キント雲に乗った薬剤師
キント雲に乗った薬剤師
️ 睦月
枯れ葉が覆いつくす年明けの道。目の前の枯れ葉が一枚、踊りだす。防寒着で膨れた男が飛びのき、何か生き物が動いたのかと目を見張るが、ただの風のイタズラだったようだ。こんなに葉っぱがあるのに一枚だけ風で飛ぶなんて。まぁただの偶然かなと、また足を早めて目的地に向かう。これから、お世話になる職場へ挨拶に行くところだ。しばらく歩いて、こじんまりした建物の前に佇んだ。用意していた挨拶文を口の中でブツブツと確認し建屋の中を覗き込む。今は空いてるようだと中に入る。
「こんにちわ。来月よりこちらでお世話になります薬剤師の九條と申します。宜しくお願いします」また新たな人間関係が始まる。
薬剤師は変な職業だ。例えば行ってみたい所や住んでみたい別の場所へ簡単に職場を変えられる。現に離島生活や都会生活を2-3年ごとに職場を移して楽しみながら仕事をしている薬剤師もいる。日本全国、薬局のあるところならどこででも、いつからでも働ける。
ただしブラックな所もあって最初の雇用条件が何年経っても変わらないため、必然的に薬剤師は給料を上げるために職場を変える場合もある。特に新人の薬剤師は給料が安いのでスキルアップするごとに職場と雇用条件を変えていく。
「九條君、何年目?」先輩薬剤師の佐伯さんに初出勤の朝に聞かれた。
「あっ、2年目です」
「そう、じゃあ後3年は修行だね」
佐伯さんは、驚くほどの美人である。薬局あるあるで、何故か薬局には一人ぐらいの確率で凄い美人がいる。理由はわからない。薬局は女性の多い職場なので、もしかすると、ちょっかいをかけてくる男性が少ないことが理由かなとも思うが、よくは分からない。薬剤師は体調が悪い不機嫌な患者さんを相手にしてるので自然と気が強くならないとやっていけない。下手に女性薬剤師にちょっかいをかけると鋭利な三日月のような視線で傷ついてしまう。
「かかりつけ薬剤師には勤務経験が3年以上だったはずですけど」
「調剤薬局での勤務がね。5年は管理薬剤師になるのに必要じゃないかって年数」
「私が新人の薬剤師だった頃は学校を卒業したてで管理薬剤師になってた人もいたわ」しかめ面して話に入ってきたのが、この薬局の管理薬剤師の和田さんだ。
「ほんと昔の薬局は、いい加減だった。知らないうちに管理薬剤師にさせられてるケースもザラだったし」その時、人が入ってくる。今日最初の患者さんだ。先程のしかめ面から最高の笑顔を顔に貼り付けて患者さんに振り返った和田さんが、
「おはようございます」と仕事が始まる。
「九條君は、まだ慣れてないから薬の配置を覚えるためにも薬のピックから始めて。佐伯さん、面倒見てあげてね」和田さんの指示が飛んでくる。
「コルヒチンって、どこにあるんですか?」引き出しにある薬を探すが無い。
「あっ、上の棚だよ」佐伯さんが指差す。
「ここはコルヒチンがよく出るんですね」
「痛風の痛みで来る患者さんに先生が、よく処方するわ」
「それで上の棚にあるんですね。引き出し探しても無いもんだから」
「薬局によって出る薬は違うから、一から覚えないとね」
昼近くになった頃、患者さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんで、いつもの薬がないんや。今まで、こんなことなかったで!」和田さんに患者さんが詰め寄る。
「すみません。今、薬の流通が悪くなって迷惑をおかけしてます。それで、いつもの薬と同じ成分ですが違うメーカーの薬を代わりに出すしかなくて、、、」と患者さんを宥めている。
佐伯さんはため息をつき
「いつまで薬の出荷調整が続くのかしら」
「こんなにジェネリック医薬品が不足してるのに厚生労働省は何もしないんですか?」
「何もしないわね。厚生労働省は医師会以外には高飛車だから。厚生労働省がジェネリック医薬品の使用を推進していた手前、ジェネリック医薬品会社が起こした不祥事には知らないふりしてるんじゃない。薬の製造方法の管理がずさんなので業務停止を命じたのは厚生労働省だしね」
「それに新型コロナウイルス感染症のために解熱鎮痛剤や咳止めの薬が無くなってるし、、、」
「ほんと最悪だわ」いつの間にか患者対応を終えた和田さんが気配を消して後ろに立っていた。
「こんなに薬が手に入らないなんて初めてのことよ。九條君も大変な時に薬剤師になったわね」
美しい眉をひそめて佐伯さんが、
「それに厚生労働省は薬剤師がもっと活躍するようにと仕事を毎年増やしてくるし、九條君は大変だね」と佐伯さんがニヤニヤしながら言ってくる。
性格わるいのかなぁ。
「さっきの患者さんをどう説得されたんでますか?」和田さんに問いかけた。
「私は正直に言うことにしてるわ。ジェネリック医薬品会社の製造トラブルで薬が減ってることや新型コロナウイルス感染症でも薬の製造が追いつかなくなってること。折角の服薬指導だから患者さんの体調や他に飲んでる薬の確認とかしたいけど薬が無いことの言い訳ばかりで何をやってんのかしら」
「患者さんから最近よく聞くけど、新型コロナウイルス感染症が流行ってから、今までと違って病院で2時間近く待たされることも多くなったって。発熱外来の患者さんと、そうじゃない患者さんを別の場所で診ないといけないので隣の先生も病院の中と外の発熱外来とを走り回ってるそうよ」
「それに加えて薬局から薬が無いと言われるし、お医者さんが一番大変ね」
「子供の解熱剤で一番使われるカロナール細粒が全国的に無くなってると聞きましたが」
「うちも、そろそろピンチなのよ。どうしようかしら」また、しかめ面する和田さん。佐伯さんが、頷きながら
「薬剤師関係の雑誌で読んだけど、カロナール細粒が無くなった薬局ではカロナール錠を粉砕してるそうよ」
「でもカロナール錠を砕いて飲んだら、かなり苦くて子供は飲めないですよ」
「その雑誌では、カロナール錠を砕いて何と混ぜたら飲みやすくなるかも検討していてたわ。乳糖やアイスクリームと混ぜても苦くて飲めた物ではなかったみたい。単シロップと混ぜたら苦味が少なくなって何とか飲めるそうよ」
「じゃあ、ここもカロナール錠を砕いくのも間近ってことね」
「九條君って錠剤を粉砕したことあるの?」と佐伯さん。
「いえ、まだしたことないです」
「それじゃあ、粉砕の時は声をかけるわ」佐伯さんかにっこり笑う。
「そろそろ九條君は昼休憩を取ってね。戻ってきたら粉砕してはいけない薬についてまとめておいて」佐伯さんに続いて和田さんも笑みを浮かべる。
「九條君、まとまった」
午後2時過ぎに薬歴の入力を終えた佐伯さんが僕の手元を覗き込んだ。薬歴とは薬をお渡しした患者さんの体調や薬の飲み合わせ、薬の服用などに問題ないかを記録するもので薬剤師業務に必須である。年に何度か薬歴の記録を怠っていた薬局が処罰されるケースが跡を絶たない。
「粉砕してはいけない薬ですが、カプセルに入った油状の薬、粉砕すると効果が弱くなったり、効果のある時間が短くなったりする薬がありました」
「そうね。油状の薬以外にも粉砕が難しい薬や吸湿性の薬なんかもあるし、粉砕すると調剤した人に毒性が出るものなんかもあるわね」
「こんなに薬がないと和田さんの言ったように錠剤を粉砕する機会も増えるかもしれないので、分類分けしてまとめときましょうか?」
「それがいいわね。これからずっと九條君にも必要な知識だし、いい機会だからまとめといたら」
「ぜひ、そうしてちょうだい」
いつの間にか僕らの後ろに和田さんが立っていた。
「お願いするわ」
「お願いされちゃったね」とても嬉しそうな佐伯さんの笑顔があった。
️ 如月
「こんにちわ」
「この頃、寝ると足がつってね。それで先生が漢方薬を出してくれたの」
「食後で出てるわ。先生に食間か食前でなくていいか疑義して」
「4mgじゃなくて2mgよ」
「前より高いんちゃう?」
午後の患者さんが来だした。
「和田先生、隣の先生から電話です」事務員が声をかける。
「はい、和田です。はい、、、はい、、、そうですか。すぐに手配します」
