追放騎士のダンジョン探索記
3話
──『地界の迷宮』の三階層を歩きながら、ケインは眉を寄せた。
「……おかしい」
三階層は二階層までと変わり、『魔法師』としてそれなりに動けるケインでも、脅威に感じるモンスターがそこかしこに徘徊しているはず。
そう……そのはず、なのだが──
「……モンスターが、いない……」
それどころか、『探索者』の姿も見当たらない。皆、四階層にいるという魔獣に恐れをなして探索を中止しているのだろうか。
いや、違う。『探索者』は生き汚い人間。周りの『探索者』がいなくなったのを好機に、我が物顔で副産物を回収して回っているはず。
ならば、何故『探索者』の姿が見当たらないのか──
「……クソッ……ここもかよ」
血溜まりの中に沈む肉塊を見て、ケインは不愉快そうに顔を背けた。
──わかっている。ああ、わかっているさ。
ここまでの道中、三階層で幾度となく見た肉塊は──全て『探索者』の遺体であると。
そして──三階層でここまでの『探索者』が死んでいるのは、明らかに異常事態であると。
そう、それは、つまり──
「四階層にいたはずの魔獣が、三階層に上っている……」
その言葉を口にし、ケインは大きく体を身震いさせた。
──落ち着け。大丈夫だ。
いつも通りを崩すな。いつものスタンスを守れば、死ぬ事はない。
胸に手を当て、大きく深呼吸。
そして、亡くなっている『探索者』の遺体の前に座り、自身の背嚢から布切れを取り出した。
「……悪いな。花は持ってないんだ」
肉塊と化した『探索者』の顔に、持っていた布切れを被せる。
性根が腐っている『探索者』ならば、亡くなった『探索者』の持ち物を漁ったりするのだが──それをケインは良しとしなかった。
生き汚く『探索者』として生計を立てているケインにも、最低限の良心はある。
「にしても……」
膝を払いながら立ち上がり、ケインは鋭く青色の瞳を細めた。
──ここまでに見つけた『探索者』パーティーは六組、『探索者』の数は二十一人。その全てが殺されている。
殺され方は様々であるが──鋭利な刃物で斬り裂かれた者と、黒焦げになって絶命している者が多い。
武器を使うか、鋭い爪や牙を持っている。『炎魔法』を使うか、その魔獣の性質として炎を使う事ができるか。
「……ダメだ。どの魔獣か絞り込めねぇ……」
諦めたように苦笑を漏らし、ケインが探索を再開しようと──して。
──ゴオッと、熱い風が頬を撫でた。
「……ん……?」
今のは……気のせいだろうか?
『地界の迷宮』内で風が吹く事はない。もしも風を感じたとしても、『風魔法』だったり『探索者』の魔道具だったりする。
──ゴオッ……
再び全身を襲った熱波に、ケインは警戒心を最大にまで引き上げた。
「……近いな」
熱波の発生源は、ケインから見て左手側の通路の先。
であれば、それを避けるのは当然。
熱波の主に気づかれないよう、二階層への階段を目指し──何かが、ケインの前を横切った。
そして──ズンンッッ!! という重々しい衝撃音。
一体何が──慌てて飛んできた何かに視線を向け、ケインは固まった。
「ふッ……ぐ、ぁ……!」
「マジかよ……! オイアンタ! 大丈夫か?!」
吹き飛んできたのは──女性だった。
腰まで伸びる綺麗な金髪に、美しい碧眼。
手には細身の剣を持っており、『探索者』である事は明らかだ。
──その女性の腹部から、ドクドクと真っ赤な血が溢れ出ている。
先ほどまでの『探索者』の遺体と同じ、鋭利な刃物で斬り裂かれたかのような傷──背嚢から緑色の液体が入った瓶を取り出したケインは、その中身を女性の腹部にぶち撒けた。
「うぁッ──」
「回復薬だ! 痛いかも知れないが我慢し──ろ……って……」
苦痛に歪む女性の顔を見たケインは──固まった。
──この人、知っている。というか、『探索者』ならば知らない者はいないだろう。
「……『探索者 銅級』……シャルロット・アルルヴィーゼ……?」
「わ、たしの……事を……知っている、の……?」
当然だ。知らない方がおかしい。
──『探索者』の中には、尋常ならざる力を持つ者がいる。
『複種魔法師』だったり、特殊な魔法を使えたり、生まれながらにして【異能力】と呼ばれる特異な力を持つ者だったり──そうした者の中でも、さらに突出した力を持つ『探索者』に、『探索者組合』は階級を設けた。
