やり直したい傲慢令嬢は、自分を殺した王子に二度目の人生で溺愛される
通わせた心
「どうした? 何かいいことでもあったのか?」
「はい。首座司教様に愛弟子だと認めていただけたのです。それに、もうすぐノービレ学院の長期休暇で、ライモンド兄様が帰ってきてくれるので、そちらのほうも楽しみなんです」
ライモンド兄様は帰ってくると、私に色々なことを教えてくれる。それに会えないうちの神殿でのことも報告したいし、とても楽しみだ。
私は殿下と恒例の散歩をしながら、昨日の鬼司教との話やライモンド兄様の素晴らしさについて語った。
「またルクレツィオが騒ぎ出しそうだな」
「ルクレツィオ兄様が?」
「アリーチェはライモンドがいる時は、頻繁に週末に帰ってきてくれて嬉しいが、ほぼライモンドの後ろをついて回っているのが面白くないそうだ」
苦笑いしながらそうこぼす殿下に私は、ふふふと笑った。
ルクレツィオ兄様は帰ってきている時くらいゆっくり休めと言ってくれる。でも、ライモンド兄様がいてくれる時間は限られているので、その貴重な時間を無駄にはしたくないのだ。
「ルクレツィオ兄様とはいつでも会えるのでつい……。でも寂しがっているなら、次帰った時にお茶に誘ってみます」
「そうしてやってくれ。そうすると、こちらに愚痴をこぼしに来るのもマシになるだろう」
クスクスと笑った殿下に私もつられて笑ってしまう。しばらくルクレツィオ兄様の話題で笑っていると、突然殿下が真面目な顔をした。その表情に心臓が跳ねてしまう。
「イヴァーノ兄様……?」
「アナクレトゥスが話したのなら、そろそろ私も本心を話さねばならぬな」
「え……?」
本心……?
殿下の真面目な表情と「本心」という言葉に、その場に縛りつけられたみたいに動けなくなってしまう。
殿下の本心――ずっと知りたかったものだ。この人は本当はどう思っているんだろうと、ずっと気になっていた。でもいざ聞けるとなると、やっぱり怖い。
私は以前のことが思い出されて、胸が痛くなってきた。貫かれた場所を押さえて、揺れる目で彼を見つめる。
「私は、アリーチェに首座司教の役目を担ってほしいとは思っていない」
ああ、やっぱり……。
人質である私を、国の重要な地位になんてつけられないわよね。その上、首座司教は国の命運を握る。
何を浮かれていたんだろう。私なんかが望める居場所なんかじゃなかったのに。
瞳の奥が熱くなってきて、私は唇をきゅっと引き結んだ。
「私はアリーチェに次のイストリア王妃になってほしいと思っている」
そう。人質の私は王妃が……ん? 王妃?
私は出そうになった涙が引っ込み、こぼれそうなくらい大きく目を見開いて、殿下を見つめた。
「……ごめんなさい。私、今耳がおかしくなっているかもしれません。王妃って聞こえちゃいました」
「聞き間違いなどではない。私は其方を聖職者にするつもりはなかったのだ。アリーチェの力を確実に伸ばすための手段として、首座司教に託しただけだったのだが、其方が首座司教になりたいと願うのならば、王妃と兼任できる道を切り開きたいと思う」
「…………」
私は先ほどから飛び出してくる殿下の言葉の数々に口をあんぐりと開けて固まった。すると、殿下が私の開きっぱなしの口を閉じる。
「信じられないのなら、何度でも言おう。私はいずれアリーチェを私の正妃に。イストリアの王妃にしたいと思っている」
「…………」
「今すぐでなくとも構わぬ。急かしたりせぬから、ゆっくり考えてほしい。アリーチェ、どうか私と共に歩んでほしい」
「え? え? ええぇぇーっ!!!」
私は殿下の言葉に飛び退いた。すると、ぐいっと抱き寄せられ、手の甲に口付けが落ちてくる。
その殿下の行動に目を白黒させると、とても真剣な眼差しに射抜かれてしまう。
正直なところ、パニックだ。脳が情報の処理に追いついていない。
「幼い頃から何度も伝えているだろう? そんなに驚くな。アリーチェ、私は其方のことが可愛くて仕方がないのだ。大好きなのだ」
「ままま待って! 待ってください! 何言って……」
「アリーチェ、頼む。どうか私との未来を真剣に考えてほしい」
そんな……。だって私は……人質なのに。
私も殿下が好き。でも、手放しに喜べない。この手を取ってはいけないことくらい、私でも分かる。
