不条理のトライアングル~男装令嬢の苦難~
1、身代わり人生の始まり
「紅葉っ……!」
悲劇は突然やってくる
そんなステレオ越しに聞いた言葉を、まさか自分が体験する事になるとは、紅葉は微塵も思っていなかった。
「恨むなら、血も涙もないお前らの腐った親を恨むんだな!」
閑静な住宅街に、狂った男の叫びが響き渡る。
自分を庇って、双子の兄である楓がナイフで刺された。
血の滴るナイフを乱暴に楓の身体から引き抜いてその場に投げ捨てた男は、そう捨て台詞を残して走り去る。
一瞬の出来事に紅葉は恐怖で身体がこわばり、悲鳴さえもあげることが出来なかった。
崩れ落ちる楓の身体を支えながら、紅葉の手はガクガクと震えている。
楓の傷口からは止めどなく血が流れ、視界に広がるその赤い色が危険信号のように見えた。
(このままでは、楓が死んでしまう)
我に返った紅葉はポケットからハンカチを取り出し止血を試みるも、薄いハンカチでまかなえきれる量ではない。
みるみるうちに紅葉の手は、楓の温かな血液で赤く染まった。
「誰か! 誰か、救援車を呼んで下さい! 楓を助けて下さい!」
一人では無理だと判断した紅葉は周囲に助けを求める。
騒ぎに気付いた近くに住む住民が駆けつけ、慌てて救援車と100当番通報をしてくれた。
「紅葉、けがは……ないかい?」
そっと伸ばされた冷たい楓の手が紅葉の頰に優しく触れる。そのあまりの冷たさに、紅葉の不安はより一層強くなった。
「ああ、私は大丈夫だ! 楓が守ってくれたから怪我などない!」
酷い怪我をしているのに、まだ自分の心配をしてくれる優しい楓に胸が苦しくなる。
「それなら……よかっ、た……っ、ガハッ!」
「無理をして喋るな! もうすぐ助けが来るから、だからっ!」
「……泣かないで……もみ、じ」
「泣かない、泣かないから! 目を開けてくれよ、楓!」
「ごめん。少し、休むだけだよ……すぐに、目を覚ますから……泣き虫なお前を、放っておけるわけ……ない、だ……ろ……」
「楓? おい、楓! 嘘だ……っ、うわぁあああ!!」
荒い息を繰り返し、紅葉はとび起きる。額には脂汗が滲み、背中にびっしょりと汗をかいて寝間着が貼り付き気持ち悪い。
「夢……か」
雪の降るような寒い日になると、あの時の寒さを思い出してよく夢を見る。
さっと上着を羽織った紅葉はそのまま部屋から飛び出し、屋敷の離れにある一室へと駈ける。
慣れた手つきで薄暗い部屋の電気をつけ、中央に置かれたベッドへと足を運ぶ。
設置された心電図のモニターに異常がないことを確認し、紅葉はそこに横たわる人物の力なく垂れた手をそっと握りしめる。
三年前から時が止まった、大切な兄の手を。
あの事件の後、楓は何とか一命をとりとめたものの、刃に仕込まれていた毒物の影響で身体の傷が癒えた今でもずっと眠り続けている。
医者が言うには、その毒物は神経系に影響を及ぼすもので、いつ意識を取り戻すか分からないらしい。
両親はその事実を知って、植物状態になってしまった楓を安楽死させようとした。
跡取りとして幼き頃から英才教育を施してきた彼等にとって、今の楓はお荷物でしかなく不要だと判断したからだ。
見込みのない者にこれ以上無駄な出費はしたくない。大企業の経営者としては、至極当然の思考だったのだろう。
しかし、紅葉にはそれが許せなかった。
親としての感情が全く感じられず、自分達はやはり愛されてはなかったのだと再認識させられてしまったから。
幼い頃から、厳しい躾に耐え互いに励まし合って育ってきた楓と紅葉。
自分の半身と言ってもおかしくはない大切な兄が、命をかけて守ってくれた。だったら自分も全てをかけて兄を、楓を助けたい。
そのために出来ること──紅葉は冷静に考えてある答えを導き出した。
この両親に感情論で訴えかけても駄目だと悟った紅葉は、ある交換条件を提示する。
楓の看病は全て自分が引き受ける事、そして楓が目覚めるまで、自分が神崎家の跡取りとして立派に兄である楓を演じきること。
楓はその優秀さから、神崎グループを担う跡取りとしてマスコミにも取り上げられ周囲から一目置かれた存在だった。
そんな楓を失う事は、神崎グループにとっても大損失であることを冷静に述べて諭す。
両親は紅葉を見て、面白い玩具を見つけたかのように不敵に笑って了承した。
交渉は成立し、翌日マスコミには大きく報道された。
神崎グループの令嬢、神崎紅葉が通り魔に襲われ昏睡状態であると。
その日から、紅葉は自分の名を捨て、楓として生きることになった。いつか兄が目を覚ましてくれる、その日を信じて。