『金級』、『銀級』、『銅級』──星の数ほど存在する『探索者』の中でも、一握りしか与えられない階級持ち。
それが──目の前にいる、シャルロット・アルルヴィーゼという『銅級』の『探索者』だ。
「な、何があったんですか?! あなたほどの『探索者』がッ、なんでここまで──」
「──ァアアアアアアアアアッッッ!!!」
ケインの問い掛けは、通路の奥から響いた咆哮によって掻き消された。
そして──ズシンッ……ズシンッ……と、地鳴りのような足音。
咆哮を聞いて固まってしまっているケイン──その肩にポンと手を置き、シャルロットは小さく微笑を見せた。
「助かったわ。ありがとね」
「……ア、ルルヴィーゼさん……コイツって、まさか……」
恐怖に震える声を漏らしながら、ケインは現れたソイツを見上げた。
──『地界の迷宮』の天井にまで届きそうな巨体。全身を覆う赤色の鱗。四肢から生える鎌のような剛爪。凶悪な牙が生え揃った口から漏れる紅蓮の炎。背中から伸びる飛翔するための竜翼。蛇のようにうねる棘の生えた尻尾。
そして──魔獣化している事を示す、赤紫色の眼光。
今まで一度も遭遇した事のない魔獣──否、モンスターとしてでも、ケインはソイツと相対した事はなかった。
それもそうだろう。目の前のモンスターは、三十階層以降でのみ目撃情報があった存在なのだから。
「……フレア・ドレイク……?!」
──フレア・ドレイク。
階級持ちの『探索者』ですら、戦う事を避けるモンスター。ベテラン『探索者』程度では、逃げる事すら許されない。
そんなフレア・ドレイクが──魔獣化して、今ケインを見下ろしている。
「ちょっと、しっかりしなさい」
「はっ、あ……はい!」
「動けるわね? なら、私がアイツに突っ込んだら、二階層の階段に向かって走りなさい」
「えっ──ア、アルルヴィーゼさんは……?」
「応援が来るまで足止めするわ。そろそろ、さっき逃がした『探索者』たちが『探索者組合』に報告している事だろうし。あなたも『探索者組合』に報告をして応援を呼んできて──『エンチャント・ウィンド』」
細剣を構え──その剣身から、思わず目を閉じてしまうほどの風が吹き荒れる。
それを見たフレア・ドレイクが、赤紫色の瞳を細めて低い唸り声を漏らした。
──この人、戦うつもりだ。
ただでさえ強敵なフレア・ドレイク。それが魔獣化している状態。最低でも階級持ちの『探索者』が三人は必要な相手。しかも、シャルロットは一度殺されている。たまたまケインがいなければ、あのまま死んでいただろう。こうして立ち上がる事も、剣を構える事すらできなかった。
なのに──何故、立ち向かおうとするのか。何故、逃げようとしないのか。
「ッしぃ──ッ!」
「ガアッ──ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
一歩、シャルロットが踏み込んだ。
直後──まるで瞬間移動したかのように、フレア・ドレイクの眼前にシャルロットが現れる。
そのままフレア・ドレイクの目に細剣を突き刺さんと、シャルロットが刺突を放つが──すぐにフレア・ドレイクが頭部を動かし、細剣の切っ先を鱗で弾き返した。
間髪入れず、空中にいるシャルロットを斬り裂かんと剛爪を振り抜き──
「チッ──し、ぃッ!」
シャルロットが空中で体を捻り、迫る剛爪に靴裏を向けた。
そして、シャルロットの靴裏とフレア・ドレイクの剛爪がぶつかった──瞬間、シャルロットが再び瞬間移動したかのように地面に降り立った。
──シャルロット・アルルヴィーゼの有する【異能力】、その名を【瞬歩】。
地面に足を付けている状態であれば、瞬間移動をする事が可能な【異能力】だ。ただし、移動距離は使用者の練度によって変わる上、熟練者でも十メートルほどの距離しか詰められない。
今のシャルロットは、フレア・ドレイクの剛爪を足で踏んだ事で、そこを足場として認識し──【瞬歩】を発動して距離を取った、という事だ。
「ガオッ──ォォォォォォォォォォォ……ッッ!!」
シャルロットを見下ろすフレア・ドレイク──その口から、紅蓮の炎が漏れ始める。
大きく息を吸い込み──顎門を開いて咆哮を上げた。
「ゥウガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
