メグルユメ

トラフィックライトレイディ

15.遥か遠き理想郷

 天之五閃。

 それは天剣へと至った最強の五人の剣士。

 外界から見れば五人は等しく最強の剣士なのだが、内界から見れば序列が存在している。
 エレストとシムバは同列であり、その上にアスタット、さらにその上にアイケルスがいる。
 しかし、天之五閃は五人の剣士から成るグループだ。あと一人いる。

 その一人は、圧倒的な強さを持っている。それこそ、アイケルスでさえ、勝ち目がどう頑張ってもないほどだ。





「フム。何とも特異な光景だ。一度見たならば忘れることがなさそうな光景だというのに、私はこの場所を知っているような気がする」

 爽やかな風が吹く草原の丘が目の前に、広がっていた。今までの道のりにあった禍々しさが嘘のようである。濃すぎる魔素が故に訪れていた倦怠感も、もうこの空間にはない。

 何とも理想的な空間であろうか。

 誘われるように深呼吸をする。

「ヲルクィトゥ?」

 声を聞いて振り向くと、そこには紫紺の魔女がいた。
 アストロがヲルクィトゥを見る。

 ヲルクィトゥは旅人だ。実力がどれほどのものなのかは知らないが、ここにいるのがおかしいというわけではない。ただ、思わぬ再開には驚くが。

『あれがヲルクィトゥか』

 シムバが意味ありげに呟く。

「フム。君達にはあったことがあるが、そこの巨漢の君は初めましてだな。私を知っているのか?」
『知っているっつっても、オレは聞いたことしかねぇからな、聞いたこと以上のことは知らねぇよ』
「フム。何を聞いたのかは気になるな」
『天之五閃ぶっちぎりの最強』

 勇者一行戦闘組の眼は細まり、非戦闘組は目を丸くした。
 件のヲルクィトゥは頤に触れる。

「フム。身に覚えのない肩書だ。そして、耳新しいとは思えない情報だ。私はどこで聞いた?」

 ヲルクィトゥは僅かに首を傾げ、考え込んでいる。

「でも、強ェのは確かだ。そんなオーラがビリビリに感じ取れる」
「ほぉ、では私に何を要求する?」

 一歩前に出るコストイラに対して、ヲルクィトゥは意地の悪い笑顔を向けた。おそらく彼の中で、コストイラが言おうとしている言葉は分かっている。

 コストイラはゆっくりと刀を抜き、ヲルクィトゥに向けると、彼の予想通りの言葉を放った。

「無論、闘争」
「フフ。難儀なことだな。戦うことでしか自己を正しく表現できないか」
「そうだな。それ以外の方法は全部終わってから学ぶさ」

 ヲルクィトゥが刀に手を添える。

 その瞬間、空気が変わった。

 爽やかでほのぼのとしていた雰囲気は、どちらかが死ぬまで行われる戦場のそれへと変わった。

 コストイラが瞬間的に刀を溜めた。息を呑む。

 自然と無理矢理構えさせられた。自分でもいつ構えたのか分からない。体の動かし方が分からなくなってしまった。この刀はどうやったら切れる? 横に移動するには? 歩く? 走る? 何それ? 呼吸の仕方も瞬きの仕方も行方不明だ。

 絶殺のオーラを放っていたアスタットを前にした時よりも、絶望を体現したような姿をしたアイケルスを前にした時よりも、今の方がマズい。
 豪快豪胆なシムバでさえ、呼吸が止まった。

 アスタットの絶殺のオーラは、相手を殺そうとする時に発せられるオーラだ。

 しかし、ヲルクィトゥのそれは違う。

 アスタットの絶殺のオーラに対して名付けるのならば、ヲルクィトゥのそれは確殺のオーラだ。受ける相手が確実に死を、嫌でも意識してしまう。

「どうした? 来ないのなら、こちらから行こう」

 その何気ない言葉が、コストイラに死を突き付けた。

「くそ!」

 追い込まれた鼠は猫を噛み殺す。
 それでは、追い込まれた獣は何をするのか。
 それは、死を齎す存在を排除する行動。

 コストイラは野性的な勘に従い体を動かし、刀を振るう。
 混乱しながらも、素早い強烈な居合だ。ここで、それほど鋭利な一撃を出せるのは流石だと、シムバは感心した。

 しかし、足らない。

 ヲルクィトゥはコストイラの居合を見切り、足捌きだけで躱し、刀の柄でコストイラの腹を叩いた。

「ゴ!?」

 その一撃で内臓が震えた。シムバ以上だ。

 ヲルクィトゥは刀を抜いたわけではない。振り切ったわけでもない。そのため、コストイラはその場で腹を丸めるような姿勢を取る。
 下を向こうとするコストイラの顎に左手が添えられる。ヲルクィトゥはコストイラの脚を後ろから刈り、自身の左腕を軸にしてコストイラを回した。そのまま腕を伸ばすようにして投げた。
 理想的な丘の上には木々も岩場もなく、自力でしか止まらない。

