メグルユメ

トラフィックライトレイディ

16.精霊の愛し子

 覚悟など一切ない。最初から感覚としてはゲームそのもの。自分は絶対に安全な場所であり、死んでも、それは自身の操るアバター。やはり自分には何も起きない。
 異世界にやってきていても、そんな感覚のまま。自分は安全だと、心のどこかで思っていた。

 思考が掻き回されたようにめちゃくちゃだ。

 心臓の拍動が、自身の心を裏切るように全身を軋ませ、手足は鉛のように重く感じる。

 あの日、動物に現実逃避していたが、やはり自分でも気づいていた。あのまま生きていても死んだように生きることしかできない。あのまま未来を諦めたままであったのならば、死んでいることと変わらない。
 異世界に来て拾った命を、死んだように生きるのなら、拾った命を何かに還元しようと思った。

 バゴンと顔面にヨルムンガンドの鱗が当たった。

 足が地を離れる。宙を舞う。手で虚空を掻く。何にも触れない。届かない。
 早い。風が強い。目が痛い。頭が痛い。耳鳴りが遠い。さっきまで感じていた拍動さえ体の外だ。心臓をどこかに置いてきてしまったような気がする。シキに対して鳴っていた警鐘がより一層不安な音となり、頭蓋の中で鳴り響いている。

 もしかして、このまま死ぬ。

「ッ!? まだ、死にたくっ……」

 自分の願いを口にした直後、頭から固い地面に激突した。
 砕け散る音が盛大に響き渡り、そして。

 ブッ。




 ヨルムンガンドにかけられていた祝福が消えた。包み込んでいた柔和な色眼鏡によって、穏やかに世界を見ることができていた。
 その安全弁が消えた。ヨルムンガンドが怒りの毒蛇へと移行する。

 凶悪な魔物が哀しみに啼く。




 地面からヨルムンガンドが現れた時、フレアドラゴンも水に流された。
 フレアドラゴンは火属性の魔物だ。自然現象であっても水は弱体の原因だ。

 ゆえにこの波も弱体化の原因だ。

 それをどうでもいいと思えるほど、主人は荒んでいる。

『ヴォフ』

 フレアドラゴンは目を細め、主人を悼む。口の中に炎を溜めていく。主人の平穏を取り戻す。それが火炎巨竜のできる唯一の方法だ。
 そして、それを放とうとした時、ズドンと首を切り落とされた。




 主人を失い、束縛から解放されたはずの世界毒蛇は、それなのにまだ主人に縛られていた。
 主人の死の原因は今、目の前にいる矮小な人間だ。それを意識すると、橙や赤が混じった暖色系の瞳がオレンジ色になっていく。

 まずは同胞を殺した赤い侍を殺しつつ、頭に乗る主人殺しを下に落とそうとする。

 ボゴリと喉元が膨らむ。それが口の方へと昇っていき、その途中で魔力が当てられた。それに反応してやるほど、心に余裕がないわけではない。
 しかし、魔力を無視して毒を口内へと移動させる。

 そして、頭を振りながら、毒を吐き散らした。

 空気が紫色に色づく。一目で毒だと分かる。アストロが一気に空気を肺に溜め込み、魔術を放とうとする。その前にレイドとアシドが立ち塞がる。

 護られているだけでは癪に障るので、魔術を放つが、な。

 すると、その前にエンドローゼが立った。

 万人を病にし、万人に死を与える邪蛇に沸点を超えた。本人の魔力と月の魔力により、世界有数の魔力量でもって回復魔法を放つ。
 魔法を放つ相手ではなく、その回復魔法が毒に当たる。その瞬間に空気が浄化された。

 その爽やかな光景に、世界毒蛇の脳裏に花畑が思い浮かんだ。その直後、ブフとヨルムンガンドの鼻や口から血が出てきた。グリンと目が剥がれ、ズズンと倒れた。




 そこに四人の少女がいた。少女達は一つの丸テーブルの周りに行儀よく座っている。そして、規則正しく東西南北の位置にいた。

 南の位置に座っている少女の目がきつくなる。

『おい』
『お、落ち着きなさい。そ、そ、そんなばずは』
『お前がまず落ち着け。まだ確定じゃねェ』

 西に座っている少女が紅茶を持つ手を大きく震わせている。紅茶が波打ち、テーブルの上に斑点を作っていく。

『……確かめるべきか』
『行こうか』
『そ、そうですね』
『行きましょう』

 北に座っていた少女がテーブルに手を着いて立ち上がった。南、西、東と順々に立ち上がり、ある一点を眺めていた。
 自分達の愛しい存在の気配が消えた方を。

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