不幸少女の起死回生物語
第一話 不幸少女、死す
当たり前だと思っていた日常から、少しずつその日常が失われてゆく。
綺麗にアイロン掛けされて折り畳まれたブラウスを取り出してそっと抱きしめる。
ほのかに香るジャスミンの香りにコヒナは泣きそうになった。その小さな腕に抱くのは生前、母が用意してくれていた最後のブラウス。それを着てしまえば母との日常をまた一つ失ってしまう。
そうやって少しずつ思い出が消えていく家の中で、コヒナはひとり過ごしていた。
***
高校に入学して半年が経った頃、桜庭コヒナは両親と弟を事故で亡くし天涯孤独の身となった。
幸い持ち家と、両親の保険金を相続したコヒナは生活には不自由せずにすんだ。しかし、それは最初の一ヶ月だけ。
いつものように学校から帰宅すると、空き巣の手によって保険金の入った通帳と印鑑を奪われていた。犯人はすぐに見つかったものの、お金は戻ってこなかった。
捕まったのは詐欺グループの末端に位置する実行犯だけ。コヒナのお金は素早い手口で引き落とされ、海外のネットバンクを何十にも移行してその組織の上層部と共に行方不明。
一気に苦学生となったコヒナは期待されていた水泳部を辞め、放課後はアルバイトで生活費を稼ぐ日々。学費は主席入学の特権で免除されていたが、それも成績が落ちれば取り消される。
良家の令息や令嬢が七割、特待制度を利用した一般家庭の成績優秀者が三割の比率で在籍する煌月学園では、財力や家柄により暗黙の了解としてスクールカースト制度があった。
家柄も成績も容姿も良く皆に慕われていたコヒナは、医者の両親という後ろ盾を無くした途端、スクールカーストの上層部から、一気に奈落の底まで突き落とされた。
仲良かった友達からも避けられるようになり、付き合っていた彼氏にも別れを告げられた。信頼していた先生達も急に冷たくなり、何処に行ってもひとりぼっち。
それでもひたすら耐えて過ごした一年。次にコヒナが失うのは自分の命のようだ。
「撃たれたくなかったら手を上げろ! そして全員その場に跪け!」
昼休みを利用して学校から抜け出し生活費を下ろしに来た銀行で、コヒナは不運にも強盗に遭遇。本当についていない。
「この鞄に金をいれろ!」
犯人は窓口の銀行員に拳銃をつきつけながら鞄を乱暴に投げた。
このままここで大人しく嵐が去るのを待とう。そう思っていたコヒナだが……
「おい、そこのお前! その封筒よこせ!」
客が変な動きをしないよう牽制していたもう一人の犯人が、コヒナに無情な言葉をかけてくる。
その封筒とはコヒナの一ヶ月分の給与が入った封筒のこと。高校生のバイト代など本当に微々たるもの。
もちろん、一月をそれでやりくりするにはあまりにも厳しく、月末の一週間は一日一食になることも珍しくない。
お米は単価が高くてあまり買えず、特売日に買いだめした小麦粉や、激安で販売してもらっているパンの耳を使ったメニューが主な食事だった。
しかし、コヒナにとって給料日だけは違う。
ご飯に焼き魚、だし巻き卵に筑前煮などの『The 健康食』であるおかずの宝庫、幕の内弁当を食べるささやかな贅沢。
両親が健在だった頃は考えられない程の質素な食事だが、今のコヒナにとってそれがなによりもご馳走だった。
その楽しみさえ、この赤の他人の銀行強盗に奪われなければならないのか。
そんな気持ちが自然と態度に現れてしまったようで、コヒナは犯人を思わずにらんでしまった。
「何だその目は……ほら、はやく寄越せ!」
「嫌です」
「は? てめぇ、痛い目に遭いたいのか?」
「このお金を奪うっていうなら、今すぐ私を殺して下さいよ。こっちはギリギリでやってるんです。それくらいの覚悟と度胸があってそんな事やってるんでしょう? だったら撃って下さいよ。ほら、早く!」
「な、何だこのガキ……」
「武力行使が許されるのは、正当な理由あってこそ。あなた達がやってるのは人として最低な行為なんですよ。他人の人生軽く捻り潰せるくらい酷い事なんですよ。たったこの八万に、私の人生はかかっている……それを奪っていくんでしょう? だったらこの場で奪っていって下さいよ、私の命も」
「グダグダうるせー! 黙れこのガキが!」