私は首を横に振った。
「いけません。イヴァーノ兄様には、もっと相応しい方がいます。何より、国王陛下が許してくださいません」
「父上には必ず頷かせてみせる。私はアリーチェと添い遂げるためならば、どんなことでもしてみせる。だから、何も気にせず其方自身がどう思うかを聞かせてほしい」
「そ、そんなこと……考えたことなかったです……」
「では、考えてくれ……」
「…………」
私はどうしても返事をすることができなかった。
そしてその日は散歩から帰ってきた私が、ずっと呆けているものだから、鬼司教に「目障りだ」と言われ、自室で休むように命じられてしまった。
だけれど、一日、二日考えたからといって答えが出せるわけでもなく。私は急かさないと言った殿下の言葉に甘えて、一年経ち、二年経ち、三年半くらい経って、いつのまにか十一歳になってしまった。
ここまで返事のできない私って最低だとは思うけど、それでも決断ができなかったのだ。殿下の手を取るということはイストリアの次期王妃となる。そんなの絶対に誰も許さない。
殿下は相変わらずスキンシップは激しいけれど、私の気持ちを無理に変えるつもりがないのか、あの話をされることはもうなかった。
「はぁ~っ」
「どうした? 元気がないな」
「イヴァーノ兄様……」
どでかい溜息をつきながら、神殿の廊下を掃除していると、突然殿下が後ろから抱きついてくる。それだけじゃなく肩に顎を乗せてすり寄ってきた。
「何かあったのか?」
「あ、いえ……」
すると、殿下が私の髪を撫で、そのまま滑らせるように頬を撫でたから、私の心臓はけたたましく鼓動をうつ。
「アリーチェ。聖職者の婚姻について、何年もかけて詳しく調べていて、やっと其方に伝えられるのだが聞いてくれるか?」
「え? はい、もちろんです」
「現在は明文化されておらぬが、永き間に感覚で、聖職者の婚姻は駄目だと決めつけていたようだ。アリーチェが首座司教となることを望むのなら、私もそれを叶えたい。立太子式を終え、王太子となった暁には、法で明確に聖職者の婚姻を認めようと思う。その突破口をようやく見つけたのだ」
それはもしかして……私のために? 私との未来のために?
「っ!」
「アリーチェがなんの心配もなく神殿にいられるようにする。だから、私を選んでくれ。あの日の返事を聞いてもよいだろうか?」
「イヴァーノ兄様……」
「兄などと呼ばないでくれ。私はいつまでも其方の兄でいるつもりはない。アリーチェの恋人になりたいのだ……」
「…………」
今、私を抱き締めている人は誰?
私を殺した人と本当に同じ人?
あんなに目も声も冷たかったのに――今の殿下は、とてもあたたかい。私に向ける眼差しも、かけてくれる声も、言葉も、触れてくれる手も、すべてがあの時とは別人なようにあたたかい。
「私はまだ十三歳だ。今年、ノービレ学院に入学する私では、まだまだ頼りないかもしれぬが、それでも私はアリーチェを守るためなら、どのような努力でもすると約束しよう」
「イヴァーノ……さま……」
「イヴァーノでよい。イヴァーノと呼んでくれ」
「イヴァーノ……」
彼の名前を口にすると、ぶわっと涙があふれてきた。すると、彼が力強く抱き締めてくれる。
本当に私でいいの? だって私は……私は……。
「アリーチェ。私はアリーチェでないと嫌なのだ。アリーチェは私では駄目か?」
「そうではありません。そうではないのです。だって私は……私は……コスピラトーレの第一王女です。前の戦争の折りに捧げられた人質です。神殿内のことは国王であっても不可侵。けれど、貴方の妃となれば話は変わってきます。国王陛下も大臣たちも……たとえお父様であっても許さないでしょう」
私が殿下の前で、今にも崩れ落ちそうになりながら泣いていると、殿下は支えるように抱き締めてくれる。
「ずっとおかしいと思っていた。初めて会った時からずっと……。其方は私を見て異様に怯えていた。そうか、あの頃から知っていたのだな……」
「ごめんなさい……」
「謝るな。謝らないでくれ。アリーチェ……だからなんだというのだ。私はそのようなことは気にせぬ」
「それではいけません。皆の意見を無視したら暴君と変わりありません」
すると、殿下が私の唇に人差し指をそっと当て、優しい笑顔で首を横に振った。
殿下……?
