【書籍化】婚約者に「あなたは将来浮気をしてわたしを捨てるから別れてください」と言ってみた
花をめでる会 1
アレクシスが捕らえたのは、ジョアンヌの侍女の一人だった。
ジョアンヌの侍女はアレクシスよってグラシアンの前に突き出されたが、当然フェリシテにも報告が上がり、クラリス達侍女はフェリシテからちょっぴり叱責されてしまった。
「もう危ないことはしたらダメよ? いい?」
薄々クラリス達が何かしていそうなことは察していたようで、フェリシテは怒っているというよりはあきれ顔だった。
しかし、ジョアンヌの侍女を捕まえたはいいけれど、彼女は「温室の様子を見に来たら物音がしたから様子を見に行っただけだ」と言い張った。
ジョアンヌもジョアンヌで、花をめでる会が近くなって、温室の花に何かがあるといけないから侍女に見回りをさせていたのだと言って、結局、侍女を捕えたはいいが花を傷つけたところを見たわけではないので、罪には問えないそうだ。
温室が暗くて、クラリスとアレクシスがその時何をしようとしていたのかは見ていないようなので、それだけは不幸中の幸いだったが、せっかく捕らえたのに何の罪にも問えないことが腹立たしい。
だが、国王も今回の一件で何か思うところがあったようで、花をめでる会まで温室の周辺を警備するようにと指示を出したので、もうフェリシテの花が傷つけられることはなさそうだ。
花をめでる会が明日に迫った本日、クラリス達侍女は総出で会場となる前庭に花を運んでいる。
フェリシテの自室に避難していた虹色の薔薇をはじめとする七つの鉢植えに加えて、温室で無事だった花の中から十鉢を選りすぐり、合計十七鉢分を運び出した。
一番目立つところに虹色の薔薇を置き、一番美しく見えるように少しずつ配置を変えながら並べていく。
「右の百合はとその左斜め百合の薔薇は交換してもいいかしらね?」
フェリシテが全体を眺めながら指示を出し、何度か鉢を動かしたあとで、フェリシテが満足そうに頷いた。
「それでいいわ。あとは飾りつけましょ」
花を展示する台も自由に飾り付けていいので、クラリス達は用意して来たリボンなどで台を彩っていく。
わいわいとおしゃべりしながら作業を続けていると、反対側の台座にウィージェニーが侍女を引き連れてやって来た。ジョアンヌはフェリシテと顔を合わせることを嫌うので、おそらくフェリシテたちが下がってから来るだろうが、彼女の娘のウィージェニーはそのあたりは気にしないので堂々としたものである。
「王妃様、ごきげんよう」
十六歳という年齢の割に大人びた微笑を浮かべて、ウィージェニーが優雅に挨拶をした。
「ごきげんよう、ウィージェニー王女。あら、ウィージェニー王女の花は珍しいものが多いのね」
ウィージェニーは異国から珍しい花を取り寄せて育てている。運ばれてきた花も、この国ロベリウスではあまり見かけないものだった。
「ええ、珍しい花が好きなんですの。わたくしは王妃様のように品種改良するのは得意ではございませんので、気に入ったものがあれば取り寄せるようにしておりますのよ」
挨拶を終えたウィージェニーが侍女に指示を出して花を並べていく。
クラリスはちらりとウィージェニーの後ろ姿に視線を向けて、そっと胸の上を抑えた。
(……本当に、お綺麗な方だわ)
ピンクベージュの髪に大きな茶色の瞳。女性の平均身長よりも少し低いクラリスと違って、すらりと高い身長に、均整の取れた肢体。
十六歳でこれなのだ。二年後の十八歳になったウィージェニーは、本当に美しかった。
(アレクシス様が浮気心を起すはずよね……)
美貌に加えて、ウィージェニーには知性もある。噂では、積極的に政にも参加しているそうだ。
グラシアンが王太子のため、よほどのことがない限り彼女が女王になることはないだろうが、国を導いていく王族としての矜持は人一倍高い。
(同時に、穏やかな気質のグラシアン殿下と違って、激しい気性の持ち主なのよね)
未来でアレクシスを手に入れるためにクラリスを殺害したように、弱者に対して容赦がないところがある。
今のウィージェニーとアレクシスの二人の間には何の関係もないとはわかっているけれど、彼女の顔を見ると心が痛かった。
ウィージェニーがいなければ、未来でアレクシスと幸せな夫婦でいられたのにと、考えたって仕方のないことを考えてしまう。
