メグルユメ
6.兼ねることの難しさ
エンドローゼは少しだけ寂しい気持ちだった。
皆と住んでいる区域が違うのでかなり長い間一人だけで移動しなければならないからだ。一人だけ市が違く、他の6人は同じ市内にいるという事実が原因であり、友達がいるのだろうという妄想のありもしない憧れがさらに惨めさを加速させた。
エンドローゼの足取りが重い。
家である孤児院にはアストロと同じくいい思い出がなく、さらに会いたくない人物までいるからだ。
かか様。
エンドローゼが回復魔法を覚えたきっかけであり、回復魔法に固執するようになった原因をつくった人物だ。
孤児院に近づくごとに動悸が激しくなる。眩暈はするし、脂汗もすごい。アストロさんがいれば、などとたらればを考えては頭を振り、泣きそうになりながら歩き出す。傍から見れば不審者であり、関わったら面倒そうである。エンドローゼは自覚していないが、かなりの美少女であるため、道行く野郎どもはナンパしようとするが、地雷臭がするので直前で諦める。ちなみに自覚がないのは孤児院での過酷な暮らしと勇者一行が美形集団なのが原因である。
エンドローゼは都合100度目の休憩し始めた時、人の爪先がこちらを向いているのが見えた。顔を上げると、見るからに教会に属していそうな司教のような男がいた。見下ろしてくる眼の茶と白と黒のコントラストが美しく、エンドローゼは口を半開きにボケっとしてしまっていた。
「顔色が悪いな。どれ、回復魔法でもかけようか」
「だ、だ、大丈夫です」
「虚ろな目で、熱に浮かされている君が大丈夫なわけないだろう。遠慮するな」
エンドローゼが迷惑をかけないように生きてきた。これ以上厚意を拒絶するのは逆に迷惑か。エンドローゼは素直に回復魔法を受け入れることにした。
「おい、あの法衣って、どこの教会のだよ」
「分かんねェ」
「あの少女もついてないな。いくら支払わせられるんだ」
「体も要求されるかもしれない」
こちらを見ている男女の話が耳に入る。エンドローゼに届くということはそれよりも近くにいるこの法衣の男にも届いているということだ。エンドローゼは疲労がなくなり体が軽くなったが、心労での疲れがたまるのを感じた。
法衣の男は咳払いをすると、少女に告げる。
「限界ギリギリまで歩けば支障が出るだろう。ほどほどにしておくといい。お代はいらない。君にも、神のご加護がありますように」
法衣の男は十指の腹を合わせて掌を合わせない独特な合掌をすると、会釈し立ち去った。見たことのない挨拶の仕方だ。回復術士は必ずどこかの教会に属しており、それ以外は冒険者だ。教会に属しているものは法衣を着ているので、今の男もどこかに属しているのでいるのだろうが、エンドローゼ自身が教会内部や他宗派の情報に明るくないので、分からない。
太陽を祀るエリオ教。月を祀るトッテム教。コストイラさんの属するシラスタ教。アストロさんの属するガラエム教。過激派が多く、関わらない方がいいと評判のマーエン教。ぐらいか。他にもあったような気がするが、知らない。あれ、私ってモノを知らなさすぎ!?
エンドローゼは驚愕していた。
時間をかけ、やっとの思いで辿り着いた故郷には孤児院がなかった。
「え?」
自然と声が出ていた。誰も聞くものいない空間で、一人混乱した。エンドローゼが最後に孤児院を訪れたのは5、6年前だ。10歳になる3日前に権力者に買われた時以来か。
「あんれ、エンドでねーか」
「え、せ、せ、セールさん」
「相っ変わらずの喋りだな。もう慣れちまったけどよ」
独特の喋り方で話すセールを見て懐かしさを覚える。最後に会ったのは何年前だろうか。
「そういや、ここの孤児院の育つぃだったな」
「は、はい。い、いい、い、いつ、いつの間になくなったんですか?」
「3年ぐれー前かな?エンドがいなぐなってからよ、急に子供たちを他の孤児院に移ってったんよ。んで、3年前ぐれーによ、育つぃてたあんの女性もいなぐなったよ。行方は分っがんにーらしいぞ」
「え?」
行方が分からない?
