【書籍化】婚約者に「あなたは将来浮気をしてわたしを捨てるから別れてください」と言ってみた
婚約者が別れてくれません 4
午後になって、エディンソン公爵夫人とマチルダがやって来た。
未来の王太子妃であるマチルダは、クラリスと一歳しか違わないのに所作が洗練されていてとても気品がある。
ロベリウス国の国王は一夫多妻であるため、グラシアンがマチルダと結婚したのちに側妃を娶る可能性がないわけではないが、今のところそんな風には思えないほど二人は仲睦まじい。
(二年後も、グラシアン殿下は側妃を娶っていなかったし、本当に仲がよかったから……もしかしたら、建国以来例を見ない、側妃のいない国王陛下になるかもしれないわね)
国王が側妃を娶るのには世継ぎ問題が大きく関係している。
現王が第二妃を娶ったのも、結婚後一年経ってもフェリシテに懐妊の兆しがなかったと言うのが大きかったそうだ。ジョアンヌを娶って少ししてフェリシテはグラシアンを身ごもったが、もともと妊娠しにくい体質なのか、国王の方の体質の問題なのか、グラシアン以外の子を孕むことはなかった。
しかしマチルダは、グラシアンと結婚して半年で懐妊し、クラリスが死ぬ二年後も、ちょうど二人目を懐妊中だった。世継ぎ問題に不安がないため、グラシアンが側妃を娶らずとも問題ないのだ。
「どうしたの、マチルダ。浮かない顔をしているわね」
お茶会がはじまって、クラリスはブリュエットとともに少し離れたところに控えていると、フェリシテが心配そうにマチルダに訊ねた。
何でもありませんわとマチルダは微笑んだが、母親のエディンソン公爵夫人が困ったような顔をしてばらしてしまう。
「この子ったら、今から殿下の側妃様問題を憂いているんですのよ」
「お母様」
マチルダが非難めいた顔をしたが、エディンソン公爵夫人は肩をすくめるだけだ。
フェリシテが目を丸くして、それから頬に手を当てておっとりと微笑んだ。
「そればかりはわたくしには何とも言えないけれど……、あの子にはマチルダのほかに心を傾けている子がいるのかしら」
二年後でもあれだけ仲睦まじいのだからいるはずがない、とクラリスは思ったがもちろん口には出せない。
(二年後にも誰も側妃を娶らず、マチルダ様だけを大切にしていますよって教えてあげたい……)
結婚前だから余計に不安になるのか、表情を曇らせているマチルダに、クラリスはできることなら未来のことを話して聞かせたくなったがぐっと我慢する。そんなことを言えば訝しがられるし、おそらく信じてもらえず、適当なことを言うなと叱責されるだろう。それに、下手なことを言った結果未来が変わることだってある。現にクラリスは、二年後に殺されないよう、アレクシスとの婚約を解消しようと画策しているのだ。
「いえ、そのようなことは……。わたくしの心が弱いだけですから」
「そう? 結婚前ですものね。わたくしも、陛下との結婚前にはいろいろ考えすぎて一喜一憂したものだわ」
「王妃様もですの? わたくしも夫と結婚する前は思い悩んだこともありましたわ。ふふ、花嫁になる前の通過儀礼のようなものですわね」
エディンソン公爵夫人もころころと笑う。
(そういうものなのね。わたしは、ただただ幸せだったけど……)
クラリスがアレクシスと結婚するのは今から一年後。未来の記憶から考えるならば殺される一年前のことだ。結婚準備も結婚式も、幸せで、嬉しくて仕方がなかった記憶しかない。
(ま、アレクシス様とはもう結婚なんてしないけど!)