「うちで初めてラゲブリオが出たわ。佐伯さん、卸さんに急配の電話をしてちょうだい。それから高齢の患者さんだから、あのでっかいラゲブリオカプセルをそのまま飲ませられないかもしれない。どうやったら飲ませられるか添付文書とメーカーに確認して。九條君はラゲブリオを服用させるハイリスクの条件に、この患者さんが適用されるか調べといて。さっき電話で隣の先生から聞いた患者さんの基本情報を、ここに書いといたわ。患者さんは、うちに来るのは初めての方よ。一応、事前に私もラゲブリオのことは調べていたけど、確認の意味で2人ともお願い」
「和田先生、患者さんに投薬お願いします」別の患者さん達が待合室で待っている。
「私は、投薬してくるから宜しくね」
「和田さん、ラゲブリオは40カプセルでいいですよね」電話を手に佐伯さんが尋ねる。
「40カプセル一瓶の包装しかないから、それでいいのよ。お願いね」薬の監査を終えた和田さんが投薬台に向かった。
ラゲブリオカプセルとは新型コロナウイルスに対する抗ウイルス薬だ。僕は製薬メーカーが持ってきた資料が置いてある棚の中からラゲブリオの説明書を探す。
「九條君、ラゲブリオの資料は、こっちの机の上よ。佐伯さん、ラゲブリオが入荷したら隣の先生に報告しといて」次の患者さんの薬を監査しながら和田さんの指示が飛ぶ。
僕はラゲブリオの資料に飛びつき内容を確認する。ウワッ、結構デカめのカプセルを1回に4カプセルも、1日2回で飲まないといけないんだ。それで佐伯さんに飲み方の確認をしてもらっんてたのか。ハイリスクの患者さんは、、、高齢者だ。確かに、こんなデカいカプセルなんか飲めないよ。ラゲブリオをどのようなリスクのある患者さんに飲ませるべきかを確認していると、
「九條君、ラゲブリオを服用させるべき患者さんのリスクは確認できた?」投薬を素早く終えた和田さんが僕を見る。
「ハイ、患者は65歳以上で糖尿病の薬を飲んでます」
「メドロール錠は確認した?」
「えっと、アッ、ステロイドですよね。そっか免疫が、、、」
「そうよ、免疫が抑えられてるから新型コロナウイルスを体から除きにくくなってるわ」
「和田先生、ラゲブリオが入荷しました」佐伯さんが薬の瓶を持ってくる。
「瓶に黒い線が入ってる?」
「えっと、蓋の下に黒い線が、、、」
「それでいいわ」
「線が無いものもあるんですか?」
「国が患者さんに無料で渡していた薬には線が入ってないのよ。佐伯さん、事務員さんが黒い線の入った瓶を選んで薬を入力してるか確認してきて」
「アッ、ハイ」
「和田先生、投薬お願いします」
「九條君、患者さんの住所を隣に聞いといて。それから同意書は取られているかもね。ついでに処方箋貰ってきて」
「住所?」
「隣から処方箋もらってきたらわかるわ」次の患者さんに、ゆったりした笑顔で向かう。
「こんにちわ。ちょっと、おくすりが切れてました?何も症状がないから飲まなきゃいけないか分かりにくいわよね。コレステロールの値を下げる薬を飲まずに高いコレステロール値のままだと、、、、、」
僕は隣の病院に処方箋をもらいに行き、受付の人から処方箋を渡された時に、
「夕食までに患者さんに薬を服用してもらうようにと先生が、、、」
「は?ハイ、和田先生に伝えておきます」
処方箋を見ると、やっぱり1回4カプセルを1日2回だ。咳止めのメジコンも一緒に飲ませるんだ。でも、処方箋には他に何が、、、!備考欄に「cov自宅」って書いてある。患者さんの家まで薬を持っていかないといけないんだ。なるほど!
「あっ、あのっ、患者さんの住所を教えてください」
「そうよね。、、、ここに書いたから、お願いね」
「アッ、ど、同意書は書いてもらってるのでしょうか?」
「そうそう、家族の方が書くからって言ってたので患者さんに薬を届ける時に同意書を確認してから薬を渡してもらえますか」
「は、はぁ、、、」
薬局に帰ると佐伯さんが報告していた。
「ラゲブリオの添付文書とメーカーに確認したんですけど、あのでっかいカプセルを飲むのが出来ないようならカプセルから薬を出して懸濁液にして飲ませるようです。海外データで懸濁液で飲ませた場合でも血中濃度はカプセくルそのまま飲ませた場合と同じだったというエビデンスがあります」
「そうよね。ありがとう。アッ、九條君、処方箋貰ってきた?」
「ハイ、やっぱり自宅に届けるようです」
「そうよね。今日の夕方には飲ませた方がいいから、もう私が届けにいくわ」
「病院から同意書を書いてるかも確認しといてと言われました」
「そっかー。オッケー、これから持っていくから後は佐伯さん、宜しくね」
「は、はい」
和田さんは、薬を持って出かけた。
「佐伯先生、タミフルはあるかと隣の病院から問い合わせが来てます」事務員が電話を持って佐伯さんに伺う。
「えっ、え〜と、アッあるわ。インフルエンザなんて久しぶりね」
「あと、トランサミンとメジコンも出てますが?」
「ウワッ、コロナで品薄になってるのに。でも和田さんもいないしなぁ。いいわ、その薬も出して」
「和田先生は発熱外来用にトランサミンやメジコンは残すように言ってましたけど」
「インフルエンザも発熱外来よ。怒られる時は私が怒られるから」
「アッ、じゃあ僕も怒られます」
「九條君、タミフル、頼んどいて。新型コロナが落ち着いたと思ったらインフルエンザの患者さんが急増しているの」
「ジェネリックのオセルタミビルですか?」
「いえ、先発品のタミフルカプセルで発注してちょうだい。ジェネリック品の使用期限は通常の3年だけど先発品のタミフルは10年もあるから在庫管理しやすいし、ジェネリック品は流通も悪くなってるからね。怒られるとしたら私だから大丈夫よ」
「ぼ、僕も一緒に怒られます」
「佐伯先生、投薬お願いします」
「じゃあ、発注お願いね」
発注を終えると処方箋が来ていた。新型コロナウイルス感染症患者だ。戻ってきた佐伯さんに、
「28です」と報告する。
「発熱外来スペースね」
処方箋の左上と右上には、マスに囲まれた数字が入力されている。左の数字が公費者番号、右が保険者番号だ。公費とは生活保護を受けている患者さん、ひとり親世帯の患者さん、難病や結核を患っている患者さんなど国や地方自治体などの行政が医療費を公費で補助している患者さんの処方箋に入力されている。新型コロナウイルス感染症の患者さんも今は公費で薬代は全額補助されているから、そのことを表すために公費者番号に28番が付けられている。右の保険者番号は、どの健康保険組合に加入しているかを示す番号になる。患者さんが、どのような病気かは個人情報になるので隠語的に新型コロナウイルス感染症患者さんを「28の患者さんです」という薬局もある。
佐伯さんが28の患者さんに投薬している間に和田さんが帰ってきた。
「はぁ、疲れた。九條君、大丈夫だった?」
「あっ、あのー、インフルエンザの患者さんが来て、タミフル足りなくなるかもと思いましてぇ、先発品のタミフルを発注しちゃいました。さ、佐伯さんと一緒に考えて、、、」
「あらっ、いい判断ね。それでいいわ」
発熱外来から帰ってきた佐伯さんに和田さんが、
「九條君と一緒に、しっかり対応してくれたみたいね。ありがとうね」
佐伯さんが和田さんに和かに笑った後に、鋭利な下弦の三日月のような目で私に微笑んだ。あれっ!何か、やらかしてしまったのかなぁ、、、
️ 弥生
「おばようございばす、、、」
「どしたの?九條君」佐伯さんが、いつもの美人顔で覗き込む。
「かぶんじょうみたいでず」
「あらっ、花粉症なの?」
「今年は花粉の飛散量が過去10年間で最大らしいから今年から花粉症になる人も多くなるって言われてるわ」いつの間にか僕らの後ろに立っている和田さんが話を続ける。
「新型コロナウイルスが落ち着いたと思ったら花粉症がくるとはねぇ。九條君!仕事にさわるから薬飲み始めた方がいいわよ」
「ばーい」
「去年は治ったと思ったのに、今年は、また花粉症だわ」
「アレグラとアレジオンは同じ薬?」
「今年は花粉の飛散量をが多いので早めに薬を飲み始めてくださいね」
