【天下布武!】名前を奪いに来た転校生

はゆ

002 歴史的背景

 一五四九年、信長のぶなが秀吉ひでよし出会であまえ物語ものがたり

既知きちのこと

 一五四九年。斎藤山城守さいとうやましろのかみむすめ胡蝶こちょう織田信長おだのぶなが正室せいしつとなる。
 胡蝶こちょう三度目さんどめ結婚けっこん。二人のおっと死別しべつしている。
 一五四四年、一人目のおっと土岐八郎頼香ときはちろうよりたか自刃じじん。一五四六年九月、頼香よりたかおい土岐次郎頼純ときじろうよりずみ結婚けっこん。一五四七年一一月、頼純よりずみ急死きゅうし頼純ヨリズミは、斎藤山城守さいとうやましろのかみ何度なんど攻撃こうげき仕掛しかけた。けれど、一度いちど勝利しょうりすることは無く、一五四六年に和睦ワボクもうれた。
 頼純ヨリズミつかえていた明智十兵衛あけちじゅうべえのち光秀みつひでは、頼純ヨリズミ死後しご美濃国みののくにとどまった。

 一五四九年は、織田信長おだのぶながの父、信秀のぶひでくなり、信長のぶなが家督かとくぐ二年前。
 信秀のぶひで重臣じゅうしんであり、信長のぶなが世話役せわやく平手政秀ひらてまさひで自刃じじんする四年前にあたる。政秀まさひでは、信長のぶなが胡蝶こちょうの、政略結婚せいりゃくけっこんまとめた人物じんぶつでもある。

 信長のぶながは、一五四六年に元服げんぷく。一五四七年に今川いまがわとの小競こぜいで初陣ういじんを果たす。同年、松平竹千代まつだいらたけちよのち徳川家康トクガワいえやす織田弾正忠家おだだんじょうのじょうけ人質ひとじちになり、信長のぶなが出会であう。

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未知みちのこと

 信長のぶなが木下藤吉郎秀吉きのしたとうきちろうひでよし出会であうとされているのは、一五五四年。信長のぶながつかえている秀吉ひでよし幼馴染おさななじみ小者頭コモノガシラ一若イチワカ岩巻がんまく、二人のすすめにより、信長のぶながつかえるようになったとされている。それまでは今川義元イマガワヨシモト家臣かしん松下加兵衛まつしたかへいつかえていたとされている。

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