高嶺の花と呼ばれた君を早く僕のものにしたい
気づいた自分の気持ち
尊臣が亜香里に告白をされているのを目撃した日の夜、尊臣に食事に誘われたが断った。
それ以降も何度か尊臣にご飯に誘われていたが華はそのたびになにかと理由をつけて断っていた。久しぶりの日本、久しぶりの旧友、色々積もる話もあるのかもしれないが尊臣には好きな人がいる。そんな人と軽々しく二人でご飯にでも行って誰かに見られて噂でも立てられたら大変だ。尊臣の好きな人が誰だかは知らないが、誤解をまねかねない。大切な友人にはぜひとも幸せになってほしいと思う反面、なぜか胸がもやっと晴れない日々を華は送っていた。
(なんなのかしら。この胸の詰まったような感じが続いて、風邪かしら)
自分のデスクに座りながら、自動販売機で買ったミルクティーを飲む。味覚はちゃんと甘いと感じるし、熱もない。咳も鼻水もなんの症状もないのに胸の辺りがもやもやとする。そしてたまに痛みを感じる。
(本当なんなのかしら……)
コクンとミルクティーをもう一口。うん、美味しい。もう一口と口元に運ぶと、華の胸ポケットでスマホが震えた。
「もしもし?」
急いで電話に出ると向こう側で慌てている声が聞こえてくる。状況を把握した華は勢いよく立ち上がり、駆け出した。
「患者さんはっ!?」
廊下で看護師と合流し、状況をもう一度把握する。
「305号室の高橋さんですが既に呼吸が浅いです」
「そう……ご家族に連絡したほうがよさそうね」
「そうですね……」
何年医者をやっていてもこの瞬間とは辛いものだ。二十二歳という若さで乳がんを発症した高橋は癌を発見するタイミングが遅れたことにより、癌だと診断されたときにはかなり進んでいた。若いとなおさら進行は早く、華も一生懸命に治療法を考え、一緒に戦ってきたが、ついにこのときが来てしまったのだ。
死亡診断書を書く手が細かく震える。
「助けてあげたかったのにっ……」
父親の癌がきっかけで医者を目指し、男性恐怖症ながらにも耐えて頑張ってきたのは癌の患者さんを一人でも多く助けたいから。もちろん残念な結果になってしまったことは何度もある。そのたびに華は心を痛めていた。もちろん医者が毎回心を痛めていたら自分の精神がおかしくなってしまうことがあることも分かっているけれど、華にはどうしても堪難く、いつも一人で泣いて、気持ちを落ち着かせていた。
今日も震える手を握りしめながら、華は誰も居ない備品庫に電気もつけず、息を潜める。
「ふっ……うぅ……ふっ……」
ひっそりとしゃがみ込み、両手口元を抑え込んで声を押し殺す。
「やっぱり。泣いてると思った」
ほんの少し、明かりが差し込んだと思ったらすぐに真っ暗になった。それでも声だけで分かってしまう。尊臣だ。
近づいてくる気配に華は涙を急いで手の甲で拭い、顔を上げる。
「華ってば、やっぱり泣き虫なんだなぁ。なんも変わってない、華のまんまだ」
「なんで、ここ、に?」
暗闇に目が慣れて、目を細めて優しく微笑んでいる尊臣の顔が薄っすら見えた。華は泣いていて、鼻が詰まった声を出す。
「ん、ここに華がいるような気がしたから。昔、誰もこなさそうな暗い場所でよく泣いてたのを思い出してさ。家のクローゼットの中とか」
そういえばそうだ。そうやって一人で泣いていると必ずと言っていいほど尊臣が見つけては泣き止むまで隣にいてくれた。華の泣き顔を見たことあるのは家族と尊臣くらいだ。
隣に座っている尊臣が華の肩を抱き寄せた。
「あっ……」
「俺なら、華に触れても大丈夫、なんだよな?」
尊臣は小さな声で確認を取ってくる。華はこくんと頷いた。本当に大丈夫なのだ。他の人に抱きしめられたら気絶してしまうくせに、尊臣なら大丈夫。全く嫌じゃない。尊臣に身体の半分が触れていても悪寒どころか安心と懐かしささえ感じてしまう。ビクッと一瞬強張った華の身体もすぐに柔らかさを取り戻し、そのまま尊臣の胸の中に吸い寄せられるように声を出して泣いた。
患者の死、尊臣にまた会えた嬉しさ、男なのに怖く無い。色んな感情がごちゃ混ぜになりながら華は子供に戻ったようにわんわん泣いた。
どのくらいの時間泣いたのかは分からない。
