メグルユメ

トラフィックライトレイディ

16.王と剣

 その気持ちは憧れだった。

 アンデッキが生まれた時には、冥界が誕生してから400年が経過していた。その400年の間、冥界を引っ張ってきた王はシュルメただ一人であり、冥界を物理的にも守っていた。その剣を下賜されたのが自衛隊だ。

 アンデッキは常に変わり続ける冥界を護る自衛隊に特別な感情を抱いた。それが憧れだった。

 とりわけ、憧れの中心にいたのが、建界当初から王の剣として働き続けるホキトタシタだった。

 アンデッキが10歳の時、自衛隊の入隊を果たした。自衛隊内の生活は過酷だった。当たり前だ。常に死と隣り合わせの仕事なのだ。ちゃんと生きて帰れるように訓練しなければならない。
 職場内は怒号や唾、血液の飛び交う場だった。毎日のように人を募集しており、慢性的な人不足であるはずなのに、毎日のように辞職する人がいた。
 どれだけ人を増やしても人手は不足しており、昨日隣にいた人が今回は故人として隣にいるなんてこともある。

 それでもアンデッキは自衛隊で頑張った。辞めることを考えたことさえなかった。それは偏にホキトタシタの存在があったからだ。憧れの存在が第一線で戦う限り、アンデッキが辞めることはない。それは同期であるぺデストリにも話していたことだ。
 その愛が届いたのか、アンデッキは今の隊のままだが、ホキトタシタと共に行動できるようになった。

 キングクラーケンはホキトタシタが隊長へ至った戦いにおける敵だ。歴史的なライバルである。

 そして今、アンデッキの目の前で極太の触手がホキトタシタを貫こうとしていた。

 アンデッキの体は自然と動いていた。






 冥界には太陽も月もない。

 そのため、光の代わりに火を用いている。松明がなければ昼でさえ、地上の夜なみに暗い。そのため、光合成が必要な植物は一切育たない。したがって花も咲かない。そんな冥界に花が咲いた。美しく綺麗な氷の花が咲いていた。

 それを目にしていたシュルメはスゥと目が細まっていく。冥界は幽霊や魔族の集まりだ。多くの場合は闇や理、光の属性のどれかだ。氷を生み出す属性は少ない。
 さらに、この規模の氷を生み出せるのは、おそらくホキトタシタの氷の魔剣のみだ。これは救援のサインだろう。
 窓の外を見てみると、ホキトタシタが死にかけていた。相手はあの・・キングクラーケンだ。足は4本になっており、その1本の先には人が貫かれている。すぐにズルリと落ちた。

 心は動かない。これまでもたくさんの人が死んで来たのだ。死に対する心が壊れてしまっている。
 シュルメは機械的に涙を流し、形式的な弔いくらいならしようと、窓から乗り出した。
 シュルメの行く道を蝶が先行する。誰かを貫いた触手に当たり、爆発を起こし穴だらけになる。キングクラーケンが上を向く。そこにはあの日と同じく、女の霊がいて、しかしあの時と違うのが、そこにいるのは冥界の王だ。

「あれは、シュルメ様」
「馬鹿な。戦場に姿を現すとは」
「あの時の繰り返しか?」

 自衛隊員の間に衝撃が走る。戦う姿を見たことがない者は、未知の戦闘力に期待と不安を抱き、あの時の戦いを見ていた者は、今度こそ終わりにできるのかどうかに祈りを捧げる。

 死体1分前の男の体を抱きかかえる騎士。高所から敵を見下ろす女の霊。死者を何体も生み出した、女の霊を見上げる巨大な敵。
 あの時と同じ。しかし、違うのは時が経ったことだ。それにより、立場が変わり、傷が増え、そしてこの場にはコストイラがいた。
 王の背には光球が8個生み出される。8個は等間隔に出現し、円形をしている。光輪は眩く光り、キングクラーケンの網膜を焼く。