ということはもしかしたら、まだあの子たちのような犠牲者が増えているかもしれない。私が誰かに買われるようにした努力は水の泡だったのか?
「そ、そ、そうですか?」
「なぐなって悲しいかもしんねーけどよ、元気出せって。空元気も元気のうちだ。元気な笑顔にゃ神様が幸せを与えてくれるかもしんねーぞ」
「あ、あ、ありがとうございます」
セールはいいってことよと言い残すと去っていった。エンドローゼはまたぽつねんと一人孤児院があった場所を見る。数種の草本しか生えていない跡地。本当になくなってしまった。しかし、思い出が残っている。
「じゃ、じゃ、じゃあね。か、かか様」
エンドローゼはもう一つの家を目指すことにした。
「こ、こ、こっちは残ってた」
暗い色の多く使われた、昏い印象を与える館だ。しかし、エンドローゼにとっては明るい印象のある、好きな色だ。もっとも、この色を好きな色と主張するようになったのはこの館の存在がすべてだ。
エンドローゼの思い出の内、約半数がここで過ごした5年間だ。辛すぎる思いをたくさんしても自殺を考えない原因がここにあった。
門、壁、塀の具合から手入れをする人がおらず、管理されていないことを示していた。
「な、な、何でこっちもいないの?わ、わ、わ、私が勇者に選ばれたときにはま、ま、まだいたのに」
「君は、先の患者だな。ここにいるということは歩ききったようだな。それは喜ばしいことだ。ところで、カラカラ邸で何をしているのかね?」
法衣の男だ。エンドローゼは深々とお辞儀をし、その地面に向く顔は微笑んでいた。カラカラ邸、懐かしい響きだ。カラカラとはこの地域特有の方言で領主という意味だ。
「お、お、お屋敷の中を見たくて」
「フム、ゴール家と繋がりが?」
「昔、す、住んでいたことがあって」
フム、と法衣の男が顎を撫でる。
「ならば入るといい。元より私に止める権利などないからな」
「はい」
「ところで」
エンドローゼは律義に動きを止め、男の方を向き気を付けをする。
「私はトーク。君の名は?」
「え、エンドローゼです。よ、よ、よろしくお願いいたします」
「エンドローゼ。そうか、君が」
「?」
「勇者一行の回復術士か」
勇者一行の名前は明かされていない。明らかにされるのは勇者本人のみだけであり、後の6人はその仲間で片付けられる。しかし、目の前の男は知っている。嫌でも警戒してしまう。
「屋敷に入らないのかね」
罠かもしれないが、今は入ろうと思った。楽しい思い出が多いからかもしれない。ゴール家の4人はいつもエンドローゼを困らせ、からかってきたが、孤児院でのいじめと違い、愛のあるいじりだった。というか難癖をつけてはお仕置きと称して、ボディタッチをしてくることが多かった。
当主であったロランドと自ら徴兵志願をした長兄のジルは我関せずで参加もしないし、止めもしなかった。ジルに関しては寮生活をしており、本当にかかわりがないのでエンドローゼの顔が分かるかも怪しい。ロランドはお仕置きを眺めていることもあったので、もしかしたら参加したといってもいいのかもしれない。
トレットとニャスの姉妹はお仕置きの際は、キスをしてきたり、着せ替え人形にしてきたり、匂いを嗅がれたり、キスしてきたり、お風呂に突入してきたり、キスしてきたり、キスしてきたり。
エンドローゼも最初こそ嫌がっていたが、次第に受け入れるようになった。幸せに過ごしていたある日、事件が起きた。
成人し、勇者の一行と判明したことで冒険者登録をした次の日、ゴール家の4人が蒸発した。寮生活をしていたジルさえもいなくなった。原因不明の失踪は確実にエンドローゼの心を蝕んだ。
時が経ったことで歪んでしまった扉は、非力とはいえレベル40を超えるエンドローゼの頑張りによって開けられる。一歩、また一歩と館内を歩くたびにエンドローゼは思い出に浸り、昂揚し、胸を痛めた。もうあれを味わうことはできないのか。そう思うと涙が出てきた。
3階、一番奥、その部屋がかつてエンドローゼが住んでいた部屋だ。半年の歳月が経って、埃だらけになった部屋は、何一つ変わっていなかった。
