」
と、不自由な言葉で言ってたのに。
わがままだったネコヤナギさんがおとなしくなった。私が排泄介助していた方が、今では『ふたり介助』になり隣のユニットの職員に来てもらう。
頬がこけ、居眠りしている時間が多くなった。まだ、70歳前半だ。
うちのユニットでは車椅子で自走できるのはふたりだけになってしまった。男女ひとりずつ。ストイックな男性ポプラさんと、帰宅願望の女性アカマツさん。
アカマツさんの部屋のタンスの中は空っぽだ。帰るからと、服はビニール袋に入れてある。
「帰りたい」
が口癖だ。日に何度も聞かれる。
「今日、帰れるかしら?」
きつい職員がいる。
「帰りたいのよ〜」
と、切実な願いに、
「帰んなっ! 帰っていいよっ!」
その言い方はないだろう? と思うが、
「帰れないよ〜」
と、漫才みたいになる。
これも毎度のことだ。
職員も強いが、アカマツさんも隣の席のイロハモミジさんがいると強い。
「牛乳もらってない」
私が出勤すると言った。朝は牛乳を120ccお出しする。空になったカップが置いてあるのに言う。
イロハモミジさんも言う。
「なんにももらってない」
からっぽのカップをふたつ下げ、
「聞いてみますね」
と誤魔化す。職員に言ったらどうなる?
「飲んだでしょ!」(嘘つかないでください)
くらいのことはいいそうだ。
先日、入院していたネコヤナギさんが亡くなった。
ひと月くらい前に入院して、そのまま年を越した。詳しい状況はわからない。誰も話さない。日誌は白紙のまま。iPadのユニットの10人の名前からは消えていた。
以前はサイボーズてお知らせがあったのに。今は家族葬が多く、葬儀のお知らせもない。
8年の付き合いのネコヤナギさんが消えてしまった。ずっと入院していたので実感がない。実感がないまま亡くなった方が多い。
次に入る方はすでに決まっている。ショートステイを利用していた方だ。
ベテランの女性職員は、
「大変な人が入ってくるよ」
と言った。
ショートステイから異動してきた若い男性職員に聞くと
「ヤバいっすよ」
と。
ヤバいのは、立ち上がって転倒してしまう方だ。記録を見ても、転倒、転倒。
今でさえ、大変なのに……
どう対処せよ、と?
ネコヤナギさんは30代で脳梗塞。親御さんがずっと家で介助していたが、亡くなったのでうちの施設に来た。
支払いは障害年金から。
もう介護職ではないし、朝2時間だけの周辺業務。2ユニットの配膳とシーツ交換、片付け等……
時間に追われ、入居者さんとあまり話すこともなくなり(会話できる方も少ない)ユニットの雰囲気も以前とは変わってきた。
しばらく前のこと。
モクレンさんは、元気な(?)ときは器用で、配膳を手伝っていた。テーブルの上で10人分の副菜を分けてもらう。(座ったまま)
今では100歳のカリンさんも、亡くなったヒイラギさんもやっていた。
スタッフが分けるより時間はかかるが、ユニットは本来、皆でやりましょう、というところなのだ。
モクレンさんは脳梗塞を起こしてから、ソフト食。左手で食べるが半分はこぼす。介助してしまえば早いのだが、時間はかかっても自分で食べていただく。
私がシーツ交換に入るときだった。異変が起こった。モクレンさんの意識がなくなった。
早番はベテランの女性だった。部屋に連れ戻り寝かせ、ナースに連絡。救急車を呼ぶ。
パートの私は他の人達の見守り。
救急隊員はすぐに来たが、救急車が出払っているとかでなかなか来ない。あたふたアタフタ。課長も様子を見にきた。
担架が通れるようにテーブルをずらし、うろつくネコヤナギさんに、部屋にいるようお願いしたが、ネコヤナギさんは何度も出て来て、通り道を塞ぐ。
「ネコヤナギさん、ネコヤナギさん、お部屋にいてください」
と、車椅子を押して部屋に戻っていただく。そんなことを何度かやって、ずいぶんたってようやく救急車到着。
職員は病院までついていく。
よそのユニットから応援が来る。ただでさえ、手が足りないのに大変だ。
この対応は、たまたまベテランさんだからすんなりできたが、新人だったら?
パートだけのときもある。もしくは、排泄等で離れているときだったら?
モクレンさんはしばらく入院した。そうなると状態はわからない。現場まで伝わってこない。
しかし、ひとりいなければ、その分職員は楽になる。
あの、ネコヤナギさんも何度か熱発し入院し、衰えて戻ってきた。
食事はソフト食に。味噌汁は具なしで、とろみ剤の量も増えた。おまけにこぼすので、熱いものは出せなくなった。
食べることだけが楽しみなのに。
「熱いのくれ」
と、不自由な言葉で言ってたのに。
わがままだったネコヤナギさんがおとなしくなった。私が排泄介助していた方が、今では『ふたり介助』になり隣のユニットの職員に来てもらう。
頬がこけ、居眠りしている時間が多くなった。まだ、70歳前半だ。
うちのユニットでは車椅子で自走できるのはふたりだけになってしまった。男女ひとりずつ。ストイックな男性ポプラさんと、帰宅願望の女性アカマツさん。
アカマツさんの部屋のタンスの中は空っぽだ。帰るからと、服はビニール袋に入れてある。
「帰りたい」
が口癖だ。日に何度も聞かれる。
「今日、帰れるかしら?」
きつい職員がいる。
「帰りたいのよ〜」
と、切実な願いに、
「帰んなっ! 帰っていいよっ!」
その言い方はないだろう? と思うが、
「帰れないよ〜」
と、漫才みたいになる。
これも毎度のことだ。
職員も強いが、アカマツさんも隣の席のイロハモミジさんがいると強い。
「牛乳もらってない」
私が出勤すると言った。朝は牛乳を120ccお出しする。空になったカップが置いてあるのに言う。
イロハモミジさんも言う。
「なんにももらってない」
からっぽのカップをふたつ下げ、
「聞いてみますね」
と誤魔化す。職員に言ったらどうなる?
「飲んだでしょ!」(嘘つかないでください)
くらいのことはいいそうだ。
先日、入院していたネコヤナギさんが亡くなった。
ひと月くらい前に入院して、そのまま年を越した。詳しい状況はわからない。誰も話さない。日誌は白紙のまま。iPadのユニットの10人の名前からは消えていた。
以前はサイボーズてお知らせがあったのに。今は家族葬が多く、葬儀のお知らせもない。
8年の付き合いのネコヤナギさんが消えてしまった。ずっと入院していたので実感がない。実感がないまま亡くなった方が多い。
次に入る方はすでに決まっている。ショートステイを利用していた方だ。
ベテランの女性職員は、
「大変な人が入ってくるよ」
と言った。
ショートステイから異動してきた若い男性職員に聞くと
「ヤバいっすよ」
と。
ヤバいのは、立ち上がって転倒してしまう方だ。記録を見ても、転倒、転倒。
今でさえ、大変なのに……
どう対処せよ、と?
ネコヤナギさんは30代で脳梗塞。親御さんがずっと家で介助していたが、亡くなったのでうちの施設に来た。
支払いは障害年金から。
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