結婚式が幸せでもその一年後に不幸のどん底に叩き落されるのだから、もう二度と彼とは結婚したくない。
クラリスがそんなことを考えている間にも、三人は会話に花を咲かせて楽しそうにしていた。側妃問題の話題は終わったらしい。
「そうそう、もうじき花をめでる会ですわね」
エディンソン公爵夫人が思い出したように軽く手を叩いた。
花をめでる会とは、春の半ばに開かれる城の年間行事だ。ロベリウス国では、妃がそれぞれ城の敷地内に温室を所有していて、そこで一年間大切に育てた花を披露するのが花をめでる会である。
現王にはフェリシテとジョアンヌの二人の妃しかいないが、王が権力の象徴として大勢の妃を抱えていた遥か昔より続く伝統ある行事だ。今ではだいぶその意味合いは薄れてきているが、花をめでる会は妃たちの寵取り合戦なのである。花をめでる会で一番美しい花を育てた妃は、王が一週間その妃の元ですごすと言う特権が与えられるのだ。
(といっても、陛下の寵愛は王妃様に傾いていらっしゃるから、今更なんだけどね)
国王は昔からフェリシテを大切にしている。花をめでる会でも、クラリスが知る限りフェリシテが育てた花が選ばれていた。もっとも、純粋にフェリシテが育てた花が素晴らしいというのもあるのだが。ゆえに、ジョアンヌは毎年躍起になって珍しい花を集めては、国王の寵愛を得ようと必死になっていると聞く。
「ふふ、今年の花たちもとても可愛らしく咲いているのよ」
妃が二人しかいないので、それぞれ数種類の花を飾る。フェリシテは薔薇が好きで、毎年自身で品種改良した薔薇を展示していた。クラリスの記憶によれば、今年は数年前から丹精込めて育てていた虹色の薔薇がついに花をめでる会に出せるまでに成長したので、それをメインに数種類の薔薇を展示するはずだ。クラリス達侍女も総出で手伝うことになるが、今からとても楽しみだった。
(虹色の薔薇は、虹のような七色ってわけじゃないんだけど、濃い紫色から薄いピンク色のグラデーションが見事なのよね)
花の中心が濃い紫色で、そこからだんだんと色が薄くなり、花弁の縁は薄いピンクや白になる大輪の薔薇だ。不思議な色合いの薔薇で、フェリシテがいろいろな薔薇を掛け合わせて品種改良している際に偶然出来たものなのだ。
「グラシアンと結婚したらマチルダにも温室が与えられることだし、来年からは一緒に楽しめるかしらね」
王太子妃であるマチルダは、グラシアンが即位するまでは義母であるフェリシテと一緒に参加する。その際にマチルダが育てた花はフェリシテが飾るスペースに一緒に飾られるのだ。
ちなみに、王女の参戦も認められるので、去年からウィージェニーも母であるジョアンヌとともに花を展示している。ウィージェニーの花が優勝したらジョアンヌの手柄になると言うわけだ。
(記憶では、今年もフェリシテ様の花が選ばれるのよね)
今年の一番の花に選ばれるのはフェリシテの虹色の薔薇だ。未来がわかっているからこそ、安心して準備が進められる。
(わたしが花をめでる会に関わるのは今年が最後だから……勝ち負けに関係なく、準備はしっかりしないとね)
記憶では、今から半年後に、クラリスは結婚準備のために侍女を辞すのだ。できることならこのままずっと侍女を続けていたいのに――とそこまで考えたとき、クラリスの脳内に天啓がひらめいた。
(そうよ! その手があったわ )
これで、アレクシスとの結婚は回避できるはず。
クラリスはフェリシテたちの会話に耳を傾けつつ、心の中でほくそ笑んだ。
未来の王太子妃であるマチルダは、クラリスと一歳しか違わないのに所作が洗練されていてとても気品がある。
ロベリウス国の国王は一夫多妻であるため、グラシアンがマチルダと結婚したのちに側妃を娶る可能性がないわけではないが、今のところそんな風には思えないほど二人は仲睦まじい。
(二年後も、グラシアン殿下は側妃を娶っていなかったし、本当に仲がよかったから……もしかしたら、建国以来例を見ない、側妃のいない国王陛下になるかもしれないわね)
国王が側妃を娶るのには世継ぎ問題が大きく関係している。
現王が第二妃を娶ったのも、結婚後一年経ってもフェリシテに懐妊の兆しがなかったと言うのが大きかったそうだ。ジョアンヌを娶って少ししてフェリシテはグラシアンを身ごもったが、もともと妊娠しにくい体質なのか、国王の方の体質の問題なのか、グラシアン以外の子を孕むことはなかった。
しかしマチルダは、グラシアンと結婚して半年で懐妊し、クラリスが死ぬ二年後も、ちょうど二人目を懐妊中だった。世継ぎ問題に不安がないため、グラシアンが側妃を娶らずとも問題ないのだ。
「どうしたの、マチルダ。浮かない顔をしているわね」
お茶会がはじまって、クラリスはブリュエットとともに少し離れたところに控えていると、フェリシテが心配そうにマチルダに訊ねた。
何でもありませんわとマチルダは微笑んだが、母親のエディンソン公爵夫人が困ったような顔をしてばらしてしまう。
「この子ったら、今から殿下の側妃様問題を憂いているんですのよ」
「お母様」
マチルダが非難めいた顔をしたが、エディンソン公爵夫人は肩をすくめるだけだ。
フェリシテが目を丸くして、それから頬に手を当てておっとりと微笑んだ。
「そればかりはわたくしには何とも言えないけれど……、あの子にはマチルダのほかに心を傾けている子がいるのかしら」
二年後でもあれだけ仲睦まじいのだからいるはずがない、とクラリスは思ったがもちろん口には出せない。
(二年後にも誰も側妃を娶らず、マチルダ様だけを大切にしていますよって教えてあげたい……)
結婚前だから余計に不安になるのか、表情を曇らせているマチルダに、クラリスはできることなら未来のことを話して聞かせたくなったがぐっと我慢する。そんなことを言えば訝しがられるし、おそらく信じてもらえず、適当なことを言うなと叱責されるだろう。それに、下手なことを言った結果未来が変わることだってある。現にクラリスは、二年後に殺されないよう、アレクシスとの婚約を解消しようと画策しているのだ。
「いえ、そのようなことは……。わたくしの心が弱いだけですから」
「そう? 結婚前ですものね。わたくしも、陛下との結婚前にはいろいろ考えすぎて一喜一憂したものだわ」
「王妃様もですの? わたくしも夫と結婚する前は思い悩んだこともありましたわ。ふふ、花嫁になる前の通過儀礼のようなものですわね」
エディンソン公爵夫人もころころと笑う。
(そういうものなのね。わたしは、ただただ幸せだったけど……)
クラリスがアレクシスと結婚するのは今から一年後。未来の記憶から考えるならば殺される一年前のことだ。結婚準備も結婚式も、幸せで、嬉しくて仕方がなかった記憶しかない。
(ま、アレクシス様とはもう結婚なんてしないけど!)
