日没
賭ける日没
借りは作らない主義。
でも、どうしてもっていうことがある。
無理は良くないし。
自分ひとりではクリア困難だなって感じたら、助けてもらう。
助けてもらったら、お礼を忘れずに。
お礼は、早目がいい。さっさと済ませるに限る。鉄は熱いうちに打て。受験にも返礼にも言えることだ。
まさか消しゴムを忘れてくるとは。完全に失敗だ。
これが受験本番だったら、焦りまくってミスを誘発するところだった。
なるほど。消しゴムこそ、予備が必要だな。いい勉強になったよ。
立花に消しゴムを貸してもらったから、なんとかなったけど。これ、受験じゃなくても模試でも次また同じ目にあったら大変だよな。
休憩時間を利用して商店街に出た。
文具店で消しゴムを購入する。
いつもなら必要な個数として、たいてい1個だけ購入している。
今回は3個パックにする。1個あたりお得なんだな。いままで意識したことなかったけど、10個パックと12個パックというのもあった。消しゴムは、いつのまにか減っているから、まとめ買いしたほうがお得なのかもしれない。でも紛失したら、それまでか。筆箱に2個、カバンに予備として1個、入れておくようにしよう。
ありとあらゆることが、受験の目線で考えるようになっている。
もしも受験なら。
これが本番なら。
ピリっと。背中が痛いような、かゆいような感覚。これが緊張感というものなのか。模試のときにも感じる。
文具店は見ていると飽きない。いつまでも見ていられるし、手に取ろうものなら沼。もう出られなくなる抜けなくなる。目的が明確なのだから、目的を最優先だ。消しゴムだよ。必要な物を買って、それだけで店を出よう。
そうだ。
今日はパンを食べよう。いつものベーカリーに寄ると、
「いらっしゃい」
と声を掛けられた。
「こんばんは」
「こんばんは。いまなら出きたてのエクレアがあるよ」
「やった!」
ここのエクレアは大好きだ。
なんてったって、食べるのが簡単でいい。
細長いから、食べやすい。
シュークリームもいいけれど、あれはクリームが飛び出してしまうことがあるから要注意なんだ。
受験前、とにかく無駄なく無理なく簡単に食べられるもの。しかも満足することも重要だ。エクレアならカロリーも補える。とにかく頭を使うと、カロリー消費が激しい気がする。運動もしないで勉強ばっかりしてるのに甘いもの食べてたら太るぞ。なんて言われたりもするけど。いまのところ自分の食事が原因で体重が増加した覚えがない。むしろ塾に通うようになってから、ますます体が軽くなっている気がする。もしかすると筋肉が減っているかもしれないな。スイミングスクールに通わなくなっているから、筋肉は確実に減っていることだろう。
イートインでエクレアとコーヒーを購入する。ささっと食べて、コーヒーゆっくり冷ましながら飲もう。
1個多めに買った。もちろん隣の彼女にあげるため。お礼として。店の外の自販機で缶コーヒー買おう。そのほうが安上がりだし。でも缶コーヒーだと、熱くて飲みにくいかな。時計を見ると、休憩時間かなり余裕がある。だけど。
『持ち帰るまでの間に冷めてしまうか、渡したときまだ熱くてすぐに飲めないか。
飲み頃になってるなら、合格率80%。
冷め切ってたら、合格率30%。
熱くて飲めないなら、合格率20%未満』
頭の中でシミュレーションしてみる。
いれたてで熱いホットコーヒーが、すでに飲み頃になっている。飲んで量が少なくなればなるほど、冷めるスピードも早い。こういうの、たぶんだけど数式で計算できるんじゃないかな。
自販機のコーヒーが、熱いか温いか。
よし。賭けてみよう。
熱くてハンカチに巻かなければならなかったとしたら、彼女が『コーヒーいらない』もしくは受け取ったときイヤっぽい表情になる。
温くて手でフツウに持てるなら、彼女が『コーヒー好き』だけど『もうちょっと熱いほうが好きかな』って表情になる。
さあ、どっちだ。
おれは賭ける。コインを入れてボタン、熱いはず!
ジーガタタタン!
取り出し口に手を入れて缶コーヒーを掴むと、それほど熱くなかった。
ん。ビミョウ。
だけど素手で持ってるうちに、だんだん熱く感じられるようになってきた。
これはハンカチに巻いたほうが安全かも。ハンカチに巻くことにした。
この場合の賭けは、どっちになるのだろう?