「私は強くなる。其方を、そのように不安にさせないように強くなると誓おう。アリーチェ、血はただの血だ。出自もまた大きな問題ではない」
「イヴァーノ……」
「私はそのように苦しみを知っている其方となら、平和で誰も悲しませない国が作れると思うのだ。共に慈愛でこの国を治めたい」
「…………」
「夢見がちだと思うか? だが、私はそうは思わぬ。其方は全属性であり、あの気難しい男に認められ愛弟子となった。私の目に狂いはなかったのだ。神殿に其方をあずけたのは、誰にも文句をつけさせないためだ。アリーチェ、国を守護する首座司教は国王と並ぶ力を持つ。国王であっても自由にならない地位だ。いずれその首座司教となる其方はこの国で誰よりも王妃に相応しい。私とアリーチェの婚姻は、王室と神殿を今以上に強く結びつけるだろう」
私は殿下の――イヴァーノの言葉に、彼の胸に縋りついて泣いてしまった。
彼がそんなにもずっと私と生きるために動いてくれていたなんて知らなかった。イヴァーノと出会った当時の私は自分が死なない道を模索していた。そんな時からもっと遠い未来を考えて動いてくれていたんだ。
イヴァーノの言葉が、私の胸を熱いもので満たしていく。
「私、怖かったのです。いつか人質としての役目を果たさなければならない時がくる。その時に処刑しか道がないのは嫌だと……そう思って、精一杯頑張ってきたのです。こんな……厄介者の私を、受け入れて、愛してくれた……家族のためにも、私はなんとしてでも……」
「アリーチェ、よく頑張った。其方の頑張りは私だけでなく皆がよく知っている。幼い身でよく耐えた。だが、もう大丈夫だ。何も不安に思うことはない。これからは私が守る。もう一人で泣かせたりも悩ませたりもしない。愛している、アリーチェ」
「イ、イヴァーノ……! 私、いけないと思いながらも、貴方に……惹かれていく自分を、止められませんでした。私も、私も、好きです!」
イヴァーノは私の言葉をひとつひとつ優しく聞いて受け止めてくれる。そして、彼の胸で泣きじゃくる私をしっかりと抱き留めてくれる。その力強い腕に、とても安心した。
私、幸せだ。
こんなにも幸せでいいんだろうか。やり直せただけでも幸せなことなのに、今回の生では鬼司教もイヴァーノも私を受け入れて大切にしてくれてる。愛してくれる。
皆の優しさに触れて、私は怯えずに精一杯行動しようと心に決めた。後悔のないようにしたいと強く思った。イヴァーノが私のために動いてくれていたように、私もイヴァーノに相応しい人間であれるように頑張りたい。
とりあえず、何か結果を出さないと。国王陛下でも認めざるえない結果を。
私はうーんと唸った。
「あまり悩むな。とりあえず、父上よりも其方の兄たちに報告せねばならぬ。そちらのほうが難関かもしれぬぞ」
「うちの兄様たち、シスコンですものね……。あ! でも、その前にまず鬼司教に報告しなきゃ」
「鬼司教? 其方……」
私はイヴァーノの言葉にハッとして口を覆った。すると、彼がお腹を押さえて笑い出す。
「鬼司教か。それはよい。的を得ているではないか」
「……そ、そんなに笑わないでください」
その後、笑っているイヴァーノを引きずって、鬼司教の執務室に向かった。
鬼司教は私の気持ちを知っていたので、祝いの言葉をくれると思っていたのに、なぜか「掃除の途中のはずだ。さっさと掃除をしてきなさい」と言ってきた。
「掃除はあとでします。それより話を……」
「アナクレトゥス……其方……」
「認めてほしいなら、まずやるべきことをしなさい。殿下とアリーチェは、今から二人で神殿内外のすべての掃除をしてくるように。話はそれからです」
「……分かった。其方が、アリーチェとの仲を認めてくれるというのなら、私はどのようなことでもしよう」
「え? イヴァーノ?」
「面白い。ならば、その覚悟見せてもらいましょう」
私は鬼司教とイヴァーノを交互に見て狼狽した。
神殿内外すべての掃除って、庭もあるのよ。草もむしらなきゃならないし、掃き掃除もしなきゃならない。広大な土地を二人だけでなんて……!