「前の薬は全然、効かなかった」
「目は痒くないの。くしゃみが止まらなくて舌の先が痺れるのよ」
「えっ、小青竜湯が無いと私、ダメなのよ」
新型コロナウイルス感染症の後にインフルエンザが流行。冬場の風邪もあっての花粉症シーズン到来だ。症状は共通しているところもあり当然、薬不足となる。
「和田さん、ツムラの小青竜湯がなくなりましたが、、、」佐伯さんが困ったポーズをする。
「患者さんがオッケーならクラシエに変えていいか隣の先生に疑義して」
「ハイ!」
「九條君、薬飲んだのね」
「眠気が出ないように弱めのアレグラ飲んでます」答えてから患者さんへ変更の提案に向かう。
「今までと同じなの?同じ薬じゃ無いと嫌だわ」すごすごと退散した僕は、
「和田さん、今までと同じツムラがいいと、おっしゃるんですが」
「ツムラとクラシエ小青竜湯の箱をちょうだい」
「は、箱ですか?」二つの箱を持った和田さんが、その患者さんのところに向かう。しばらくして帰ってきて、
「クラシエでもいいって言ったから事情を隣の先生に説明してクラシエに変えてもらって」
「ハイ、分かりました」病院に電話してから僕は和田さんに尋ねる、
「どうやって患者さんを説得したんです?」
「漢方薬の包装箱に書いてる成分情報、生薬の種類と含量ね、それを患者さんと一緒に確認して、同じという事でクラシエへの変更を受け入れてもらったわ」
「なるほど、僕も今度はそうします」
「でも正確に言うと生薬は栽培されている場所や時期で含まれる化学成分量は違うけど、そこまで言い出したら患者さんも混乱するしね」
「はぁ、難しいですね」
「漢方薬は神話が多くて、こだわる患者さんが少なからずいるのよね」
「どういう神話なんてますか?」
「漢方薬には即効性がないとかいう患者さんがいるけど、それだったら風邪なんかの急性症状に小青竜湯や麦門冬湯、インフルエンザに麻黄湯なんか処方されないのにね」
「確かに」
「それに市販薬の宣伝のせいか、漢方薬でダイエットが出来るとかで、病院で漢方薬を出してもらう女性も多いいし」
「防風通聖散ですね。漢方薬も入らなくなってるのに困りますね」
「そんなのよね。メーカーは、新型コロナウイルス感染症で漢方薬が出過ぎてるせいと言ってるわ。漢方薬は何種類かの生薬が材料だけど、七、八割は中国からの輸入だから入ってこなくなってるのね」
「漢方薬の神話って他にもあるんですか?」
「実は食前、食間の服用がそうなのよ」
「えっ?甘草の成分グリチルレチンは腸内細菌で分解されて出来るから食後だと腸内細菌が食べ物の分解に取られて効果が弱くなると本には書いてますが」
「ええ、逆に麻黄湯の成分エフェドリンは精神作用があって食後だと吸収が良すぎて動悸なんかの副作用が出るから空腹時にの増すべきとかね。でも全部、科学的な根拠はないの」
「でも添付文書にも用法に食前か食間と書いてますよ」
「それは日本の場合は煎じ薬の経験をもとに漢方薬の添付文書が作られているからね。煎じ薬が食間や食前の服用だったから、そうなったわけ」
「そういえば喘息などに処方されるモンテルカスト錠は就寝前での臨床試験しかしてないので用法が就寝前だけになってますよね」
「1日1回の薬だから午後のいつかに飲ませば良いとしてくれればね。明け方の喘息死が問題となっている時代だったから就寝前の臨床試験しかしてないのよね」
その時、佐伯さんが薬を出していた患者さんが、
「あれっ、この漢方薬、別の薬局で食後で飲むように言われてたで。何が間違えとるんちゃうか?」
「いえ、それは、、、」
「えっ!どっちでもいい事ないやろ!?間違えとるか確認してや」和田さんが僕に、うんざりした顔で言う。
「ねっ、こんなトラブルがしょっちゅうあるから、本当になんとかして欲しいわ」と佐伯さんの応援に向かった。
「、、、あのー、漢方薬は食前や食間に飲んだ方が効果が高いと言われてますが、食後でも、それほど効果は変わらない事が分かってるので、、、」今日も薬局は、ザワザワと日が暮れていく。
️ 卯月
「風邪かと思ったけど花粉症みたい。今年、初めてよ。いやだわ」
「お腹が張ってもて、、、トイレも出えへんねん」
「エッ、この薬あまってるから要らへんよ」
「睡眠薬はもっと出せへんの?」
「この睡眠薬は飲みすぎると危ないから30日までしか出せないの」
「エッ、この前の薬はもっと出してもらったて。効きがイマイチやったけど」
「あれは今までの睡眠導入剤と違う作用の薬だから、、、」今日も薬局には色々なことを訴える患者さんがやって来る。その中にソファーに座って、しんどそうな患者さんがいた。僕は、その患者さんの所に薬を持っていく。和田さんから、もう薬を出してオッケーと言われたのだ。
「こんにちわ。しんどそうですね、大丈夫ですか?今日は便秘の薬が出てますよ」
「ずっと体中が痛くて何年か前から強めの痛み止めのトラマールを飲んでたんやけど最近、お腹も痛くなって便秘みたいやねん」
「そうですか。この薬は便を柔らかくする、お薬でお腹が痛くなるなどの副作用が出にくい薬です」
「効けばいいけど、、、」
投薬から戻ってきた僕に佐伯さんが、
「どんな具合だったの、あの患者さん」
「ただの便秘みたいでしたよ」
「九條君は便秘になった事ないの?かなり苦しいものよ」
「ええ、なった事はないですが。そんなに大変なんですか」
「便秘の苦しさは、なってみないと分からないものよね」いつの間にか側に和田さんが立っていた。
「私は便秘にならないように気をつけているけど、若い頃に便秘になって盲腸かと思うほどの苦しみで病院に駆け込んだ事があるわ」まるで便秘の苦しみで歪んだ顔つきをして和田さんがつぶやいた。よっぽどの苦しみだったようだ。
「今は便秘の薬の種類も増えましたよね。昔ながらのマグミットやセンノシドに加えてリンゼスやグーフィス、モビコールなんかの新しい薬がね」
「こんなに新しい薬が出てくるって、そんなに便秘って治りにくいものなんですか?」
「そうね。特に年配の方の慢性便秘はやっかいね。薬の満足度は低いわ」
「でも排便出来なかったらどうするんですか?」
「最後は浣腸か摘便ね」
「摘便?」
「大腸から便をかき出してもらうのよ」
「た、大変な事になるんですね」
翌日、昨日のしんどそうな患者さんが、さらに苦しそうに薬局に入ってきた。
「九條君、昨日の患者さんよ。具合悪そうだから様子を聞いてきたら」
「ほんとうだ、ちょっと聞いてきます」
「こんにちわ。まだ便秘が治らないんですか?」
「えぇ、それで違う薬を出してもらったの」差し出された処方箋を受け取る。調剤室にいた和田さんへ
「昨日の便秘の患者さんです。今日はセンノシドが頓用で出ました」
「マグミットで効かなければ普通の処方だけど、、、。九條君、他に薬は飲んでるの?」
「えーっと、トラマールを飲んでます。ひどく痛みがあると言ってました」
「そう、、、。九條君、その患者さんに今日も薬を出して欲しいけど、投薬の時、なんて言うの?」
「、、、昨日な薬だけでは便秘は解消しないようなので、今日はより強い薬が出ましたとかでしょうか」
「うーん、あのね、、、」
その日の午後
「く、九條君、またあの患者さんよ。かなりきつそう」佐伯さんが僕を見る。
僕は急いで、かけ寄る。
「あなたの言うように、さっきの薬飲んでから吐き気で、、、」
「それで新しい薬が出たんですね」処方箋を見て僕はうなずく。お昼休憩からちょうど帰ってきた和田さんを見て、
「和田さん、やっぱりスインプロイク錠が出ました」
「間に合ってよかったわね」佐伯さんが処方箋を覗き込んで首を傾げる。
「スインプロイクなんて、うちにあった?」
「昼に卸さんに頼んで今日中に持って来てもらったんです」
「九條君に隣の先生にトレーシングレポートも書いてもらってね」和田さんが佐伯さんに微笑みながら説明を続ける。
「九條君に聞いたらトラマールを服用している患者さんだけど、お薬手帳には記録がなかったの。病院で処方されてたらしくて隣の先生は知らなかったかもしれないと思ってトラマールの服用をトレーシングレポートで午前中に出してもらってたのよ。九條君、すぐ投薬に行って説明してあげて」
