ボクからしてみたらキミだってアイドルみたいなもんよ?

清泪(せいな)

よくなく なくなく なくなくない?

 小さな店の割に小綺麗な広いトイレだった。
 男性用の小便器が二個並んでいて、個室も二つある。
 川原がトイレに入ると山野はすでにチャックを降ろし小便器の前に立っていたので、川原も横に並んで用をたす。
 小便器の前に立つと目の前のタイル張りの壁に、『一歩進んだ、愛』、というシールが貼ってあって、便器の上には空き缶を半分にした灰皿が置いてあった。
 隣から煙が流れてきて川原は顔を向けると、山野はいつの間にか煙草をくわえていた。

「お前さ、トイレから部屋に戻ったらすぐミキちゃんと抜けろよ」

 え?、と川原は聞き返す。

「いや、あのさ、黙ってて悪いなぁと思ってたんだけど。今日のって、単なる合コンじゃないんだわ」

 また川原は、え?、と聞き返す。

「今日さ、『美人人妻と合コンして、酔った勢いで居酒屋でヤっちゃった』ってそういう撮影なのね、コレ」

 山野は煙草を指で挟み、紫煙を吹いた。
 川原は、は?、と聞き返した。

「んで、そろそろ本格的に撮影始めようって事になったんだけど。お前、ミキちゃんと仲良さそうだし、なんか悪いかなって」

 山野が言うにはアイが女優兼監督らしい。
 サヤとノゾミは単発の企画女優。
 何処かの会社と専属契約していない女優、と山野は説明する。

「んで、ミキちゃんは今日面接受けに来た新人ちゃん」

「面接って……」

「言ってなかったけ? オレ、そういうの撮ってる会社勤めてんだよね。まぁ小さい会社なんだけど」

 酒の回った頭では山野の言っていることがうまく整理できず、川原は、ああそう、と気の抜けた生返事を返すことになった。

「いやぁ、ちょっとした複数人モノにしようなんてアイさんが突然言うからさ、男優も女優も人足りなくて。女優は急遽の面接で、男優はオレらスタッフがやることなってさ。んで、まだ一人足りなかったからお前にもお裾分けしてやろうかなぁって」

 山野は用をたし終わるとくわえていた煙草を灰皿に押しつけて火を消した。
 便器から離れ洗面所で手を洗っている。

「それで呼んでみたら、ほら、知り合いだぁって言うしさ。奇跡的な再会をそういう撮影でってのも野暮でしょ」

 整理の追いつかない川原は、すでに用はたし終わっていたが便器の前に突っ立ったまま、ああそうだな、とだけ答えた。

 んじゃそういうことで、と山野はトイレを出ていく。
 川原はそれを見送ってやっと便器から離れた。
 山野が言った事を頭の中でゆっくりと整理しながら、洗面所で手を洗う。
 蛇口から出てくる水を手ですくい、顔を洗った。
 洗面所の横にぶら下がる少し湿ったタオルで手と顔を拭く。
 タオルは少し酸っぱい臭いがした。

 個室に戻ると、一人会話に混じることなくカクテルを飲んでるミキの横に座る。

「遅かったね……って、顔濡れてんじゃん。もしかして、吐いてきたの?」

 ミキの言葉に川原は顔を横に振って答えた。
 ホントに?、と言うミキをよそに川原は山野に目をやる。
 山野は視線に気づき、小さく頷いたあと顎でドアを差した。
 さっさと行け、という事だろう。

「原田さん、出よう」

「え、それは、ちょっと……」

「いいからっ!」

 川原はミキの腕を引っ張り立ち上がった。
 強引に立たされたミキは、ちょっ、と何かを言おうとするも川原に聞く耳もたずで引っ張られた。

 
「ちょっ、痛い、痛いって!」

 ミキが川原の手を振りほどけたのは、店を出て階段を登ったところだった。
 入る前は忙しそうにしていたピザ屋もシャッターを降ろして閉店していた。

「あ、ごめん……」

 川原がミキを掴んでいた部分が赤くなっていた。

「何なのよ、いきなり!」

「いや、あの、その……」

 どう言えばいいものかと川原は困惑した。
 そういう撮影の事はミキ本人も了承の事だろう。
 何せ面接に応募したのだから。
 それを邪魔しようとしてる自分の気持ちが川原にはよくわからなかった。
 身も蓋も無いことを言えば、ただ山野に言われた事を実行しただけだ。
 正直、ミキに対してのハッキリとした好意もない。
 あるのは、下心だ。

「山野に、聞いた……」

 川原の言葉にミキが眉をひそめる。
 川原がしたよりも、ずっと強く。
 睨むように、眉をひそめる。

「聞いた? じゃあ、聞いたっていうなら。聞いて、邪魔して、どうしたいの?」

「どうしたい、って……」

 どうしたいのだろうか?
 川原は自問するも、出てくるのは答えにもならない情けない感情だった。
 ミキを抱きたい。

 あの携帯電話の動画で吐息を漏らしていた女の様に。

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