『問』の答えと、その問いに関するもの。
独白
或声 お前は何をしてゐるのだ?こんな所で油を売ってゐないで、さっさと家に帰るがいい。
僕 いや、僕にはどうしてもやらなければならぬことがあつたので……。
或声 いや、お前にはもう用は無い筈だがな。
僕 いや、しかしどうしても僕にはしなければならないことが有るので……。
或声 いや、お前にはまだ出来ることが残つてゐる筈なのだがな。
僕 そんなことはありません。僕にはやるべきことがなかつたのですから……。
或声 しかしお前には今すべきことがある筈なのだよ。さあ、これ以上無駄な時間を過ごす必要は無ひから、早く家に帰りなさい。
僕 そんな時間はいりません。僕はここで待つてゐるだけでいいんです。
或声 待つても無駄だつたではないか。誰も来るはずが無いのだからな。いや、誰も来てはならないのだ。誰も来てはならないし、誰も来て欲しくもないのだからね。誰も来て欲しくないし、誰にも来てほしくはないが、誰か来て欲しい気もするし、誰か来て貰ひたくもあるのだ。つまりこれは矛盾だな。だがそれも当然だらう。何故ならこれは現実ではないのだからな。現実の世界では誰もこんなことを望んだりはしないし、私もこんなことを望まないのだ。しかしここは夢の中の世界なので、これは当然なことなのである。まあ、そんな理屈はどうでもよいのだがね。要するにこの夢を見ているものは、誰もが何かを望んでゐるわけだ。勿論その望みには様々なものがあるわけだが、少なくとも「幸せになりたい」とか「愛されたい」だとか「生き長らへたい」などといふ願望があることだけは確かである。しかしこの夢の世界は、それらの願いを叶えてくれるわけではない。寧ろその逆なのだ。これらの願いは全て叶へられなければならない筈であり、しかも叶うべき筈なのだが、ここでは何故か叶わないのである。一体どう言ふことなのか?その理由を説明しておかねばならないだらう。そもそも夢を見る者と見ない者がいるのは何故だらうか?それを説明するためには、まず夢を解釈する必要が有るだろう。さて、夢の中で見るものと言えば、普通は自分の肉体を見ることが多いものだらう。実際殆どの場合に於いて、他人を見てゐるのは自分自身の夢でしかないからだ。ところが稀に他人の姿を見ることもあるのだ。その場合にもやはり相手の容姿や年齢などは自分とは全く無関係のものに見える場合が多いものである。しかしその場合には、相手の姿は自分の姿でもあると考へるべきなのだ。即ち相手が誰であるかに関係なく、その人物の姿こそが自分だと考へなくてはならないのだ。そしてこれが最も重要なことだが、どんな場合でも決して相手を傷付けてはいけないのだ。なぜなら相手は自分と同じ姿をした存在なのだから、そんなことをしたら自分も同じ姿になってしまうからである。
しかし問題はそれだけではない。
同じ姿の人間など存在するはずがないではないか?そんなことはあり得ないはずだ!確かにその通りだろう。しかしながら実際に存在しているのだから仕方がないではないか?それならばどうしろと言うのか?
さあ、ここから先は自分で考えるしかないぞ。尤もお前は既にそのことに気が付いてゐるかも知れないがね。だがもし気が付かなかつたとしたら、少し考えてみるといいかも知れないな。
だがその前に一つ質問があるのだが、もしもお前が今ここに居るとして、お前と同じ顔をした人間がもう一人現れたらどうするつもりだね?そいつはお前と同じ顔をしてはいるが、実は全くの別人なのだと分つたらどうするのだ?