「ハイ!」
「そっか!トラマールなんかのオピオイド系薬物は便秘を引き起こしますものね。スインプロイクじゃないとオピオイド系薬物が原因の便秘が治るのは難しいですもんね」佐伯さんがうなずきながら九條君を見送った。
次の週の午後、スインプロイクを処方された患者さんがやって来た。
「九條君、あの患者さんよ。大丈夫?」佐伯さんが心配そうに僕を見る。
「でも元気そうですよ」
「こんにちわ。この間はありがとう。すっかり良くなったわ。隣の病院にお礼に行ったら、ここの薬剤師さんのおかげって言うから、、、」
「いえ、良くなってよかったです。また何かありましたら相談してください」
患者さんに感謝されたのは初めてだった。なんか、なんかだなぁ。
皐月
「この貼り薬は薄いんか?厚いんか?」
「だから2錠あわないんや」
「前と違う薬になってたで」
「ですので薬をお渡しした時に言ったようにメーカーが変わったので見た目が違ってるんです」
「説明はいらんから薬を早く出してよ」
薬局の1日が始まった。和田さんが困った顔で振り向く。
「また、あの患者さん、睡眠薬を出してもらってる。ちょっと出し過ぎじゃない」
「高齢な方で睡眠薬を飲まれている方って多いですよね」うなずきながら佐伯さんが答える。
2人の後ろから僕が声をかける。
「高齢な患者さんだとマイスリーやハルシオン、レンドルミンになるけど認知症リスクがあるから悩みますよね」
「あらっ、いつの間にそこにいたの ︎」佐伯さんがびっくりして宝石のような眼差しを向けてきた。気配を消して立っていた僕を見て和田さんが、
「ベンゾジアゼピンに作用するマイスリーやルネスタなどの安全性が高い睡眠薬でも飲み続けると依存症になるし、便秘や頻尿のリスクを増やす抗コリン作用もあるしね」
「この前の便秘の患者さんは痛み止めのトラマールの抗コリン作用での便秘だけど大変だったわよね」佐伯さんがうなずきながら言う。
「それより今来てる患者さんが前回、いつマイスリーとハルシオンを貰ってたか調べてみて」和田さんの指示が飛ぶ。調剤システムで検索していた佐伯さんが戻ってきた。
「やっぱり和田さんの言ったように2週間前に28日分処方されてます。この2ヶ月ほど2週間間隔で1ヶ月分の睡眠薬が処方され続けてました」
「やっぱりね。かと言って急に薬を減らすと不眠が悪化するかもしれないし、、、」少し考え込んだ和田さんが僕に振り向いて微笑む。
「九條君、患者さんに、どのくらいの量で薬を服用してるかという事と、よく眠れてるかを聞いてきて」
「ぼ、僕がですか?うまく聞けるかなぁ」
「えぇ、尋問みたいじゃなく世間話みたいな感じでね」
患者さんに笑顔で挨拶した僕は、
「こんにちは。今日も同じ薬が出ているようですよ」
「えぇ薬が無くなったんでね」
「前回の薬が、まだ残ってると思いますが?」
「そんなことはないよ。もう無いんだから」
「あぁ、そうですか。薬でよく眠れてますか?」
「あまり眠れないねぇ」
「お薬を用意するので少しお待ちください」和田さんに患者さんとのやりとりを説明すると、
「やっぱり眠れないから2回3回と睡眠薬を飲んでるみたいね」
「となりの先生に薬を減らすように疑義しましょうか?」
「いえ、今日はそのまま薬を出して。それからね、薬は投薬する時に何で眠れないと思うか親身になって聞いてあげて」
和田さんの指示を受けて僕はソファーに座っている患者さんに薬を持って行った。
「ハイ、いつものお薬ですよ。やっぱり眠れませんか?」
「そうね、眠れないわね」
「、、、眠る前にお風呂に入ったり、コーヒーみたいなカフェインの入った飲み物を寝る前は控えたりして、ぐっすり眠れるようになこともあるようですよ」
「いえ、それじゃあ駄目なのよ」
「、、、えーっと、あっ、午後に運動するとかも効果的ですが、、、」僕は最近受講した睡眠に関する薬剤師研修の内容について記憶を手繰り寄せながら喋った。
「眠れないのは色々気になって、肩こりや頭痛にもなって眠れないのよ。特に寝て3時間くらいで目が覚めてしまうのよね」
「、、、そうですか。気になるというのはご家族のこととかでしょうか?」
「まぁね、、、」
「お大事に」お薬を渡し戻って和田さんに、やりとりについて報告した。
「患者さんは隣の先生に悩みがあることは言ってるの?」
「いえ、お医者さんには、そんなこと言えないと言ってました」
「そう、隣の先生は知らないのね。とにかく患者さんの悩みが無くなると不眠も解消されるみたいなのね」
「なんか、うつ病っぽいから抗不安薬とか、抗うつ薬とか、、、」持てる知識で和田さんに提案してみた。
「確かに、お薬だとそうかもね、、、。やっぱり隣の先生に相談した方がいいかなぁ。あとで病院に行ってくるね」
「あ、はい」
昼休み前に隣の先生に電話をしていた和田さんは、その後、病院に出かけてくると出ていった。残った佐伯さんに、
「和田さん、一体どうするつもりなんですかね?」
「うーん、まぁ取り敢えず隣の先生が何で睡眠薬を頻繁に出し続けてるのかの確認や今後の治療について話し合うんじゃない。睡眠薬の減量は薬剤師に求められることだけど簡単じゃないわよね」
午後の患者さんが来る前に昼休みを終えた和田さんが薬局に戻ってきた。
「隣の先生とお話しして、先ほどの患者さんの家族ともお話ししてくれるそうよ」
「エッ、そこまでしてくれるんてますか」
「隣の先生も一時的にと睡眠薬を出してたみたい。でも、あの患者さん、病院では眠れないとしか言わないらしくて先生も看護師さんも困ってたみたいよ」
「確かに言葉少ない患者さんですよね」
「九條君のおかげで糸口がみつかったわ。ありがとう。ところで、もしかしたら薬が変わるかもしれないけど九條君や佐伯さんならこの患者さんに何を処方するべきかと思う?」
「僕は前に言ったように、うつの症状があるので抗うつ薬の処方ですね。もちろん睡眠薬を減らしてですが。佐伯さんは、どう思います?」
「私は高齢なのでベンゾジアゼピン受容体作動薬を減らすことは必要だと思うわ。マイスリーとは違う作用の睡眠薬デエビゴを追加して、今服用中の薬を減らすのと、高齢で腎機能も低下してきてるので精神系の薬が効き過ぎることが怖いから漢方薬、そう抑肝散なども考えられるわね」
その後1ヶ月ぐらいして、
「例の睡眠薬の患者さんよ。お薬もちょうど切れた頃だから、また処方してもらったのかしら?」佐伯さんが僕に報告してきた。処方箋を見た僕は、
「あれっ!今日は風邪薬ですよ」
気配もなく僕の後ろを取った和田さんが、
「隣の先生、解決しちゃったのかしら」と首を傾げて続ける。
「九條君、また患者さんの様子を親身に聞いてから、薬を出してあげてね」
「はーい」ソファーで順番を待っていた患者さんに処方箋片手に近づく。
「こんにちわ。今日は風邪ですか?」
「この間から風邪気味でね。でもコロナやインフルエンザじゃなかったわ」
「あぁ、検査されたんですね。ところで今日は睡眠薬は出てませんが」
「えぇ今日はいいのよ。でも、ありがとうね」
「はっ?」
「隣の先生に私のこと相談してくれたのね。同居している息子家族が家を出ていくのかと思って眠れない日が続いてたの。そしたら隣の先生が息子夫婦を呼んでくれて私が心因性の不眠で家族のことが気にかかるようですと言ってくれて、これまで聞けなかった事を話し合ってみたら私の勘違いだったの」
「家族の方は出ていかないんですね」
「そう、家をリフォームとか増築とか、その話をしてたらしいの」
「では、ご家族さんは、ずっと一緒に住むことに、、、それでもう眠れるように?」
「えぇ、何だか幸せな気分になって、その夜からウソのようにぐっすり眠れて睡眠薬はもう飲んでないわ」
「そうですか、よかったですね」と返事をしながら隣の先生、すごいなと思い、それよりも和田さんの方がすごいかと調剤室を見ると和田さんが微笑みながら僕が出す薬の調剤をしていた。
