裏社会のボスと乞食

黄舞@ある化学者転生3/25発売

第三話

 トムがエドワードとして偽りの生活を初めてから十日経った。
 初めは足りない知識を一時的な記憶喪失で切り抜け、巧みに情報を聞き出す。
 実情を知っている者がいたとしたら、トムの適応能力の高さに賞賛の声をあげるに違いない。
 それほどまでに、トムは自身が間違われたエドワードを上手く演じていた。

「エドワード様。本日のお食事でございます。こちらは海で取れたコッドをパイ生地で包んだものでございます」
「ああ。ありがとう」

 トムの前には、ここに来るまで口にしたことも見たことない食べ物が並んでいた。
 今までの明日の命さえおぼつかない生活と比べれば、まさに天国と言っていいほどだった。
 腹を満たしてもまだ限りない温かい食事。
 どれを口にしても腹を下す心配をする必要すらない。
 身に付けている衣装も雲泥の差だ。
 糸のほつれすらないトムのために仕立てられた衣装。
 ぴったりと体形に合っているのに、ぶかぶかのボロ布よりも動きやすく感じた。
 就寝前には湯浴み、そして柔らかな寝具の上で眠ることができた。
 そんな環境において、トムが考えていたのは降って湧いた幸運ではなく、我が身を襲った不幸だった。

(くっ! ここへ来てもう十日になるが、一向に抜け出せそうな気配がない。本物のエドワードの行方はまだ判明していないようだが、もし本人が現れでもしたら、それでお終いだ)

 そう考えながら目の前に置かれた魚のパイ包みを口に運ぶ。
 初めは豪華な食事に舌鼓を打ったが、予想以上に長期間の滞在に、味など楽しむ心境にはなれない。
 無意識のうちに眉間にしわを寄せながら食事を続けていると、横に控えていたジンが声をかけてきた。

「どうしました? ボス。味がお気に召しませんでしたかね? それなら、今すぐ別のものを持ってこさせますが。それとも、コックの首でも刎ねますか?」
「あ、いや。問題ない。味は大丈夫だ。ちょっと考え事をしてただけだ。物騒なことを言うなよ」
「そうですか。それは失礼しやした」

 トムの一番の心配事の種であるジンは、軽く頭を下げると再び直立不動に戻る。
 ジンが護衛なのか、それとも監視役なのか、トムには判断がつかずにいた。
 実際、ジンは常にトムの近くに居るのだ。
 一度、夜に部屋から抜け出せるかと確認した時にすら、扉を開けた瞬間にジンに見つかってしまった。
 どうやらトムとは関係なく、エドワード自身に色々と問題があったのが原因だというのを、トムはなんとなく理解しつつある。

(エドワードが【砂漠の三日月】の一番上のボスだというのは間違いなさそうだ。ジンもかなりの立場にいるということも。そしてエドワードはとんでもないやばい奴だってことも)

 トムがエドワードのことを手探りで演じていた際に、エドワードがとんでもない性格の持ち主だということが、ジンや他の組織の人間たちの反応から判明した。
 端的に言い表せば、エドワードは持って生まれた自分の立場を、惜しげなく自分のためだけに利用した。
 沸点が低く、気に食わないことがあればすぐに対象の首や腕、足などを切った。
 また、他人への感謝の気持ちや労う気持ちなど持ち合わせず、自分のわがままを実現させるために奔走した部下たちに対して、遅いと叱責するなど日常茶飯事だった。
 そのため、トムが食事の用意や何かしらの用件を聞いた部下に、感謝の言葉を投げかけるだけで、皆困惑の表情を見せたのだ。
 エドワードの性格を理解した今でも、トムは最初のように感謝の言葉を述べ、先ほどように誰かが傷付くような提案を否定していた。
 人が変わったと噂に上っていることは知っているが、いくら演じているとはいえ横柄に振舞うには抵抗があり、ましてや人の生き死にを自分の裁量で決めるなど、できなかったからだ。

(いずれにしろ、時間が経てば経つほどぼろが出る危険性は上がる。どうにかして、少なくとも拠点から出なくては)

