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【BL】眠れない夜

ハギノ

体温 前編

 いつも寒かった。
 春夏秋冬二十四時間、俺は常に寒さに耐えてきた。
 別に極寒で生活しているわけでもない。
 日本のごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の両親に育てられてきた。
 親も兄も普通なのに、俺だけいつも寒さを感じてきた。
 体温が特別低いわけでもないのに。
 精神的なものではないか、と医者に言われたこともある。
 家族からは普通に愛をもらっているし、不幸だと思ったこともない。
 兄との仲もいい。
 なのに俺だけいつも寒い。
 いくら着込んでも、暖房をガンガン効かせても、ホッカイロを貼っても、ふかふかの布団に包まっても寒いのだ。
 熱い料理を食べても駄目。普通に激辛料理は好きだが、体が暑くなる感覚はない。
 人肌で暖まる、なんて手段を試してみたこともある。
 中学時代は、そこそこイケメンで、そこそこ運動も勉強もできて、そこそこ人当たりがいいってことでそこそこモテた。
 ホイホイ彼女を作ってセックスした。割とハードな運動なのだと思うのに、寒くて仕方がなかった。
 心から好きな相手とすれば暖まれるのではないか、なんて夢を見たこともあった。
 まあ、結構好きになった女子としても身も心も寒いだけだった。
 絶望した。
 俺はこの寒い世界で孤独に生きるしかないのだろう、と達観した。
 
 高校生になっても相変わらず寒い日々を送った。
 こんな俺だから、親に心配掛けないように受験勉強は結構頑張って近隣で一番優秀な高校に進学した。
 みんな暇があれば勉強しているようなクラスで、俺が夏場でも二枚セーターを着込んだりしていても誰も気にしてこなかったので気が楽だった。
 体育の時に、みんながへばるような真夏にも長袖で厚手のアンダーシャツを着てジャージを着込んでいる俺に気を掛けるような人もいなかった。
 まあ、教師には心配された。「冷え性なんで」とか適当なことを言えばそれ以上踏み込まれることもない。
 そんな友達も別にいない高校一年生の冬、持久走大会が行われた。
 大嫌いなイベントだ。
 指先から爪先から全部が冷える。
 こんな寒いと思っているのに汗をかく。その汗が冷えて、全身が凍りつくような思いをするのだ。
 寒い冬に寒い中を延々と走るとか馬鹿か?
 中学時代には、さっさと終わらせようと全力疾走して学年一位になったこともある。
 まあ、高校でもさっさと終わらせてしまおう。
 そんな気持ちでいた。
 
「棚橋、本当に大丈夫なのか?」
「はい。走らせてください!」
 体育の先生が困った顔をして一人の男子生徒に対応していた。
 隣のクラスの奴だ。体育の授業で見たことがある。
 確か、背が百五十センチくらいのガリガリと言えるような細身で色白の男子で、体が弱いらしく体育はいつも見学だった。
 だが、昔に比べると健康になってきたからぜひ走りたい、とか言い出しているらしい。
 まあ、教師としては迷惑だろう。
 棚橋君とやらがどうしても走りたいと言ったから走らせて、ぶっ倒れられたら先生の監督不行き届きになるだろうし。
 ああ、先生が折れた。
「具合が悪くなったらすぐに棄権すること」とか言っている。
「はい」とか力強く答えているが、本当に大丈夫だろうか。
 棚橋君が大きな目をキラキラさせて、「やったあ!」と喜んでいるのを、他の生徒が奇異なものを見るように見ていた。
 大多数の生徒は誰も持久走なんてしたくない。
 それなのに、肉が少なそうで体温が低そうで絶対に寒いだろう棚橋君はウキウキしている。
 やる気のある普段から運動している生徒は半袖ハーフパンツで挑む。普通の生徒はジャージを着込む。
 俺なんかはジャージの中にセーターも着るし、ホッカイロも貼りまくりだし、バド部のウインドブレーカーまで着ているし、手袋とマフラーまでしている。
 駅伝の応援の人みたいなスタイルだ。
 棚橋君は、まさかのスタート間際にジャージを脱いだ。
 細い手足は、血が通っているのか疑うほど真っ白だ。
 上位を狙う人くらいしかジャージまで脱がない。
 そんな人の真似をするとか馬鹿だろう。
 きっとすぐ棄権するだろうと思ったのに、先生たちは誰も棚橋君を見守ったりもしていないようだ。
 大丈夫なのか?
 スタートした。
 本当は先頭を突っ走るつもりでいたのだが、懸命に走っているのだろうが全然速度が出ない棚橋君の斜め後ろに着いた。
 俺が寒がりなせいで両親には迷惑をかけ続けた。兄が昔酷い喘息持ちでずっと兄の面倒を見続けていて、俺に愛情をたっぷりと注げなかったからではないか、なんて後悔しているようなところがある。
 そんなことはないのに。苦しそうな兄を見るのはつらかった。両親が懸命に看病したりいいお医者さんを見つけたりして、兄は健康になった。俺だって喜んだ。
 俺が伴走して毎日少しずつランニングしたりもした。
 兄ご日に日に走れるようになるのをすごく嬉しく見ていた。
 兄は俺のおかげだよ、とすごく感謝してくれて照れくさかった。
 棚橋君には運動のサポートをしてくれる人がいないのだろう。
 まあ、普通は早々いないだろう。
 だから自力で頑張ろうと思ったのだろうか。
 最初から持久走大会は無茶だ。ウチの高校は男子の距離が十キロある。
 あ、早くも棚橋君の呼吸がゼェゼェしてきた。
 おお、棚橋君の足がもつれている。
「棚橋君、つらいなら倒れる前に歩こう」
 既にタラタラ歩いている生徒と同じくらいの速度で走り続ける棚橋君に声を掛けた。
「僕は……完走するんだ……」
 そう言いながらふらついている棚橋君を、仕方ないのでそばで見守る。
 確かに十キロを完走できたら自信にもなるだろうが、二キロ時点で息も絶え絶えで足を引きずっている棚橋君には無理そうだ。
「ハァハァ……ぐっ……」
 棚橋君は今にも死にそうな呼吸をしながらふらついて、そして倒れた。
 ああ、やっぱりなぁ。
 ったく、こんなことになるとわかりきっている生徒を走らせておいて、誰も監視もしていないのか。
 俺が棚橋君を見ていなかったら、彼はここで一人倒れ伏していたかもしれないのだ。
 ったく。
 俺は彼の手を掴んで……。え、温かい。体温が低く真っ白な肌で唇が青くなっている棚橋君に触れると、温かいと感じるのだ。
 客観的には、棚橋君は冷え切っているのに間違いはない。
 なのに、温かい。
 不思議な現象だが、まあ年がら年中寒がっている俺なのだしそんなこともあるだろうか。
 俺は着ていたウインドブレーカーを棚橋君に着せて、貼っていたホッカイロもいくつか贈呈してから、背負ってみた。
 ああ、背中がすごく温かい。
 このよく知らない少年の存在で、俺は泣きそうなほどの幸せを感じてしまう。
 全身を絡ませてしまったらどれほど温かいだろうか。
 素肌の方が温かさを感じられるだろうか。
 俺の冷え切った心と身体が溶かされていくような気がする。
 ああ、ん? 本当に俺の背中ちょっと柔らかくなってない?
 え?
 棚橋君を救護車まで連れて行ってから、僕は自分の身体を確認した。
 腕と背中が、一旦溶けてから固まったアイスみたいな触り心地になっている。
 ど、どゆこと???

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