不幸少女の起死回生物語

花宵

第三話 不幸少女、少年の世話役になる

「えっと、陽界ようかいって何ですか?」
「お前達、正しき生ある者が住む世界のことだ。そんな事も知らぬのか?」

 切れ長の瞳をクリクリとさせながら、こちらを驚いたように見られても、知らないものは知らない。

 さっき完璧にコスプレ野郎だと勘違いしていたコヒナは、男が名乗った名前さえ聞き流していたためよく覚えていない。話はまず、ある程度状況を把握してからだ。そう結論づけたコヒナは、とりあえず相手の事を探ってみることにした。

「えっと、お名前をお聞きしても良いですか?」
「同じ事を二度言わすな。我は三大妖怪の一人、陰界の覇者大妖怪天狐のイザナギであるぞ」
「インカイのハシャだ異様界テンコノサナギ?」

(呪文のようだ。覚えにくい)

「陰界の覇者と恐れられる大妖怪、天狐のイザナギだ。イザナギ様と呼べ。全く物覚えの悪い下僕め」

(最初から区切って名乗ってくれればよいものを。自分のことは棚に上げて、何とも理不尽だ……)

「無知なお前に特別に、この優しいイザナギ様が世界の理について教えてやろう。いいか、ありがたく思え」
「はい、ありがとうございまーす」

 面倒になって適当に返事した。

陰界いんかい陽界ようかいは両面鏡のような関係だ。決して同じ世界を映し出すことはないが密接に結びついておる。生者せいじゃ陽界ようかいに住み、死ねばその魂は陰界いんかいに落とされる。落とされた魂は、冥界めいかいを経て新たに生まれかわって陽界ようかいへと戻される」
「転生輪廻ってやつですか?」
「まぁ、普通の凡人はその道を辿る。我みたいな妖怪は、長きにわたり陰界いんかいにとどまり力を蓄えそこを支配している存在だ。そして我はその妖怪の中でもさらにすごい存在なのだ。三大妖怪の一人、陰界いんかいの覇者と恐れられ大妖怪天狐イザナギと言えば知らぬ者はおらぬ程にな」

(あーだから色々偉そうなのか)

 心の声はぐっと押し込み、コヒナは言葉を選んで話しかける。

「それで、イザナギ様はなぜこちらに? 陰界いんかいの大妖怪様が、惰弱だじゃくと罵る人間が住まう世界に何故おられるのですか?」
(さっさとお帰り願えないだろうか。理由がわかれば対処しやすい)

 表向きは丁寧なコヒナの問いかけにイザナギは視線を泳がせて口ごもる。

 さっきの高慢な態度が嘘みたいにしおらしくなったイザナギに、コヒナは早く言えよ無言の圧力をかけてじっと見つめること数秒。
 イザナギは口をすぼめてひどく言いづらそうに言葉を発した。

「……追い出されたのだ」
「追い出された?」
「あの糞閻魔め。悠々自適に過ごしておったら我に難癖をつけて、『その性格を直してこい』と封印を施して陽界ようかいに放り込みおった。今思い出すだけでも腹立たしい」
「悠々自適ってどんな生活してたの?」
陰界いんかいにあるもの全ては、大妖怪である我の物だ。腹が減ったら容赦なく喰らい、邪魔者は徹底的に排除し、気に入った場所があればすかさず奪う。飽きたら別の場所へ移動し、その繰り返しだ」
「えっと、つまり……強盗して各地を荒らしてきたってこと?」
「強盗? 我の物を取り返しだだけで強盗などとはおかしな事を言うのだな」
「元々は他の方が先にいらっしゃったのに、それを無理矢理奪ってきたって事でしょ?」
「我の物に先に手を付ける不届き者が悪いのだ」