エンドローゼには豪華すぎると委縮してしまう家具。誕生日のたびに増えていったプレゼントの数々。姉妹に押し付けられた衣類にアクセサリー類に小物類。
エンドローゼのダムが決壊するには十分だった。
号泣した。外にいるであろうトークに聞こえてしまうほどの声で泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。泣き疲れて寝てしまった。
気が付くと朝日が差していた。
エンドローゼは赤面した。なぜか急に恥ずかしくなってきた。乱れた衣服をはたき、髪の毛を指で2、3度梳き、泣き跡を腕で拭う。
「よし」
両手を握り、むんと気合を入れる。部屋を出ると深々とお辞儀をした。姉妹、長兄、当主の部屋にも順々に挨拶に行く。近年稀にみる、いや、人生一番の爽やかな気分だ。
玄関扉を開けるとトークがいた。エンドローゼはドン引きした。ずっとここにいたの?
「どうして回復魔法は発現すると思う?」
「え?」
唐突な質問にエンドローゼは固まった。そのまま、返答するのにたっぷり10秒もかけた。
「目の前の患者を救いたいから?」
はっきりとした吃音のない決意に満ちた言葉だった。しかし、男は気圧されることなく質問を続ける。
「目の前だけでいいのか?」
トークはすでに満足のいく答えを得ていたが、聞かずにはいられなかった。
「ほ、本来なら、ぜ、全員を、と答えるところだと思います。し、しかし、わ、わ、私のこの小さな手じゃ抱えきれません。ぽ、ぽ、ポロポロと零れちゃいます。た、た、助けられる人を確実に助けたい。救いたい」
「素晴らしい。回復魔法を手にしたものはすべてを救えると勘違いをする。そして驕ったまま破滅する。だが、君は自分を把握できている。誰も傷つかない正義などない。心の叫びに従え。危なっかしいことになるかもしれないが、貫くといい。マイナス面も突き抜ければ長所だ。気にしすぎることはない」
エンドローゼは目を丸くした。自分が今までやってきたことを報われた気がした。さすがプリーストというべきか。
「君のすべてを見せてほしい。君が存在を証明してきたその技の数々を」
「は、はい」
もはや洗脳の類だ。いつものエンドローゼなら警戒していただろうに、今は元気よく返事なぞしてしまっている。これでトークが悪人であれば目も当てられない。
エンドローゼの魔法の発動を見守るトークは元勇者一行の一人だ。世にも珍しい攻撃型の回復術士である彼は当時ベージュの法衣を着ていたので、今でもベージュの法衣は敵をつくるといわれている。
シュパーンと魔法が発動し、トークが手入れのされていない伸び放題の雑草に仰向けになる。
「ご、ご、ご、ご、ご、ご、ごめんなさいっ!?」
「謝る必要はない。油断していたこちらが悪い。………星は好きか?」
「ほ、星ですか?」
エンドローゼは言われて空を見る。まだ昼間なので星は見えない。
「今は月しか見えんな。まぁ、私は月も好きだ。どんなに辛い時も、等しく照らしてくれるからな。私は星も月も好きだ」
トークは何かを懐かしむように目を細める。
「わ、わ、私も好きです。いつも私を見ていてくれて、励まして慰めてくれるから」
エンドローゼがトークを見ると、トークはエンドローゼを見つめていた。
「君と私は似ているな。昔の私に。いや、それは君には失礼だ。君は同じときの私よりもずっと大人だ」
「そ、そ、そんなこと」
「あるさ。君には素質がある。精神的な回復魔法を使える時点で上位1%だ。才能がある。だから、ファルネス教にならないかね?」
失礼ながらエンドローゼはぽかんとしてしまった。なぜ、今宗教勧誘を?何が、だからなの?というか、ファルネス教って何?他にも様々な疑問が湧いてくる。
人は一気に疑問が浮かぶと一度思考停止するんだなぁ、と軽く現実逃避をしていたが、すっと帰ってくる。返答しないと。
「えっと、ご、ご、ご、ごめんなさい。よ、よ、よく分からないものには、い、いき、い、いきなりは賛同できないです」
「ハッハッ。そうか」
トークは立ち上がり、エンドローゼの肩をポンと叩く。
「気分はもう大丈夫か?吐き気を催したときは無理に我慢することはない。遠慮なく吐くといい」