 コストイラは急いで顔を上げて、ヲルクィトゥのことを確認する。まだ10m近く距離がある。いや、その程度なら一瞬で詰めてこられるだろう。
 頭から短い草をパラパラと落としながら、冷静になっていく。

 今の行動は、あまりにも無謀だった。無茶無謀を進んでするが、あれはしてはならない部類の無謀だった。
 策だ。策が必要だ。理不尽なまでの差をひっくり返す程の策を用意しなければならない。
 恐ろしいのは、未だに刀を抜いていないことだ。その実力の半分以上を見せていないというのだ。
 どう動いても死ぬ未来しか想像できない。フェリップやヴェスタの持っていた未来が見える目がこんなにもほしくなるなんて。

「どうした? 来ないのか? では、今度こそこちらから行かせてもらおう」

 重ねられた死刑宣告。しかし、今度は先走って行動しない。居合の姿勢を取り、全方位に対応できるように気を張る。後手に回ってもいい。とにかく、まずは情報を掴む。

 ヲルクィトゥはゆらりと体を揺らした。微風に晒された蝋燭の火のように揺れる体は、次にいかなる攻撃を出そうとしているのかを読ませてくれない。
 いつだ。いつどのタイミングで蝋燭の火が牙を剥く。

 コストイラの集中力が極限まで引き延ばされる。世界から匂いが消え、音が消え、ヲルクィトゥの動きのみが取り残された。
 ヲルクィトゥの右手がゆっくりと刀の柄に伸ばされていく。
 ここで刀を抜く!? コストイラも刀を振るために腕に力を込める。

 一秒後、すでに半分以上の距離が斬られていた。
 コストイラの刀がようやく動き出す。まだ刀が完全に振れているわけではない。しかし、何とか刀を合わせ、ヲルクィトゥの居合を弾いた。
 コストイラの体がぐらりと倒れそうになったが、腹に足裏が当てられた。そして、優しく内臓を撫でられた。

 痛みと吐き気を持ちながら、刀を振るうが、ヲルクィトゥはにこやかに後ろに跳び、軽々と躱した。
 開く距離、それを踏み込みと足捌きで追い縋る。

 総合的な剣技の評価で注目するのは剣捌きではなく、足運びと足捌きだ。最適な位置に、最高の形で飛び込むために。

 跳躍へ追い着き、着地地点に目掛けて剣撃を叩き込む。上下左右に嘘撃ブラフを入れて、本命は真下からの切り上げだ。

「知っている剣技だな、それ」

 致命の軌跡、それを男は易々と往なしてみせた。
 せめて、あの余裕の笑みを剥がしてやらなければ。
 ヲルクィトゥの脚撃が胸に刺さった。

「おぉ、お!」

 咄嗟に低い声で吠えて耐え、半月の斬撃を男へと向ける。ヲルクィトゥはそれを舞いでも躍るように優雅に回避し、横っ面に肘が撃ち込まれた。
 鼻から血が出る。草が赤色になっていく。

 短い白髪を躍らせ、細くとも逞しい肉体を自由自在、縦横無尽に操るヲルクィトゥが、おぞましい剣舞を演出していた。
 一つ一つに対処していては体がもたない。死なない攻撃は無視する。

 それで、奴に届いてみせる。

 勇者の名に相応しいと思える努力と研鑽を積まなければならない。オレはその努力をしてこれたのだろうか。
 刀に縋る。今まで自分が積んできたものにしか頼れない。

「くそ!」

 頬や腕に細かい傷を創りながら、距離を詰めていった。
 必死の形相で刀を振る。余裕らしい余裕はどこにもない。

 ヲルクィトゥが半歩後ろに下がり、体をくの字に曲げて、薄皮一枚で躱した。
 ヲルクィトゥは天を切り裂くような膝蹴りを、コストイラの顎に叩きつけた。急激に顔を上げたため、首を完全に痛めつけた。
 ヲルクィトゥの足裏がコストイラの胸部に添えられた。マズいと思ったが、もう遅い。

「グフッ!?」

 またゴロゴロと転がっていく。
 
 なぜ蹴るのだ?