枯れ葉が覆いつくす年明けの道。目の前の枯れ葉が一枚、踊りだす。防寒着で膨れた男が飛びのき、何か生き物が動いたのかと目を見張るが、ただの風のイタズラだったようだ。こんなに葉っぱがあるのに一枚だけ風で飛ぶなんて。まぁただの偶然かなと、また足を早めて目的地に向かう。これから、お世話になる職場へ挨拶に行くところだ。しばらく歩いて、こじんまりした建物の前に佇んだ。用意していた挨拶文を口の中でブツブツと確認し建屋の中を覗き込む。今は空いてるようだと中に入る。
「こんにちわ。来月よりこちらでお世話になります薬剤師の九條と申します。宜しくお願いします」また新たな人間関係が始まる。
薬剤師は変な職業だ。例えば行ってみたい所や住んでみたい別の場所へ簡単に職場を変えられる。現に離島生活や都会生活を2-3年ごとに職場を移して楽しみながら仕事をしている薬剤師もいる。日本全国、薬局のあるところならどこででも、いつからでも働ける。
ただしブラックな所もあって最初の雇用条件が何年経っても変わらないため、必然的に薬剤師は給料を上げるために職場を変える場合もある。特に新人の薬剤師は給料が安いのでスキルアップするごとに職場と雇用条件を変えていく。
「九條君、何年目?」先輩薬剤師の佐伯さんに初出勤の朝に聞かれた。
「あっ、2年目です」
「そう、じゃあ後3年は修行だね」
佐伯さんは、驚くほどの美人である。薬局あるあるで、何故か薬局には一人ぐらいの確率で凄い美人がいる。理由はわからない。薬局は女性の多い職場なので、もしかすると、ちょっかいをかけてくる男性が少ないことが理由かなとも思うが、よくは分からない。薬剤師は体調が悪い不機嫌な患者さんを相手にしてるので自然と気が強くならないとやっていけない。下手に女性薬剤師にちょっかいをかけると鋭利な三日月のような視線で傷ついてしまう。
「かかりつけ薬剤師には勤務経験が3年以上だったはずですけど」
「調剤薬局での勤務がね。5年は管理薬剤師になるのに必要じゃないかって年数」
「私が新人の薬剤師だった頃は学校を卒業したてで管理薬剤師になってた人もいたわ」しかめ面して話に入ってきたのが、この薬局の管理薬剤師の和田さんだ。
「ほんと昔の薬局は、いい加減だった。知らないうちに管理薬剤師にさせられてるケースもザラだったし」その時、人が入ってくる。今日最初の患者さんだ。先程のしかめ面から最高の笑顔を顔に貼り付けて患者さんに振り返った和田さんが、
「おはようございます」と仕事が始まる。
「九條君は、まだ慣れてないから薬の配置を覚えるためにも薬のピックから始めて。佐伯さん、面倒見てあげてね」和田さんの指示が飛んでくる。
「コルヒチンって、どこにあるんですか?」引き出しにある薬を探すが無い。
「あっ、上の棚だよ」佐伯さんが指差す。
「ここはコルヒチンがよく出るんですね」
「痛風の痛みで来る患者さんに先生が、よく処方するわ」
「それで上の棚にあるんですね。引き出し探しても無いもんだから」
「薬局によって出る薬は違うから、一から覚えないとね」
昼近くになった頃、患者さんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんで、いつもの薬がないんや。今まで、こんなことなかったで!」和田さんに患者さんが詰め寄る。
「すみません。今、薬の流通が悪くなって迷惑をおかけしてます。それで、いつもの薬と同じ成分ですが違うメーカーの薬を代わりに出すしかなくて、、、」と患者さんを宥めている。
佐伯さんはため息をつき
「いつまで薬の出荷調整が続くのかしら」
「こんなにジェネリック医薬品が不足してるのに厚生労働省は何もしないんですか?」
「何もしないわね。厚生労働省は医師会以外には高飛車だから。厚生労働省がジェネリック医薬品の使用を推進していた手前、ジェネリック医薬品会社が起こした不祥事には知らないふりしてるんじゃない。薬の製造方法の管理がずさんなので業務停止を命じたのは厚生労働省だしね」
「それに新型コロナウイルス感染症のために解熱鎮痛剤や咳止めの薬が無くなってるし、、、」
「ほんと最悪だわ」いつの間にか患者対応を終えた和田さんが気配を消して後ろに立っていた。
「こんなに薬が手に入らないなんて初めてのことよ。九條君も大変な時に薬剤師になったわね」
美しい眉をひそめて佐伯さんが、
「それに厚生労働省は薬剤師がもっと活躍するようにと仕事を毎年増やしてくるし、九條君は大変だね」と佐伯さんがニヤニヤしながら言ってくる。
性格わるいのかなぁ。
「さっきの患者さんをどう説得されたんでますか?」和田さんに問いかけた。
「私は正直に言うことにしてるわ。ジェネリック医薬品会社の製造トラブルで薬が減ってることや新型コロナウイルス感染症でも薬の製造が追いつかなくなってること。折角の服薬指導だから患者さんの体調や他に飲んでる薬の確認とかしたいけど薬が無いことの言い訳ばかりで何をやってんのかしら」
「患者さんから最近よく聞くけど、新型コロナウイルス感染症が流行ってから、今までと違って病院で2時間近く待たされることも多くなったって。発熱外来の患者さんと、そうじゃない患者さんを別の場所で診ないといけないので隣の先生も病院の中と外の発熱外来とを走り回ってるそうよ」
「それに加えて薬局から薬が無いと言われるし、お医者さんが一番大変ね」
「子供の解熱剤で一番使われるカロナール細粒が全国的に無くなってると聞きましたが」
「うちも、そろそろピンチなのよ。どうしようかしら」また、しかめ面する和田さん。佐伯さんが、頷きながら
「薬剤師関係の雑誌で読んだけど、カロナール細粒が無くなった薬局ではカロナール錠を粉砕してるそうよ」
「でもカロナール錠を砕いて飲んだら、かなり苦くて子供は飲めないですよ」
「その雑誌では、カロナール錠を砕いて何と混ぜたら飲みやすくなるかも検討していてたわ。乳糖やアイスクリームと混ぜても苦くて飲めた物ではなかったみたい。単シロップと混ぜたら苦味が少なくなって何とか飲めるそうよ」
「じゃあ、ここもカロナール錠を砕いくのも間近ってことね」
「九條君って錠剤を粉砕したことあるの?」と佐伯さん。
「いえ、まだしたことないです」
「それじゃあ、粉砕の時は声をかけるわ」佐伯さんかにっこり笑う。
「そろそろ九條君は昼休憩を取ってね。戻ってきたら粉砕してはいけない薬についてまとめておいて」佐伯さんに続いて和田さんも笑みを浮かべる。
「九條君、まとまった」
午後2時過ぎに薬歴の入力を終えた佐伯さんが僕の手元を覗き込んだ。薬歴とは薬をお渡しした患者さんの体調や薬の飲み合わせ、薬の服用などに問題ないかを記録するもので薬剤師業務に必須である。年に何度か薬歴の記録を怠っていた薬局が処罰されるケースが跡を絶たない。
「粉砕してはいけない薬ですが、カプセルに入った油状の薬、粉砕すると効果が弱くなったり、効果のある時間が短くなったりする薬がありました」
「そうね。油状の薬以外にも粉砕が難しい薬や吸湿性の薬なんかもあるし、粉砕すると調剤した人に毒性が出るものなんかもあるわね」
「こんなに薬がないと和田さんの言ったように錠剤を粉砕する機会も増えるかもしれないので、分類分けしてまとめときましょうか?」
「それがいいわね。これからずっと九條君にも必要な知識だし、いい機会だからまとめといたら」
「ぜひ、そうしてちょうだい」
いつの間にか僕らの後ろに和田さんが立っていた。
「お願いするわ」
「お願いされちゃったね」とても嬉しそうな佐伯さんの笑顔があった。
️ 如月
「こんにちわ」
「この頃、寝ると足がつってね。それで先生が漢方薬を出してくれたの」
「食後で出てるわ。先生に食間か食前でなくていいか疑義して」
「4mgじゃなくて2mgよ」
「前より高いんちゃう?」
午後の患者さんが来だした。
「和田先生、隣の先生から電話です」事務員が声をかける。
「はい、和田です。はい、、、はい、、、そうですか。すぐに手配します」