「華、荷物もってきてやるからここで待ってて。絶対一人で帰るなよ?」
尊臣に釘を刺されて華は小さく頷いた。
しばらく待っていると尊臣は華の鞄を持って帰ってきた。
「お待たせ。帰ろうか」
すっと差し出された手に華は自然と手を重ねる。
「うん」
「裏口から帰れば誰にも見られないから、その真っ赤な目も見られないで済むよ」
「うん」
裏口から外へ出ると辺りは水彩絵の具で塗られたような薄い黒で広がっていた。大きな三日月にポツポツと光る星に照らされながら尊臣の隣を歩く。手は繋がれたままで、離してくれるような素振りは一切なく、ぎゅっと握りしめられたままだ。
「尊臣くん、あのさ」
ぐぅ〜〜〜。華の腹の虫がタイミングよく鳴った。
「やっ、これは、そのっ!」
「ははっ、俺も腹減った! うちでなんか食べよう。あったかいもの作るよ」
ぎゅっと繋いでいる手が更に強く握りしめられた。
「えっと……いいよ。帰り道に外で何か食べるから」
「その真っ赤に腫れた目で?」
尊臣はじっと華の顔を覗き込む。
「うぅ……」
夜の道でも艷やかにいつも光り輝いている瞳が眩しくない。もっと見たいと思ってしまった。
「俺んちおいで。うどん好きだったろ?」
「……うん。好き」
好き、好き、好き。うどんなんかより、もっと好き。
華も繋いだ手をぎゅっと握り返した。
あったかい煮込みうどんは落とし卵が半熟で疲れた身体に染み渡る優しい味だった。
「華、ホットココアでよかった?」
ソファーに座る華の前に尊臣は甘い匂いが漂うホットココアを差し出した。初めて入る男性の部屋も尊臣の部屋だったからか、ドキドキと胸が高鳴るくらいで、息が苦しくなったりすることはなかった。
「うん。ありがとう」
華がココアを受け取るとギシッとソファーが沈んだ。少し動けば尊臣の肩が当たる距離。こんなに近くても怖くない。それどころかもっともっと近くに行きたい。尊臣の熱を感じたい。尊臣に好きな人がいることは分かっているけれど、誰にも尊臣を取られたくない。
「尊臣くん」
「ん?」
尊臣は優しい瞳で華を見た。
「好き」
華はしっかりと尊臣を見る。尊臣のキラキラした瞳に自分を映して欲しい。一度口にしてしまうと縫い目が解けたようにポロポロと感情が口から溢れ出す。
「好き。尊臣くんが好き。誰にも渡したくないの。尊臣くんに好きな人がいるってことは知ってるんだけど、それでも好き。好きになっちゃったのよ」
じわりと目頭が熱くなる。今なら亜香里の気持ちが分かるかも知れない。好きな人に好きだと伝えることがどんなに大変で勇気のいることか。気を緩めたら涙がこぼれてしまいそうだ。
「バカ。俺だって華のことを誰にも渡したくないよ」
――え?
「好きだ。華。ずっとずっと華のことが好きだった」
尊臣の好きな人って……
今、尊臣の瞳に映っているのは間違いなく自分だ。
「尊臣、くん……んっ」
きつく抱き寄せられ唇が重なった。柔らかくて温かい。全く嫌じゃない。それより自分でも驚くほどに尊臣に触れていることが嬉しくて、華は尊臣の背に手を回した。
「んっ……ふっ、ん……」
尊臣の舌は華の口腔内を味わうように動き回り始めた。優しく包み込まれるように唇を喰まれながら動く尊臣の舌が口蓋を擦りたて、身体の芯がぞくぞくする。怖くてじゃない。歓喜で身体が震えているのだ。
ゆっくりと尊臣の唇が離れていく。尊臣の赤く艶めいた唇がそっと開いた。
「華、ずっと好きだった。俺が日本に戻ってきた理由は華だよ。俺がアメリカに行くときの約束を守るために、やっと日本に戻ってこれたんだ。遅くなっちゃたけどな」
「……約束」
ってなんだっけ? 尊臣との別れのときは泣きすぎてあまり記憶がない。首から下げているネックレスをもらったことまではちゃんと覚えているのだが、その時尊臣がなんて言ったのかはよく聞こえなかった。
尊臣は何かを察したかのように小さく微笑んだ。
「やっぱり華は忘れてるか。俺も医者になって華を必ず迎えに行くって約束したじゃねぇか」
俯きかけた華の顎を尊臣はそっと手を添えて持ち上げると、視線を混ぜ合わせた。
「ごめん、私あの日のこと泣きすぎてあんまり覚えてなくて」