──フレア・ドレイクの顎門から、灼熱が放たれる。
迫る炎の波を前に、シャルロットは【瞬歩】を使用して避けようとするが──
──ガクンッと、その場に膝を落とした。
立ち上がろうと力を入れるが、手足が震えている。呼吸は乱れ、その顔には冷や汗が浮かんでいた。
──血が足りていない。
ケインの使用した回復薬は、傷こそ塞ぐ事はできるが──流れ出た血までは元に戻せない。故に、今のシャルロットは立ち上がる事ができていない。
加えて、貧血状態であれだけ激しく動いたのだ。普通なら気絶してもおかしくない。
──回避は間に合わない。死ぬ。
全身を襲う『死』の気配に、シャルロットは強く目を閉じ──
「──『アースド・ウォール』ぅッッ!!」
シャルロットの目の前に、巨大な土の壁が現れる。
炎は土の壁に阻まれ──それを出現させた男を見て、シャルロットは大きく目を見開いた。
「あなた……なんで……?」
「……アルルヴィーゼさん。逃げてください」
「な、何を言っているの?」
「俺みたいな奴が逃げて『探索者組合』に現状を伝えても、誰も信じてくれないです。なら、階級持ちのアルルヴィーゼさんが報告した方が、絶対に効率がいいです。お願いします」
と言っても……シャルロットは貧血で満足に動けない。『探索者組合』に行く前に、この場から逃げる事すらできないだろう。
心底面倒臭そうにため息を吐き──ケインは、己の左腰にぶら下げている二本の剣の内、一本の剣の柄に手を掛けた。
「動けないなら、そこにいてください。フレア・ドレイクなら、もしかしたらどうにかできるかも知れませんから」
「あなた、何をするつもり……?」
シャルロットの疑問は当然だ。
自分よりも弱い『探索者』が、自分よりも強い魔獣に挑もうとしているのだから。
だが、ケインはシャルロットの質問に答える事はなく──ゆっくりと剣を抜いた。
「起きろ──“魔剣 竜殺し”」
「……おかしい」
三階層は二階層までと変わり、『魔法師』としてそれなりに動けるケインでも、脅威に感じるモンスターがそこかしこに徘徊しているはず。
そう……そのはず、なのだが──
「……モンスターが、いない……」
それどころか、『探索者』の姿も見当たらない。皆、四階層にいるという魔獣に恐れをなして探索を中止しているのだろうか。
いや、違う。『探索者』は生き汚い人間。周りの『探索者』がいなくなったのを好機に、我が物顔で副産物を回収して回っているはず。
ならば、何故『探索者』の姿が見当たらないのか──
「……クソッ……ここもかよ」
血溜まりの中に沈む肉塊を見て、ケインは不愉快そうに顔を背けた。
──わかっている。ああ、わかっているさ。
ここまでの道中、三階層で幾度となく見た肉塊は──全て『探索者』の遺体であると。
そして──三階層でここまでの『探索者』が死んでいるのは、明らかに異常事態であると。
そう、それは、つまり──
「四階層にいたはずの魔獣が、三階層に上っている……」
その言葉を口にし、ケインは大きく体を身震いさせた。
──落ち着け。大丈夫だ。
いつも通りを崩すな。いつものスタンスを守れば、死ぬ事はない。
胸に手を当て、大きく深呼吸。
そして、亡くなっている『探索者』の遺体の前に座り、自身の背嚢から布切れを取り出した。
「……悪いな。花は持ってないんだ」
肉塊と化した『探索者』の顔に、持っていた布切れを被せる。
性根が腐っている『探索者』ならば、亡くなった『探索者』の持ち物を漁ったりするのだが──それをケインは良しとしなかった。
生き汚く『探索者』として生計を立てているケインにも、最低限の良心はある。
「にしても……」
膝を払いながら立ち上がり、ケインは鋭く青色の瞳を細めた。
──ここまでに見つけた『探索者』パーティーは六組、『探索者』の数は二十一人。その全てが殺されている。
殺され方は様々であるが──鋭利な刃物で斬り裂かれた者と、黒焦げになって絶命している者が多い。
武器を使うか、鋭い爪や牙を持っている。『炎魔法』を使うか、その魔獣の性質として炎を使う事ができるか。
「……ダメだ。どの魔獣か絞り込めねぇ……」
諦めたように苦笑を漏らし、ケインが探索を再開しようと──して。
──ゴオッと、熱い風が頬を撫でた。
「……ん……?」
今のは……気のせいだろうか?
