俺は一体何処へ行けば好いのだらう?

ふかふかね

彼の母親は彼が

――そのどこにあるかといふことは神の知るばかりかも知れなかつた。しかし人間はすべてを知り得ることはできないのである。神にできることはただ人間の思ふことを望むことのみなのである。だが人間は思ふことを望むことをしないものである。なぜなら思ふことを望むものは、必ず思ふことを妨げるものがあるからである。思ふことこそ幸福の根本条件であり、また同時に不幸の原因でもある。だから人間が思ふことを求めるとすれば、それに対する抵抗もまた必然的に存在しなければならないことになる。しかもその抵抗する力は人間には測ることができないほど大なる力を有してゐることが多いものだ。だから思ふことを求めようとする者は、常にこの巨大な力を意識せねばならないことになつてゐるわけである。かうした事情はとりもなおさず人間を無力なものにすると共に、又逆に強大なものにする要素ともなり得るのである。つまり人は求めながらも、又それ故に苦しむやうなこともあり得るわけだ。そこで結局人が求めることと苦しみとは矛盾せぬやうになるしかないやうになる……――
(『文学評論』昭和二年一月号)
彼はそこまで読んでくると本を閉じてベッドの上に置いた。そして今度は別の本を読み始めた。それは夏目漱石著・現代日本文学全集の中の一冊であった。彼は時々こうした本を読んで時間を潰さなくてはならないのだつた。彼はまだ高校生であるが、もう既に受験を終えているので、今は春休みの最中なのだつた。彼は高校に入学するまでは東京にある伯父の家で暮していた。彼は中学を卒業すると同時に叔父の家を離れ、故郷に近い田舎町にある小さな旅館に下宿することになつていた。そして今年の春からそこの若主人になることになつていたのだ。彼の母親は彼が十歳の時に病気で亡くなったので、それ以来ずっと父親と二人で暮らしてきたのだ。父親は若い頃は教師をしてゐたが、その後小説家を志して上京したのである。父親が死んでからは母親がその遺志を継いで作家を続けてきたので、彼もその影響を受けてきたわけであつたが、彼自身は母親の才能を受け継いではゐないと感じていたし、自分もそれを望んでゐるわけではなかつた。それに彼には他にやらねばならぬことが沢山あつたので、自分の将来についてあれこれ考へるのは無駄でしかないといつた気持もあつたのであつたが、それでもやはり何かしなければならぬという焦燥感に似た気持は常につきまとつてゐた。そんな時、彼は父親の書いた小説を読むのである。そして読む度に感じるのはいつも強い孤独の感情であつた。それは特に文章の中に現れる悲しみとか寂しさといったものが彼に強く印象づけられるのだけれども、それが何故なのかはよく解らないのだつた。しかしとにかく彼にとってそれらは大きな慰めとなり得たことは確かだつたのである。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品