塾に戻るとき、西の空が遠くオレンジ色に染まっていて、空気が澄み渡っている気がした。街路樹が影絵のシルエットみたいだ。このまま街に消えてしまうのも悪くない話だよな、とエスケイプを夢見てみる。授業1回サボっただけで合格率は下がるんだろうな。たとえ半分の45分だけだとしても、合格が危うくなってしまう。
よし、賭けよう。
おれは頭の中で整理する。
彼女がコーヒーを飲み終えて『美味しかった』みたいに言ったら、おれ志望校に合格。『ありがとう』でもいい、このさいだから『苦いね?』でもよしとしよう。
彼女もしコーヒーを飲み終わらなくて、しかも先生に『いつまで飲んでるんだ。さっさと片付けなさい』みたいに言われたら、不、いや補欠合格。志望校に補欠合格で、さあて入学できるのかできないのか。みたいな、あやうい状態。
よし。おれ合格。できるはず。賭ける。
彼女、美味しそうにコーヒー飲んでエクレア食べきって『なにもこんなにお礼だなんて』と逆にお礼を言ってくる。
おれの合格は間違いなしだ。
そんなことを考えながら、塾に戻った。
授業が終わる。
まもなく終わる。
さあ、今夜の電車どうする、どうなる。
おれは賭ける。
いつもの乗れたら、次の模試で合格判定が80%。
いつものに乗れなくて次の待つなら、合格判定55%。
駅までの途中で転んだりしようものなら、もうその場合は不、うん、受験なんてやめちまえそうしちゃえ!
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
急いでカバンに詰め込んで教室を出た。
そのときイスに空き缶を見つけた。さっきの休憩時間にあげたものだ。たしか飲みきれなくて、そのまま授業中も出しっぱなしにしておいたような?
持ってみたらカラッポっぽい。じゃあ、おれが捨てておくか。飲んだのは彼女でも、買ったのはおれなんだし。おれはカバンを肩からさげると手には空き缶を持ち、いきおいよく教室を出た。階段は帰りの生徒たちのラッシュアワーだが、いい感じで波に乗れた。早足だが、もつれることなく安全に階段をおりていける。確実に一階が近づいている。よし、ゲートを出たら速攻ダッシュかけるぞ。
いける。
今日は、余裕で乗れる。いつもの電車、しかも定位置のシートに。
いくぞ。
走り終えて駅の改札。
空き缶入れに投げるとストライク。
よし!
ついてるぜ。
これなら今週末の模試は合格判定がアップする。間違いない。
電車の中でノートを広げて読んでいると、照明がチカチカ点滅した。いいぞ、きっと厄払いになっている。おれにまとわりついている生霊の類が悪さをしているのだろう。車内の照明を狂わせることで、その働きは鈍るはず。
チカチカ、チカチカ。とてもノートを読んでいられない。これは運がいい。困苦やかなり厄払いができていることになるぞ?
おれはノートにカバンをしまって、ただ呆然と窓を見る。ぼんやりとした鏡になっていて、自分が別人のように映っている。いいことありそうな気がするよ。
駅の改札を抜けると、ギターを弾きながら歌っている女の子がいた。
どこかで聞いたことのある歌だ。
立ち止まって聞いてみる。
他には誰も聴いていないけれど、歌っている彼女は気にすることもない様子で、目を閉じたまま自己世界に没入しているようだ。
歌い終わったとき、思い切り拍手したよ。
拍手は邪気払いになるからね。叩くなら思い切りがいい。遠慮なんか、いらないさ。
もしも、もしもだよ?
