生々流転 〜繰り返される夏休み〜

桐谷碧

美波の告白

「じゃあ、また明日ねー」

 花火の後、一度家に帰って着て着替えを済ませると、玄関に向う後ろ姿を見てふと疑問に思った。

 どこに帰るんだ――。

 母方の実家が本当に近所にあるとして、死んでいる筈の美波が訪ねてきたら寿命が一気に縮んで昇天してしまうかも知れない。まさか野宿、じゃないとしてもマンガ喫茶やファミレスで一夜を過ごしている可能性もある。

「待て、美波、いったい何処に帰るんだ」

 玄関の扉に手を掛けた所で呼び止めた。

「どこって、おばあちゃん家だけど……」 

 振り返った顔に不安の色がある、思いもがけず呼び止められた上に真剣な表情をしている自分に戸惑っているようだ、思案した結果だった、もう分かっているのだから、これ以上はとぼけることはできない。

「そんなわけないだろう」

「どうしたの海斗くん」 

「美波はこの世にいないんだろ?」

 目を見開いた美波と視線がぶつかり合う、決して逸らさないように瞬きすら我慢した。彼女がふっとその場から消えてしまうような得も言われぬ不安が頭をよぎる。

「すごーい! どうして分かったの?」

 両手を口元に当てると、推理小説の犯人を当てた人間に向けるような軽い口調だった。

「とにかく、もうお互いに隠し事はなしにしよう」

リビングに戻りダイニングチェアに座らせた、隠して飼っていた野良猫が親に見つかってしまった子供のように殊勝な面持ちで美波は俯いている。グラスに氷を入れてアイスティーを注いだ、美波の前にそっと置く。

「隠してた訳じゃないんだよ、説明のしようがなかったって言うか……」

 冷蔵庫からビールを取り出してプルタブを引いた。

「いや、怒ってる訳じゃないんだ、ただ毎日この家から出て行った後はどうしてるんだ?」

「えっとね、今はビジネスホテルに泊まってる」

「ビジネスホテルか」

 なるほど、この辺りにはいくらでもあるし金額も安いが毎日となるとかなりの出費になるのではないか、しかし野宿をしている訳でもマンガ喫茶で時間を潰しているわけでもなかったので多少の安心感を覚えた。

「とにかくもう、今日からは家にいろ」

「海斗くん、もしかして私の体が目的……」

 彼女の言葉を無視して話を先に進める。

「美波は死んでからずーっと、何ていうか、彷徨っているのか」

 彷徨っているという表現で良いのだろうか、死んでしまった人間と話した事などないので分からなかった。

「夏休みだけ、もう七回目」

 学校の校舎から飛び降りて自殺をした筈の美波は気がつくと早朝、自宅の前で佇んでいたと言う、夢だったのだろうかと鍵を使って家に入ると居間の仏壇に自分の遺影が置かれていた、やっぱり自分は死んだんだと確信した彼女はそのまま家を飛び出した。死んだはずの自分が見つかってしまったらパニックになってしまう。仕方なくぶらぶらと街を歩いた、ポケットに入っていたスマートフォンはなぜか電源が入る。日付を確認すると西暦が一年進んだ七月二十日、学校は今日から夏休みだった。

 成仏できずに霊になってこの世に戻ってきてしまったのだろうか、その割には周りにいる人間は自分を認識しているようだった。電車に乗り継いで茨城県の水戸まで行くと駅前にある漫画喫茶に入り今の状況を整理したと美波は言う。

「どうして水戸まで」

 赤羽からだと三時間はかかるだろう。

「とにかく知り合いに会うのが怖くて、上野から適当に乗った電車の終点だったの」

「なるほど」

 訳も分からず混乱しながらも漫画喫茶で好きだった連載漫画の続きを読んだらしい、楽天的な性格は変わりないようだ。

「夜まで漫画喫茶にいて、仕方ないから今日はこのまま泊まろうと思ったんだけど」

 未成年がマンガ喫茶にいることができるのは夜の十一時まで、やむを得ず店を出ると二十四時間営業のファミレスで朝まで時間を潰したらしい、財布の中にはおそらく自殺した時に所持していた時と同じ額の九千円、このままでは一文無しになってしまうと再び赤羽にある実家に戻ることにした。