結婚式が幸せでもその一年後に不幸のどん底に叩き落されるのだから、もう二度と彼とは結婚したくない。
クラリスがそんなことを考えている間にも、三人は会話に花を咲かせて楽しそうにしていた。側妃問題の話題は終わったらしい。
「そうそう、もうじき花をめでる会ですわね」
エディンソン公爵夫人が思い出したように軽く手を叩いた。
花をめでる会とは、春の半ばに開かれる城の年間行事だ。ロベリウス国では、妃がそれぞれ城の敷地内に温室を所有していて、そこで一年間大切に育てた花を披露するのが花をめでる会である。
現王にはフェリシテとジョアンヌの二人の妃しかいないが、王が権力の象徴として大勢の妃を抱えていた遥か昔より続く伝統ある行事だ。今ではだいぶその意味合いは薄れてきているが、花をめでる会は妃たちの寵取り合戦なのである。花をめでる会で一番美しい花を育てた妃は、王が一週間その妃の元ですごすと言う特権が与えられるのだ。
(といっても、陛下の寵愛は王妃様に傾いていらっしゃるから、今更なんだけどね)
国王は昔からフェリシテを大切にしている。花をめでる会でも、クラリスが知る限りフェリシテが育てた花が選ばれていた。もっとも、純粋にフェリシテが育てた花が素晴らしいというのもあるのだが。ゆえに、ジョアンヌは毎年躍起になって珍しい花を集めては、国王の寵愛を得ようと必死になっていると聞く。
「ふふ、今年の花たちもとても可愛らしく咲いているのよ」
妃が二人しかいないので、それぞれ数種類の花を飾る。フェリシテは薔薇が好きで、毎年自身で品種改良した薔薇を展示していた。クラリスの記憶によれば、今年は数年前から丹精込めて育てていた虹色の薔薇がついに花をめでる会に出せるまでに成長したので、それをメインに数種類の薔薇を展示するはずだ。クラリス達侍女も総出で手伝うことになるが、今からとても楽しみだった。
(虹色の薔薇は、虹のような七色ってわけじゃないんだけど、濃い紫色から薄いピンク色のグラデーションが見事なのよね)
花の中心が濃い紫色で、そこからだんだんと色が薄くなり、花弁の縁は薄いピンクや白になる大輪の薔薇だ。不思議な色合いの薔薇で、フェリシテがいろいろな薔薇を掛け合わせて品種改良している際に偶然出来たものなのだ。
「グラシアンと結婚したらマチルダにも温室が与えられることだし、来年からは一緒に楽しめるかしらね」
王太子妃であるマチルダは、グラシアンが即位するまでは義母であるフェリシテと一緒に参加する。その際にマチルダが育てた花はフェリシテが飾るスペースに一緒に飾られるのだ。
ちなみに、王女の参戦も認められるので、去年からウィージェニーも母であるジョアンヌとともに花を展示している。ウィージェニーの花が優勝したらジョアンヌの手柄になると言うわけだ。
(記憶では、今年もフェリシテ様の花が選ばれるのよね)
今年の一番の花に選ばれるのはフェリシテの虹色の薔薇だ。未来がわかっているからこそ、安心して準備が進められる。
(わたしが花をめでる会に関わるのは今年が最後だから……勝ち負けに関係なく、準備はしっかりしないとね)
記憶では、今から半年後に、クラリスは結婚準備のために侍女を辞すのだ。できることならこのままずっと侍女を続けていたいのに――とそこまで考えたとき、クラリスの脳内に天啓がひらめいた。
(そうよ! その手があったわ )
これで、アレクシスとの結婚は回避できるはず。
クラリスはフェリシテたちの会話に耳を傾けつつ、心の中でほくそ笑んだ。
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