拍手が騒々って迷惑そうな顔をされたら、それはそれでいい。その程度の人なんだってわかるだけ。おれは、なにも、損しない。今度またここで同じ人が歌ってたら無視すればいいだけのことさ。かかわらないほうがいいひとリストに加えるだけ。それだけのこと。
おれの拍手に驚いたのか意外そうな表情で眼を開けながら、
「ありがとう。聴いてくれて、ありがとうござ。います!」
と言われた。
それが嬉しくて、ますますチカラを入れて拍手し続けた。
「やだなあ、ボク。そんなそんな照れちゃうよ?」
とシンガーが恥ずかしそうに照れだした。
遠くからエンジン音が響いてくる。かなりの低音がきいていて爆走モードだな、ありゃ。
歌が終わったタイミングでよかった。歌っているときじゃなくて本当に。
拍手を終えると、駅前を車が暴走していく。
その暴走音さえ、歌と演奏への遅れた拍手のように聞こえた。
でも、どうしてもっていうことがある。
無理は良くないし。
自分ひとりではクリア困難だなって感じたら、助けてもらう。
助けてもらったら、お礼を忘れずに。
お礼は、早目がいい。さっさと済ませるに限る。鉄は熱いうちに打て。受験にも返礼にも言えることだ。
まさか消しゴムを忘れてくるとは。完全に失敗だ。
これが受験本番だったら、焦りまくってミスを誘発するところだった。
なるほど。消しゴムこそ、予備が必要だな。いい勉強になったよ。
立花に消しゴムを貸してもらったから、なんとかなったけど。これ、受験じゃなくても模試でも次また同じ目にあったら大変だよな。
休憩時間を利用して商店街に出た。
文具店で消しゴムを購入する。
いつもなら必要な個数として、たいてい1個だけ購入している。
今回は3個パックにする。1個あたりお得なんだな。いままで意識したことなかったけど、10個パックと12個パックというのもあった。消しゴムは、いつのまにか減っているから、まとめ買いしたほうがお得なのかもしれない。でも紛失したら、それまでか。筆箱に2個、カバンに予備として1個、入れておくようにしよう。
ありとあらゆることが、受験の目線で考えるようになっている。
もしも受験なら。
これが本番なら。
ピリっと。背中が痛いような、かゆいような感覚。これが緊張感というものなのか。模試のときにも感じる。
文具店は見ていると飽きない。いつまでも見ていられるし、手に取ろうものなら沼。もう出られなくなる抜けなくなる。目的が明確なのだから、目的を最優先だ。消しゴムだよ。必要な物を買って、それだけで店を出よう。
そうだ。
今日はパンを食べよう。いつものベーカリーに寄ると、
「いらっしゃい」
と声を掛けられた。
「こんばんは」
「こんばんは。いまなら出きたてのエクレアがあるよ」
「やった!」
ここのエクレアは大好きだ。
なんてったって、食べるのが簡単でいい。
細長いから、食べやすい。
シュークリームもいいけれど、あれはクリームが飛び出してしまうことがあるから要注意なんだ。
受験前、とにかく無駄なく無理なく簡単に食べられるもの。しかも満足することも重要だ。エクレアならカロリーも補える。とにかく頭を使うと、カロリー消費が激しい気がする。運動もしないで勉強ばっかりしてるのに甘いもの食べてたら太るぞ。なんて言われたりもするけど。いまのところ自分の食事が原因で体重が増加した覚えがない。むしろ塾に通うようになってから、ますます体が軽くなっている気がする。もしかすると筋肉が減っているかもしれないな。スイミングスクールに通わなくなっているから、筋肉は確実に減っていることだろう。
イートインでエクレアとコーヒーを購入する。ささっと食べて、コーヒーゆっくり冷ましながら飲もう。
1個多めに買った。もちろん隣の彼女にあげるため。お礼として。店の外の自販機で缶コーヒー買おう。そのほうが安上がりだし。でも缶コーヒーだと、熱くて飲みにくいかな。時計を見ると、休憩時間かなり余裕がある。だけど。
『持ち帰るまでの間に冷めてしまうか、渡したときまだ熱くてすぐに飲めないか。
飲み頃になってるなら、合格率80%。
冷め切ってたら、合格率30%。
熱くて飲めないなら、合格率20%未満』
頭の中でシミュレーションしてみる。
いれたてで熱いホットコーヒーが、すでに飲み頃になっている。飲んで量が少なくなればなるほど、冷めるスピードも早い。こういうの、たぶんだけど数式で計算できるんじゃないかな。
自販機のコーヒーが、熱いか温いか。
よし。賭けてみよう。
熱くてハンカチに巻かなければならなかったとしたら、彼女が『コーヒーいらない』もしくは受け取ったときイヤっぽい表情になる。
温くて手でフツウに持てるなら、彼女が『コーヒー好き』だけど『もうちょっと熱いほうが好きかな』って表情になる。
さあ、どっちだ。
おれは賭ける。コインを入れてボタン、熱いはず!
ジーガタタタン!
取り出し口に手を入れて缶コーヒーを掴むと、それほど熱くなかった。
ん。ビミョウ。
だけど素手で持ってるうちに、だんだん熱く感じられるようになってきた。
これはハンカチに巻いたほうが安全かも。ハンカチに巻くことにした。
この場合の賭けは、どっちになるのだろう?