だけれど、イヴァーノは大変だとも言わず、むしろ生き生きしながら楽しそうに掃除をしていた。その姿を見て、私は戸惑いを通り越して唖然とした。
不思議だ。とても不思議。
前回どのように育ったら、あのようなイヴァーノができあがったんだろうか……。今のイヴァーノと、以前のイヴァーノは別人すぎる。
私も変わったけれど、彼は信じられないくらい変わったと思う。
「はい。首座司教様に愛弟子だと認めていただけたのです。それに、もうすぐノービレ学院の長期休暇で、ライモンド兄様が帰ってきてくれるので、そちらのほうも楽しみなんです」
ライモンド兄様は帰ってくると、私に色々なことを教えてくれる。それに会えないうちの神殿でのことも報告したいし、とても楽しみだ。
私は殿下と恒例の散歩をしながら、昨日の鬼司教との話やライモンド兄様の素晴らしさについて語った。
「またルクレツィオが騒ぎ出しそうだな」
「ルクレツィオ兄様が?」
「アリーチェはライモンドがいる時は、頻繁に週末に帰ってきてくれて嬉しいが、ほぼライモンドの後ろをついて回っているのが面白くないそうだ」
苦笑いしながらそうこぼす殿下に私は、ふふふと笑った。
ルクレツィオ兄様は帰ってきている時くらいゆっくり休めと言ってくれる。でも、ライモンド兄様がいてくれる時間は限られているので、その貴重な時間を無駄にはしたくないのだ。
「ルクレツィオ兄様とはいつでも会えるのでつい……。でも寂しがっているなら、次帰った時にお茶に誘ってみます」
「そうしてやってくれ。そうすると、こちらに愚痴をこぼしに来るのもマシになるだろう」
クスクスと笑った殿下に私もつられて笑ってしまう。しばらくルクレツィオ兄様の話題で笑っていると、突然殿下が真面目な顔をした。その表情に心臓が跳ねてしまう。
「イヴァーノ兄様……?」
「アナクレトゥスが話したのなら、そろそろ私も本心を話さねばならぬな」
「え……?」
本心……?
殿下の真面目な表情と「本心」という言葉に、その場に縛りつけられたみたいに動けなくなってしまう。
殿下の本心――ずっと知りたかったものだ。この人は本当はどう思っているんだろうと、ずっと気になっていた。でもいざ聞けるとなると、やっぱり怖い。
私は以前のことが思い出されて、胸が痛くなってきた。貫かれた場所を押さえて、揺れる目で彼を見つめる。
「私は、アリーチェに首座司教の役目を担ってほしいとは思っていない」
ああ、やっぱり……。
人質である私を、国の重要な地位になんてつけられないわよね。その上、首座司教は国の命運を握る。
何を浮かれていたんだろう。私なんかが望める居場所なんかじゃなかったのに。
瞳の奥が熱くなってきて、私は唇をきゅっと引き結んだ。
「私はアリーチェに次のイストリア王妃になってほしいと思っている」
そう。人質の私は王妃が……ん? 王妃?
私は出そうになった涙が引っ込み、こぼれそうなくらい大きく目を見開いて、殿下を見つめた。
「……ごめんなさい。私、今耳がおかしくなっているかもしれません。王妃って聞こえちゃいました」
「聞き間違いなどではない。私は其方を聖職者にするつもりはなかったのだ。アリーチェの力を確実に伸ばすための手段として、首座司教に託しただけだったのだが、其方が首座司教になりたいと願うのならば、王妃と兼任できる道を切り開きたいと思う」
「…………」
私は先ほどから飛び出してくる殿下の言葉の数々に口をあんぐりと開けて固まった。すると、殿下が私の開きっぱなしの口を閉じる。
「信じられないのなら、何度でも言おう。私はいずれアリーチェを私の正妃に。イストリアの王妃にしたいと思っている」
「…………」
「今すぐでなくとも構わぬ。急かしたりせぬから、ゆっくり考えてほしい。アリーチェ、どうか私と共に歩んでほしい」
「え? え? ええぇぇーっ!!!」
私は殿下の言葉に飛び退いた。すると、ぐいっと抱き寄せられ、手の甲に口付けが落ちてくる。
その殿下の行動に目を白黒させると、とても真剣な眼差しに射抜かれてしまう。
正直なところ、パニックだ。脳が情報の処理に追いついていない。
「幼い頃から何度も伝えているだろう? そんなに驚くな。アリーチェ、私は其方のことが可愛くて仕方がないのだ。大好きなのだ」
「ままま待って! 待ってください! 何言って……」
「アリーチェ、頼む。どうか私との未来を真剣に考えてほしい」
そんな……。だって私は……人質なのに。