「ん、華は泣き虫だもんな。俺が覚えてたからいいんだよ。華が誰のものにもなってなくてよかった。っても誰かのものになっても奪う気満々で帰国したんだけどな」
「尊臣くん……」
サラリと尊臣の黒髪が華の首元をくすぐる。
「華にもっと触れてもいい?」
尊臣の甘い声が華の耳もくすぐった。
「尊臣くんなら、怖くない。尊臣くんになら、たくさん触れて欲しい」
触れられても怖くないのは尊臣だけ。触れて欲しいと思うのも尊臣だけ。
「華」
ちゅっ、ちゅっと首筋に尊臣の唇が這う。いつのまにか華の背はソファーについていた。
「狭いから、ベッドに連れて行くよ」
尊臣は軽々と華を抱き上げる。
「えっ、やっ……重いから!」
「全然。林檎一個分くらいじゃない?」
「なっ、そんなわけないでしょう」
言い合っているといつの間にか華の身体はベッドに沈んでいた。尊臣は華の上に覆い被さりふっと入れしそうに微笑んだ。
「やっと華に触れられる」
尊臣はおもむろに服を脱ぎ、引き締まった身体がばっちりと見える。
首からぶら下がり、キラリと光るネックレスに華は目を奪われた。
「あっ……それ」
「これ? 華とお揃いであげたやつ。お守り代わりにずっと身につけてたんだ。おもちゃみたいなもんだし、華さすがにもうないだろ? 俺が勝手に大切にしてただけだから気にしなくていいよ」
華は自分の首にかかっているチェーンに触れながら「ううん」と首を振った。
「私もずっと大切にしてた。尊臣くんとの思い出があったから今まで頑張ってこれたのよ」
ほら、と服の中からネックレスを引き出して尊臣に見せる。一瞬驚いた表情を見せた尊臣は嬉しそうに微笑み、まっすぐに華を見た。
「これからはずっと華の側にいるよ」
うん、と返事をしようとしたけれど尊臣の唇に塞がれた。息をする間もないくらいのキスに唾液の絡まる音が脳に響く。
音にぼーっとしているうちに服が身体から離れていくのが分かった。けれど何も怖くない。身体を締め付けていた下着が全てを開放する。華の身体を優しく撫で回す尊臣の手が心地良い。
「あっ……ん……」
「そんな可愛い声だされたら、やばいわ」
華に覆いかぶさる尊臣の前髪の隙間から見える瞳はいつもみたいにキラキラしているのではなく、男の、女を求めているギラついた瞳だった。それでも全く怖くないのは尊臣だから。
尊臣の舌が華の身体を美味しそうに舐め、甘い声が華の口からこぼれる。
自分の身体がこんなにも淫らなんて、知らなかった。
恥ずかしいけれど心の奥から尊臣を求めている。もっと、もっとと尊臣の舌を、指を、包み込まれる安心感を求めて、貪欲になっていく。
「たかおみ、くんっ……すきっ……」
「っ、華っ。俺も好きだよ」
ぐぐぐっと尊臣が華の中に入ってくる。初めてのはずなのに華の身体はすんなりと尊臣を受け入れた。少しの痛みはあるものの、甘くて切ない痛みはすぐに快楽へと変化する。
身体が揺さぶられるたびにカチャリ、カチャリとネックレスがぶつかり合った。
「あぁっ……尊臣くんっ……」
「んっ、華っ……」
熱を帯びた身体に抱きしめられ、昇りつめた快楽は尊臣の胸の中で弾け飛んだ。
尊臣の鼓動を聞きながらとろんとしている華のネックレスに尊臣が触れた。
「やっと一つにできた」
軽い金属音を立てて離れていたペンダントが重なった。綺麗なハート型のペンダントを見て止まっていた涙がまた溢れ出す。
「本当に華は泣き虫だなぁ」
優しく頭を撫でら更に涙が溢れ出す。
「ごめっ、嬉しくてっ」
「俺も嬉しい。今度はペアの指輪をプレゼントするよ」
「それって……」
驚いて尊臣の顔を見ると、目を細めて笑っている尊臣が一瞬見えただけちゅっと唇が重なった。
「もう、絶対に華から離れないけどな」
また、涙が溢れ出す。
好き、好き、好き。多分ずっと前から尊臣のことが好きだった。小学生のころからずっと。
高嶺の花じゃない、クールでもなんでもない、泣き虫な本当の自分はこの先ずっと尊臣にしか見せることはないだろう。
「華」
甘くて優しい声に引き寄せられ、華は尊臣の腕の中にしっかりと抱きしめられる。その腕の中で華は「好き」と呟いた。
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