追放騎士のダンジョン探索記

ibis

22話

「──ケインが体調不良?」

 ──翌日の早朝。『第一区画』の『地界の迷宮ダンジョン』前。
 アクセルの言葉を聞いたシャルロットは、形のいい眉を寄せた。

「あァ。どうにも体調が良くねェって言っててよォ。オレァケインの看病をするから、今日は探索できねェ」
「そう……なら、仕方がないわね」
「ンじゃ、オレァ戻るぞォ」
「……ねぇ」
「あァ?」
「なんであなた、そんなにボロボロなの?」

 『地界の迷宮ダンジョン』前に現れたアクセルは──服がボロボロだった。髪もボサボサで、顔は砂埃で薄汚れている。
 おまけに、アクセルの体には複数の斬り傷が見られた。それも、葉っぱで切ったとか料理をしている時に包丁で切ったとかいう感じではない。間違いなく、戦闘中に鋭利な物で斬られたような傷ばかりだ。

「……ちょっと、なァ……」

 アクビを漏らし、アクセルがきびすを返す。
 ──結局、あのリンゼとかいう女が諦めるまで、戦闘は続いた。
 終わったのは太陽が見え始めた時間。しかもどちらかが勝ったというわけではなく、リンゼが店の用意があると言って撤退した事により戦いは終わった。
 ──勝てなかった。
 ギリ、とアクセルは拳を固く握り締める。
 しかも、自分が戦っている間に、ケインは目的の少女を見つけたと言っていた。
 一体自分は何をしているんだ? 自分のワガママでケインに付き合ってもらったのに、自分は何をしていた? 一つでも店に入って銅竜人の少女がいるか聞けたか? 道ゆく人に銅竜人の情報を訊ねたりしたか?
 ──してない。何もしていない。何もできていない。
 ギリギリッ、と拳を握る力が強くなった。
 すうっと息を吸い込んで自身への怒りを抑え込み、シャルロットに向かってヒラヒラと手を振る。

「ンじゃ、また明日なァ」
「……えぇ」

 ──どう考えても様子がおかしい。
 早く会話を切り上げて帰りたがっているアクセルの様子に、シャルロットは違和感を感じていた。
 アクセルは強い。それこそ、対人戦においてはシャルロットと同等か、それ以上に。
 そんなアクセルが、傷を負っている。しかも、早朝とはいえ異様に眠たそうにしている。かと思ったら、今度はどこか悔しそうに顔を歪めていた。
 様子が変だ、では片付けられない。明らかに、何かがあった。
 しかも、それをシャルロットに話そうとしない。とにかく会話を早く終わらせ、帰りたがっている。
 何があったのか──アクセルの背中を見ていたシャルロットは、急に吹いた風に髪を押さえた。

「──うん……?」

 ──ふわり、と。吹き抜ける風が、シャルロットの鼻を撫でた。
 風の吹いた方向は、アクセルから自分に向かって。早朝のため、シャルロットとアクセル以外の『探索者』の姿はない。『探索者補助隊カバーズ』の人々がテントの周りにポツポツいる程度だ。
 だから──鼻を刺激するこの臭いは、アクセルのものだ。

「……香水……?」

 ──長時間リンゼと戦闘をしていたアクセルの衣類や髪には、『第九区画』に漂う複数の香水の香りがベットリと染み付いていた。当然、当のアクセルはその香りに慣れているため、気づく様子はない。
 だが、シャルロットの嗅覚を刺激するには十分だった。

「……………」

 ──香水……しかも、何種類も……この都市で香水の匂いが染み付くような場所は、『第九区画』……しかし、アクセル一人で行けるような場所ではない……だとすれば、ケインと一緒に行った……アクセルの傷は、『第九区画』で負ったと考えられる……あの場所で、傷を負う……アクセルほどの実力者が、『第九区画』で傷を負う……『第九区画』は《女戦士の園アマゾネス》の縄張り……となれば、アクセルの傷は《女戦士の園アマゾネス》によって付けられた……しかし、そこらの『探索者』ではアクセルにあそこまで傷を付けるのは難しい……となれば、《女戦士の園アマゾネス》に所属している『探索者』で、それができるのは二人──