(別れるつもりなんだから、もうアレクシス様のことなんて考えなきゃいいのに……)
どうしても、考えることをやめられない。
温室のあの一件以来、アレクシスとは少しぎくしゃくしていた。
アレクシスも強引だったと反省しているのかどうなのか、クラリスの顔を見ると困ったように眉尻を下げる。
クラリスもなんだかあれ以来アレクシスが少し怖くて、まともに彼の顔が見れないでいた。
朝夕の送り迎えのときにも、馬車の中には気まずい沈黙が流れることが多くなり、アレクシスも強引に距離を詰めてこない。
このまま少しずつクラリスとアレクシスの間に亀裂が入れば、今は別れないと言っているアレクシスも折れるかもしれなくて――、そうすればクラリスとしてはありがたいはずなのに、どうしてだろう、そうなっても全然喜べそうになかった。
(どうやったら、アレクシス様のことが嫌いになれるのかしら……)
裏切られ、傷ついた未来の記憶を持っているのに、何故心の底から憎めないのだろう。
「クラリス、クリーム色のリボンを取ってくれる?」
ブリュエットに言われて、クラリスがリボンをまとめている籠の中を覗き込んだ時だった。
城の方からグラシアンがこちらへ歩いてくるのが見えて、クラリスは思わずぎくりとする。
「ああ、華やかでいいですね」
楽しそうに笑いながらやって来るグラシアンの隣には、アレクシスの姿があった。
アレクシスはクラリスを見つけて、どこか困ったように、けれども優しく碧の目を細める。
グラシアンがフェリシテと談笑をはじめると、アレクシスがゆっくりクラリスの方へと近づいて来た。
「何か、手伝おうか?」
「……いえ、あとは飾りつけだけですから」
アレクシスの顔が直視できなくて、クラリスは視線を落として答える。
そうか、とアレクシスが残念そうにつぶやいた時、彼の背後から声がかかった。
「あら、でしたらわたくしの方を手伝ってくださいます? 鉢植えが重くて」
ウィージェニーだった。
声をかけられたアレクシスが振り返る。
ハッと顔をあげたクラリスの視線の先で、アレクシスがウィージェニーに優しく微笑んでいた。
心臓が、ぎゅっとすくみ上る。
長らく油を差していない蝶番のように、心臓が軋むような変な違和感がある。
息苦しさを覚えて、クラリスは籠の中からクリーム色のリボンをつかむと、逃げるように踵を返した。
「ブリュエット、これかしら?」
背後では、手伝いを要求するウィージェニーに応じているアレクシスの声がする。
背後から意識をそらさないと今にも泣き出してしまいそうで、クラリスは必死にアレクシスとウィージェニーの存在を頭の中から追い出そうとした。
「そうそう、それよ。リボンの端を持ってくれる……って、どうしたのよ。ひどい顔してるわよ」
ブリュエットがクラリスの表情を見て、声を落として訊ねてきた。
クラリスはぎこちなく微笑んで、ゆっくりと首を振る。
「何でもないの、ゴミが目に入ったみたい」
「……本当に?」
ブリュエットがクラリスの背後を見て、僅かに眉をひそめた。
「ねえクラリス、王女殿下とアレクシス様のことが気になるなら、わたくしが王妃様に――」
「いいの」
クラリスの背後では、ブリュエットが思わず眉をひそめるくらいに、ウィージェニーとアレクシスが仲良くしているのかもしれない。気になるけれど見たくなくて、クラリスは首を横に振った。
「でも、王女殿下はちょっと不躾よ。クラリスがいるのにアレクシス様を顎で使うなんて。なんか、距離も近いし。アレクシス様も困った顔をしているから、助けてあげた方がいいわよ」
「本当に、いいのよ」
そんなことを言って、何になるだろう。
今、ウィージェニーとアレクシスを引き離したところで、結局二年後には二人はそういう仲になるのだ。
それに、クラリスはアレクシスと別れると、そう決めているのだから。
(無駄なの……)
二人がいずれ結ばれる関係になるのならば、ここで邪魔をしたところで無駄なのだ。
そして、別れるつもりの婚約者が、誰と仲良くしようと関係ない。
(関係ないの。……だから、悲しむ必要はないのよ、クラリス)
けれど、どれだけ自分に言い聞かせたところで、感情というものはままならないもので。
(誰か、人を憎む方法を教えてちょうだい……)