私も殿下が好き。でも、手放しに喜べない。この手を取ってはいけないことくらい、私でも分かる。
私は首を横に振った。
「いけません。イヴァーノ兄様には、もっと相応しい方がいます。何より、国王陛下が許してくださいません」
「父上には必ず頷かせてみせる。私はアリーチェと添い遂げるためならば、どんなことでもしてみせる。だから、何も気にせず其方自身がどう思うかを聞かせてほしい」
「そ、そんなこと……考えたことなかったです……」
「では、考えてくれ……」
「…………」
私はどうしても返事をすることができなかった。
そしてその日は散歩から帰ってきた私が、ずっと呆けているものだから、鬼司教に「目障りだ」と言われ、自室で休むように命じられてしまった。
だけれど、一日、二日考えたからといって答えが出せるわけでもなく。私は急かさないと言った殿下の言葉に甘えて、一年経ち、二年経ち、三年半くらい経って、いつのまにか十一歳になってしまった。
ここまで返事のできない私って最低だとは思うけど、それでも決断ができなかったのだ。殿下の手を取るということはイストリアの次期王妃となる。そんなの絶対に誰も許さない。
殿下は相変わらずスキンシップは激しいけれど、私の気持ちを無理に変えるつもりがないのか、あの話をされることはもうなかった。
「はぁ~っ」
「どうした? 元気がないな」
「イヴァーノ兄様……」
どでかい溜息をつきながら、神殿の廊下を掃除していると、突然殿下が後ろから抱きついてくる。それだけじゃなく肩に顎を乗せてすり寄ってきた。
「何かあったのか?」
「あ、いえ……」
すると、殿下が私の髪を撫で、そのまま滑らせるように頬を撫でたから、私の心臓はけたたましく鼓動をうつ。
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「え? はい、もちろんです」
「現在は明文化されておらぬが、永き間に感覚で、聖職者の婚姻は駄目だと決めつけていたようだ。アリーチェが首座司教となることを望むのなら、私もそれを叶えたい。立太子式を終え、王太子となった暁には、法で明確に聖職者の婚姻を認めようと思う。その突破口をようやく見つけたのだ」
それはもしかして……私のために? 私との未来のために?
「っ!」
「アリーチェがなんの心配もなく神殿にいられるようにする。だから、私を選んでくれ。あの日の返事を聞いてもよいだろうか?」
「イヴァーノ兄様……」
「兄などと呼ばないでくれ。私はいつまでも其方の兄でいるつもりはない。アリーチェの恋人になりたいのだ……」
「…………」
今、私を抱き締めている人は誰?
私を殺した人と本当に同じ人?
あんなに目も声も冷たかったのに――今の殿下は、とてもあたたかい。私に向ける眼差しも、かけてくれる声も、言葉も、触れてくれる手も、すべてがあの時とは別人なようにあたたかい。
「私はまだ十三歳だ。今年、ノービレ学院に入学する私では、まだまだ頼りないかもしれぬが、それでも私はアリーチェを守るためなら、どのような努力でもすると約束しよう」
「イヴァーノ……さま……」
「イヴァーノでよい。イヴァーノと呼んでくれ」
「イヴァーノ……」
彼の名前を口にすると、ぶわっと涙があふれてきた。すると、彼が力強く抱き締めてくれる。
本当に私でいいの? だって私は……私は……。
「アリーチェ。私はアリーチェでないと嫌なのだ。アリーチェは私では駄目か?」
「そうではありません。そうではないのです。だって私は……私は……コスピラトーレの第一王女です。前の戦争の折りに捧げられた人質です。神殿内のことは国王であっても不可侵。けれど、貴方の妃となれば話は変わってきます。国王陛下も大臣たちも……たとえお父様であっても許さないでしょう」
私が殿下の前で、今にも崩れ落ちそうになりながら泣いていると、殿下は支えるように抱き締めてくれる。
「ずっとおかしいと思っていた。初めて会った時からずっと……。其方は私を見て異様に怯えていた。そうか、あの頃から知っていたのだな……」
「ごめんなさい……」
「謝るな。謝らないでくれ。アリーチェ……だからなんだというのだ。私はそのようなことは気にせぬ」
「それではいけません。皆の意見を無視したら暴君と変わりありません」
すると、殿下が私の唇に人差し指をそっと当て、優しい笑顔で首を横に振った。
殿下……?