 トムが考えていると、部屋の扉が勢いよく開き、一人の少女が入ってきた。
 ジンと同じ綺麗な赤色の髪をまっすぐ伸ばした少女、名はエリザベスという。
 親しい者たちからはベスという愛称で呼ばれている。
 ベスは目当てのエドワード、に扮するトムを見つけると満面の笑みで駆け寄ってきた。

「エド! 今日も一段と素敵ね! 今日は何を食べてるの? パイね。中身は……魚? やだ。私魚大っ嫌いなのよ。エドはよく食べられるわね。私だったら、こんなの作ったコック、すぐに首を刎ねちゃうわ」
「ベス。ボスのところに勝手に来るんじゃねぇと、何度言ったら分かるんだ?」
「やだ。お父さん。良いか悪いかはエドが決めるのよ? そうでしょう? だったら大丈夫よ。エドが私のこと、拒否するわけ無いもの」
「ったく……ボスも、こういうところはビシッと言ってやらないといかんですよ? ただでさえ親の俺の言いつけを守らねぇで調子に乗ってるのを、ボスが甘やかしたんじゃあ手も付けられねぇですよ」

 ベスはジンの実子だ。
 そしてエドワードの大のお気に入りだった。
 エドワードとベスは似た者同士で、立場のある親を持ち、そして自身のわがままに驚くほど素直だ。
 ジンがぼやくように、エドワードがベスのわがままを全て許容していたので、エドワード以上に扱いの難しい人物ともいえた。
 トムはすでに何度もベスとのやり取りを経験しているため、あたりさわりのない態度を見せていたが、ふとあることを思いつき、口の周りを一度真っ白い布で拭いてから、ベスに声をかけた。

「そうだな。ベス。ジンの言う通りだ。あんまりお前のわがままばかり許してたんじゃあ、他の者に示しが付かない。今後はきちんとルールを守れ」
「え!? ちょ……と、エド……嘘でしょう?」
「ははっ! こりゃあいい。ボスもこの前の一件で色々と懲りたようだ。いい薬になりやしたね。ということで、ベス。聞いた通りだ。出て行きな」
「そんなぁ……エド! こんなの、ひどいんだからね!」

 トムの言葉に憤慨ふんがいするベスと、面白そうな笑みを見せるジン。
 二人の顔を一度見つめると、トムは言葉を続けた。
 何もベスを怒らせることを、トムが思いついたわけではないのだ。

「しかし、それだけじゃあ、ベスも面白くないだろう。ということで、明日二人きりで街に出かけよう。デートだ」
「え!? うそっ! ほんと!? やったぁ! さすがエド! 分かってるぅ!」
「待ってくださいよ。ボス。二人きりで街なんて、承認できやしませんよ。冗談言わないでください」
「ジン。それじゃあ、お前はこのままベスのわがままをずっと認めろ、と。そう言うんだな?」
「いや……それはそれで……あー! もう畜生! 勝手にしてください! その代わり、護衛は付けますからね?」
「ダメだ。もし俺の視界に護衛が見えたら、そいつの首を刎ねる。分かったな?」

 トムの言葉にジンは渋々了解するしかなかった。
 こうしてトムはジンの目を逃れ、拠点の外へ出る口実を手に入れた。

(あとはベスの目を盗んで逃げだすだけだ。なんとしてでも成功させなければ)

 トムから見たベスは、ただのわがまま放題な少女でしかなかった。
 実質、十日の間にジンの次に接した時間が長かったのがベスだったが、それ以外の評価が難しい情報しか直接的にも間接的にも得られなかった。
 しかし、ジンを父親に持つベスもまた、生まれながらにして【砂漠の三日月】の一員として育ったこと、そしてそれがどういう意味を持つのかを、その時のトムは知る由もない。
 自分の蒔いた種がどこまで大きく育つかもまた、トムの想像を遥かに超えていた。

コメント

  • ノベルバユーザー601499

    セリフは「」で心情は()で書かれているので一瞬どっちかわからなくなる瞬間も乗り越えて読めました。
    登場人物のセリフ合ってますね!

    0
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