激昂した犯人が拳銃をコヒナに向けてくる。
その緊迫した空気の中、逃げる機会を窺っていたのであろう男性が出口を目指して走り出した。
犯人がコヒナに気をとられている今がチャンスだと思ったのだろう。しかし、もう一人の犯人がそれを見逃さない。
無機質な拳銃の音が響いて、足を打たれた男性は悲痛な叫びを上げながらその場に倒れ込んだ。
(なんてことを……)
気がつけば、コヒナはその男性の元へ駆け寄っていた。医者の両親の元で育ったコヒナはある程度の応急処置の仕方は熟知している。
夥しい血の量から銃弾が貫通しているのだと判断し、鞄からタオルを取り出し大腿部できつく結んで止血を施す。
コヒナがテキパキと処置する姿を最初は唖然として見ていた犯人だが、我に返って声を荒げる。
「テメェ等、誰が動いていいと言った?! 元の位置に戻れ!」
コヒナがそれに従うはずもなく、足を打たれた男性も痛みでそれどころではない。その時──
「全くうるさくてかなわん。我の睡眠を妨げるなど愚の骨頂。身分をわきまえよ、人間風情が」
客の一人であろうか。やけに高圧的な声が銀行内に響いた。激昂した犯人が声のした方へ拳銃を向けるが、その主が誰か分からない。
「さっきのはお前か?!」
「ひぃ……ち、違います」
「じゃあ、お前か?!」
「誤解です、私ではありません」
犯人が声を発したであろう客に次々と拳銃を向けるが、誰も首を縦には振らない。
「そのような物に頼らねば牽制も出来ぬのか、全く情けない」
その時、ソファに横になっていた少年が気だるそうに身を起こす。
「折角涼める場所を見つけたというのに、邪魔をするでない」
その場に居た誰もが驚きで思わず二度見をしたに違いない。日本人離れした銀髪紅眼の幼子が、やけに流暢な日本語でそのような事を言うのだから。
「この糞ガキがぁあ!!」
そんな中、苛立ちが最高潮に募った犯人が少年に拳銃を向ける。
「我にしてみれば、お前の方がよっぽど糞ガキに見えるがな」
そう言って嘲笑を浮かべる少年に、怒りが頂点に達した犯人が拳銃の引き金を勢いよく引いた。
数発の銃弾の発砲音がして、少年が撃たれた。誰もが目を覆いたくなる状況だろう。しかし、倒れていたのは少年ではなく発砲した犯人の方だった。
男性の処置を追えたコヒナが間一髪、後ろから犯人を突き飛ばして銃弾の軌道を逸らしたのだ。
その結果、少年に弾が当たることはなかった。
「テメェ、何しやがる!」
「そんな幼い子に拳銃を向けるなんて、ほんと信じられない!」
ほぼ無意識だった。目の前でぞんざいに扱われようとする命を、守らなければならないと身体は勝手に動いていた。
カチャリと銃弾が装填される音がして、銃口がこちらを向いている事に気付く。
(これで、私は死ねる……)
死期を悟ったコヒナは憑きものが落ちたかのように穏やかな表情をしていた。
両親を失って、自ら命を絶とうと思う事もあった。それだけ辛い日々を送っていたのだ無理もない。
それでも決して自分からそうしなかったのは、両親からもらった大切な命を自ら絶つことだけは出来なかったからだ。
それ故この状況は、コヒナにとって望んでいたものだったのかもしれない。誰かを守るために失ったとしたら、胸を張って両親と弟の元へいけるはずだから。
『必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ』
大好きな織田信長の格言が頭に浮かぶ。たとえ短くても、必死に生きた。自身の人生も光り輝くものであったと信じたい。
そんな事を思っているうちにも銃弾がコヒナめがけて飛んできて、コンマ数秒の速さを避けれるわけもなく、胸に食い込んできた。
正しく機能しなくなった心臓が、焦って最後のあがきをするように動いて、身体の至るところに血液を溢れ出させる。
ゴフッとむせ上がってきた血の塊を口から吐き、思わず塞いだ手は赤く染まった。
今まで味わった事のないような激しい痛みを感じながら、コヒナはその場に倒れこんだ。
「ほぅ、身を盾にして我を守ったか。合格だ。貴様を我が配下に加えてやろう」
少年が口角を上げて静かに呟いた。
綺麗にアイロン掛けされて折り畳まれたブラウスを取り出してそっと抱きしめる。