それができないのならば、いっそ心が凍り付いてしまえばいいのにと、クラリスは思った。
ジョアンヌの侍女はアレクシスよってグラシアンの前に突き出されたが、当然フェリシテにも報告が上がり、クラリス達侍女はフェリシテからちょっぴり叱責されてしまった。
「もう危ないことはしたらダメよ? いい?」
薄々クラリス達が何かしていそうなことは察していたようで、フェリシテは怒っているというよりはあきれ顔だった。
しかし、ジョアンヌの侍女を捕まえたはいいけれど、彼女は「温室の様子を見に来たら物音がしたから様子を見に行っただけだ」と言い張った。
ジョアンヌもジョアンヌで、花をめでる会が近くなって、温室の花に何かがあるといけないから侍女に見回りをさせていたのだと言って、結局、侍女を捕えたはいいが花を傷つけたところを見たわけではないので、罪には問えないそうだ。
温室が暗くて、クラリスとアレクシスがその時何をしようとしていたのかは見ていないようなので、それだけは不幸中の幸いだったが、せっかく捕らえたのに何の罪にも問えないことが腹立たしい。
だが、国王も今回の一件で何か思うところがあったようで、花をめでる会まで温室の周辺を警備するようにと指示を出したので、もうフェリシテの花が傷つけられることはなさそうだ。
花をめでる会が明日に迫った本日、クラリス達侍女は総出で会場となる前庭に花を運んでいる。
フェリシテの自室に避難していた虹色の薔薇をはじめとする七つの鉢植えに加えて、温室で無事だった花の中から十鉢を選りすぐり、合計十七鉢分を運び出した。
一番目立つところに虹色の薔薇を置き、一番美しく見えるように少しずつ配置を変えながら並べていく。
「右の百合はとその左斜め百合の薔薇は交換してもいいかしらね?」
フェリシテが全体を眺めながら指示を出し、何度か鉢を動かしたあとで、フェリシテが満足そうに頷いた。
「それでいいわ。あとは飾りつけましょ」
花を展示する台も自由に飾り付けていいので、クラリス達は用意して来たリボンなどで台を彩っていく。
わいわいとおしゃべりしながら作業を続けていると、反対側の台座にウィージェニーが侍女を引き連れてやって来た。ジョアンヌはフェリシテと顔を合わせることを嫌うので、おそらくフェリシテたちが下がってから来るだろうが、彼女の娘のウィージェニーはそのあたりは気にしないので堂々としたものである。
「王妃様、ごきげんよう」
十六歳という年齢の割に大人びた微笑を浮かべて、ウィージェニーが優雅に挨拶をした。
「ごきげんよう、ウィージェニー王女。あら、ウィージェニー王女の花は珍しいものが多いのね」
ウィージェニーは異国から珍しい花を取り寄せて育てている。運ばれてきた花も、この国ロベリウスではあまり見かけないものだった。
「ええ、珍しい花が好きなんですの。わたくしは王妃様のように品種改良するのは得意ではございませんので、気に入ったものがあれば取り寄せるようにしておりますのよ」
挨拶を終えたウィージェニーが侍女に指示を出して花を並べていく。
クラリスはちらりとウィージェニーの後ろ姿に視線を向けて、そっと胸の上を抑えた。
(……本当に、お綺麗な方だわ)
ピンクベージュの髪に大きな茶色の瞳。女性の平均身長よりも少し低いクラリスと違って、すらりと高い身長に、均整の取れた肢体。
十六歳でこれなのだ。二年後の十八歳になったウィージェニーは、本当に美しかった。
(アレクシス様が浮気心を起すはずよね……)
美貌に加えて、ウィージェニーには知性もある。噂では、積極的に政にも参加しているそうだ。
グラシアンが王太子のため、よほどのことがない限り彼女が女王になることはないだろうが、国を導いていく王族としての矜持は人一倍高い。
(同時に、穏やかな気質のグラシアン殿下と違って、激しい気性の持ち主なのよね)
未来でアレクシスを手に入れるためにクラリスを殺害したように、弱者に対して容赦がないところがある。
今のウィージェニーとアレクシスの二人の間には何の関係もないとはわかっているけれど、彼女の顔を見ると心が痛かった。
ウィージェニーがいなければ、未来でアレクシスと幸せな夫婦でいられたのにと、考えたって仕方のないことを考えてしまう。
(別れるつもりなんだから、もうアレクシス様のことなんて考えなきゃいいのに……)