『ォオオオッ!!』

 キングクラーケンは体を支える脚を2本に変え、正常な1本と穴だらけの1本を武器に見立てる。短く叫ぶと、正常な足を鉤状にして振り、水を弾くようにして投げる。

 王は体を上に動かし、水弾を躱す。

 キングクラーケンが触手を戻そうとした時、邪魔が入る。それはコストイラだった。瞳に炎を宿し、武器に炎を纏わせた戦士は、体に着いた水滴が蒸発するほどの火力でキングクラーケンの足を切り飛ばす。集中するコストイラはもう臭いすら気にならない。
 武器を振り抜いた体勢のコストイラに穴だらけの足をぶつけようとする。しかし、手前の水面を叩いた。バランスを崩した。体を支えていた2本の足のうち、前に置いていた足が切られたのだ。

 キングクラーケンの眼が動く。そこにいたのはやはりと言うべきか、自衛隊現隊長ホキトタシタだった。






 ぴしゃりと頬に血がついた。ホキトタシタのものでもキングクラーケンのものでもない。それは体を貫かれたアンデッキのものだった。

 辛うじて上下が繋がっているが、そこにバルクな体はなく、サーフェス状態の皮でしかなかった。その皮もアンデッキ自身の下半身の重さで千切れ、上半身も落ちてきた。
 血は傾く氷の足場を流れ、湖を色づける。上半身からは半壊した肝臓や胃が漏れ、下半身は断裂された小腸や大腸が漏れ出る。この時点で膵臓や十二指腸は消失しており、血液も出しすぎた。

 見ればわかる。アンデッキは死ぬ。

 しかし、ホキトタシタの心は動かない。また仲間が死んだという意識があっても、その事実に心は痛まない。
 すでに眼は虚ろで体は冷たい。ホキトタシタの意識はすぐにキングクラーケンに向いた。
 先程アンデッキが貫かれた触手が爆発した。王の参戦だ。王が先に立つのであれば、騎士はその前の道の整備をし障害を取り除かなければならない。

 不滅の炎、コストイラが先陣を切った。この男は間違いなく騎士であり、戦士だ。隊長ホキトタシタでさえ尊敬してしまう。
 コストイラに触手が向く。今からではホキトタシタは切り落とせない。だからこそ切る場所を変える。キングクラーケンが前面を支えるのに使っている足だ。
 太さなど関係なく、一刀両断すると、キングクラーケンの体がバランスを崩す。

 シュルメは薄く微笑んだ。子供の頃のコストイラを知るシュルメは、その活躍ぶりに喜ばしいものを感じた。コストイラの人生において、シュルメが関われたのはほんの一時に過ぎないが、それでも子の成長を喜んだ。
 ならば次は母の番だろう。冥界の王を後光のように照らす光球達が円を回り始め、一つの円のようになる。シュルメが手を翳すと、光輪からレーザーのような光が放たれ、キングクラーケンの体を貫く。

『オオッ!!』

 救いを求める民が如く、穴だらけの触手を伸ばすが、光線によりくるくると宙を舞った。残された最後の1本も、キングクラーケンの脳と共に光線で斬られた。

 キングクラーケンは死んだ。多くの犠牲者とともに得た、辛勝だった。

 そして、740年の因縁は幕を閉じた。






 原初グレイソレアは目を覚ました。久し振りの感覚である。今まで何百と眠っていなかったので当然だ。上体を起こし、軽く伸びをすると、ベッドから下りた。
 今日この日、彼女は決めていることがあった。お礼だ。この家の全員にお礼の品を上げたいが、お礼は一人分しかない。ゆえに、今日初めて会った者にお礼をする。

『よし』

 グレイソレアは綺麗にベッドメイキングすると、部屋を出た。しんとしている。当たり前だ。まだ朝4時前だもの。
 リビングを抜けて玄関まで来ると、そのまま外へ、新鮮な空気を胸いっぱいに吸う。

「どこに行くんですか?」

 声をかけられた。全く予想外である。コウガイは不審に思いつつも、驚いたように眉を上げる少女の言葉を待つ。

『はい、帰ろうと思いまして』
「皆に挨拶しないのですか?」
『迷惑かと思いまして』
「そんなことはないと思いますが」
『では、相手にお世話になったお礼お送りましょう』