『地界の迷宮』内で風が吹く事はない。もしも風を感じたとしても、『風魔法』だったり『探索者』の魔道具だったりする。
──ゴオッ……
再び全身を襲った熱波に、ケインは警戒心を最大にまで引き上げた。
「……近いな」
熱波の発生源は、ケインから見て左手側の通路の先。
であれば、それを避けるのは当然。
熱波の主に気づかれないよう、二階層への階段を目指し──何かが、ケインの前を横切った。
そして──ズンンッッ!! という重々しい衝撃音。
一体何が──慌てて飛んできた何かに視線を向け、ケインは固まった。
「ふッ……ぐ、ぁ……!」
「マジかよ……! オイアンタ! 大丈夫か?!」
吹き飛んできたのは──女性だった。
腰まで伸びる綺麗な金髪に、美しい碧眼。
手には細身の剣を持っており、『探索者』である事は明らかだ。
──その女性の腹部から、ドクドクと真っ赤な血が溢れ出ている。
先ほどまでの『探索者』の遺体と同じ、鋭利な刃物で斬り裂かれたかのような傷──背嚢から緑色の液体が入った瓶を取り出したケインは、その中身を女性の腹部にぶち撒けた。
「うぁッ──」
「回復薬だ! 痛いかも知れないが我慢し──ろ……って……」
苦痛に歪む女性の顔を見たケインは──固まった。
──この人、知っている。というか、『探索者』ならば知らない者はいないだろう。
「……『探索者 銅級』……シャルロット・アルルヴィーゼ……?」
「わ、たしの……事を……知っている、の……?」
当然だ。知らない方がおかしい。
──『探索者』の中には、尋常ならざる力を持つ者がいる。
『複種魔法師』だったり、特殊な魔法を使えたり、生まれながらにして【異能力】と呼ばれる特異な力を持つ者だったり──そうした者の中でも、さらに突出した力を持つ『探索者』に、『探索者組合』は階級を設けた。
『金級』、『銀級』、『銅級』──星の数ほど存在する『探索者』の中でも、一握りしか与えられない階級持ち。
それが──目の前にいる、シャルロット・アルルヴィーゼという『銅級』の『探索者』だ。
「な、何があったんですか?! あなたほどの『探索者』がッ、なんでここまで──」
「──ァアアアアアアアアアッッッ!!!」
ケインの問い掛けは、通路の奥から響いた咆哮によって掻き消された。
そして──ズシンッ……ズシンッ……と、地鳴りのような足音。
咆哮を聞いて固まってしまっているケイン──その肩にポンと手を置き、シャルロットは小さく微笑を見せた。
「助かったわ。ありがとね」
「……ア、ルルヴィーゼさん……コイツって、まさか……」
恐怖に震える声を漏らしながら、ケインは現れたソイツを見上げた。
──『地界の迷宮』の天井にまで届きそうな巨体。全身を覆う赤色の鱗。四肢から生える鎌のような剛爪。凶悪な牙が生え揃った口から漏れる紅蓮の炎。背中から伸びる飛翔するための竜翼。蛇のようにうねる棘の生えた尻尾。
そして──魔獣化している事を示す、赤紫色の眼光。
今まで一度も遭遇した事のない魔獣──否、モンスターとしてでも、ケインはソイツと相対した事はなかった。
それもそうだろう。目の前のモンスターは、三十階層以降でのみ目撃情報があった存在なのだから。
「……フレア・ドレイク……?!」
──フレア・ドレイク。
階級持ちの『探索者』ですら、戦う事を避けるモンスター。ベテラン『探索者』程度では、逃げる事すら許されない。
そんなフレア・ドレイクが──魔獣化して、今ケインを見下ろしている。
「ちょっと、しっかりしなさい」
「はっ、あ……はい!」
「動けるわね? なら、私がアイツに突っ込んだら、二階層の階段に向かって走りなさい」
「えっ──ア、アルルヴィーゼさんは……?」
「応援が来るまで足止めするわ。そろそろ、さっき逃がした『探索者』たちが『探索者組合』に報告している事だろうし。あなたも『探索者組合』に報告をして応援を呼んできて──『エンチャント・ウィンド』」
細剣を構え──その剣身から、思わず目を閉じてしまうほどの風が吹き荒れる。
それを見たフレア・ドレイクが、赤紫色の瞳を細めて低い唸り声を漏らした。