「私は強くなる。其方を、そのように不安にさせないように強くなると誓おう。アリーチェ、血はただの血だ。出自もまた大きな問題ではない」
「イヴァーノ……」
「私はそのように苦しみを知っている其方となら、平和で誰も悲しませない国が作れると思うのだ。共に慈愛でこの国を治めたい」
「…………」
「夢見がちだと思うか? だが、私はそうは思わぬ。其方は全属性であり、あの気難しい男に認められ愛弟子となった。私の目に狂いはなかったのだ。神殿に其方をあずけたのは、誰にも文句をつけさせないためだ。アリーチェ、国を守護する首座司教は国王と並ぶ力を持つ。国王であっても自由にならない地位だ。いずれその首座司教となる其方はこの国で誰よりも王妃に相応しい。私とアリーチェの婚姻は、王室と神殿を今以上に強く結びつけるだろう」
私は殿下の――イヴァーノの言葉に、彼の胸に縋りついて泣いてしまった。
彼がそんなにもずっと私と生きるために動いてくれていたなんて知らなかった。イヴァーノと出会った当時の私は自分が死なない道を模索していた。そんな時からもっと遠い未来を考えて動いてくれていたんだ。
イヴァーノの言葉が、私の胸を熱いもので満たしていく。
「私、怖かったのです。いつか人質としての役目を果たさなければならない時がくる。その時に処刑しか道がないのは嫌だと……そう思って、精一杯頑張ってきたのです。こんな……厄介者の私を、受け入れて、愛してくれた……家族のためにも、私はなんとしてでも……」
「アリーチェ、よく頑張った。其方の頑張りは私だけでなく皆がよく知っている。幼い身でよく耐えた。だが、もう大丈夫だ。何も不安に思うことはない。これからは私が守る。もう一人で泣かせたりも悩ませたりもしない。愛している、アリーチェ」
「イ、イヴァーノ……! 私、いけないと思いながらも、貴方に……惹かれていく自分を、止められませんでした。私も、私も、好きです!」
イヴァーノは私の言葉をひとつひとつ優しく聞いて受け止めてくれる。そして、彼の胸で泣きじゃくる私をしっかりと抱き留めてくれる。その力強い腕に、とても安心した。
私、幸せだ。
こんなにも幸せでいいんだろうか。やり直せただけでも幸せなことなのに、今回の生では鬼司教もイヴァーノも私を受け入れて大切にしてくれてる。愛してくれる。
皆の優しさに触れて、私は怯えずに精一杯行動しようと心に決めた。後悔のないようにしたいと強く思った。イヴァーノが私のために動いてくれていたように、私もイヴァーノに相応しい人間であれるように頑張りたい。
とりあえず、何か結果を出さないと。国王陛下でも認めざるえない結果を。
私はうーんと唸った。
「あまり悩むな。とりあえず、父上よりも其方の兄たちに報告せねばならぬ。そちらのほうが難関かもしれぬぞ」
「うちの兄様たち、シスコンですものね……。あ! でも、その前にまず鬼司教に報告しなきゃ」
「鬼司教? 其方……」
私はイヴァーノの言葉にハッとして口を覆った。すると、彼がお腹を押さえて笑い出す。
「鬼司教か。それはよい。的を得ているではないか」
「……そ、そんなに笑わないでください」
その後、笑っているイヴァーノを引きずって、鬼司教の執務室に向かった。
鬼司教は私の気持ちを知っていたので、祝いの言葉をくれると思っていたのに、なぜか「掃除の途中のはずだ。さっさと掃除をしてきなさい」と言ってきた。
「掃除はあとでします。それより話を……」
「アナクレトゥス……其方……」
「認めてほしいなら、まずやるべきことをしなさい。殿下とアリーチェは、今から二人で神殿内外のすべての掃除をしてくるように。話はそれからです」
「……分かった。其方が、アリーチェとの仲を認めてくれるというのなら、私はどのようなことでもしよう」
「え? イヴァーノ?」
「面白い。ならば、その覚悟見せてもらいましょう」
私は鬼司教とイヴァーノを交互に見て狼狽した。
神殿内外すべての掃除って、庭もあるのよ。草もむしらなきゃならないし、掃き掃除もしなきゃならない。広大な土地を二人だけでなんて……!
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