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【BL】眠れない夜

ハギノ

眠れない夜 前編

 私は慢性的に寝不足なサラリーマンだ。
 適度な運動と健康的な食生活なんて当然やっていて、その結果身長は百八十センチの細マッチョを維持している。
 ブルーライトがよくないと言われているので、夜にテレビもパソコンもスマホも見ない。
 いろんな病院で診てもらって薬を飲んだりもした。
 精神科にも行ってみたが、心の病ではないと診断が出た。
 眠れなくても横になり目をつぶることが大事だとか言われて、私は虚無な夜の時間を送っている。
 もう悟りが開そうなくらい私の心は虚無だ。

「ん?」
 職場の近くに、「添い寝屋」たるお店ができていたのを発見した。
 添い寝、か。
 私は現在二十八歳であるが誰かと添い寝した記憶はない。
 昔は親としていたそうだが、そんなの覚えてもいない。
 彼女がいたこともあるが、こそこそと親がいない間に会っていただけなので一緒に寝たことはなかった。
 誰かの体温で心地よく眠れるだろうか。
 セックスすれば身も心も満たされてよく眠れる、なんて話もあるが私は試すつもりはない。そんな心身の余裕がないからだ。恋をする心の余裕もないし、性風俗を楽しむ心の余裕もない。一生童貞でも別に仕方ないと割り切れるようになってきた。
 三大欲求の中で、睡眠欲ばかりが強くなる。
 なのに眠れない。
 つらい。
 ただただつらい。
 だから「添い寝屋」に興味を抱いた。
 添い寝をしてもらえれば、快適な睡眠が取れるかもしれない。
 看板をよく見ると、フォントが女性向けのような気がしないでもない。
 スマホで検索してみると、女性向けサービスと男性向けサービス、両方で展開しているようだ。
 え、二時間で二万円? マッサージとかもしてくれて、愛を囁いてくれたり恋人のように振る舞ってくれるサービスも付いているそうだが、二時間二万円か。
 そして、膝枕や頭なでなでハグや耳掃除は別料金のようだ。
 添い寝はガチ睡眠ではなく、異性との近い距離を楽しむのが正解なのだろう。
 性行為はせず、美形の異性にチヤホヤしてもらいたい人向けなのだ。
 思わず舌打ちをしたくなる。
 こんな「添い寝屋」なんて睡眠を舐めている。
 本気で眠りたい私への挑戦だ。