それでもそいつを本物として扱うつもりかね?それとも偽物と見做して排除するかね?或いは両方を兼ね備へて居ればどうなるだろうか?例えば双子だと仮定してみるがいい。この場合なら二人とも本物の人間として扱ふことに問題は無いことになる筈だ。但しそれはあくまでも仮定の話に過ぎず、実際にはどちらか一方しか存在しない場合の方が多いのではないか?しかし実際の話としては、二人の人間は同時に存在し得ないものなのである。何故ならば一人の人間には必ず二つの面が存在するものであり、それらは本来両立しないものだからだ。それに人間の脳の構造上の問題もある。
仮に二つ以上の人格を同時に持つことが出来たとしても、それぞれが別の意識を持っていれば結局は同じことだからだ。そして最後にもう一つ厄介な問題があることを忘れてはならない。つまり多重人格者の中には二種類の人格が存在し得る場合もあるといふことである。先程説明したように、一つの身体に二つの心を有することが出来るかどうかは定かではないが、それを可能とする方法がないわけでもないのだ。
そこで考えられる方法は三つある。一つ目の方法としては、身体の中に二人分の自我が存在している場合に、身体の制御権を奪うことでもう一人の自分を出現させる方法が考えられよう。二つ目の方法としては、予め複数の人間を準備しておく方法がある。三人目以降については特に指定する必要はないので、適当な人物を見繕っておけば問題ないだらう。最後の方法としては、最初から一人で複数を演じる方法を取ればよいだけである。これなら何の問題も無い筈だ。ただし、その場合は必然的に演技力が要求されることになるだろうが……。
僕 いや、僕にはどうしてもやらなければならぬことがあつたので……。
或声 いや、お前にはもう用は無い筈だがな。
僕 いや、しかしどうしても僕にはしなければならないことが有るので……。
或声 いや、お前にはまだ出来ることが残つてゐる筈なのだがな。
僕 そんなことはありません。僕にはやるべきことがなかつたのですから……。
或声 しかしお前には今すべきことがある筈なのだよ。さあ、これ以上無駄な時間を過ごす必要は無ひから、早く家に帰りなさい。
僕 そんな時間はいりません。僕はここで待つてゐるだけでいいんです。
或声 待つても無駄だつたではないか。誰も来るはずが無いのだからな。いや、誰も来てはならないのだ。誰も来てはならないし、誰も来て欲しくもないのだからね。誰も来て欲しくないし、誰にも来てほしくはないが、誰か来て欲しい気もするし、誰か来て貰ひたくもあるのだ。つまりこれは矛盾だな。だがそれも当然だらう。何故ならこれは現実ではないのだからな。現実の世界では誰もこんなことを望んだりはしないし、私もこんなことを望まないのだ。しかしここは夢の中の世界なので、これは当然なことなのである。まあ、そんな理屈はどうでもよいのだがね。要するにこの夢を見ているものは、誰もが何かを望んでゐるわけだ。勿論その望みには様々なものがあるわけだが、少なくとも「幸せになりたい」とか「愛されたい」だとか「生き長らへたい」などといふ願望があることだけは確かである。しかしこの夢の世界は、それらの願いを叶えてくれるわけではない。寧ろその逆なのだ。これらの願いは全て叶へられなければならない筈であり、しかも叶うべき筈なのだが、ここでは何故か叶わないのである。一体どう言ふことなのか?その理由を説明しておかねばならないだらう。そもそも夢を見る者と見ない者がいるのは何故だらうか?それを説明するためには、まず夢を解釈する必要が有るだろう。さて、夢の中で見るものと言えば、普通は自分の肉体を見ることが多いものだらう。実際殆どの場合に於いて、他人を見てゐるのは自分自身の夢でしかないからだ。ところが稀に他人の姿を見ることもあるのだ。その場合にもやはり相手の容姿や年齢などは自分とは全く無関係のものに見える場合が多いものである。しかしその場合には、相手の姿は自分の姿でもあると考へるべきなのだ。即ち相手が誰であるかに関係なく、その人物の姿こそが自分だと考へなくてはならないのだ。そしてこれが最も重要なことだが、どんな場合でも決して相手を傷付けてはいけないのだ。なぜなら相手は自分と同じ姿をした存在なのだから、そんなことをしたら自分も同じ姿になってしまうからである。
しかし問題はそれだけではない。
同じ姿の人間など存在するはずがないではないか?そんなことはあり得ないはずだ!確かにその通りだろう。しかしながら実際に存在しているのだから仕方がないではないか?それならばどうしろと言うのか?
さあ、ここから先は自分で考えるしかないぞ。尤もお前は既にそのことに気が付いてゐるかも知れないがね。だがもし気が付かなかつたとしたら、少し考えてみるといいかも知れないな。
だがその前に一つ質問があるのだが、もしもお前が今ここに居るとして、お前と同じ顔をした人間がもう一人現れたらどうするつもりだね?そいつはお前と同じ顔をしてはいるが、実は全くの別人なのだと分つたらどうするのだ?
それでもそいつを本物として扱うつもりかね?それとも偽物と見做して排除するかね?或いは両方を兼ね備へて居ればどうなるだろうか?例えば双子だと仮定してみるがいい。この場合なら二人とも本物の人間として扱ふことに問題は無いことになる筈だ。但しそれはあくまでも仮定の話に過ぎず、実際にはどちらか一方しか存在しない場合の方が多いのではないか?しかし実際の話としては、二人の人間は同時に存在し得ないものなのである。何故ならば一人の人間には必ず二つの面が存在するものであり、それらは本来両立しないものだからだ。それに人間の脳の構造上の問題もある。
仮に二つ以上の人格を同時に持つことが出来たとしても、それぞれが別の意識を持っていれば結局は同じことだからだ。そして最後にもう一つ厄介な問題があることを忘れてはならない。つまり多重人格者の中には二種類の人格が存在し得る場合もあるといふことである。先程説明したように、一つの身体に二つの心を有することが出来るかどうかは定かではないが、それを可能とする方法がないわけでもないのだ。
そこで考えられる方法は三つある。一つ目の方法としては、身体の中に二人分の自我が存在している場合に、身体の制御権を奪うことでもう一人の自分を出現させる方法が考えられよう。二つ目の方法としては、予め複数の人間を準備しておく方法がある。三人目以降については特に指定する必要はないので、適当な人物を見繕っておけば問題ないだらう。最後の方法としては、最初から一人で複数を演じる方法を取ればよいだけである。これなら何の問題も無い筈だ。ただし、その場合は必然的に演技力が要求されることになるだろうが……。
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