「うちで初めてラゲブリオが出たわ。佐伯さん、卸さんに急配の電話をしてちょうだい。それから高齢の患者さんだから、あのでっかいラゲブリオカプセルをそのまま飲ませられないかもしれない。どうやったら飲ませられるか添付文書とメーカーに確認して。九條君はラゲブリオを服用させるハイリスクの条件に、この患者さんが適用されるか調べといて。さっき電話で隣の先生から聞いた患者さんの基本情報を、ここに書いといたわ。患者さんは、うちに来るのは初めての方よ。一応、事前に私もラゲブリオのことは調べていたけど、確認の意味で2人ともお願い」
「和田先生、患者さんに投薬お願いします」別の患者さん達が待合室で待っている。
「私は、投薬してくるから宜しくね」
「和田さん、ラゲブリオは40カプセルでいいですよね」電話を手に佐伯さんが尋ねる。
「40カプセル一瓶の包装しかないから、それでいいのよ。お願いね」薬の監査を終えた和田さんが投薬台に向かった。
ラゲブリオカプセルとは新型コロナウイルスに対する抗ウイルス薬だ。僕は製薬メーカーが持ってきた資料が置いてある棚の中からラゲブリオの説明書を探す。
「九條君、ラゲブリオの資料は、こっちの机の上よ。佐伯さん、ラゲブリオが入荷したら隣の先生に報告しといて」次の患者さんの薬を監査しながら和田さんの指示が飛ぶ。
僕はラゲブリオの資料に飛びつき内容を確認する。ウワッ、結構デカめのカプセルを1回に4カプセルも、1日2回で飲まないといけないんだ。それで佐伯さんに飲み方の確認をしてもらっんてたのか。ハイリスクの患者さんは、、、高齢者だ。確かに、こんなデカいカプセルなんか飲めないよ。ラゲブリオをどのようなリスクのある患者さんに飲ませるべきかを確認していると、
「九條君、ラゲブリオを服用させるべき患者さんのリスクは確認できた?」投薬を素早く終えた和田さんが僕を見る。
「ハイ、患者は65歳以上で糖尿病の薬を飲んでます」
「メドロール錠は確認した?」
「えっと、アッ、ステロイドですよね。そっか免疫が、、、」
「そうよ、免疫が抑えられてるから新型コロナウイルスを体から除きにくくなってるわ」
「和田先生、ラゲブリオが入荷しました」佐伯さんが薬の瓶を持ってくる。
「瓶に黒い線が入ってる?」
「えっと、蓋の下に黒い線が、、、」
「それでいいわ」
「線が無いものもあるんですか?」
「国が患者さんに無料で渡していた薬には線が入ってないのよ。佐伯さん、事務員さんが黒い線の入った瓶を選んで薬を入力してるか確認してきて」
「アッ、ハイ」
「和田先生、投薬お願いします」
「九條君、患者さんの住所を隣に聞いといて。それから同意書は取られているかもね。ついでに処方箋貰ってきて」
「住所?」
「隣から処方箋もらってきたらわかるわ」次の患者さんに、ゆったりした笑顔で向かう。
「こんにちわ。ちょっと、おくすりが切れてました?何も症状がないから飲まなきゃいけないか分かりにくいわよね。コレステロールの値を下げる薬を飲まずに高いコレステロール値のままだと、、、、、」
僕は隣の病院に処方箋をもらいに行き、受付の人から処方箋を渡された時に、
「夕食までに患者さんに薬を服用してもらうようにと先生が、、、」
「は?ハイ、和田先生に伝えておきます」
処方箋を見ると、やっぱり1回4カプセルを1日2回だ。咳止めのメジコンも一緒に飲ませるんだ。でも、処方箋には他に何が、、、!備考欄に「cov自宅」って書いてある。患者さんの家まで薬を持っていかないといけないんだ。なるほど!
「あっ、あのっ、患者さんの住所を教えてください」
「そうよね。、、、ここに書いたから、お願いね」
「アッ、ど、同意書は書いてもらってるのでしょうか?」
「そうそう、家族の方が書くからって言ってたので患者さんに薬を届ける時に同意書を確認してから薬を渡してもらえますか」
「は、はぁ、、、」
薬局に帰ると佐伯さんが報告していた。
「ラゲブリオの添付文書とメーカーに確認したんですけど、あのでっかいカプセルを飲むのが出来ないようならカプセルから薬を出して懸濁液にして飲ませるようです。海外データで懸濁液で飲ませた場合でも血中濃度はカプセくルそのまま飲ませた場合と同じだったというエビデンスがあります」
「そうよね。ありがとう。アッ、九條君、処方箋貰ってきた?」
「ハイ、やっぱり自宅に届けるようです」
「そうよね。今日の夕方には飲ませた方がいいから、もう私が届けにいくわ」
「病院から同意書を書いてるかも確認しといてと言われました」
「そっかー。オッケー、これから持っていくから後は佐伯さん、宜しくね」
「は、はい」
和田さんは、薬を持って出かけた。
「佐伯先生、タミフルはあるかと隣の病院から問い合わせが来てます」事務員が電話を持って佐伯さんに伺う。
「えっ、え〜と、アッあるわ。インフルエンザなんて久しぶりね」
「あと、トランサミンとメジコンも出てますが?」
「ウワッ、コロナで品薄になってるのに。でも和田さんもいないしなぁ。いいわ、その薬も出して」
「和田先生は発熱外来用にトランサミンやメジコンは残すように言ってましたけど」
「インフルエンザも発熱外来よ。怒られる時は私が怒られるから」
「アッ、じゃあ僕も怒られます」
「九條君、タミフル、頼んどいて。新型コロナが落ち着いたと思ったらインフルエンザの患者さんが急増しているの」
「ジェネリックのオセルタミビルですか?」
「いえ、先発品のタミフルカプセルで発注してちょうだい。ジェネリック品の使用期限は通常の3年だけど先発品のタミフルは10年もあるから在庫管理しやすいし、ジェネリック品は流通も悪くなってるからね。怒られるとしたら私だから大丈夫よ」
「ぼ、僕も一緒に怒られます」
「佐伯先生、投薬お願いします」
「じゃあ、発注お願いね」
発注を終えると処方箋が来ていた。新型コロナウイルス感染症患者だ。戻ってきた佐伯さんに、
「28です」と報告する。
「発熱外来スペースね」
処方箋の左上と右上には、マスに囲まれた数字が入力されている。左の数字が公費者番号、右が保険者番号だ。公費とは生活保護を受けている患者さん、ひとり親世帯の患者さん、難病や結核を患っている患者さんなど国や地方自治体などの行政が医療費を公費で補助している患者さんの処方箋に入力されている。新型コロナウイルス感染症の患者さんも今は公費で薬代は全額補助されているから、そのことを表すために公費者番号に28番が付けられている。右の保険者番号は、どの健康保険組合に加入しているかを示す番号になる。患者さんが、どのような病気かは個人情報になるので隠語的に新型コロナウイルス感染症患者さんを「28の患者さんです」という薬局もある。
佐伯さんが28の患者さんに投薬している間に和田さんが帰ってきた。
「はぁ、疲れた。九條君、大丈夫だった?」
「あっ、あのー、インフルエンザの患者さんが来て、タミフル足りなくなるかもと思いましてぇ、先発品のタミフルを発注しちゃいました。さ、佐伯さんと一緒に考えて、、、」
「あらっ、いい判断ね。それでいいわ」
発熱外来から帰ってきた佐伯さんに和田さんが、
「九條君と一緒に、しっかり対応してくれたみたいね。ありがとうね」
佐伯さんが和田さんに和かに笑った後に、鋭利な下弦の三日月のような目で私に微笑んだ。あれっ!何か、やらかしてしまったのかなぁ、、、
️ 弥生
「おばようございばす、、、」
「どしたの?九條君」佐伯さんが、いつもの美人顔で覗き込む。
「かぶんじょうみたいでず」
「あらっ、花粉症なの?」
「今年は花粉の飛散量が過去10年間で最大らしいから今年から花粉症になる人も多くなるって言われてるわ」いつの間にか僕らの後ろに立っている和田さんが話を続ける。
「新型コロナウイルスが落ち着いたと思ったら花粉症がくるとはねぇ。九條君!仕事にさわるから薬飲み始めた方がいいわよ」
「ばーい」
「去年は治ったと思ったのに、今年は、また花粉症だわ」
「アレグラとアレジオンは同じ薬?」
「今年は花粉の飛散量をが多いので早めに薬を飲み始めてくださいね」
「前の薬は全然、効かなかった」
「目は痒くないの。くしゃみが止まらなくて舌の先が痺れるのよ」