ほのかに香るジャスミンの香りにコヒナは泣きそうになった。その小さな腕に抱くのは生前、母が用意してくれていた最後のブラウス。それを着てしまえば母との日常をまた一つ失ってしまう。
そうやって少しずつ思い出が消えていく家の中で、コヒナはひとり過ごしていた。
***
高校に入学して半年が経った頃、桜庭コヒナは両親と弟を事故で亡くし天涯孤独の身となった。
幸い持ち家と、両親の保険金を相続したコヒナは生活には不自由せずにすんだ。しかし、それは最初の一ヶ月だけ。
いつものように学校から帰宅すると、空き巣の手によって保険金の入った通帳と印鑑を奪われていた。犯人はすぐに見つかったものの、お金は戻ってこなかった。
捕まったのは詐欺グループの末端に位置する実行犯だけ。コヒナのお金は素早い手口で引き落とされ、海外のネットバンクを何十にも移行してその組織の上層部と共に行方不明。
一気に苦学生となったコヒナは期待されていた水泳部を辞め、放課後はアルバイトで生活費を稼ぐ日々。学費は主席入学の特権で免除されていたが、それも成績が落ちれば取り消される。
良家の令息や令嬢が七割、特待制度を利用した一般家庭の成績優秀者が三割の比率で在籍する煌月学園では、財力や家柄により暗黙の了解としてスクールカースト制度があった。
家柄も成績も容姿も良く皆に慕われていたコヒナは、医者の両親という後ろ盾を無くした途端、スクールカーストの上層部から、一気に奈落の底まで突き落とされた。
仲良かった友達からも避けられるようになり、付き合っていた彼氏にも別れを告げられた。信頼していた先生達も急に冷たくなり、何処に行ってもひとりぼっち。
それでもひたすら耐えて過ごした一年。次にコヒナが失うのは自分の命のようだ。
「撃たれたくなかったら手を上げろ! そして全員その場に跪け!」
昼休みを利用して学校から抜け出し生活費を下ろしに来た銀行で、コヒナは不運にも強盗に遭遇。本当についていない。
「この鞄に金をいれろ!」
犯人は窓口の銀行員に拳銃をつきつけながら鞄を乱暴に投げた。
このままここで大人しく嵐が去るのを待とう。そう思っていたコヒナだが……
「おい、そこのお前! その封筒よこせ!」
客が変な動きをしないよう牽制していたもう一人の犯人が、コヒナに無情な言葉をかけてくる。
その封筒とはコヒナの一ヶ月分の給与が入った封筒のこと。高校生のバイト代など本当に微々たるもの。
もちろん、一月をそれでやりくりするにはあまりにも厳しく、月末の一週間は一日一食になることも珍しくない。
お米は単価が高くてあまり買えず、特売日に買いだめした小麦粉や、激安で販売してもらっているパンの耳を使ったメニューが主な食事だった。
しかし、コヒナにとって給料日だけは違う。
ご飯に焼き魚、だし巻き卵に筑前煮などの『The 健康食』であるおかずの宝庫、幕の内弁当を食べるささやかな贅沢。
両親が健在だった頃は考えられない程の質素な食事だが、今のコヒナにとってそれがなによりもご馳走だった。
その楽しみさえ、この赤の他人の銀行強盗に奪われなければならないのか。
そんな気持ちが自然と態度に現れてしまったようで、コヒナは犯人を思わずにらんでしまった。
「何だその目は……ほら、はやく寄越せ!」
「嫌です」
「は? てめぇ、痛い目に遭いたいのか?」
「このお金を奪うっていうなら、今すぐ私を殺して下さいよ。こっちはギリギリでやってるんです。それくらいの覚悟と度胸があってそんな事やってるんでしょう? だったら撃って下さいよ。ほら、早く!」
「な、何だこのガキ……」
「武力行使が許されるのは、正当な理由あってこそ。あなた達がやってるのは人として最低な行為なんですよ。他人の人生軽く捻り潰せるくらい酷い事なんですよ。たったこの八万に、私の人生はかかっている……それを奪っていくんでしょう? だったらこの場で奪っていって下さいよ、私の命も」
「グダグダうるせー! 黙れこのガキが!」
激昂した犯人が拳銃をコヒナに向けてくる。
その緊迫した空気の中、逃げる機会を窺っていたのであろう男性が出口を目指して走り出した。
犯人がコヒナに気をとられている今がチャンスだと思ったのだろう。しかし、もう一人の犯人がそれを見逃さない。