 昨日よりも慎重に部屋に侵入すると、自分の部屋を目指した。生きていた時とまったく変わらずに部屋は残されていたので机の抽斗に作った二重底から貯金していたお金を取り出した。何をするにしても残高三千円では生きていけない、死んでるけど。目的を果たすと部屋をゆっくりと後にした。

「貯金はいくらあったの」

「三十万円くらい」

「すごいね」

「お年玉全部貯めてたから」

 それからは野球を観に行ったり、一人焼肉をしたり生きていた時の分まで贅沢三昧をして夏休みを過ごしたらしい、宿泊は身分証が必要ないビジネスホテルやスーパー銭湯だった。どんどん減っていく残額を心配するようになった頃に八月三十一日を迎えた。しかし深夜十二時を過ぎると段々と意識が遠くなり気が付いたら再び家の前に佇んでいた。

「てっきり九月一日だと思ったの」

 しかしスマートフォンはおよそ一年過ぎた七月二十日を表示していた、財布の中身も元に戻っている。

「美波が存在するのは夏休みの間だけなの」

 まてよ、と言うことは今年もあと数日で美波はこの世からいなくなる、再び現れるのは来年の七月二十日。確かにその間会えないのは寂しいかも知れないが逆に言えば一年足らず待てば美波はまた現れると言うことか。少しだけ安心した。

「だから、海斗くんと結婚は……」

「え、どうして?」

「だって幽霊だし、夏休みしか会えないし」

 しょんぼりしている所を見ると美波も自分と一緒になりたいと思ってくれているのだろうか、だとしたらこんなに嬉しい事はない、幽霊だろうが夏休みしか会えなかろうが、美波以外の人と一緒になることなど考えられなかった。

「そんな事気にするな、美波は美波だろ」

「ほんとに?」 

 パッと表情が明るくなる、本当にこの子が自殺をしたのだろうか、疑いたくなるが事実なのだろう。 

「あれ、でも七回目なんだよな、それまでに一度も誰かと話したりしなかったのか」

「うん、海斗くんが初めて」

 夏休み限定の存在しないはずの人間、他人に関わることが怖かった美波はずっと一人で行動していた、しかし次第にその生活にも慣れ始めて水戸のような場所まで移動する事もなくなり近場で知り合いがいなさそうな場所を見つけては拠点にしていたという。

 今回はたまたま上野駅から日比谷線に乗っている時に『人形町』という可愛い名前の駅があったので下車したという訳だ、縁もゆかりもない場所で当然お祖父ちゃんも、お婆ちゃんも住んでいない。

「なんかすっごいイライラしてる人がいたから、よし、話しかけてみようって」    

「変わってるね、普通話しかけないよ」

「あと、野球観てたから、一緒に行ってくれないなって」 

 ずーっと一人で過ごしてきた、誰とも話さずに、自分が何者かも分からずに。ただ時間を潰すように夏休みを過ごしてきた彼女はどんな気持ちだったのだろうか。

「もっと早く言ってくれたら良かったのに」

「うん……」 

 その告白をするには自分をなんて説明していいか分からなかったのだろう。

「とにかく今日からは一緒に住もう、まあ風呂でも入ってこいよ」 

「やったー」 

 すでに湯は溜めてある、Tシャツとスウェットを渡すと子供の様にはしゃいで風呂場に向かった。 

 ソファに座り直して考えを巡らせる。八月二十五日、残り一週間、彼女が自殺をする事を止めることはもうできない、それにはタイムマシーンで過去に行く必要がある。今の彼女をずっと留まらせる事は可能なのか。分からない。そもそもどうして夏休み限定なのだ。そんな幽霊聞いたこともないが。いや、夏休みになると怪談話が増えてくるのはそういった内情が起因しているのか、それが判明すると少しは対策が練れるのだが。

 通常の概念に照らし合わせるのであれば、幽霊というのは成仏できない魂が現世に留まっている状態とみるのが一般的だろう、彼女は自殺をしたのだからこの世に未練があるのは自明の理だが。

 なぜ夏休み限定なのか――。

 そこの所が鍵になるかも知れない、夏休みにやり残した事がある、それを達成するまでは無限ループで夏休みを繰り返す、逆に言えば達成した時、彼女はもうこの世には戻って来ない――。

 空恐ろしい想像に至った所で思考を遮断した。今日はもう遅い、美波が風呂から出たら自分も入って就寝しなければ。明日も朝からラジオ体操に出席しなくてはならないのだ。


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