ばれていた。必死に抑え込み、表に出さないように頑張っていたのに。さすが、トークだ。
「魔法とは諸刃の剣だ。使うと走馬灯よろしく大量の記憶が奔流してくる。頭はこれを処理しきれず気分を悪くする。それすら超えた時、気を失う。タイミングは考えなければならないよ」
「は、はい」
「しかし、フーム」
そこで初めてトークが言葉を窮した。あのトークが、と衝撃を受けているがトークは気付かない。
「君には攻撃力がない。私も油断していなければ易々と対処できてしまう。いっそのこと戦闘に参加せず回復に専念した方がいい。攻撃と回復は兼ねることはできるが、難しく中途半端になってしまう。いざというとき、本当の本当に追い込まれたときぐらいだよ、君の役目は」
元気よく首肯すると、エンドローゼの特訓が始まった。内容は回復必要な傷ができてから回復を開始するまでの時間短縮。毎日、トークがナイフで腕を切っては魔力酔いするまで回復魔法を行使する。そんな毎日が続いた。
この2週間で1番成長したのはエンドローゼだろう。
エンドローゼは決意と自信に満ちた顔で昔の服に袖を通した。
皆と住んでいる区域が違うのでかなり長い間一人だけで移動しなければならないからだ。一人だけ市が違く、他の6人は同じ市内にいるという事実が原因であり、友達がいるのだろうという妄想のありもしない憧れがさらに惨めさを加速させた。
エンドローゼの足取りが重い。
家である孤児院にはアストロと同じくいい思い出がなく、さらに会いたくない人物までいるからだ。
かか様。
エンドローゼが回復魔法を覚えたきっかけであり、回復魔法に固執するようになった原因をつくった人物だ。
孤児院に近づくごとに動悸が激しくなる。眩暈はするし、脂汗もすごい。アストロさんがいれば、などとたらればを考えては頭を振り、泣きそうになりながら歩き出す。傍から見れば不審者であり、関わったら面倒そうである。エンドローゼは自覚していないが、かなりの美少女であるため、道行く野郎どもはナンパしようとするが、地雷臭がするので直前で諦める。ちなみに自覚がないのは孤児院での過酷な暮らしと勇者一行が美形集団なのが原因である。
エンドローゼは都合100度目の休憩し始めた時、人の爪先がこちらを向いているのが見えた。顔を上げると、見るからに教会に属していそうな司教のような男がいた。見下ろしてくる眼の茶と白と黒のコントラストが美しく、エンドローゼは口を半開きにボケっとしてしまっていた。
「顔色が悪いな。どれ、回復魔法でもかけようか」
「だ、だ、大丈夫です」
「虚ろな目で、熱に浮かされている君が大丈夫なわけないだろう。遠慮するな」
エンドローゼが迷惑をかけないように生きてきた。これ以上厚意を拒絶するのは逆に迷惑か。エンドローゼは素直に回復魔法を受け入れることにした。
「おい、あの法衣って、どこの教会のだよ」
「分かんねェ」
「あの少女もついてないな。いくら支払わせられるんだ」
「体も要求されるかもしれない」
こちらを見ている男女の話が耳に入る。エンドローゼに届くということはそれよりも近くにいるこの法衣の男にも届いているということだ。エンドローゼは疲労がなくなり体が軽くなったが、心労での疲れがたまるのを感じた。
法衣の男は咳払いをすると、少女に告げる。
「限界ギリギリまで歩けば支障が出るだろう。ほどほどにしておくといい。お代はいらない。君にも、神のご加護がありますように」
法衣の男は十指の腹を合わせて掌を合わせない独特な合掌をすると、会釈し立ち去った。見たことのない挨拶の仕方だ。回復術士は必ずどこかの教会に属しており、それ以外は冒険者だ。教会に属しているものは法衣を着ているので、今の男もどこかに属しているのでいるのだろうが、エンドローゼ自身が教会内部や他宗派の情報に明るくないので、分からない。
太陽を祀るエリオ教。月を祀るトッテム教。コストイラさんの属するシラスタ教。アストロさんの属するガラエム教。過激派が多く、関わらない方がいいと評判のマーエン教。ぐらいか。他にもあったような気がするが、知らない。あれ、私ってモノを知らなさすぎ!?