 不自然なほど強引な話題転換にコウガイは、眉根を寄せるがあえて突っ込まない。

『私は誰にお礼をしようかと悩んでいました。本来なら全員にしたいのですが、生憎私は一人分のお礼しか持ち合わせていません。そこで今日、一番最初に会った方にお礼しようと』
「それで私ですか」

 コウガイが確認するように聞くとグレイソレアは頷く。

『お礼はこれです』

 グレイソレアは緑色の結晶を2つ取り出す。

「魔力結晶。しかも2つですか」
『一対で使うものです。これを貴方に上げましょう。1個は使い方を教えましょう。もう1個は使い方が同じなので』
「有難いです」

 コウガイは結晶を受け取ると、1個をポケットに入れる。

『ではそれを片方の目に当ててください』
「直接、ですか」
『はい』

 コウガイは恐怖を覚えながら、左目に直接当てる。いくら拳闘士と言えど目玉までは鍛えられないので、潰れてしまいそうで怖い。

『それでは押し込んでみましょうか』
「目を潰せ、と?」
『安心してください。視力を失うことはありません』

 心配しているのはそこではないが、コウガイは指示通りに左目に水晶を押し当て、グッと力を入れる。水晶はズブズブと左目の中に入れ込んでいく。
 痛みが全身を貫く。特別痛みに強いコウガイが血管を浮かばせ、声は出さずに必死に耐える。

『まだです』

 ズブズブとまだ入っていき、目尻から涙が流れる。その頃には半分以上が侵入しており、後戻りはもうできない。結晶が全て入り込んだとき、コウガイは左目を押さえて地面を見つめる。尋常ではない発汗量で、鼻頭や顎先から滝のように落ちている。
 ゆっくりと当てていた手を外す。手からもポタポタと汗が垂れるが、それどころではない。視力は失われなかった。確かにグレイソレアの言う通りだ。コウガイの視界は以前のものにプラスして別のモノが加わっていた。
 オレンジと黒の混じった煙が見える。視界を邪魔しているというよりは、色眼鏡をかけているのに近い。いつもより明確に魔力が流れているように感じる。

「なんだ、これ」

 思わずポツリと呟くコウガイにグレイソレアはニヤリとする。グレイソレアは下を向いたままのコウガイの頬に手を当て、ゆっくりと上を向かせ、目線を合わせさせる。

『おめでとうございます。私の新しい子よ。それが私からの贈り物の神眼、魔眼の能力です。緑なので魔力視です。きっと今、貴方の視界にはオレンジと黒の混じった煙のようなものが見えていることでしょう』

 グレイソレアはコウガイの目の前で手をひらひらさせて、魔素の流れをつくる。

『このオレンジに見えるのが魔素です。体内に入ったら魔力になります。色の変化はありませんよ。視界もそこまで邪魔しないので綺麗ですよね』

 グレイソレアはコウガイから手を放し、クルクルと回ってみせる。魔素がそれに合わせてクルクルと回り、確かに幻想的で綺麗な光景だ。

「ではこの黒いのは?」

 コウガイは綺麗な紫結晶の眼と、淡く光る緑の眼でグレイソレアを見る。クルクルと回っていたグレイソレアはピタリと止まり、そこでようやく目が開いた。一組、計16の眼がそこにあった。8つの瞳がギョロギョロと動き、すべてがコウガイを見つめる。ニコニコと笑顔のままだ。

『これは活性化する原因です。取り込みすぎた結果が、見境なく襲ってくる個体の誕生に繋がるのです。これらを辿っていけば、世界の半分を知ることができますよ』
「半分?」
『はい。魔素なんてものは、たかが500年の歴史です。私の年齢は1000近いので。所詮魔素が支配できたのは世界の半分です』

