ヤクザで弁護士のあの人が、私の書いた恋愛小説を読んでいる。
03.彼らの日常1:夏樹side
翌日。
昨日と同じ時間帯、同じ電車の同じ車両に神島さんはいた。
ただ、この日は座る場所がなかったみたいで、開閉するドアの反対側で、彼は立ったまま電車に揺られていた。
「お、おはようございますっ」
「おはよう。今朝も会えて嬉しいよ」
私が詰まりながら挨拶すると、神島さんは恥ずかしげもなくそんな言葉をかけてくれた。
(うぅん、大人の余裕ってやつだなあ……)
ふと私が大学を卒業した後、同じような台詞を誰かに言えるだろうかと考えてみる。
けど、まるでイメージがわかなかった。
(……こういう台詞は、似合う人とそうでない人がいるよね……)
だからこれは大人の余裕というよりは、神島さん個人の魅力なのかもしれない。
どちらにしても、いつもの窮屈な電車内で、彼のところだけ空気が華やいでいるみたいだった。
「あ、あのっ。昨日お話した通り、おすすめの本を何冊か持ってきました。これ、どうぞっ」
紙袋に入った五冊ほどの小説を袋ごと差し出す。
すると、神島さんの表情が一瞬にして少年のような笑顔へと変わった。
「ありがとう! ああ、ご丁寧に全部カバーまで付けてくれたのか……嬉しいな。大事に読ませてもらうからね」
中を一瞥した後こちらに目線を向けられると、ほのかな高揚感とともに緊張が高まっていく。
「えっと、男の方でも楽しめそうなものをなるべく選んだつもりです。一番上のこれとかは……宮廷闘争というか、政治のお話としても面白いので、神島さんにも読みやすいんじゃないかと……」
「そんなこと気にしなくてもいいのに。私、これでも普通のラブコメとかも読んだりするよ? でも、お気遣いありがとう」
「あ、それでですね。差し出がましくて申し訳ないんですけど、神島さんとメッセの友達登録もできたらって思うんですけど……い、いいですか? 私、神島さんの本の感想とかも聞きたいなって……」
「いいのかい? いや、むしろ私の方からお願いしたいくらいだよ! ぜひ登録させてほしいな。読んだ感想も送るからさ」
「は、はいっ。よろしくお願いします!」
そんな感じで、二人ともスマホを取り出して、お互いのIDを交換し合う。
と、その時、電車が次の駅に停まり、多くの乗客が車内になだれ込んできた。
人の乗り降りが激しいオフィス街付近の駅。
私たちはその流れに押しつぶされそうになる。
「あ、やっ」
昨日みたいに乗降口から離れた座席近くならともかく、今私たちが立っている場所はラッシュの煽りをもろに受けてしまうところだった。
都心の満員電車とまではいかなくても、この時間帯はかなりの出入りがある。
するとそこで。
「おっと、危ない」
ふわりと男物のコロンの香りがしたかと思うと、私の身体は優しく抱きとめられる。
そのままくるりと反転。
気付けば、壁を背にしていた神島さんの位置に私が立っていて、彼は人ごみから私を守るように、壁となって私の前で小さな空間を作ってくれていた。
「あれ、えっと、その」
「ああ……結構混むんだね。やっぱり朝の通勤時ってこんな感じなのか」
「あの、神島さん……。だ、大丈夫ですか?」
「? 何が? 日浦さんこそ、狭くてごめんね。昨日みたいに席が空いてたら良かったんだけど」
「いえ、そうじゃなくて……」
乗客は皆ぎゅうぎゅう詰めなのに、私のいるところだけは若干の余裕ができていた。
それはつまり、彼が人の流れをせき止めてくれているからで、神島さんは今立っている場所からびくとも動かない。
かなり揺れて、ふとした拍子に人の波がこちらに押し寄せてきたりもしているのに。
(すごい……。これって筋力だけじゃなくて、体幹……なのかな)
辛そうな様子もまるで見せず、笑顔で私を見つめる神島さんと目が合って、ドキリとしてしまう。
本を渡せたのは良かったけど、結局、それ以降はろくに話をすることもなく、お互いに見つめ合ったまま、登校時の時間が過ぎていったのだった。
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