どうしても、考えることをやめられない。
温室のあの一件以来、アレクシスとは少しぎくしゃくしていた。
アレクシスも強引だったと反省しているのかどうなのか、クラリスの顔を見ると困ったように眉尻を下げる。
クラリスもなんだかあれ以来アレクシスが少し怖くて、まともに彼の顔が見れないでいた。
朝夕の送り迎えのときにも、馬車の中には気まずい沈黙が流れることが多くなり、アレクシスも強引に距離を詰めてこない。
このまま少しずつクラリスとアレクシスの間に亀裂が入れば、今は別れないと言っているアレクシスも折れるかもしれなくて――、そうすればクラリスとしてはありがたいはずなのに、どうしてだろう、そうなっても全然喜べそうになかった。
(どうやったら、アレクシス様のことが嫌いになれるのかしら……)
裏切られ、傷ついた未来の記憶を持っているのに、何故心の底から憎めないのだろう。
「クラリス、クリーム色のリボンを取ってくれる?」
ブリュエットに言われて、クラリスがリボンをまとめている籠の中を覗き込んだ時だった。
城の方からグラシアンがこちらへ歩いてくるのが見えて、クラリスは思わずぎくりとする。
「ああ、華やかでいいですね」
楽しそうに笑いながらやって来るグラシアンの隣には、アレクシスの姿があった。
アレクシスはクラリスを見つけて、どこか困ったように、けれども優しく碧の目を細める。
グラシアンがフェリシテと談笑をはじめると、アレクシスがゆっくりクラリスの方へと近づいて来た。
「何か、手伝おうか?」
「……いえ、あとは飾りつけだけですから」
アレクシスの顔が直視できなくて、クラリスは視線を落として答える。
そうか、とアレクシスが残念そうにつぶやいた時、彼の背後から声がかかった。
「あら、でしたらわたくしの方を手伝ってくださいます? 鉢植えが重くて」
ウィージェニーだった。
声をかけられたアレクシスが振り返る。
ハッと顔をあげたクラリスの視線の先で、アレクシスがウィージェニーに優しく微笑んでいた。
心臓が、ぎゅっとすくみ上る。
長らく油を差していない蝶番のように、心臓が軋むような変な違和感がある。
息苦しさを覚えて、クラリスは籠の中からクリーム色のリボンをつかむと、逃げるように踵を返した。
「ブリュエット、これかしら?」
背後では、手伝いを要求するウィージェニーに応じているアレクシスの声がする。
背後から意識をそらさないと今にも泣き出してしまいそうで、クラリスは必死にアレクシスとウィージェニーの存在を頭の中から追い出そうとした。
「そうそう、それよ。リボンの端を持ってくれる……って、どうしたのよ。ひどい顔してるわよ」
ブリュエットがクラリスの表情を見て、声を落として訊ねてきた。
クラリスはぎこちなく微笑んで、ゆっくりと首を振る。
「何でもないの、ゴミが目に入ったみたい」
「……本当に?」
ブリュエットがクラリスの背後を見て、僅かに眉をひそめた。
「ねえクラリス、王女殿下とアレクシス様のことが気になるなら、わたくしが王妃様に――」
「いいの」
クラリスの背後では、ブリュエットが思わず眉をひそめるくらいに、ウィージェニーとアレクシスが仲良くしているのかもしれない。気になるけれど見たくなくて、クラリスは首を横に振った。
「でも、王女殿下はちょっと不躾よ。クラリスがいるのにアレクシス様を顎で使うなんて。なんか、距離も近いし。アレクシス様も困った顔をしているから、助けてあげた方がいいわよ」
「本当に、いいのよ」
そんなことを言って、何になるだろう。
今、ウィージェニーとアレクシスを引き離したところで、結局二年後には二人はそういう仲になるのだ。
それに、クラリスはアレクシスと別れると、そう決めているのだから。
(無駄なの……)
二人がいずれ結ばれる関係になるのならば、ここで邪魔をしたところで無駄なのだ。
そして、別れるつもりの婚約者が、誰と仲良くしようと関係ない。
(関係ないの。……だから、悲しむ必要はないのよ、クラリス)
けれど、どれだけ自分に言い聞かせたところで、感情というものはままならないもので。
(誰か、人を憎む方法を教えてちょうだい……)
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