「えっ、小青竜湯が無いと私、ダメなのよ」
新型コロナウイルス感染症の後にインフルエンザが流行。冬場の風邪もあっての花粉症シーズン到来だ。症状は共通しているところもあり当然、薬不足となる。
「和田さん、ツムラの小青竜湯がなくなりましたが、、、」佐伯さんが困ったポーズをする。
「患者さんがオッケーならクラシエに変えていいか隣の先生に疑義して」
「ハイ!」
「九條君、薬飲んだのね」
「眠気が出ないように弱めのアレグラ飲んでます」答えてから患者さんへ変更の提案に向かう。
「今までと同じなの?同じ薬じゃ無いと嫌だわ」すごすごと退散した僕は、
「和田さん、今までと同じツムラがいいと、おっしゃるんですが」
「ツムラとクラシエ小青竜湯の箱をちょうだい」
「は、箱ですか?」二つの箱を持った和田さんが、その患者さんのところに向かう。しばらくして帰ってきて、
「クラシエでもいいって言ったから事情を隣の先生に説明してクラシエに変えてもらって」
「ハイ、分かりました」病院に電話してから僕は和田さんに尋ねる、
「どうやって患者さんを説得したんです?」
「漢方薬の包装箱に書いてる成分情報、生薬の種類と含量ね、それを患者さんと一緒に確認して、同じという事でクラシエへの変更を受け入れてもらったわ」
「なるほど、僕も今度はそうします」
「でも正確に言うと生薬は栽培されている場所や時期で含まれる化学成分量は違うけど、そこまで言い出したら患者さんも混乱するしね」
「はぁ、難しいですね」
「漢方薬は神話が多くて、こだわる患者さんが少なからずいるのよね」
「どういう神話なんてますか?」
「漢方薬には即効性がないとかいう患者さんがいるけど、それだったら風邪なんかの急性症状に小青竜湯や麦門冬湯、インフルエンザに麻黄湯なんか処方されないのにね」
「確かに」
「それに市販薬の宣伝のせいか、漢方薬でダイエットが出来るとかで、病院で漢方薬を出してもらう女性も多いいし」
「防風通聖散ですね。漢方薬も入らなくなってるのに困りますね」
「そんなのよね。メーカーは、新型コロナウイルス感染症で漢方薬が出過ぎてるせいと言ってるわ。漢方薬は何種類かの生薬が材料だけど、七、八割は中国からの輸入だから入ってこなくなってるのね」
「漢方薬の神話って他にもあるんですか?」
「実は食前、食間の服用がそうなのよ」
「えっ?甘草の成分グリチルレチンは腸内細菌で分解されて出来るから食後だと腸内細菌が食べ物の分解に取られて効果が弱くなると本には書いてますが」
「ええ、逆に麻黄湯の成分エフェドリンは精神作用があって食後だと吸収が良すぎて動悸なんかの副作用が出るから空腹時にの増すべきとかね。でも全部、科学的な根拠はないの」
「でも添付文書にも用法に食前か食間と書いてますよ」
「それは日本の場合は煎じ薬の経験をもとに漢方薬の添付文書が作られているからね。煎じ薬が食間や食前の服用だったから、そうなったわけ」
「そういえば喘息などに処方されるモンテルカスト錠は就寝前での臨床試験しかしてないので用法が就寝前だけになってますよね」
「1日1回の薬だから午後のいつかに飲ませば良いとしてくれればね。明け方の喘息死が問題となっている時代だったから就寝前の臨床試験しかしてないのよね」
その時、佐伯さんが薬を出していた患者さんが、
「あれっ、この漢方薬、別の薬局で食後で飲むように言われてたで。何が間違えとるんちゃうか?」
「いえ、それは、、、」
「えっ!どっちでもいい事ないやろ!?間違えとるか確認してや」和田さんが僕に、うんざりした顔で言う。
「ねっ、こんなトラブルがしょっちゅうあるから、本当になんとかして欲しいわ」と佐伯さんの応援に向かった。
「、、、あのー、漢方薬は食前や食間に飲んだ方が効果が高いと言われてますが、食後でも、それほど効果は変わらない事が分かってるので、、、」今日も薬局は、ザワザワと日が暮れていく。
️ 卯月
「風邪かと思ったけど花粉症みたい。今年、初めてよ。いやだわ」
「お腹が張ってもて、、、トイレも出えへんねん」
「エッ、この薬あまってるから要らへんよ」
「睡眠薬はもっと出せへんの?」
「この睡眠薬は飲みすぎると危ないから30日までしか出せないの」
「エッ、この前の薬はもっと出してもらったて。効きがイマイチやったけど」
「あれは今までの睡眠導入剤と違う作用の薬だから、、、」今日も薬局には色々なことを訴える患者さんがやって来る。その中にソファーに座って、しんどそうな患者さんがいた。僕は、その患者さんの所に薬を持っていく。和田さんから、もう薬を出してオッケーと言われたのだ。
「こんにちわ。しんどそうですね、大丈夫ですか?今日は便秘の薬が出てますよ」
「ずっと体中が痛くて何年か前から強めの痛み止めのトラマールを飲んでたんやけど最近、お腹も痛くなって便秘みたいやねん」
「そうですか。この薬は便を柔らかくする、お薬でお腹が痛くなるなどの副作用が出にくい薬です」
「効けばいいけど、、、」
投薬から戻ってきた僕に佐伯さんが、
「どんな具合だったの、あの患者さん」
「ただの便秘みたいでしたよ」
「九條君は便秘になった事ないの?かなり苦しいものよ」
「ええ、なった事はないですが。そんなに大変なんですか」
「便秘の苦しさは、なってみないと分からないものよね」いつの間にか側に和田さんが立っていた。
「私は便秘にならないように気をつけているけど、若い頃に便秘になって盲腸かと思うほどの苦しみで病院に駆け込んだ事があるわ」まるで便秘の苦しみで歪んだ顔つきをして和田さんがつぶやいた。よっぽどの苦しみだったようだ。
「今は便秘の薬の種類も増えましたよね。昔ながらのマグミットやセンノシドに加えてリンゼスやグーフィス、モビコールなんかの新しい薬がね」
「こんなに新しい薬が出てくるって、そんなに便秘って治りにくいものなんですか?」
「そうね。特に年配の方の慢性便秘はやっかいね。薬の満足度は低いわ」
「でも排便出来なかったらどうするんですか?」
「最後は浣腸か摘便ね」
「摘便?」
「大腸から便をかき出してもらうのよ」
「た、大変な事になるんですね」
翌日、昨日のしんどそうな患者さんが、さらに苦しそうに薬局に入ってきた。
「九條君、昨日の患者さんよ。具合悪そうだから様子を聞いてきたら」
「ほんとうだ、ちょっと聞いてきます」
「こんにちわ。まだ便秘が治らないんですか?」
「えぇ、それで違う薬を出してもらったの」差し出された処方箋を受け取る。調剤室にいた和田さんへ
「昨日の便秘の患者さんです。今日はセンノシドが頓用で出ました」
「マグミットで効かなければ普通の処方だけど、、、。九條君、他に薬は飲んでるの?」
「えーっと、トラマールを飲んでます。ひどく痛みがあると言ってました」
「そう、、、。九條君、その患者さんに今日も薬を出して欲しいけど、投薬の時、なんて言うの?」
「、、、昨日な薬だけでは便秘は解消しないようなので、今日はより強い薬が出ましたとかでしょうか」
「うーん、あのね、、、」
その日の午後
「く、九條君、またあの患者さんよ。かなりきつそう」佐伯さんが僕を見る。
僕は急いで、かけ寄る。
「あなたの言うように、さっきの薬飲んでから吐き気で、、、」
「それで新しい薬が出たんですね」処方箋を見て僕はうなずく。お昼休憩からちょうど帰ってきた和田さんを見て、
「和田さん、やっぱりスインプロイク錠が出ました」
「間に合ってよかったわね」佐伯さんが処方箋を覗き込んで首を傾げる。
「スインプロイクなんて、うちにあった?」
「昼に卸さんに頼んで今日中に持って来てもらったんです」
「九條君に隣の先生にトレーシングレポートも書いてもらってね」和田さんが佐伯さんに微笑みながら説明を続ける。
「九條君に聞いたらトラマールを服用している患者さんだけど、お薬手帳には記録がなかったの。病院で処方されてたらしくて隣の先生は知らなかったかもしれないと思ってトラマールの服用をトレーシングレポートで午前中に出してもらってたのよ。九條君、すぐ投薬に行って説明してあげて」
