メグルユメ

トラフィックライトレイディ

24.出藍の誉は嬉しいばかりではない

 家の中は異様な空気で満ちていた。

 白髪の老人は洗濯をしていない汚らしい服に舌を打って、酒瓶を手に取った。持ち上げた時点で何となく少ないのが分かる。
 無駄に高い魔力操作を巧みに使い、栓を抜くと、口に含んだ。
 口の中に酒は入ってこない。酒の中を真下に向ける。酒が出てこない。

『チッ。ッザッケンナ。んで酒がねぇだよ。あぁ、買ってきてねぇからだよな。知ってんだよ、くそ』

 老人ははだけた胸元をボリボリと掻きながら、欠伸をする。
 ちらと横に似顔絵が見えた。

『チ』

 苛立たし気に魔力を練りながら、似顔絵に指を向ける。

 三秒ほどにらめっこしたかと思うと、舌打ちして中断した。

『アァー、俺様も弱くなったな、クソが』

 ギッと錆びついてもう開かないと思っていた戸が鳴った。間違いない、客、いや壁だ。

 レイヴェニアと同じく自分の道を阻む、絶対的な弟子かべだ。

 老人は先程練っていた魔力を呼び戻し、右の人差し指に備えた。

 ドガンと扉が蹴飛ばされた。老人は何かの姿、影が見える前に左手から魔術を放った。

「相変わらずね、コプロ」
『テメェ、何タメ張ってんだ?』

 アストロはコプロに半眼を作りながら口角を上げる。当然にように無傷。しかし、コプロは無駄に焦ったり慌てたりしない。

『”柱身の山羊”。そうか、お前が盗んで行ったのか』
「えぇ、女の身一つなんて危ないもの」
『テメェの心配なんかするかよ。髑髏的にあと四本か』

 コプロは冷静に見極め、弱点を看破する。

 子供の頃から鈍臭かったアストロは、学舎でも体術はからっきしで、最下位だった。現在の体格的にも、体が動いたとしても、体術は得意ではないだろう。
 白髪の老人は背中を猫のように曲げていき、体の節々に魔力を巡らせていく。身体をひっそりと強化し、一気に肉薄した。
 繰り出される拳に対して、アストロは咄嗟に十字ブロックをすることで髑髏を一つも消さずに済んだ。

『フム』

 コプロは己の手首を押さえながら、アストロを見る。

 あの時よりも体が動いている。想定していたよりもずっとよく動いている。それに対してコプロ面倒だと思った。

 しかし、粗い。その粗さがあれば、押し切れる。

 コプロは瞬足でアストロの懐へ入り、アストロの腹に拳を添えた。そして、力を込める。
 アストロの腹から背にかけ、威力が抜けていった。アストロには心当たりがあった。

 発勁。一時期レイヴェニアがハマって使っていたことがある技巧だ。

 アストロは前庭をゴロゴロと転がり、距離が空いたところで立ち上がる。
 コプロがアストロの奥にある竹垣を見つめる。あの向こうにアストロの仲間がいる。こちらを視ているだけで、手を出してこないというのなら、こちらは無視してやろう。
 これは一般的な躾だ。家庭内の問題なのだ。反抗してくる子に対して行う教育的指導だ。

『来い、愚図娘』
「超えるわ、馬鹿親父」

 コプロがガリガリと頭を掻くと、頭皮が簡単にボロボロと剥がれ落ちていく。爪を立てすぎたのか、血も落ちてきた。
 アストロのことをギロリと睨む。そして、身を低くすると、ノータイムでタックルに移った。
 そのタックルの姿勢が、アストロにはレイヴェニアと重なった。アストロはレイヴェニアに次会った時、タックルされた際にやろうとしていたカウンターを喰らわす。

 完璧なタイミングでの膝が、コプロの顎を襲う。コプロの脳が揺れる。視界が完全にドロドロだ。
 そんな視界はレイヴェニアやレンオニオールで慣れている。

 コプロは視界不明瞭の中、アストロの脹脛を抱え、そのまま持ち上げリフトした。

 竹垣の向こうにいる男性陣は目を覆った。しかし、別に黒のレースがあしらわれた下着が晒されることなく、ベージュの短パンが見えた。おかげで大丈夫だ。ただ、シキから借りているので、明らかに小さい。

 アストロはコプロを信用し、リフトされている空中を足場にして、左膝をコプロの顎に叩き込んだ。
 コプロの手が離れて地面に落ちる。そしてゴロゴロと距離を取った。
 コプロは顎を押さえながら、睥睨する。
 アストロは片膝立ちの状態で上目に睨む。

『足癖が悪いな。千切るか』

 コプロが脚を前に出した。それに合わせて地が揺れる。それと同時に蹴りがやってくる。
 ガードが間に合わない。鋭い蹴りが頭部に刺さる。髑髏一つ分だ。ただの体術なのに強すぎる。何かしらのことをしているのは明白だが、それが何かまでは分からない。

『あと三つ』

 冷静だ。終始冷静だ。これこそが魔術師や魔法使いの姿だと言わんばかりだ。

「フゥー」

 息を細く吐き、アストロはコプロを睨む。気が付かないうちに何かされた。アレンに頼まなくても分かる。アストロのステータスは下がっている。

『テメェ、勝手に粘ってんじゃねぇぞ』

 冷静にキレているコプロが足首を柔らかくした。

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