「……何をしているんだか」

 どうやら、厄介な事に巻き込まれているようだ──呆れたようにため息を吐き、シャルロットはこっそりアクセルの後を追った。

─────────────────────

「──はぁ?! 売れたぁ?!」
「……申し訳ない」

 アクセルがシャルロットと別れたのと同時刻。
 再び銅竜人の少女を売っていた店に来たケインは、怒号と共に手のひらをカウンターに叩き付けていた。
 今のケインは、背嚢も魔剣も持っていない。銅竜人の少女を買いに行くだけのため、必要がないと思って宿に置いて来た。

「どういう事だ?! 俺に売るって予約だっただろ?!」
「……ソフィアさんに、強制的に持って行かれた……本当に、申し訳ない……」
「じゃあ持って来た百五十万ゼル無駄じゃねぇか!」

 頭を抱え、その場に座り込んでしまう。
 ──売れた? 昨日の今日で? あの奥深くの部屋にいた少女が?
 あり得ない。それこそ、何度もこの店に来ている客でないと、店の奥に部屋があるなんてわからない。
 ……いや。この店主は、固定客に奴隷を売っていると言っていた。何度も店を利用している固定客ならば、あの奥の部屋を知っていても不思議ではない。
 そして──ケインは、ソフィアに会った。そしてこの男は、ソフィアに持って行かれたと言った。疑う余地もない、固定客というのはソフィアだろう。

「ああクソもういいわかったッ! あの奴隷はいくらで買って行ったんだ?!」
「え……?」
「だから! あの奴隷はいくらでソフィアに買われたんだ?!」
「……五人の奴隷で五百万ゼルだったから……一人百万ゼルだな」

 店主の男の言葉を聞き終えるや、ケインは持っていた五つの革袋をカウンターの上に叩き付けた。

「なら! ソフィアよりも多く金を払った俺──百五十万ゼル出す俺があの奴隷をこの後どうしても俺の自由だよなぁ?!」
「は……? なんで……?」
「どうなんだ?! 文句あるか?!」
「い、いや、そもそもお前が予約していた奴隷だし、別に文句もないが……」
「なら決まりだな! あの奴隷の所有権は俺! いいな?! 俺は予約していて、しかも購入者ソフィアよりも高い金額を出した! その俺が! 今からアイツの所有者だ!」

 パンパンに膨れた五つの革袋を置き、ケインは店を後にする。
 ──あの奴隷が買われた。
 最悪だ。想定していた最悪の想定は──ケインの貯金の四分の一である百五十万ゼルでも金額が足りない、というものだった。
 この現状は、想定すらしていなかった。予想外にも程がある。最悪中の最悪だ。

「──ケイン!」
「アクセル……悪い。どうやら先を越されたみたいだ」
「……どういう事だァ?」
「俺はあの銅竜人を予約をして、店を出た。その後、とある『銅級ブロンズ』の『探索者』があの子を強制的に買って行ったらしい」
「ンなら──」
「買って行ったのは《女戦士の園アマゾネス》の『探索者』だ。今頃、あの子は《女戦士の園アマゾネス》の生活拠点ホームにでも連れて行かれてるんだろうな」
「マジかよォ……」

 悔しそうに拳を握るアクセル。
 ケインだって悔しい。助けてやると、その檻から出してやると言った少女が、こうしていなくなってしまったのだから。
 思わずアクセルから視線を逸らし、顔を俯かせてしまう。
 …………師匠……師匠。俺は、どうしたらいいんですか。
 最大限、自分にできる事はやりました。それでも、ダメでした。最大限を尽くしても、ダメだったんです。
 教えてください、師匠。俺はどうしたらいいんですか? やれる事はやりました。それでもどうにもならない場合は、どうしたらいいんですか? あなたに、そんな時の対処法は教えてもらってないですよ。