 倫理観が通用しない。目の前に居る男が、本当に全く別世界から来た生物なのだとコヒナは思い知らされた。

「そうやって悠々自適に過ごしておったら、冥界めいかいに足を踏み入れておってな。糞閻魔が怒って我をこちらの世界に封じ込めやがった」

 自業自得だ。きっと天罰が下ったに違いないと、思わずコヒナは胸中で合掌する。

「封印を解く方法はないの?」
「誰か一人でもいいから、人間を幸せにしてこいと言われた。幸福を奪うのではなく、与える立場になれと、そうすれば封印を解いて戻してやると。そうしたら偶然、不幸の看板背負ったような貴様を見つけた。コヒナよ。我の下僕にしてやる事、光栄に思うがよいぞ。どうだ? 幸せか? 幸せを感じるであろう?」

 何とも押しつけがましい。そんな幸せがあったら、世の中きっと皆幸せに違いない。

「まったく、これっぽっちも」

 笑顔でそう返すコヒナに、イザナギはクギギと悔しそうに歯ぎしりする。

「話を元に戻すけど、つまり私が幸せになればイザナギに施された封印が解けるって事?」
「イザナギ様だ。そしてさっきから馴れ馴れしく話しかけるな。身分をわきまえよ」

 途中から面倒になって普通に話しかけていたコヒナ。思わず出そうになる舌打ちを飲み込み、丁寧に言い直す。

「つまり、私が幸せになればイザナギ様に施された封印が解けて、陰界いんかいに帰れるという事ですか?」
「そうだ」
「下僕になれって言っている時点で、私は幸せになれるはずがないと思いますけど?」
「……我の従者の地位で満足せぬと? なんと欲深い奴だ。陰界いんかいでは数多の妖怪が、眷属にしてくれと我の元に集ったというのに」

 本気で驚いた顔をしているイザナギを前に、コヒナは思わず頭を抱えたくなった。

「こちらの世界では基本、階級などございません。人は皆平等です。なので、急に従者になれと言われても戸惑いや驚きの感情しかわきません」
「なら、どうすればよいのだ?」
「そうですね……友達なら、いいですよ?」
「貴様が、我の友達……?! こんな下級種族の者が、我の友達?!」
「そういった見下した態度は人を傷つけるので、止めたがいいですよ」
「我には貴様のその思考が理解できぬ。最大限に譲歩して専属従者ってとこだろう」

 あくまでも下に見る事しか出来ないらしい。そこまで自分の存在を誇示できるのは、ある意味すごい。そんな事を考えつつ、いつまでもこうやって悠長に話をしている時間などなかった。

「あの、イザナギ様。そろそろ私、学校へ戻らないと午後の授業に間に合わないんですけど……」

「がっこう?」と聞き慣れない単語に首を傾げるイザナギに、コヒナは簡単に説明をする。理解したらしいイザナギは、ニヤリと口角を持ち上げて不敵に笑った。

「人が何を学んでおるのか知るのも悪くない」

 そう言ってイザナギは、パチンと指を鳴らすとコヒナの前から突如姿を消した。
 途端に周囲の人が動きだし、皆が驚いたようにコヒナを見ている。

 そりゃそうだ。銃で打たれたのに無傷で立ち上がってたらびっくりだ。

「お、お前! 何で!」

 コヒナを撃った強盗がひどく怯えた顔でこちらを見ている。

 ゾンビにでも見えるのだろうか、なんて呑気な事を考えている間に強盗は素っ頓狂な悲鳴を上げて逃げ出した。

 そこまで怖いのか? と疑問に思ったコヒナが周囲を見渡すと、人質にされていた客までもが我先にと飛び出していった。

 もぬけの殻になった銀行に一人佇んでいると、ガラスの窓に映る自分の姿に気づき絶句する。

 手は肉が溶け骨がむき出しになっており、打たれた胸には大きな穴が開き、そこから臓器が飛び出していた。

 あまりの変わり果てた姿に驚き、悲鳴すらあげることが出来ずその場にへたりこむと、どこからか笑いをかみ殺したかのような声が聞こえてくる。

「中々粋な計らいであろう? これで心置きなくこの場を去ることが出来るぞ」

 声のした方に視線を向けると、ソファーの背もたれに片肘をついて、こちらを愉快そうに眺めている先程庇った少年の姿が目に入る。

(ああ、なるほど。その姿で封印されたって事ですか)

 こうして見た目は子供、中身はキチガイ妖怪のお守りが始まったのであった。

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