【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation

旭山リサ

2-5 ★ 通りすがりの小遣い稼ぎの女中

「なんだか視界が……そこにいるのは、おじいさま? 天国からむかえに来てくださったのね」

 ――この年で「おじいさま」に間違えられるとはな。

 地味に傷付くよ。まだ禿げてもいないのに。

「ああ……おばあさま、おばあさまも!」

 ――重傷だな。ここにいるのは、ミミという天使なのに。

「しっかりして。貴女あなたのおじいさまとおばあさまは天国かもしれないけど、貴女あなたも私も生きているわ」

 ミミは少女を優しく諭しながら、鼻血を拭いた。
 俺は少女が身を起こすのを手伝い、水を飲ませる。
 天国へ召される寸前だった少女の魂はなんとか現世に留まった。

「これは夢ですか? リンドバーグ夫妻が、私のそばに。お二人の後を尾行したのも、お二人があつたわむれていたのも、全て現実ですか?」

「た、たわむれ以外は現実よ」

「そうですか……夢だったのでしょうか」

 少女はとても残念そうに呟いた。

「二、三確認したいことがございます」

 俺は寝台のそばに、もう一脚の椅子を引いてきて、腰掛けた。

「勝手ながら、こちらの旅券を拝見致しました。貴女あなたのお名前は、ビアンカ・シュタインさんですか?」
「は、はい、そうです」
「なぜ俺たちの後を尾行していたのです?」
「そ、それは……その」

 少女は急に口ごもり、指を遊ばせた。

「お二人と、一言ひとことだけでも話してみたかったのです」

 少女の目に大粒の涙が浮かび、鼻から赤い血が流れ出た。

「ま、また鼻血が出てるわよ!」

 ミミが慌てて彼女の鼻に拭きものを添えた。

 ――本当に、一体誰なんだ。

「とりあえず、その血まみれの服を着替えましょうか。なんだか貴女あなた、人を殺したみたいよ。アル、旅行鞄りょこうかばんの中に朝刊があるからとってくれる? 鼻血で汚れたものを一旦包むわ」

 言われた通り、かばんの中から朝刊を取り出す。

「あれ? この写真……」

 朝刊の第一面を飾っている写真が目に飛び込んだ。

「ん? ええ? な……なんだか似てる?」

 足元から全身が総毛立つ。俺は新聞に掲載された白黒の写真と、ベッドの少女を見比べた。

「マーガレット王女様の写真と……よく似ているような」

 少女の面持ちがたちまち土気色に変化した。

「アル、私にも見せて」

 ミミは俺から新聞を受け取り、すみずみへ目を通した。

「確かに似てる。髪型は違うけど、目鼻立ちがそのまま! ど、どうして気付かなかったのかしら」

 ミミは穴があくほど、少女を見つめた。

「お、王女に似ているとよく言われますの。オ、オホホホ。そ、そそ、それにほら、旅券には、ビアンカ・シュタインと書いてあるでしょう?」

 旅券には確かに【ビアンカ・シュタイン】と名前と写真が載っていた。

「か、顔の似た人間くらいごまんとおりますわ。オホホホ」

 ――そりゃまぁ、確かに。

「私も妻も、貴女あなたがチーズマン氏のうたげで、給仕をされていたのを目撃しています。貴女あなたはチーズマン家の女中ですか?」

「チーズマン家の日雇い女中ですよ。誕生会の人手不足を補うために働き手の募集をかけていたのです。私、たびをしている最中でして、路銀ろぎんの足しになりましたわ。私はきわめて平凡へいぼんな、通りすがりの小遣づかかせぎの女中じょちゅうですわ」

 ――怪しい。いっそ清々すがすがしいぞ。

貴女あなたの小指の入れずみ

 ミミがつぶやくと、少女はサッと左手を毛布の中に隠した。

「以前、チャールズと、エデン王家の方に謁見えっけんしたことがあるの。ドナルド殿下の小指にも同じ入れずみがされていたわ。太陽のもんでしょう」

 ――ドナルド殿下。マーガレット王女の兄であり、次の王位継承者か。

「チャールズが口下手で、ドナルド殿下との会話に困っていたから、私が小指の入れ墨についてたずねたの。殿下は伝統的なお守りだと話したけれど、エデン王家の侍従の皆さんの指に入れ墨は無かったわ」

 ――流石さすがミミ。観察眼が違う。

貴女あなたの入れ墨を見た時、どこかで見覚えがある、と。それを今思い出したわ。よろしければ、お守りの意味を教えてくださいませんか」

 ミミは微笑みながら、彼女の目を見て訊ねた。彼女はなかなか口を開こうとはしなかったが、落ち着いて気品あるミミの姿に感化されてか、彼女をまとう雰囲気が落ち着いたものになる。毛布の中に隠した左手を彼女は出し、俺たちへ小指をかざした。

「小指のちぎりは、聖霊の誓約です。私の秘密を守り通していただけますか。ミミ様、司祭様」

 差し出された王女の小指に、ミミが小指を重ねる。

 指切りには諸説ある。前世の日本には恐ろしい逸話いつわが沢山あった。この世界では「王族の小指」は政治的にも宗教的にも重要な意味を持つ。

 王の子供として世間に認知された俺が、他国の王女と指切りを交わして良いものか戸惑いはあったが、ミミにならって俺も秘密を守る誓約を結んだ。

「改めまして、マーガレット・エデンでございます」

 マーガレット王女様は胸に手を添え、頭を垂れた。

座位ざいのままで大変恐縮ですわ」

 寝台に腰掛けるマーガレット王女様の両足は震えていた。溌剌はつらつとした口調だが、彼女の熱はまだ下がっていない。

「楽な姿勢で構いませんよ」
「まだ横になった方が良いわ」
「お気遣いありがとうございます、司祭様、ミミ様。先程の無礼な言動の数々をどうかお許しくださいませ。お目にかかれて光栄です」

 王女様は目にいっぱい涙を溜め「夢が叶いました」と幸せそうに破顔した。

【つづく】

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