塾に戻るとき、西の空が遠くオレンジ色に染まっていて、空気が澄み渡っている気がした。街路樹が影絵のシルエットみたいだ。このまま街に消えてしまうのも悪くない話だよな、とエスケイプを夢見てみる。授業1回サボっただけで合格率は下がるんだろうな。たとえ半分の45分だけだとしても、合格が危うくなってしまう。
よし、賭けよう。
おれは頭の中で整理する。
彼女がコーヒーを飲み終えて『美味しかった』みたいに言ったら、おれ志望校に合格。『ありがとう』でもいい、このさいだから『苦いね?』でもよしとしよう。
彼女もしコーヒーを飲み終わらなくて、しかも先生に『いつまで飲んでるんだ。さっさと片付けなさい』みたいに言われたら、不、いや補欠合格。志望校に補欠合格で、さあて入学できるのかできないのか。みたいな、あやうい状態。
よし。おれ合格。できるはず。賭ける。
彼女、美味しそうにコーヒー飲んでエクレア食べきって『なにもこんなにお礼だなんて』と逆にお礼を言ってくる。
おれの合格は間違いなしだ。
そんなことを考えながら、塾に戻った。
授業が終わる。
まもなく終わる。
さあ、今夜の電車どうする、どうなる。
おれは賭ける。
いつもの乗れたら、次の模試で合格判定が80%。
いつものに乗れなくて次の待つなら、合格判定55%。
駅までの途中で転んだりしようものなら、もうその場合は不、うん、受験なんてやめちまえそうしちゃえ!
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
急いでカバンに詰め込んで教室を出た。
そのときイスに空き缶を見つけた。さっきの休憩時間にあげたものだ。たしか飲みきれなくて、そのまま授業中も出しっぱなしにしておいたような?
持ってみたらカラッポっぽい。じゃあ、おれが捨てておくか。飲んだのは彼女でも、買ったのはおれなんだし。おれはカバンを肩からさげると手には空き缶を持ち、いきおいよく教室を出た。階段は帰りの生徒たちのラッシュアワーだが、いい感じで波に乗れた。早足だが、もつれることなく安全に階段をおりていける。確実に一階が近づいている。よし、ゲートを出たら速攻ダッシュかけるぞ。
いける。
今日は、余裕で乗れる。いつもの電車、しかも定位置のシートに。
いくぞ。
走り終えて駅の改札。
空き缶入れに投げるとストライク。
よし!
ついてるぜ。
これなら今週末の模試は合格判定がアップする。間違いない。
電車の中でノートを広げて読んでいると、照明がチカチカ点滅した。いいぞ、きっと厄払いになっている。おれにまとわりついている生霊の類が悪さをしているのだろう。車内の照明を狂わせることで、その働きは鈍るはず。
チカチカ、チカチカ。とてもノートを読んでいられない。これは運がいい。困苦やかなり厄払いができていることになるぞ?
おれはノートにカバンをしまって、ただ呆然と窓を見る。ぼんやりとした鏡になっていて、自分が別人のように映っている。いいことありそうな気がするよ。
駅の改札を抜けると、ギターを弾きながら歌っている女の子がいた。
どこかで聞いたことのある歌だ。
立ち止まって聞いてみる。
他には誰も聴いていないけれど、歌っている彼女は気にすることもない様子で、目を閉じたまま自己世界に没入しているようだ。
歌い終わったとき、思い切り拍手したよ。
拍手は邪気払いになるからね。叩くなら思い切りがいい。遠慮なんか、いらないさ。
もしも、もしもだよ?
拍手が騒々って迷惑そうな顔をされたら、それはそれでいい。その程度の人なんだってわかるだけ。おれは、なにも、損しない。今度またここで同じ人が歌ってたら無視すればいいだけのことさ。かかわらないほうがいいひとリストに加えるだけ。それだけのこと。
おれの拍手に驚いたのか意外そうな表情で眼を開けながら、
「ありがとう。聴いてくれて、ありがとうござ。います!」
と言われた。
それが嬉しくて、ますますチカラを入れて拍手し続けた。
「やだなあ、ボク。そんなそんな照れちゃうよ?」
とシンガーが恥ずかしそうに照れだした。
遠くからエンジン音が響いてくる。かなりの低音がきいていて爆走モードだな、ありゃ。
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