無機質な拳銃の音が響いて、足を打たれた男性は悲痛な叫びを上げながらその場に倒れ込んだ。
(なんてことを……)
気がつけば、コヒナはその男性の元へ駆け寄っていた。医者の両親の元で育ったコヒナはある程度の応急処置の仕方は熟知している。
夥しい血の量から銃弾が貫通しているのだと判断し、鞄からタオルを取り出し大腿部できつく結んで止血を施す。
コヒナがテキパキと処置する姿を最初は唖然として見ていた犯人だが、我に返って声を荒げる。
「テメェ等、誰が動いていいと言った?! 元の位置に戻れ!」
コヒナがそれに従うはずもなく、足を打たれた男性も痛みでそれどころではない。その時──
「全くうるさくてかなわん。我の睡眠を妨げるなど愚の骨頂。身分をわきまえよ、人間風情が」
客の一人であろうか。やけに高圧的な声が銀行内に響いた。激昂した犯人が声のした方へ拳銃を向けるが、その主が誰か分からない。
「さっきのはお前か?!」
「ひぃ……ち、違います」
「じゃあ、お前か?!」
「誤解です、私ではありません」
犯人が声を発したであろう客に次々と拳銃を向けるが、誰も首を縦には振らない。
「そのような物に頼らねば牽制も出来ぬのか、全く情けない」
その時、ソファに横になっていた少年が気だるそうに身を起こす。
「折角涼める場所を見つけたというのに、邪魔をするでない」
その場に居た誰もが驚きで思わず二度見をしたに違いない。日本人離れした銀髪紅眼の幼子が、やけに流暢な日本語でそのような事を言うのだから。
「この糞ガキがぁあ!!」
そんな中、苛立ちが最高潮に募った犯人が少年に拳銃を向ける。
「我にしてみれば、お前の方がよっぽど糞ガキに見えるがな」
そう言って嘲笑を浮かべる少年に、怒りが頂点に達した犯人が拳銃の引き金を勢いよく引いた。
数発の銃弾の発砲音がして、少年が撃たれた。誰もが目を覆いたくなる状況だろう。しかし、倒れていたのは少年ではなく発砲した犯人の方だった。
男性の処置を追えたコヒナが間一髪、後ろから犯人を突き飛ばして銃弾の軌道を逸らしたのだ。
その結果、少年に弾が当たることはなかった。
「テメェ、何しやがる!」
「そんな幼い子に拳銃を向けるなんて、ほんと信じられない!」
ほぼ無意識だった。目の前でぞんざいに扱われようとする命を、守らなければならないと身体は勝手に動いていた。
カチャリと銃弾が装填される音がして、銃口がこちらを向いている事に気付く。
(これで、私は死ねる……)
死期を悟ったコヒナは憑きものが落ちたかのように穏やかな表情をしていた。
両親を失って、自ら命を絶とうと思う事もあった。それだけ辛い日々を送っていたのだ無理もない。
それでも決して自分からそうしなかったのは、両親からもらった大切な命を自ら絶つことだけは出来なかったからだ。
それ故この状況は、コヒナにとって望んでいたものだったのかもしれない。誰かを守るために失ったとしたら、胸を張って両親と弟の元へいけるはずだから。
『必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ』
大好きな織田信長の格言が頭に浮かぶ。たとえ短くても、必死に生きた。自身の人生も光り輝くものであったと信じたい。
そんな事を思っているうちにも銃弾がコヒナめがけて飛んできて、コンマ数秒の速さを避けれるわけもなく、胸に食い込んできた。
正しく機能しなくなった心臓が、焦って最後のあがきをするように動いて、身体の至るところに血液を溢れ出させる。
ゴフッとむせ上がってきた血の塊を口から吐き、思わず塞いだ手は赤く染まった。
今まで味わった事のないような激しい痛みを感じながら、コヒナはその場に倒れこんだ。
「ほぅ、身を盾にして我を守ったか。合格だ。貴様を我が配下に加えてやろう」
少年が口角を上げて静かに呟いた。
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ノベルバユーザー602625
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