 さらりと言っているが、明らかに異常なことだ。しかし、当たり前のように言うので突っ込むことすら許されない。

『それでは後は皆さまと頑張ってください』

 コウガイは今度は止めることなく、深々と礼をして送りだした。グレイソレアの姿が見えなくなると、緑の結晶を右目に当てた。






 アンデッキは本人が思うよりも哀しみを残した。アンデッキはきっと自分が死んでも家族と同じ隊の者しか哀しまないだろうと考えていた。

 しかし、その予想に反し、自衛隊の隊員の9.5割が哀しみ、アンデッキの暮らしていた街の商店街の者達も全員が涙を流した。その者達の要望があり、アンデッキの葬式は大規模に行われた。そこには隊長のホキトタシタ。同期のぺデストリ。一週間ほどしか一緒にいなかった勇者一行も参列した。
 冥界での葬式は基本ドンチャン騒ぎだ。遺体の入った棺の周りで酒や豪華な食事での飲めや歌えやの大騒ぎ。盛大に楽しく騒がしく、明るい感じと雰囲気で死者を送り出すのだ。

 その楽し気な輪の外でアストロは溜息を吐いた。酒には必ず育て親との思い出がちらつき、楽しくなれないのだ。
 アストロの腕の中にはエンドローゼがいた。無理に酒を飲まされてコップ半分でダウンしてしまったのだ。介抱という大義名分でもって、こうして輪を抜けれたので感謝している。どこかに休める場所はないのか、エンドローゼを連れ歩く。

「……じゃあ、南の奴が?」
『そう。唆されたみたい』
「そいつは探すのか?」
『違うよ。というかもう教えてもらったから解決してる』
「マジでか」

 アストロの耳に男女の会話が聞こえてきた。覗いてみると、そこにいたのは自衛隊隊長ホキトタシタと冥界の王シュルメだった。

『フォン様がね。さっき帰っちゃ……連れていかれたよ』
「言い直す必要があったのか?」

 ホキトタシタがげんなりと肩を落とすが、すぐに背を伸ばす。

「で、誰だったんだ? その唆した奴は」
『ショーケーレ。もとい、ジャスレだって』
「潰すか? いけるぞ」
『今はよそう。ところで、その子を休ませたいのかい?』

 覗いていると、急激に話を振られ、ドキッとしてしまう。アストロは逃げようかどうかを考えたが、すぐに諦めた。多分無理だし。

 少し隙間の開いていた扉を押して、体を入れ込む。

「どこに休ませればいいのかしら?」

 努めて平静を装うが、強者2人には意味をなさない。5倍近く長い時を生きた2人には、アストロのそんな態度も可愛くってしょうがない。
 アストロはエンドローゼをそっとソファに寝かせる。

『さて、聞いてたよね』

 ポンとシュルメがアストロの背に飛びつく。アストロがいくら心が強靭でも、ビクリと体を震わせてしまう。

『まぁ、安心してよ。別に君をどうこうしようってわけじゃないからさ』
「な、何かしら」

 汗が一筋流れる。シュルメがその汗を舐め取る。

『とりあえず喋んないなら何にもしないよ。フォン様の件もあるしね』

 フォン様の件というのが何を表しているのかは分からないが、緊張のせいか質問ができない。

 後ろから抱き着くシュルメがアストロの豊満な胸に触れてくる。アストロの緊張が一気に解け、シュルメの頭に肘鉄を食らわす。シュルメは頭を押さえて蹲った。その姿は明らかに王のものから掛け離れており、少し離れたところにいたホキトタシタは静かに溜息を吐き、額に手を当てた。

 ホキトタシタは部屋を後にして廊下を歩いていると、目の前にぺデストリがいた。

「何をされていたのですか?」
「シュルメ様と今回のことを話していたんだよ」
「なぜ、葬儀を離れていたのですか?」

 ぺデストリがキツくホキトタシタを睨む。ホキトタシタは睨まれている理由が分からず、怪訝な顔をする。

「何を疑っているのか知らないが、いち早く報告すべきだと判断したからだよ。別段葬儀に参加したくないわけではないさ」

 ぺデストリの睨みは変わらない。何も言わずに立ち去って行った。ホキトタシタはデカい溜息を吐き、葬儀の宴会に戻っていった。

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