エンドローゼは驚愕していた。
時間をかけ、やっとの思いで辿り着いた故郷には孤児院がなかった。
「え?」
自然と声が出ていた。誰も聞くものいない空間で、一人混乱した。エンドローゼが最後に孤児院を訪れたのは5、6年前だ。10歳になる3日前に権力者に買われた時以来か。
「あんれ、エンドでねーか」
「え、せ、せ、セールさん」
「相っ変わらずの喋りだな。もう慣れちまったけどよ」
独特の喋り方で話すセールを見て懐かしさを覚える。最後に会ったのは何年前だろうか。
「そういや、ここの孤児院の育つぃだったな」
「は、はい。い、いい、い、いつ、いつの間になくなったんですか?」
「3年ぐれー前かな?エンドがいなぐなってからよ、急に子供たちを他の孤児院に移ってったんよ。んで、3年前ぐれーによ、育つぃてたあんの女性もいなぐなったよ。行方は分っがんにーらしいぞ」
「え?」
行方が分からない?
ということはもしかしたら、まだあの子たちのような犠牲者が増えているかもしれない。私が誰かに買われるようにした努力は水の泡だったのか?
「そ、そ、そうですか?」
「なぐなって悲しいかもしんねーけどよ、元気出せって。空元気も元気のうちだ。元気な笑顔にゃ神様が幸せを与えてくれるかもしんねーぞ」
「あ、あ、ありがとうございます」
セールはいいってことよと言い残すと去っていった。エンドローゼはまたぽつねんと一人孤児院があった場所を見る。数種の草本しか生えていない跡地。本当になくなってしまった。しかし、思い出が残っている。
「じゃ、じゃ、じゃあね。か、かか様」
エンドローゼはもう一つの家を目指すことにした。
「こ、こ、こっちは残ってた」
暗い色の多く使われた、昏い印象を与える館だ。しかし、エンドローゼにとっては明るい印象のある、好きな色だ。もっとも、この色を好きな色と主張するようになったのはこの館の存在がすべてだ。
エンドローゼの思い出の内、約半数がここで過ごした5年間だ。辛すぎる思いをたくさんしても自殺を考えない原因がここにあった。
門、壁、塀の具合から手入れをする人がおらず、管理されていないことを示していた。
「な、な、何でこっちもいないの?わ、わ、わ、私が勇者に選ばれたときにはま、ま、まだいたのに」
「君は、先の患者だな。ここにいるということは歩ききったようだな。それは喜ばしいことだ。ところで、カラカラ邸で何をしているのかね?」
法衣の男だ。エンドローゼは深々とお辞儀をし、その地面に向く顔は微笑んでいた。カラカラ邸、懐かしい響きだ。カラカラとはこの地域特有の方言で領主という意味だ。
「お、お、お屋敷の中を見たくて」
「フム、ゴール家と繋がりが?」
「昔、す、住んでいたことがあって」
フム、と法衣の男が顎を撫でる。
「ならば入るといい。元より私に止める権利などないからな」
「はい」
「ところで」
エンドローゼは律義に動きを止め、男の方を向き気を付けをする。
「私はトーク。君の名は?」