『──ああ? 俺っちに付いて来るつもりか、ガキンチョ? ……まあ、別にいいけどよ』

 いつの日の記憶だろうか。悔しさに頭が燃えてしまいそうなケインの脳裏に、その追憶こえは続ける。

『んなら、今からお前は俺の弟子だ。俺っちの事は師匠って呼べ。んで、俺っちに付いて来るなら、三つルールを付ける。俺っちが大切にしてるルールだ。これを破ったなら、お前は俺っちの弟子でも知り合いでも何でもない』

 記憶に鮮烈に残る青色の竜鱗を纏う『竜人族ドラゴニュート』は、赤い瞳を笑みの形に歪めた。

『まず一つ。女と子どもは守ってやれ。女は全員、子どもは……そうだな、自分よりも年下の奴は、全員だ。どれだけムカつくクソガキでも、どれだけ嫌いなクソガキでもな。んでもって二つ。絶対に死ぬな。俺っちの目の前でも、俺っちの目が届かない場所でも、勝手に死ぬのは許さねぇ。例えパーティーメンバーに裏切られても、仲良くなった友人に利用されても、知らない奴にどれだけの罵詈雑言を浴びせられたとしても、絶対に死ぬな。どれだけ無様だとしても、必死で生き抜け』

 そして──

『最後に三つ。約束だけは死んでも守り抜け。嘘を吐いてもいい、誤魔化してもいい、騙し討ちをしたっていい。だが、約束だけは守れ。それが人として──いや、男として生まれた俺っちのルールだ。弟子になるってんなら、このルールは守ってもらうぜ?』

 三つの指を突き立てる『竜人族ドラゴニュート』は、楽しそうな笑顔を見せていた──だが、どこか悲しさを滲ませる笑顔だった。

『んでこのルールを破ったら、さっきも言った通り、お前は俺っちの弟子でも知り合いでも何でもなくなる。つまり、俺っちが私怨に任せてお前を殺したとしても、お前の死体を『地界の迷宮ダンジョン』に捨てておけば、すぐにモンスターがお前の死体を食ってくれるだろうよ。これで証拠隠滅、俺は晴れて無実の身だイエーイ──ってなるわけだ。頼むから、俺っちにそんな事はさせてくれるなよ? 生まれて初めてできた弟子なんだ、お前は。まあ、俺っちがお前に同情したってのはあるけど──お前は、生き汚い奴だからな。二つ目の約束は守ってくれそうだけど、他の約束は守ってくれなさそうだ。だから、枷を付ける』

 そう言った『竜人族ドラゴニュート』は、少年の首裏に何かを埋め込んだ。
 痛みに顔を歪める少年に、『竜人族ドラゴニュート』は悪びれた様子もなく笑う。

『お前に音響石を埋め込んだ。かなり上質なやつな。普通の音響石と違って、お前の言葉は俺っちに全部聞こえるってわけだ。お前が三つのルールを破らないための枷、って事。俺っちが出張らないでいいようにしてくれよ?』

 バッと、ケインは勢いよく顔を上げた。
 ──ああ、そうだ。
 一つ目の約束。女と子どもは守ってやれ。そうだ、だから俺はあの銅竜人の少女を助けようとした。だけど、俺の持てる全てを使ってもどうにもならなかった。
 三つ目の約束。約束は死んでも守り抜け。そうだ、だから俺は銅竜人の少女を助けると約束して、俺の持てるいざという時のための貯金の四分の三を使おうとした。だけど、それでも遅かった。

「……アクセル、行くぞ」
「行く、ってェ……どこにィ?」

 ──二つ目の約束。絶対に死ぬな。そうだ、死ななければいい。死ななければ、他の二つのルールさえ守っていれば、師匠との誓いを破る事にはならない。
 そう──死ななければ、いいのだ。

「──《女戦士の園アマゾネス》の生活拠点ホームに殴り込みだ」

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