 コストイラは四つん這いの状態で考える。まず間違いなく本気ではない。ではなぜ本気を出さない? そんなの簡単だ。本気を出すほどの相手と認識されていないのだ。

 悔しい。

 コストイラは歯を食い縛った。
 コストイラは裡に秘めていた炎を、体外へと吐き出し始めた。

「フム」

 ヲルクィトゥは少しだけ目を張り、嬉しそうに弓なりに曲げた。
 コストイラの頭の位置が上がるごとに、火力も上がっていく。完全に立ち上がった時、大気が啼いた。

「もういい。遊びはなしだ。短期で行く」
「あぁ、来るがいい」

 ヲルクィトゥの笑みは剥がれない。
 
 エレストに付いて行った速度で、コストイラはスタートを切った。完全な火の玉となってヲルクィトゥに突っ込む。
 白髪の剣神は微笑を湛えたまま、鞘に収まったままの刀を腰から解き放ち、一閃した。
 コストイラは咄嗟に刀で合わせたが、弾き飛ばされた。
 細腕から来るような威力ではない。

 コストイラが足裏を接着させた瞬間、爆発するが、すでに目の前にはヲルクィトゥがいた。
 カウンター気味に鞘で打たれ、さらに飛ばされた。

「ヲルクィトゥの戦い方が変化した?」
『おそらく、アレが本来の戦い方に近いんだろう』

 コストイラが飛ばされるよりも速く、ヲルクィトゥが着弾点にすでにいる。
 空中にいるが、何とか体を捩じりながら刀を振った。

 しかし、その斬撃を縫い、鞘が迫る。鼻や胸を叩かれた。一瞬、意識を手放した。

 全てを終わらせようと高密度の斬撃を放つ。コストイラはそれで終わることを嫌った。意識など一切していない野性的な一撃を見せつけられ、ヲルクィトゥは簡単に弾きながら目を丸くした。そして、にこやかではない、心からの笑みが出た。

「そうか、そうか。確かにそうだな」

 ヲルクィトゥが何かに納得した。

 白髪の鬼は静かに、鞘から刀を開放した。
 コストイラが息を呑む。そもそも、鞘付きの時でさえ、斬撃のような攻撃ができているのだ。本物の刃など、それこそ絶死だ。

 その圧倒的で絶対的なオーラがコストイラの身を叩く。先程の弱気なコストイラであれば呑まれていただろうが、今は違う。楽しくなってきた。おそらくこの一撃で終わる。

 だからこそ、最っ高に楽しんでやる。

 コストイラ史上一番の火力で身を包み、炎の一閃をヲルクィトゥに向ける。
 ヲルクィトゥは高速の居合で、その炎の一閃を退け、そこから構えを取った。その姿は、刺突の準備。
 間に合わない。もう弾かれてしまっているため、戻すことができない。防御できない。回避もできない。

 癒院の前で初めて遭遇した時は赤子のようだと思った。そんな君が、ここまで成長するとは思わなかった。それは認めざるを得ない。
 ヲルクィトゥの歴史上トップ1%以内に、コストイラは入ってくる。
 その強さに感服する。ありがとう、コストイラ。君のおかげで取り戻せそうだ。
 尊厳を刃に乗せて、コストイラを殺す。中途半端に生かすのは相手に失礼だ。

 ヲルクィトゥはコストイラの心臓を狙い、刺突した。

 カキンと音が鳴った。

「ガッ!!」
「ム」

 ヲルクィトゥは突きの姿勢のまま固まっている。

 コストイラは放物線を描いて草原に落ちて、坂に従って二回転した。プスプスとコストイラの体が煙を上げている。
 ヲルクィトゥはゆっくりと体を戻し、刀を収めた。

「フ、フ、フフフ、フフフフ」

 ヲルクィトゥが肩を震わせながら、背を丸めた。

「ハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハ!!」

 片手を腹に、もう片手を額に置き、そして、天に向かって笑い出した。

 プルプルと生まれたての小鹿のようにコストイラが立ち上がる。
 対して、ヲルクィトゥは草切れを舞い上げながら倒れた。

「笑った?」
『珍しいですね、彼が笑うなんて』
「うおっ! アスタット。いつの間に。他の人は?」
『あそこだ』

 アスタットが指を差す先では、エレストやアイケルスがエンドローゼに絡んでいた。

『物凄くフォンと似た気がするわね。トッテム教だし、しかも、その中でもかなり愛されている方ね』
『モフモフ。淡い紫色の髪。何かセルンと似ているわね。コストイラとどういう関係なの?』
「あばばばば」

 キスができそうな位置にエレストの顔があり、髪の中にはアイケルスが顔を突っ込み、匂いを嗅いでいた。
 おそらく、助けに行ったなら、巻き込まれてしまい、もう戻っては来れないだろう。
 済まない、エンドローゼ。贄になってくれ。

「あぁ、嗚呼、流石だな、コストイラ。もう、私のような古人は要らないのだな。世界は次代の英雄を求めているのか。だというのに、私は殺さないのだな」

 ヲルクィトゥは嘆くような演技をしながら、両腕を大げさに広げ、大の字となった。

「嗚呼、まったく分からん。分からんな、世界よ。お前は今、何を望んでいる?」

 ヲルクィトゥは優しい目を天へと向けた。

「嗚呼、ジョコンドよ。申し訳ない。私はまだ、そちらに行けそうにない」

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