悲劇は突然やってくる
そんなステレオ越しに聞いた言葉を、まさか自分が体験する事になるとは、紅葉は微塵も思っていなかった。
「恨むなら、血も涙もないお前らの腐った親を恨むんだな!」
閑静な住宅街に、狂った男の叫びが響き渡る。
自分を庇って、双子の兄である楓がナイフで刺された。
血の滴るナイフを乱暴に楓の身体から引き抜いてその場に投げ捨てた男は、そう捨て台詞を残して走り去る。
一瞬の出来事に紅葉は恐怖で身体がこわばり、悲鳴さえもあげることが出来なかった。
崩れ落ちる楓の身体を支えながら、紅葉の手はガクガクと震えている。
楓の傷口からは止めどなく血が流れ、視界に広がるその赤い色が危険信号のように見えた。
(このままでは、楓が死んでしまう)
我に返った紅葉はポケットからハンカチを取り出し止血を試みるも、薄いハンカチでまかなえきれる量ではない。
みるみるうちに紅葉の手は、楓の温かな血液で赤く染まった。
「誰か! 誰か、救援車を呼んで下さい! 楓を助けて下さい!」
一人では無理だと判断した紅葉は周囲に助けを求める。
騒ぎに気付いた近くに住む住民が駆けつけ、慌てて救援車と100当番通報をしてくれた。
「紅葉、けがは……ないかい?」
そっと伸ばされた冷たい楓の手が紅葉の頰に優しく触れる。そのあまりの冷たさに、紅葉の不安はより一層強くなった。
「ああ、私は大丈夫だ! 楓が守ってくれたから怪我などない!」
酷い怪我をしているのに、まだ自分の心配をしてくれる優しい楓に胸が苦しくなる。
「それなら……よかっ、た……っ、ガハッ!」
「無理をして喋るな! もうすぐ助けが来るから、だからっ!」
「……泣かないで……もみ、じ」
「泣かない、泣かないから! 目を開けてくれよ、楓!」
「ごめん。少し、休むだけだよ……すぐに、目を覚ますから……泣き虫なお前を、放っておけるわけ……ない、だ……ろ……」
「楓? おい、楓! 嘘だ……っ、うわぁあああ!!」
荒い息を繰り返し、紅葉はとび起きる。額には脂汗が滲み、背中にびっしょりと汗をかいて寝間着が貼り付き気持ち悪い。
「夢……か」
雪の降るような寒い日になると、あの時の寒さを思い出してよく夢を見る。
さっと上着を羽織った紅葉はそのまま部屋から飛び出し、屋敷の離れにある一室へと駈ける。
慣れた手つきで薄暗い部屋の電気をつけ、中央に置かれたベッドへと足を運ぶ。
設置された心電図のモニターに異常がないことを確認し、紅葉はそこに横たわる人物の力なく垂れた手をそっと握りしめる。
三年前から時が止まった、大切な兄の手を。
あの事件の後、楓は何とか一命をとりとめたものの、刃に仕込まれていた毒物の影響で身体の傷が癒えた今でもずっと眠り続けている。
医者が言うには、その毒物は神経系に影響を及ぼすもので、いつ意識を取り戻すか分からないらしい。
両親はその事実を知って、植物状態になってしまった楓を安楽死させようとした。
跡取りとして幼き頃から英才教育を施してきた彼等にとって、今の楓はお荷物でしかなく不要だと判断したからだ。
見込みのない者にこれ以上無駄な出費はしたくない。大企業の経営者としては、至極当然の思考だったのだろう。
しかし、紅葉にはそれが許せなかった。
親としての感情が全く感じられず、自分達はやはり愛されてはなかったのだと再認識させられてしまったから。
幼い頃から、厳しい躾に耐え互いに励まし合って育ってきた楓と紅葉。
自分の半身と言ってもおかしくはない大切な兄が、命をかけて守ってくれた。だったら自分も全てをかけて兄を、楓を助けたい。
そのために出来ること──紅葉は冷静に考えてある答えを導き出した。
この両親に感情論で訴えかけても駄目だと悟った紅葉は、ある交換条件を提示する。
楓の看病は全て自分が引き受ける事、そして楓が目覚めるまで、自分が神崎家の跡取りとして立派に兄である楓を演じきること。
楓はその優秀さから、神崎グループを担う跡取りとしてマスコミにも取り上げられ周囲から一目置かれた存在だった。
そんな楓を失う事は、神崎グループにとっても大損失であることを冷静に述べて諭す。
両親は紅葉を見て、面白い玩具を見つけたかのように不敵に笑って了承した。
交渉は成立し、翌日マスコミには大きく報道された。
神崎グループの令嬢、神崎紅葉が通り魔に襲われ昏睡状態であると。
その日から、紅葉は自分の名を捨て、楓として生きることになった。いつか兄が目を覚ましてくれる、その日を信じて。
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