──この人、戦うつもりだ。
ただでさえ強敵なフレア・ドレイク。それが魔獣化している状態。最低でも階級持ちの『探索者』が三人は必要な相手。しかも、シャルロットは一度殺されている。たまたまケインがいなければ、あのまま死んでいただろう。こうして立ち上がる事も、剣を構える事すらできなかった。
なのに──何故、立ち向かおうとするのか。何故、逃げようとしないのか。
「ッしぃ──ッ!」
「ガアッ──ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
一歩、シャルロットが踏み込んだ。
直後──まるで瞬間移動したかのように、フレア・ドレイクの眼前にシャルロットが現れる。
そのままフレア・ドレイクの目に細剣を突き刺さんと、シャルロットが刺突を放つが──すぐにフレア・ドレイクが頭部を動かし、細剣の切っ先を鱗で弾き返した。
間髪入れず、空中にいるシャルロットを斬り裂かんと剛爪を振り抜き──
「チッ──し、ぃッ!」
シャルロットが空中で体を捻り、迫る剛爪に靴裏を向けた。
そして、シャルロットの靴裏とフレア・ドレイクの剛爪がぶつかった──瞬間、シャルロットが再び瞬間移動したかのように地面に降り立った。
──シャルロット・アルルヴィーゼの有する【異能力】、その名を【瞬歩】。
地面に足を付けている状態であれば、瞬間移動をする事が可能な【異能力】だ。ただし、移動距離は使用者の練度によって変わる上、熟練者でも十メートルほどの距離しか詰められない。
今のシャルロットは、フレア・ドレイクの剛爪を足で踏んだ事で、そこを足場として認識し──【瞬歩】を発動して距離を取った、という事だ。
「ガオッ──ォォォォォォォォォォォ……ッッ!!」
シャルロットを見下ろすフレア・ドレイク──その口から、紅蓮の炎が漏れ始める。
大きく息を吸い込み──顎門を開いて咆哮を上げた。
「ゥウガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
──フレア・ドレイクの顎門から、灼熱が放たれる。
迫る炎の波を前に、シャルロットは【瞬歩】を使用して避けようとするが──
──ガクンッと、その場に膝を落とした。
立ち上がろうと力を入れるが、手足が震えている。呼吸は乱れ、その顔には冷や汗が浮かんでいた。
──血が足りていない。
ケインの使用した回復薬は、傷こそ塞ぐ事はできるが──流れ出た血までは元に戻せない。故に、今のシャルロットは立ち上がる事ができていない。
加えて、貧血状態であれだけ激しく動いたのだ。普通なら気絶してもおかしくない。
──回避は間に合わない。死ぬ。
全身を襲う『死』の気配に、シャルロットは強く目を閉じ──
「──『アースド・ウォール』ぅッッ!!」
シャルロットの目の前に、巨大な土の壁が現れる。
炎は土の壁に阻まれ──それを出現させた男を見て、シャルロットは大きく目を見開いた。
「あなた……なんで……?」
「……アルルヴィーゼさん。逃げてください」
「な、何を言っているの?」
「俺みたいな奴が逃げて『探索者組合』に現状を伝えても、誰も信じてくれないです。なら、階級持ちのアルルヴィーゼさんが報告した方が、絶対に効率がいいです。お願いします」
と言っても……シャルロットは貧血で満足に動けない。『探索者組合』に行く前に、この場から逃げる事すらできないだろう。
心底面倒臭そうにため息を吐き──ケインは、己の左腰にぶら下げている二本の剣の内、一本の剣の柄に手を掛けた。
「動けないなら、そこにいてください。フレア・ドレイクなら、もしかしたらどうにかできるかも知れませんから」
「あなた、何をするつもり……?」
シャルロットの疑問は当然だ。
自分よりも弱い『探索者』が、自分よりも強い魔獣に挑もうとしているのだから。
だが、ケインはシャルロットの質問に答える事はなく──ゆっくりと剣を抜いた。
「起きろ──“魔剣 竜殺し”」
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