「え、エンドローゼです。よ、よ、よろしくお願いいたします」
「エンドローゼ。そうか、君が」
「?」
「勇者一行の回復術士か」
勇者一行の名前は明かされていない。明らかにされるのは勇者本人のみだけであり、後の6人はその仲間で片付けられる。しかし、目の前の男は知っている。嫌でも警戒してしまう。
「屋敷に入らないのかね」
罠かもしれないが、今は入ろうと思った。楽しい思い出が多いからかもしれない。ゴール家の4人はいつもエンドローゼを困らせ、からかってきたが、孤児院でのいじめと違い、愛のあるいじりだった。というか難癖をつけてはお仕置きと称して、ボディタッチをしてくることが多かった。
当主であったロランドと自ら徴兵志願をした長兄のジルは我関せずで参加もしないし、止めもしなかった。ジルに関しては寮生活をしており、本当にかかわりがないのでエンドローゼの顔が分かるかも怪しい。ロランドはお仕置きを眺めていることもあったので、もしかしたら参加したといってもいいのかもしれない。
トレットとニャスの姉妹はお仕置きの際は、キスをしてきたり、着せ替え人形にしてきたり、匂いを嗅がれたり、キスしてきたり、お風呂に突入してきたり、キスしてきたり、キスしてきたり。
エンドローゼも最初こそ嫌がっていたが、次第に受け入れるようになった。幸せに過ごしていたある日、事件が起きた。
成人し、勇者の一行と判明したことで冒険者登録をした次の日、ゴール家の4人が蒸発した。寮生活をしていたジルさえもいなくなった。原因不明の失踪は確実にエンドローゼの心を蝕んだ。
時が経ったことで歪んでしまった扉は、非力とはいえレベル40を超えるエンドローゼの頑張りによって開けられる。一歩、また一歩と館内を歩くたびにエンドローゼは思い出に浸り、昂揚し、胸を痛めた。もうあれを味わうことはできないのか。そう思うと涙が出てきた。
3階、一番奥、その部屋がかつてエンドローゼが住んでいた部屋だ。半年の歳月が経って、埃だらけになった部屋は、何一つ変わっていなかった。
エンドローゼには豪華すぎると委縮してしまう家具。誕生日のたびに増えていったプレゼントの数々。姉妹に押し付けられた衣類にアクセサリー類に小物類。
エンドローゼのダムが決壊するには十分だった。
号泣した。外にいるであろうトークに聞こえてしまうほどの声で泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。泣き疲れて寝てしまった。
気が付くと朝日が差していた。
エンドローゼは赤面した。なぜか急に恥ずかしくなってきた。乱れた衣服をはたき、髪の毛を指で2、3度梳き、泣き跡を腕で拭う。
「よし」
両手を握り、むんと気合を入れる。部屋を出ると深々とお辞儀をした。姉妹、長兄、当主の部屋にも順々に挨拶に行く。近年稀にみる、いや、人生一番の爽やかな気分だ。
玄関扉を開けるとトークがいた。エンドローゼはドン引きした。ずっとここにいたの?