「ハイ!」
「そっか!トラマールなんかのオピオイド系薬物は便秘を引き起こしますものね。スインプロイクじゃないとオピオイド系薬物が原因の便秘が治るのは難しいですもんね」佐伯さんがうなずきながら九條君を見送った。
次の週の午後、スインプロイクを処方された患者さんがやって来た。
「九條君、あの患者さんよ。大丈夫?」佐伯さんが心配そうに僕を見る。
「でも元気そうですよ」
「こんにちわ。この間はありがとう。すっかり良くなったわ。隣の病院にお礼に行ったら、ここの薬剤師さんのおかげって言うから、、、」
「いえ、良くなってよかったです。また何かありましたら相談してください」
患者さんに感謝されたのは初めてだった。なんか、なんかだなぁ。
皐月
「この貼り薬は薄いんか?厚いんか?」
「だから2錠あわないんや」
「前と違う薬になってたで」
「ですので薬をお渡しした時に言ったようにメーカーが変わったので見た目が違ってるんです」
「説明はいらんから薬を早く出してよ」
薬局の1日が始まった。和田さんが困った顔で振り向く。
「また、あの患者さん、睡眠薬を出してもらってる。ちょっと出し過ぎじゃない」
「高齢な方で睡眠薬を飲まれている方って多いですよね」うなずきながら佐伯さんが答える。
2人の後ろから僕が声をかける。
「高齢な患者さんだとマイスリーやハルシオン、レンドルミンになるけど認知症リスクがあるから悩みますよね」
「あらっ、いつの間にそこにいたの ︎」佐伯さんがびっくりして宝石のような眼差しを向けてきた。気配を消して立っていた僕を見て和田さんが、
「ベンゾジアゼピンに作用するマイスリーやルネスタなどの安全性が高い睡眠薬でも飲み続けると依存症になるし、便秘や頻尿のリスクを増やす抗コリン作用もあるしね」
「この前の便秘の患者さんは痛み止めのトラマールの抗コリン作用での便秘だけど大変だったわよね」佐伯さんがうなずきながら言う。
「それより今来てる患者さんが前回、いつマイスリーとハルシオンを貰ってたか調べてみて」和田さんの指示が飛ぶ。調剤システムで検索していた佐伯さんが戻ってきた。
「やっぱり和田さんの言ったように2週間前に28日分処方されてます。この2ヶ月ほど2週間間隔で1ヶ月分の睡眠薬が処方され続けてました」
「やっぱりね。かと言って急に薬を減らすと不眠が悪化するかもしれないし、、、」少し考え込んだ和田さんが僕に振り向いて微笑む。
「九條君、患者さんに、どのくらいの量で薬を服用してるかという事と、よく眠れてるかを聞いてきて」
「ぼ、僕がですか?うまく聞けるかなぁ」
「えぇ、尋問みたいじゃなく世間話みたいな感じでね」
患者さんに笑顔で挨拶した僕は、
「こんにちは。今日も同じ薬が出ているようですよ」
「えぇ薬が無くなったんでね」
「前回の薬が、まだ残ってると思いますが?」
「そんなことはないよ。もう無いんだから」
「あぁ、そうですか。薬でよく眠れてますか?」
「あまり眠れないねぇ」
「お薬を用意するので少しお待ちください」和田さんに患者さんとのやりとりを説明すると、
「やっぱり眠れないから2回3回と睡眠薬を飲んでるみたいね」
「となりの先生に薬を減らすように疑義しましょうか?」
「いえ、今日はそのまま薬を出して。それからね、薬は投薬する時に何で眠れないと思うか親身になって聞いてあげて」
和田さんの指示を受けて僕はソファーに座っている患者さんに薬を持って行った。
「ハイ、いつものお薬ですよ。やっぱり眠れませんか?」
「そうね、眠れないわね」
「、、、眠る前にお風呂に入ったり、コーヒーみたいなカフェインの入った飲み物を寝る前は控えたりして、ぐっすり眠れるようになこともあるようですよ」
「いえ、それじゃあ駄目なのよ」
「、、、えーっと、あっ、午後に運動するとかも効果的ですが、、、」僕は最近受講した睡眠に関する薬剤師研修の内容について記憶を手繰り寄せながら喋った。
「眠れないのは色々気になって、肩こりや頭痛にもなって眠れないのよ。特に寝て3時間くらいで目が覚めてしまうのよね」
「、、、そうですか。気になるというのはご家族のこととかでしょうか?」
「まぁね、、、」
「お大事に」お薬を渡し戻って和田さんに、やりとりについて報告した。
「患者さんは隣の先生に悩みがあることは言ってるの?」
「いえ、お医者さんには、そんなこと言えないと言ってました」
「そう、隣の先生は知らないのね。とにかく患者さんの悩みが無くなると不眠も解消されるみたいなのね」
「なんか、うつ病っぽいから抗不安薬とか、抗うつ薬とか、、、」持てる知識で和田さんに提案してみた。
「確かに、お薬だとそうかもね、、、。やっぱり隣の先生に相談した方がいいかなぁ。あとで病院に行ってくるね」
「あ、はい」
昼休み前に隣の先生に電話をしていた和田さんは、その後、病院に出かけてくると出ていった。残った佐伯さんに、
「和田さん、一体どうするつもりなんですかね?」
「うーん、まぁ取り敢えず隣の先生が何で睡眠薬を頻繁に出し続けてるのかの確認や今後の治療について話し合うんじゃない。睡眠薬の減量は薬剤師に求められることだけど簡単じゃないわよね」
午後の患者さんが来る前に昼休みを終えた和田さんが薬局に戻ってきた。
「隣の先生とお話しして、先ほどの患者さんの家族ともお話ししてくれるそうよ」
「エッ、そこまでしてくれるんてますか」
「隣の先生も一時的にと睡眠薬を出してたみたい。でも、あの患者さん、病院では眠れないとしか言わないらしくて先生も看護師さんも困ってたみたいよ」
「確かに言葉少ない患者さんですよね」
「九條君のおかげで糸口がみつかったわ。ありがとう。ところで、もしかしたら薬が変わるかもしれないけど九條君や佐伯さんならこの患者さんに何を処方するべきかと思う?」
「僕は前に言ったように、うつの症状があるので抗うつ薬の処方ですね。もちろん睡眠薬を減らしてですが。佐伯さんは、どう思います?」
「私は高齢なのでベンゾジアゼピン受容体作動薬を減らすことは必要だと思うわ。マイスリーとは違う作用の睡眠薬デエビゴを追加して、今服用中の薬を減らすのと、高齢で腎機能も低下してきてるので精神系の薬が効き過ぎることが怖いから漢方薬、そう抑肝散なども考えられるわね」
その後1ヶ月ぐらいして、
「例の睡眠薬の患者さんよ。お薬もちょうど切れた頃だから、また処方してもらったのかしら?」佐伯さんが僕に報告してきた。処方箋を見た僕は、
「あれっ!今日は風邪薬ですよ」
気配もなく僕の後ろを取った和田さんが、
「隣の先生、解決しちゃったのかしら」と首を傾げて続ける。
「九條君、また患者さんの様子を親身に聞いてから、薬を出してあげてね」
「はーい」ソファーで順番を待っていた患者さんに処方箋片手に近づく。
「こんにちわ。今日は風邪ですか?」
「この間から風邪気味でね。でもコロナやインフルエンザじゃなかったわ」
「あぁ、検査されたんですね。ところで今日は睡眠薬は出てませんが」
「えぇ今日はいいのよ。でも、ありがとうね」
「はっ?」
「隣の先生に私のこと相談してくれたのね。同居している息子家族が家を出ていくのかと思って眠れない日が続いてたの。そしたら隣の先生が息子夫婦を呼んでくれて私が心因性の不眠で家族のことが気にかかるようですと言ってくれて、これまで聞けなかった事を話し合ってみたら私の勘違いだったの」
「家族の方は出ていかないんですね」
「そう、家をリフォームとか増築とか、その話をしてたらしいの」
「では、ご家族さんは、ずっと一緒に住むことに、、、それでもう眠れるように?」
「えぇ、何だか幸せな気分になって、その夜からウソのようにぐっすり眠れて睡眠薬はもう飲んでないわ」
「そうですか、よかったですね」と返事をしながら隣の先生、すごいなと思い、それよりも和田さんの方がすごいかと調剤室を見ると和田さんが微笑みながら僕が出す薬の調剤をしていた。
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