「営業お疲れ様です!」
 私が仕事を終えて社内に戻ると、後輩の井上君が元気に挨拶してくれる。
 売れないアイドルを引退してサラリーマンにジョブチェンジしてきたイケメンは、いつも明るくて爽やかで眩しい。
 私も元気だったら、そこらにいる男性陣みたいに「イケメンは生きているだけでずるい」と嫉妬していたかもしれない。
 井上君はしっかりと仕事もする生真面目な後輩なので、ちゃんと育てて優秀な社員にしなければならないなんて義務感を抱いているが、こんなにキラキライケメンオーラを漂わせている彼はまたすぐに芸能界に戻っていってしまう気がしないでもない。
「先輩、資料まとめてみたんですけど見てもらえますか?」
「はい、今確認しますね」
 キラッキラの井上君は、超至近距離で私をガン見してくるから結構気まずい。
 イケメンはパーソナルスペースが狭いのだろうか。
 他人に「キモい」とか「ウザい」とか言われたこともなさそうだとは思う。
 それどころか周囲に一切の関心を持っていない私をしても、井上君はいい香りがするし息遣いが色っぽいと感じる。
 これがイケメンの力なのだろう。井上君が本格的に営業を回ることになったら、成績がすぐに上位になるはずだ。クライアントがストーカーにならないように気を回した方がいいかもしれない。
「どうです?」
 まだファイルを開いたばかりなのにぐいぐいと聞いてくるのは、根が真面目だからなのだろうか。
「そうですね。すぐ使えると思えるくらいよくできています。しかし、誤字脱字と誤用と言った内容とは別のところがボロボロです」
 いくら内容がよくても、読み返してもいないような誤字脱字のオンパレードはどこからも敬遠されるものだ。
「そ、そうですか……」
 褒めないとすぐしょんぼりする二つ歳下の青年は、ここで会社員をしているよりも過酷だと思われるアイドル時代はどう過ごしてきていたのだろうか。
 マネージャーとか社長とかがおだてまくって、やる気を出させていたのかもしれない。
「ですが、よくできてますよ。お疲れ様です。明日直せばいいですから今日はもう上がりましょう」
「はい! 先輩、飲みに行きませんか?」
 酒に頼っても眠れないので、最近は酒をまったく飲んでいない。
「いいですよ」
「やったあ!」
 私みたいな先輩よりも褒め上手で優しい人はたくさんいるのに、この井上君はつまらないおっさんの私に懐いてくれる。
 こんな後輩は初めてなので、ちょっと緊張はするけれど悪い気はしない。
「先輩ってお酒強いんですね」
「普通かな」
 サワー一杯でご機嫌に顔を赤くしている井上君はお酒に弱いみたいだ。
「先輩っていっつも目の下にクマ作ってますけど、もしかして副業が忙しいんですか?」
 ウチの会社は副業が認められているが、私はこれと言って何もしていない。
「いえ、不眠症なんです」
 別に隠すこともないのでさらっと告げた。
 こんなことを言うと自称有識者たちは、「運動するといい」とか「ブルーライトが」とか「規則正しい生活が」とか、私だって知っているしとっくに実践していることをわけ知り顔が語ってきたりするから嫌いだ。
 井上君はどんな反応をしてくれるだろうか。
「不眠症ですか。それにはやっぱり添い寝ですよ。先輩、今日俺のウチに来てくださいよ。添い寝しましょう。やっぱり睡眠は健康の基本ですから添い寝が一番。赤ん坊は産まれる前から胎内で母親の心音を聴いているんです。だから産まれてからも、母親が抱っこして心音を聴かせると泣き喚いていた赤ん坊も大人しく寝るそうですよ。寝ない子もたくさんいるみたいですけど。だから、俺を先輩のお母様だも思ってくれればいいです。俺の心臓の音が聞こえるくらいの距離で、添い寝しましょ!」
 酔っ払ってだろう、目が血走っている井上君は何だか興奮気味にそう言ってきた。
「迷惑でしょ」
「いいえ。先輩となら何されてもご褒美です」
 鼻の穴を膨らませていてもイケメンはイケメンである。
 それにしても、井上君は私の体を狙っているのだろうか。自分がイケメンだからイケメン要素が欠片もない私に惹かれるのかもしれないが、そうだとしたら趣味が悪すぎる。
 アイドル時代もこうだったとしたら、よくスキャンダルが世に出回らなかったなぁと思う。いや、事務所の根回しがすごかっただけかもしれない。
「どうして私にそこまで気を遣ってくれるのですか?」
「だって先輩は、俺のことを顔がいいだけの無能扱いしないから……」
 彼はずっとそんな扱いをされてきたのかもしれない。
 枕営業をしていたと言われても納得できてしまうくらい、万人を引き寄せる美形ではある。
「井上君は努力家だし、ちゃんと能力がありますよ」
 私は無難なことを言っておいた。
「先輩……。そんな優しくて素晴らしい先輩が不眠症なんて、俺もつらいです。だから添い寝しましょ。俺、誰かと一緒に寝るなんて初めてですけど……頑張ります」
 誰かに聞かれたら誤解されそうな言い回しである。
「うん。じゃあ、お願いしようかな」
 私は面倒くさくなって考えることを放棄した。
 ああ、今も眠くて何も考えたくないのに眠れそうな気がしない。
 それなら添い寝くらい試してみてもいい気がしてきた。

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