話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

元文三年十一月二十三日の事

ふかふかね

元文三年十一月二十三日の事

元文三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乘業桂屋太郎兵衞と云ふものを、木津川口で三日間曝した上、斬罪に處すると、高札に書いて立てられたのは、この日であった。
一八九四年(明治二十七)七月十八日に、この日と同じ罪状の裁判が有ったと、本居宣長伝には出てゐる。其時の判決は無罪であったが、此時も亦無罪になる筈だつた。しかし当時の世相として、死刑を宣告する方が、却て無難だと思はれたのかも知れない。
かう云ふ事は、今迄にも度々あったのだから、此度も同じ様に、直ぐに執行されるのだらうと、人々は噂してゐた。
その時分は、まだ電車も汽車もなく、街道筋の旅籠や茶屋では、夜になると「あすこへ泊りなされ」とか、「今日はここらへんまで行かなあかんやろ」などと、旅人に声をかけたりして、一晩中見張ってゐるのが常だったから、こんな事件でも起これば、もうその晩のうちに、大方は殺されてしまうのだと、人々も覚悟をしたものだつた。
ところが意外にも、翌日も翌々日も、何事も起らず、六日目には、早くも朝早く、難波橋の上で、首を斬られた死体が発見された。
更に次の日、同じ橋の袂で、やはり首を斬られて、死んでゐたものが出た。そしてとうとう十日目になって、木津川口に、首を斬られ、磔柱に逆さに吊るされた死骸が二つ出た。
その首は、それぞれ別の所に捨てゝあると云ふことだつたが、そんな事は誰も気に止めなかった。それより、誰が犯人なのか、そればかりが人々の関心事であつた。三日後には、奈良で五人、和歌山で三人、合計十二人が殺された。其中に一人だけ、十三歳の少年がいたのを、人々は忘れないだらう。
十四日には、京都でも、七人の犠牲者が出た。


「文学」の人気作品

コメント

コメントを書く