31．王者の咆哮

　チャンピオンのアリスは無敗の二つ名を持っている通り、チャンピオンになってから負けたことがない。だからこそ、負けに対するプレッシャーが強くなっていた。そのために負けないための工夫をした。
　戦い方を読まれないように、いくつもの戦い方を身に着けた。剣も槍も弓矢も魔術もすべて平均以上に戦えるようになった。

　だからこそ、剣を投げても問題がなかった。数秒で返ってきたのはナイフだった。アリスは左手を鞭のようにしならせ、ナイフを叩き落とす。

　アリスの徒手を初めて見れた観客がより一層の声を上げる。

　ナイフの次にシキが来る。アリスが迎え撃つようにタックルをかます。シキはカウンターを貰い、吐き気が出てくる。アリスが足を止めても、シキは飛ばされゴロゴロと転がっていく。
　シキは膝を着き、逆手に持っていた右のナイフを順手に持ち返る。立ち上がるのではなく、シキは膝を伸ばすと同時にスタートダッシュを切る。

　えげつないほどの低い姿勢で迫るシキに、アリスは緊張を感じる。各チャンピオンの中でも一番の実力者であるモシェーと戦う時でも味わえないものだ。これはシキが殺意まみれの眼光をしているからかもしれない。

　負けない。負けたくない。

　アリスは拳を固めた。目の前の強大な敵を倒すために。
　アリスは腰を落とした。目の前の敵のいかなる行動にも対応するために。

　シキは左手を前に出した。すべてを犠牲してでも無敗に勝つために。
　シキは腰を落とした。無敗のチャンピオンの動きを読み切るために。
　両者がほぼ同時に動きだす。若干だがアリスの方が速く動きだしている。

　空気が削り取られているかと思うほどの音を出し、アリスの拳がシキの顔面に向かう。シキがその拳に合わせてナイフを振るう。しかし、拳がすぐに返っていく。ストレートではなく、ジャブだったようだ。
　アリスは拳を戻す腰の捻りを利用して、ボディに拳を叩き込む。シキの右腕は伸び切っていたわけではないが、腕を引っ込めようにももう間に合わない。右の脇腹からバキバキと嫌な音が鳴っている。内臓が傷ついたかどうかは分からないが、口から血霧が噴き出す。

　かなりの高さまで体が浮き、地面に落ちる。体が発する痛みが尋常じゃない。正直立ち上がるのを諦めたいほどだ。

　パタパタと口から血を落としながら、立ち上がる。痛すぎて顔の表情が変えられない。

「何ということだ！　挑戦者澄まし顔だ。効いていないのか？」

　アリスはそんなわけなかろうと思いつつ、シキを見る。シキの口の端から垂れている血が演技だというのなら泣きたくなってしまう。
　シキが悠然とナイフを構える。ナイフの先が少し揺れている。持つ握力がないのか、それとも罠なのか。高度すぎてアリスには分からない。
　今のシキにはダメージが残りすぎているはずだ。アリスは足で攪乱する策を出す。アリスが後ろに回っても、こちらを向かない、最低限の動きだけで戦おうとしているのか、振り向く体力がないのか。

　見極めるためにもう一周走る。正面に回ると、シキが目を瞑っていた。アリスが目を開き驚愕するが、すぐに理解する。目ではなく、耳からの情報に集中しているのだ。

　不規則なステップを踏むアリスは、シキの真後ろに着た瞬間、ジグザグに距離を詰めていく。その間もずっと不規則なステップだ。

　両者の制空圏が触れる。砂利と靴が砂を砕き、蹴りを繰り出す。中堅の闘技場登録者であれば頭が吹き飛ぶレベルの威力を有している。シキはそれに対して垂直にナイフを突き立てる。

　ナイフの先端、刃が潰れているにもかかわらず、アリスの足に入り込む。1㎝程刺し込まれ、そこで鋼が罅入り、砕けた。
　足が痛むのを無理矢理黙らせ、蹴りを振り抜く。シキの両腕を巻き込む顔面を蹴り上げた。