「どうして回復魔法は発現すると思う?」
「え?」
唐突な質問にエンドローゼは固まった。そのまま、返答するのにたっぷり10秒もかけた。
「目の前の患者を救いたいから?」
はっきりとした吃音のない決意に満ちた言葉だった。しかし、男は気圧されることなく質問を続ける。
「目の前だけでいいのか?」
トークはすでに満足のいく答えを得ていたが、聞かずにはいられなかった。
「ほ、本来なら、ぜ、全員を、と答えるところだと思います。し、しかし、わ、わ、私のこの小さな手じゃ抱えきれません。ぽ、ぽ、ポロポロと零れちゃいます。た、た、助けられる人を確実に助けたい。救いたい」
「素晴らしい。回復魔法を手にしたものはすべてを救えると勘違いをする。そして驕ったまま破滅する。だが、君は自分を把握できている。誰も傷つかない正義などない。心の叫びに従え。危なっかしいことになるかもしれないが、貫くといい。マイナス面も突き抜ければ長所だ。気にしすぎることはない」
エンドローゼは目を丸くした。自分が今までやってきたことを報われた気がした。さすがプリーストというべきか。
「君のすべてを見せてほしい。君が存在を証明してきたその技の数々を」
「は、はい」
もはや洗脳の類だ。いつものエンドローゼなら警戒していただろうに、今は元気よく返事なぞしてしまっている。これでトークが悪人であれば目も当てられない。
エンドローゼの魔法の発動を見守るトークは元勇者一行の一人だ。世にも珍しい攻撃型の回復術士である彼は当時ベージュの法衣を着ていたので、今でもベージュの法衣は敵をつくるといわれている。
シュパーンと魔法が発動し、トークが手入れのされていない伸び放題の雑草に仰向けになる。
「ご、ご、ご、ご、ご、ご、ごめんなさいっ!?」
「謝る必要はない。油断していたこちらが悪い。………星は好きか?」
「ほ、星ですか?」
エンドローゼは言われて空を見る。まだ昼間なので星は見えない。
「今は月しか見えんな。まぁ、私は月も好きだ。どんなに辛い時も、等しく照らしてくれるからな。私は星も月も好きだ」
トークは何かを懐かしむように目を細める。
「わ、わ、私も好きです。いつも私を見ていてくれて、励まして慰めてくれるから」
エンドローゼがトークを見ると、トークはエンドローゼを見つめていた。
「君と私は似ているな。昔の私に。いや、それは君には失礼だ。君は同じときの私よりもずっと大人だ」
「そ、そ、そんなこと」
「あるさ。君には素質がある。精神的な回復魔法を使える時点で上位1%だ。才能がある。だから、ファルネス教にならないかね?」
失礼ながらエンドローゼはぽかんとしてしまった。なぜ、今宗教勧誘を?何が、だからなの?というか、ファルネス教って何?他にも様々な疑問が湧いてくる。
人は一気に疑問が浮かぶと一度思考停止するんだなぁ、と軽く現実逃避をしていたが、すっと帰ってくる。返答しないと。
「えっと、ご、ご、ご、ごめんなさい。よ、よ、よく分からないものには、い、いき、い、いきなりは賛同できないです」
「ハッハッ。そうか」
トークは立ち上がり、エンドローゼの肩をポンと叩く。
「気分はもう大丈夫か?吐き気を催したときは無理に我慢することはない。遠慮なく吐くといい」
ばれていた。必死に抑え込み、表に出さないように頑張っていたのに。さすが、トークだ。
「魔法とは諸刃の剣だ。使うと走馬灯よろしく大量の記憶が奔流してくる。頭はこれを処理しきれず気分を悪くする。それすら超えた時、気を失う。タイミングは考えなければならないよ」
「は、はい」
「しかし、フーム」
そこで初めてトークが言葉を窮した。あのトークが、と衝撃を受けているがトークは気付かない。
「君には攻撃力がない。私も油断していなければ易々と対処できてしまう。いっそのこと戦闘に参加せず回復に専念した方がいい。攻撃と回復は兼ねることはできるが、難しく中途半端になってしまう。いざというとき、本当の本当に追い込まれたときぐらいだよ、君の役目は」
元気よく首肯すると、エンドローゼの特訓が始まった。内容は回復必要な傷ができてから回復を開始するまでの時間短縮。毎日、トークがナイフで腕を切っては魔力酔いするまで回復魔法を行使する。そんな毎日が続いた。
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エンドローゼは決意と自信に満ちた顔で昔の服に袖を通した。
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