【コミカライズ化!】リンドバーグの救済 Lindbergh’s Salvation
2-3 ★ 姉さん
美術館を出て、街灯が照らす石畳の道をミミと並んで歩く。
――秋の夜は美しい。
四季の中で、色の濃淡が最も鮮やかだ。けれどもミミと結婚してからは、周囲の視線や気配に敏感になったせいか、どんなに美しいものに心を奪われても、幸せなひとときに水を差す不穏因子を見過ごすことはない。
「アル。気付いている?」
「ああ、気付いているよ。尾けられてる」
「やっぱり。暇なのかしらねぇ?」
俺たちの背後から、こそこそとした足音が聞こえる。振り返ると誰もいないが、先程からずっと、まとわりつくような視線を感じるのだ。
「誰だと思う? 記者かしら」
「暗くて分からないよ。二人いるような気がするけど。――ミミ、こっち」
俺とミミは曲がり角から路地へ身を隠し、尾行者が追いつくのを待つ。突然俺たちの姿が消えたので、尾行者はうろたえているようだ。俺たちの隠れるところの近くまで来たので、暗がりから相手の面持ちをうかがう。黒い外套を纏い、黒髪を二つに束ねた、あどけない少女だ。
「おい、君」
「ひっ」
彼女が逃げようとしたので、右手をつかんで引き留めた。
「さっきから俺たちを尾けていただろう? 君と、もう一人仲間がいるんじゃないかい?」
「か、勘違いです! ゲホッ、ゴホッ」
少女は膝をつき、激しく咳き込み始めた。
細い手首は熱を帯びていて、汗でしっとり濡れている。
「貴女、大丈夫?」
ミミが屈んで彼女の背中をさする。
俺は彼女の額の汗をハンカチで拭った。
「高熱だ。今すぐ病院へ連れて行こう」
「この時間は大抵どこも閉まっているんじゃないかしら。夜間診療の病院を探すのも一苦労よ、アル」
――確かに。今は地図も持ち合わせていない。
「一旦この子を宿へ。医者を呼んでもらおう」
「い、いえ、大丈夫……です」
少女は息も切れ切れに真っ赤な顔で断った。これだけ体調が悪いのに、どうして俺たちを尾行などしていたのだろう。聞きたいことは沢山あるが、急病人を見過ごすわけにはいかない。俺は少女を両腕に抱えた。
「大丈夫よ、すぐにお医者様を呼ぶわね」
ミミが優しく語りかけ、頭を撫でる。俺は少女を抱えたまま、路地から明るいところへ出た。月光が彼女の面持ちを照らす。
「この子、誕生会にいた女中さんだわ。私たちの挨拶の時に食器を割った……」
「あの子か! 仕事を抜け出してきたのかな」
「アル。この子の小指、入れ墨があるわ」
ミミが少女の左手をすくいとる。
花の模様だろうか。小指に入れ墨をするのは珍しい。
「行かないで……」
少女がミミの手を握り返す。熱にうなされる彼女は何か言おうと、口を大きく開いたかと思うと、急にすぼめ、虚ろな視線でミミをじっと見つめた。その目から一筋の涙が零れ落ちる。
「美名……姉さん」
少女の瞼がゆっくりと落ちる。
眠る少女を抱えたまま、俺とミミは思わず顔を見合わせた。
「ミミを……美名姉さんと言った?」
「い、言ったわ」
「美名には……妹がいたの?」
「いいえ……でも」
ミミは数秒黙って考え込んだ。
「とにかく彼女を診てもらわないといけないわ」
「そ、そうだね」
ひとまず俺たちは、高熱にうなされる少女を宿へ連れて行くことにした。
【つづく】
――秋の夜は美しい。
四季の中で、色の濃淡が最も鮮やかだ。けれどもミミと結婚してからは、周囲の視線や気配に敏感になったせいか、どんなに美しいものに心を奪われても、幸せなひとときに水を差す不穏因子を見過ごすことはない。
「アル。気付いている?」
「ああ、気付いているよ。尾けられてる」
「やっぱり。暇なのかしらねぇ?」
俺たちの背後から、こそこそとした足音が聞こえる。振り返ると誰もいないが、先程からずっと、まとわりつくような視線を感じるのだ。
「誰だと思う? 記者かしら」
「暗くて分からないよ。二人いるような気がするけど。――ミミ、こっち」
俺とミミは曲がり角から路地へ身を隠し、尾行者が追いつくのを待つ。突然俺たちの姿が消えたので、尾行者はうろたえているようだ。俺たちの隠れるところの近くまで来たので、暗がりから相手の面持ちをうかがう。黒い外套を纏い、黒髪を二つに束ねた、あどけない少女だ。
「おい、君」
「ひっ」
彼女が逃げようとしたので、右手をつかんで引き留めた。
「さっきから俺たちを尾けていただろう? 君と、もう一人仲間がいるんじゃないかい?」
「か、勘違いです! ゲホッ、ゴホッ」
少女は膝をつき、激しく咳き込み始めた。
細い手首は熱を帯びていて、汗でしっとり濡れている。
「貴女、大丈夫?」
ミミが屈んで彼女の背中をさする。
俺は彼女の額の汗をハンカチで拭った。
「高熱だ。今すぐ病院へ連れて行こう」
「この時間は大抵どこも閉まっているんじゃないかしら。夜間診療の病院を探すのも一苦労よ、アル」
――確かに。今は地図も持ち合わせていない。
「一旦この子を宿へ。医者を呼んでもらおう」
「い、いえ、大丈夫……です」
少女は息も切れ切れに真っ赤な顔で断った。これだけ体調が悪いのに、どうして俺たちを尾行などしていたのだろう。聞きたいことは沢山あるが、急病人を見過ごすわけにはいかない。俺は少女を両腕に抱えた。
「大丈夫よ、すぐにお医者様を呼ぶわね」
ミミが優しく語りかけ、頭を撫でる。俺は少女を抱えたまま、路地から明るいところへ出た。月光が彼女の面持ちを照らす。
「この子、誕生会にいた女中さんだわ。私たちの挨拶の時に食器を割った……」
「あの子か! 仕事を抜け出してきたのかな」
「アル。この子の小指、入れ墨があるわ」
ミミが少女の左手をすくいとる。
花の模様だろうか。小指に入れ墨をするのは珍しい。
「行かないで……」
少女がミミの手を握り返す。熱にうなされる彼女は何か言おうと、口を大きく開いたかと思うと、急にすぼめ、虚ろな視線でミミをじっと見つめた。その目から一筋の涙が零れ落ちる。
「美名……姉さん」
少女の瞼がゆっくりと落ちる。
眠る少女を抱えたまま、俺とミミは思わず顔を見合わせた。
「ミミを……美名姉さんと言った?」
「い、言ったわ」
「美名には……妹がいたの?」
「いいえ……でも」
ミミは数秒黙って考え込んだ。
「とにかく彼女を診てもらわないといけないわ」
「そ、そうだね」
ひとまず俺たちは、高熱にうなされる少女を宿へ連れて行くことにした。
【つづく】
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